第218話 回っている洗濯機の中を見ているのが好き




 子供の頃から、回っている洗濯機の中をじっと見ているのが好きだった。

 ……というのは私だけだろうか?

 それは自分で洗濯するようになってからも変わらず、今でも時間さえ許すなら全自動洗濯機(タテ型)の洗い、すすぎ、脱水までをずっと眺めていたい衝動にかられる。


 洗濯自体は、実に簡単なワンタッチ作業である。

 洗濯機の水量ボタンを押し、洗濯の種類を押し、衣類を放りこんでスタートボタンを押すだけ。水が注入され、溜まって回り出したら、液体の洗剤を入れる。蓋を閉める。これで終わり。


 ちょっと気晴らしに眺めていたい時は、蓋を開けたままにしておく。

 洗濯槽の中で、シャツやら靴下やら下着やらがくるくるとひっきりなしに回っている。洗剤が入ると泡もたつし、白く濁る。柔軟剤も入れてみる。フローラルな香り。

 そして、衣類が洗われていく様子を立ったままひたすらに眺める。


 傍から見ると、ちょっと不気味な光景かもしれない。

 一体それの何が楽しいんだ……? と思われるだろうが、私くらいの妄想の達人になると、くるくる回る大小の衣類が海を回遊するまぐろに見えたり、白い雑煮に浮かぶ鶏肉や大根に見えたり、嵐や洪水に巻き込まれて溺れる人や動物、陶芸で使うろくろ、円天、回る星々などなど、次から次へと無限にイメージが涌いてくる。


 洗濯機には、無限の可能性がある。

 むしろ水中の異世界、約束の地などと妄想は飛躍し、もはや洗濯機そのものが一つの宇宙と化し、ゴゴゴゴ……という喧しい音と緩急ある水流は洗濯槽惑星の天地創造であり、薄いピンクのハンカチはプカプカ浮かぶ島、白い泡からはヴィーナスが誕生し、黒いモコモコのパジャマは巨大なクジラ。それに呑まれる私。ブクブクブク!

 ……楽しい。地味に楽しい。変といえば変だし、ヤバイといえばヤバイのかもしれないが、別に誰にも迷惑をかけず損害もない人畜無害な洗濯機ライブ。


 惜しむらくは、この洗濯機ライブは15分ほどしか味わえないということだ。

 最初の脱水の時点で、蓋を閉めなくてはいけないのである。

 そうしないと、安全性の問題から洗濯機は自動的に停止してしまう。

 洗濯機の宇宙は、無慈悲な蓋によって閉じられ闇に包まれる。

 当然だが、私は中には入れない。入ってもし洗濯機が回ったら普通に死ぬ。

 なのでもう何も見えない。そこからの洗濯機ときたら、微弱に震えながらガタゴトうるさいだけ。

 楽しい妄想はお開きになる。さらば異世界……。短き夢よ……。


 そして、再び水が注入され、二度目のすすぎ・脱水が終わると洗濯は完了する。

 私は再度洗面所へ行き、停止した洗濯機の蓋を開け、底に張りついた衣類を取り出す。

 洗濯機の宇宙は、既に終焉を迎えている。

 そこには水気のない現実が転がっている。

 束の間味わった大胆かつ甘い夢は、どう見てもただのシワシワなパンツや靴下である。

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