ギター、光る
朝食が終わると、彼らは縁側に寄り集まり、こそこそと相談を始めた。
「あの狛犬たち、名前を呼べば来るって言ってたわよね?」
「そうでござるな。でも、どっちに向かって呼べばいいでござる?」
「えっと、天満宮ってあっちだったかしら?」
「どこでもいいんじゃないか? あいつら、普通の犬じゃないんだから」
三匹は揃って窓辺に並び、一斉に「時雨! 秋野!」と呼んだ。それはエミさんには「んにゃあ! んにゃあ!」という鳴き声にしか聞こえず、彼女はふっと笑みを漏らす。
「あら、みんな揃って騒ぐなんて珍しい。雀でもいるのかしら」
そう言った途端、ベビーベッドのダイキが「わぁ」と泣き出した。
「あら、やだ。『なく』のは猫だけでいいのよ」
エミさんが慌てて寝室に消えていく。そのとき、庭に小さなつむじ風が巻き起こり、音もなく時雨たちが滑り込んでいた。
「呼んだか」
時雨が凜とした声で言う隣で、秋野がダイキの寝ているほうを見て耳を垂れる。
「我らの足音でダイキ殿を驚かせてしまったらしい。お前たちの主は勘が鋭いな」
「足音なんてしなかったでござるよ」
「物理的な足音ではないのだよ、菊千代。お前の主はとても優れた精神力をお持ちなのだ」
なんのことかわからなかったが、ダイキを褒められて菊千代は「ふふん」と得意げに舌なめずりをした。
「それで、何用だ?」
そう問う時雨たちに、彼らは事の次第を説明する。
怪しい骨董市の話が出たとき、秋野たちはさっと視線を交わしたものの、それについては何も言わなかった。ただ、店のほうを向いて時雨が険しい目をする。
「確かに妙な気配はある。まるで貝の中に閉じこもっているような、籠もった気配というか……もどかしいな」
秋野が相槌を打つ。
「それでは様子を見てみよう」
こうして、菊千代たちは縁側で猫団子を作って霊体になると、秋野たちとともに開店前の店に向かったのだった。
菊千代が日中の店に入ったのはこれが初めてだった。障子越しに明るい日差しが射し込み、店内にいけられた季節の花を照らしている。厨房の奥に置かれた大きな釜には蓋がしてあったが、中には沢山の湯が沸いているようだった。蕎麦打ち台は綺麗に片づけられ、あとは暖簾を掲げて店を開けるだけといったところだ。
「この薬箪笥だな」
時雨がレジの傍に歩み寄る。
薬箪笥は夜見たときよりも木目がはっきりと見えた。それを見て秋野が「ほう」と目を細めた。
「いい艶だ。丁寧に手入れされてきたものだと思うが、どうして売りに出されたのか教えて欲しいところだな」
「だが、肝心の物憑きの霊が籠もって出てこないとなると話も聞けまい。厄介だな」
狛犬たちの会話に、菊千代が割り込む。
「やっぱり、こいつが物憑きの霊の依り代でござるか?」
「お前のヒゲもピリピリしないか?」
そう鼻で笑ったのは時雨だった。
「するでござる。特に右下の引き出しが嫌な気配でござる」
「ふむ、お前は一番勘がいい。間違いなく、霊はその引き出しに籠もって出てこないでいる。というより、これは出たくても出れないのだろう」
ロッキーが首を傾げる。
「どういう意味だ?」
秋野が答えた。
「カンさんが感じている『焦り』は、おそらくこの霊が発しているものだ。霊自身が焦っているのを、感じ取ってしまっているのだろう。ここにいると、どうも我々までそわそわさせられる。だが、この霊は出たくても怖くて動けずにいるのだ」
「何が怖いというんだ?」
「恐らくは本人もわかっていないのだろう」
秋野は憐憫の目になると、ふっとマリアを見た。
「こういうときこそ、お前のギターの出番ではないか」
「私の? これが何かの役に立つの?」
目を丸くしたマリアに、秋野が深々と頷いて見せた。
「お前のギターで、この物憑きの霊が心惹かれる旋律を奏でてごらん」
「えぇ? 無理よ! 私はギターなんて弾けないわ」
「案ずるな、お前が奏でるのではない。ギターが奏でる」
隣で時雨が口を挟んだ。
「そのギターは相手が求めるものをくれる」
「求めるもの?」
「そうだ。それが何かは相手次第だが」
時雨の声に、ほんの少ししんみりとしたものが帯びる。
「もちろん物理的なものではない。思い出、願望、叶わなかった夢、つかの間の慰め。そういうかりそめの幻のようなものだ。とらわれすぎると愚かなものだが、ときには功を奏することもある」
そう言う彼は何を思い浮かべていたのか、その目には黄昏が浮かんでいる。
マリアはそんな彼にちょっとの間だけ躊躇したが、おずおずとギターの弦に前脚をかけた。
「あっ」
小さく声が漏れた途端、彼女の琥珀色の瞳にさっと強い輝きが宿る。それはまるで輝く砂金をばらまいたようでもあり、火花を閉じ込めたようでもあった。
マリアの爪がギターの弦を弾く。菊千代たちが息を呑んで見守る中、艶やかなギターはゆったりとして、どこか哀愁の滲む旋律を奏で始めた。
「これは?」
ロッキーが秋野を見上げると、彼女は小声で答えた。
「明治に流行った歌だ。自然の美しさを歌ったものだな」
菊千代は二匹の会話を聞きながら、ギターを弾くマリアにじっと見入っていた。そこにいるのはマリアであって、マリアではない。そんな気がしてならなかった。
彼女の体はギターと一つとなったようだ。むしろ、ギターによって操り人形のように動かされているように見える。弦を押さえる動きには迷いがなく、そして彼女の瞳にじんわりと涙が滲んでいた。
「どうか急いでちょうだい。同じ悔いにとらわれないで。せめてこの人の心を救ってあげてちょうだい」
呻くような声に、ロッキーと菊千代は思わず顔を見合わせた。その声がマリアのものではなく、聞き覚えのない細い女の声だったからである。
「あ、あの目だ!」
菊千代が思わず尻尾を膨らませる。カンさんの向こうに見えた目が薬箪笥の奥に浮かんでいた。
今度はロッキーにもそれが見えたらしい。生まれつき厳つい顔をさらに険しく歪ませた。だが、すぐに「おや」と、彼のグリーンの目が見開かれた。
「出てきたぞ」
ギターの音楽が流れる中、薬箪笥の向こうにある目の周りに青白い肌が浮かんでいき、次第に霊の姿が見え始めたのだ。
「あぁ、あの人の好きだった歌だわ」
さきほどのか細い声が、今度はマリアの口からではなく箪笥のほうから聞こえた。
箪笥のそばにあらわれたのは、十五か十六くらいに見える少女だった。利発そうな印象を持っているが、質素な寝間着姿で顔色はすこぶる悪い。頬も痩せこけ、やつれている。なによりうつむき加減で人の顔色を窺うような目つきが、臆病な性格を表していた。
「あれが『物憑きの霊』か。明治の歌を知っているなら、黒電話のときとは違って齢百年たっているということか?」
ロッキーの言葉に、菊千代が首を横に振る。
「いや、そうではござらん。人の姿をしているということは、齢百年に達する前にあの子の想いを受けて霊が憑いたということでござるな」
「あの娘を祓うのか」
気が進まない様子で、ロッキーがぼやく。
「見たところ、二十歳にもなっていない。今で言うなら高校生くらいだ。そもそも女に拳を上げるというのは気が進まない」
それを聞いた時雨が「ふん」と一笑に付した。
「人間もそうだが、霊の類なんぞ、見た目にとらわれると足下をすくわれるぞ。第一、祓うかどうか決めるのはお前たちではない。その手にある得物だ」
菊千代は右手の刀をぐっと握りしめ、ぱたりと尾を揺らした。
「罪という罪は在らじと、祓え給い清め給う」
意を決して呟くが、刀には何も変化が訪れることがなかった。黒電話を祓ったときのように波紋が浮かぶこともなく、ロッキーの赤いグローブにも変化はない。
「おや、今回は祓わなくていいのか」
ロッキーがほっとして呟いたときだ。
「私に任せて」
マリアが言う。見ると彼女のギターがぼんやりと黄金色の光をまとっている。
「この子を救うのは、私みたい」
さっきは知らない女の声をしていたが、今度は紛れもなくマリアの声色だ。
「この霊はきっと、私に会いに来たんだわ。なんだか、そんな気がするの」
ロッキーと菊千代が思わず顔を見合わせる。
それを見た秋野が艶やかな尾を振って言った。
「ギターが光ったということは、あの霊を救えるのはマリアだけということなのだろう」
その途端、マリアの口から「祓え給え清め給え、守り給え幸え給え」と声が漏れた。
爪で弾いてギターを奏でるたびに、音そのものが光をまとって蛍のように物憑きの霊に向かって飛んでいく。無数の光る音はどこまでも優しく穏やかで、薬箪笥のそばに立つ少女を包むように集まっていった。
やがて、光の群れが一斉にはじけ飛び、辺りは真っ白くなった。菊千代とロッキーは思わず目をつぶって顔を背ける。だが、マリアの目に飛び込んできたのは、光ではなかった。菊千代が黒電話の過去を覗いたときのように、見知らぬ風景に溶けていった。
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