告発文
告発文の内容はしごく簡単なものだった。
直属の上司である大野係長と並んで歩く千津の隠し撮り写真がプリントされ、その上に『
掲示板の告発文はすぐに撤去されたが、千津は大野の上司に呼びされて告発文を見せられた。その写真は先週の新年会の二次会へ移動している最中のものだとすぐにわかった。プライベートで大野と飲むことはなかったし、心当たりはそれしかなかったのだ。着ている服にも覚えがあった。
「係長とはそんな関係じゃありません。第一、私にはお付き合いしている男性が別にいます」
千津には美容師をしている
とはいっても、最近は相手の態度がよそよそしく、家にいても会話すらない。彼は早朝から出勤し、帰りも遅い。真夜中に戻ることも多かった。こうなっては、もはや寝るために帰ってきているようなものだ。
交際がうまくいっているとはとても言えないが、それでも付き合っていることには違いはない。
千津の言葉に上司は「わかった」と言ったものの、苦り切った顔は相変わらずだった。
大野係長は濡れ衣だと笑い飛ばしていたが、人の噂というのは厄介なものだ。人間の好奇の目が人を追い詰めるものだというのを思い知るのに、そうはかからなかった。どこに行っても視線を感じ、いつも一緒にランチをしていた友達はよそよそしくなった。
家に帰っても、食欲がわかず、夜もろくに眠れない。しかし、和哉はそんな千津の様子に無関心で、スマートフォンでゲームばかりしている。話しかけても返事はろくになく、それどころか視線を合わせることも稀になっていた。
その横顔にため息をこぼしそうになるたび、彼女は慌てて口に手を当てる。千津がため息を漏らしたり、「さびしい」と口にすると、彼は途端に不機嫌になって家を飛び出てしまうからだった。
正直、愛情は冷めている。それなのに、彼を怒らせたくない。ただでさえ告発文のことで疲れているのに、プライベートでまで揉め事を抱えたくなかった。
誰にも何も言わず、一人で苦悩を抱え込む日々が一週間ほど続いた。
人の噂も七十五日と念仏のように呟きながら過ごしていたある日、給湯室から聞こえてきた世間話が、千津に退職を決意させた。
話をしていたのは同じ課の広瀬涼子だった。社内でも可愛いと評判の後輩だった。普段は千津を『先輩』と呼んで慕っている素振りを見せていた。ところが、彼女は嘲笑うような声で、こう噂していたのだ。
「永井先輩が誘ったって話だよ。先輩って真面目そうに見えて、同棲してる彼氏がいるくせにセフレが一杯いるんだって。たいして可愛くない人ほど、セフレって多いよね」
頭を鈍器で殴られた気がした。気がつけば千津は自分のスマートフォンで『退職届の書き方』と検索をかけていたのである。
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