屍体売りは語る

D坂ノボル

プロローグ



悲しみは生きている者のためで、死人のためではない。

                   


                    ――アラブの格言

                       



 人びとはこの街を「世界の果て」と呼んだ。熱風吹きすさぶ赤茶けた荒野に四方を閉ざされた瓦礫の街。かつての栄華はその面影を失い、井戸の水とともに人びとの涙も涸れた。戦火に首を落とされた美女像の噴水広場に、石畳の四つ辻が交わっている。行列道路を往く男たちに、五体満足の者は数えるほどもいない。交わる女たちに、微笑を湛える者はひとりたりといない。街全体が喪に服すかのようにひっそりと静まりかえるなか、露天商の力ない呼び声だけが、辺りにむなしく響き続ける。宝石屋、古書屋、鋳物屋。商店街をぬけて、薄闇がかる裏通りへ。

 いたるところ物乞いが座りこみ、盗品を扱う商店ばかりが建ち並ぶ、悪名高きザックーム市場スークの奥の奥――ここは夜だけ開く、背徳の店。

「ダブウはいるか」

 その客は店に入るなり、乱暴な口調でそう問うた。浅黒いひげ面、飢えた狼のような褐色の瞳。みすぼらしい身なりの、気の荒そうな男である。血のように赤い扉が、客の背後で重苦しい音とともに閉じた。薄闇が店を包みこむなか、客は双眸を爛々と光らせて言葉をかさねる。

「店番の小僧に用はねえ、親方のダブウを出すんだ。隠しだてすると、ためにならんぞ」

 拳銃か刃物でも出そうというのか、客は懐にそっと手を入れた。

 やれやれ、またこの手合いか――ぼくは大きく溜息をつき、鼻まで覆っていたストールを下げる。

「ダブウは、もうこの店にはいないよ」

「どこへ行った」

「むだ骨だったね」ぼくはにやりと嗤って客の貌を見上げた。「ダブウは、もう死んだんだよ。殺されたんだ。街じゅうの人間から、怨みを買っていたからね。あんたもどうせ、その手合いだろう? だけどあんた、もうやつを、殺せないよ。死んだ人間は、もう、殺せないよ。ぼくに教えてやれるのは、やつの墓の在処だけさ。でもな、あんた、やつにいったいどんな怨みがあるのか知らないけど――墓を荒らしたって、けっしていい気分にはなるまいよ」

「殺されただと」客は血走った眼を大きく見開いた。「いったい、だれに殺されたんだ」

 ぼくはもう一度ちいさく溜息をつき、窓の外に眼をやった。迷宮のように入り組んだ街並みを、夕暮れが赤く染めあげていく。

 そうだ、ちょうど、こんな赤だった。

 ダブウの流す酒くさい血の色は、ちょうど、こんな赤だった。

「いいだろう」ぼくは客に向き直った。「店を開けるまで、まだ時間がある。陽が沈むまで、ひとつ話をしよう。だけど、あんた、きかないほうがよかったと、後悔するかもしれないぜ。それは、陽が沈み、また昇っても――けっして醒めることのない悪夢。ダブウを殺したのは、やつのたったひとりの愛弟子だった小僧だ――名まえはザイド。つまり、やつを殺したのは、このぼくさ」

 客の耳がぴくりと動いた。

 そしてぼくは、薄笑みを泛べ、忌まわしい呪いにみちたその話を、噛みしめるように、ぽつり、ぽつりと、客に向かって語りはじめた。

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