第77話 感想は、少なくとも一分の隙がないと言えない
少し前にチケットをいただいて、とある舞台(原作あり)を観賞してきた。
私は主演のA氏のファンなので、それはもう喜んで観にいった。
公演は千秋楽で席もよく、お芝居も素晴しく、とても幸せな気持ちで帰路についた。
後日、チケットをくださった方にお礼のメールを送った。
舞台の感想もなるべく事細かに書き、その中で脇役の若手俳優B氏とC氏の演技を褒めた。A氏のファンであるが、今回初めて観たB氏とC氏が深く印象に残ったのである。
「今後は彼らにも注目していきたい」と書いた。
後日、メールの返事が来た。その内容が、ちょっとこちらが予想しないものだった。
要約すると、「Aのことが特に書かれておりませんでしたが、今回は不出来でしたでしょうか?」ということだった。
それを読んで私はびっくりした。不出来なんてとんでもない。
私は原作からそのまま出てきたような、いや原作を越えたかもしれないA氏の演技に終始魅せられっぱなしで、十二分に満足していた。
キャラクターを完全に自分のものにしており、非の打ちどころがなかった。A氏の演技を批判したり、ないがしろにする意図は毛頭なかった。
完全無欠ゆえに、もはや陳腐な賞賛すら出てこなかったのである。
慌てて「A氏はわざわざ書くまでもなく、全てにおいて完璧で大満足でした」と返信した。
舞台に限らず、映画などの映像作品や小説においても内容や演者があまりに完璧だと、観た(読んだ)だけで胸がいっぱいになってしまう。
私だけかもしれないが、感想は対象物にある程度隙みたいなもの(ツッコミどころというべきか)がないと上手く言葉にならないのだ。
たまにとてもよく売れているのにやけに感想(反応)が少ないベストセラーを見かけたりするが、これは作品の満足度が高すぎて、読者は買ってお金を落とすことでしか尊敬や愛情を表現できないのだと思う。
今回は感想の書き方で誤解を招いてしまい、弁解する羽目になってしまったが、今ふと思った。
「何もかもが完璧で素敵でヤバくて最高で100点満点、万歳三唱なのに大満足のあまり胸がいっぱいで言葉にならず、口を開けば呼吸するのにせいいっぱいで、床の上をごろごろ転げ回るしかなくてすみません」
という混乱と情熱が入り混じった感動を一言で表す日本語ができないものだろうか……。
あったら便利なのに……。
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