第134話 「レモン哀歌」




 八百屋でレモンが3個で50円だったので、これはお得と思って買ってしまった。

 目にも鮮やかな黄色を眺めていると、とある詩の一節を思い出した。


 文学が好きな人は、レモンと聞くと大抵、梶井基次郎の「檸檬」をあげる。

 私も「檸檬」は好きだが、それ以上に好きな詩がある。

 高村光太郎の詩集「智恵子抄」の中に収められている「レモン哀歌」だ。


 ***


 そんなにもあなたはレモンを待つてゐた

 かなしく白くあかるい死の床で

 わたしの手からとつた一つのレモンを

 あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ


 ***


 この一節を何度も繰り返し読んだために、今でも暗誦できてしまう。

 特に「がりりと噛んだ」という表現が好きだ。


 がりり。がりり。

 それは、確かに人がレモンの命を噛んで、咀嚼して、懸命に生きようとする躍動の音なのに、光太郎の妻・智恵子の命は今まさに尽きようとしている。

 そして精神を病んで子供のようになってしまった彼女は、おそらく自分の死を理解できない。当然、残される人のことも。

 無邪気にレモンの汁と清涼を浴びて、智恵子は臨終の刹那、しばし正気に戻る。

 そして、かつて光太郎と培った愛を思い出し息絶える。

 この辺は美しくてうっとりするが、光太郎の非現実な夢を見せられているような気もする。


 ***


 写真の前に挿した桜の花かげに

 すずしく光るレモンを今日も置かう


 ***


 哀しい歌なのに、レモンはどこまでも涼しげに光っている。

 ただの文字の羅列にすぎないのに、確かに、写真の前で光る黄色い果実が見える。


 私は、レモンをがりりと噛んでみたいと思いつつ、値打ちそのままに輪切りにして、コーヒーサーバーのお湯の中にドボンドボンと沈めてしまう。

 沈んだあとでじわじわと白湯に溶けだす、想像するだに酸っぱい汁をじっと眺めている。





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