第258話 「山月記」




 何もかもが億劫な時、人と会う用があるのにそれにも行きたくない時、一旦外に出てしまえば憂鬱などどこかへ消し飛び、それなりに有意義な時間を過ごせるとわかっているのにそれでも身体が動かない時、努めて中島敦の「山月記」を思い出すようにしている。

 名文中の名文を読み、自分に言い聞かせる。

 己の惰性で虎になってはいけないと。


 ***


 時に、残月、光ややかに、白露は地にしげく、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖はっこうを嘆じた。李徴の声は再び続ける。

 何故なぜこんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えようにれば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、おれは努めて人とのまじわりを避けた。人々は己を倨傲きょごうだ、尊大だといった。実は、それがほとん羞恥心しゅうちしんに近いものであることを、人々は知らなかった。勿論もちろん、曾ての郷党きょうとうの鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云いわない。しかし、それは臆病おくびょうな自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨せっさたくまに努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間にすることもいさぎよしとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為せいである。おのれたまあらざることをおそれるが故ゆえに、えて刻苦してみがこうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々ろくろくとしてかわらに伍することも出来なかった。おれは次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶ふんもん慙恚ざんいとによって益々ますますおのれの内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。


 ***


 読むたびに思う。

 努めて、人と交わらなければならない。

 交わらなければ生きたことばが書けない。一人でいてはどんどんと忘れ、失っていってしまう。

 人に批評されるのは怖い。

 臆病な自尊心を傷つけられるのが怖い。尊大な羞恥心を暴かれるのが怖い。

 それでも、人の生きたことばを浴びなくては生きたことばは書けない。

  

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