運動サボり:3日目 まんまとゲーミフィケーションされたものの、天罰覿面自業自得を痛感する男

 運動をサボり、華燭の典で過食しちゃってん(……の変換ミスではなく、関西弁的表現です)。ってほどには食ってないとは思うが、まあ、その後二次会とかもやって、せっかく東京に来たしなあで色々食べて、昨日の夜帰ってきて、案の定運動どころか、片付けすらほどほどにしてぐっすり眠った結果、


 2023年10月02日 08時55分の測定結果

 体重:105.90kg 体脂肪率:34.30% 筋肉量:65.95kg 体内年齢:51歳


 うおおおおおお。天罰覿面。自業自得。今日から頑張りますと言おうかと思ったら、なんか来週月曜が休みなんですか。それで、第2月曜にやってる「月イチの定例会」が今日ですよ〜というリマインダがさっき来た。ああそっか〜。その会、結構飲み食いするから(しなきゃいいんだけど)、太るんだよなあ〜〜〜。もうダメかもしれないです。うごごご。


 しかしねえ、運動というか、移動は結構したんですけどねえ。


 ポケモンGoというゲームには現実のランドマークが「ポケストップ」としてゲーム内に出現するというシステムがあるが、この「ポケストップ」にも人気の高低があって、特に人気の高い「ポケストップ」の一つに「ポケふた」というものがある。まあ、マンホールのふたにポケモンがデザインされているってだけなんだけど、その変わったマンホールは、必ずポケストップ化しており、現地に行くとその「ポケふた」を「ギフト」というアイテムにして収集できる。


 で、上野にあるらしいですよ! って言われたんで、まあじゃあ東京来てるし拾いに行くかあということで、上野公園まで出向いた。そしたら上野公園って広いし、なんかお祭り? 的なことやってるし、国立科学博物館とか美術館とかもある。配置的にはちょっとロンドンぽいな〜と思いながら、『一日外出録ハンチョウ』で科博面白いと聞いていたので入ってみる。実はこれは順序は逆で、「ポケふた」の周りにたまたま科博があるわけではないんだね。「ポケふた」自体が、地域のこう、芸術・文化を代表するような施設の前に設置されているので、まあ、ついでにこうやって博物館に立ち寄って見学するという行為は、実はゲーミフィケーションされているってワケ〜〜〜! いいんだよ俺はもう38歳の大人だから。10歳の子供だったら、「しゃ、しゃらくせえ〜〜〜ッ! 黙ってポケふた集めさせんかい!」くらい思ったかもしれないが。


 で科博だが、確かに面白い。まあ、人も多かったので、そんなに一個一個マジで見られるというわけではなく、斜め見という感じで歩いていただけだけど、それでもすごい充実していますね。

 しかし、東京で育つっていうのはそれだけでステイタスだなぁって思ったね。一応札幌にも「青少年科学館」とかはあるが(今は改装中だけど)、当然のことながら全然勝負にはなってない。でもそのー、タイムリーな話題で言うと、「仁科博士が作った国産サイクロトロン」とか展示しているわけ。これかあ〜〜〜〜! 

 あと「体重不平等起源論: https://kakuyomu.jp/works/1177354054881038781/episodes/1177354054881131481 」で話したシモフリの話覚えてますか? 覚えているわけねえだろ。そらそうだ。あのー、オオシモフリエダシャク(この略称をシモフリとした)ってチョウ? ガ? がいて、こいつらは「工業暗化」で有名なんだよね。で、まあその話に沿ってダイバーシティって大事だよ、だからデブという形質もみんなで力を合わせて守るべきだよ、という理論を展開した(屁理屈を捏ねた の方が正しいですか?)わけだが、これが普通に科博の「多様性」のコーナーにあんの!! だからまあ、順序が逆なんでしょうね。たぶん。つまり、この話は俺はなんで聞いて覚えてたかわからないが、「多様性」と結びつけて聞いてた、というののオリジンは実は科博にあって、そこで見聞した誰かが俺にこの話したから、俺はシモフリの話と多様性を結びつけて話したのだと思う。あるいは、俺と科博にさらに共通するオリジンがあるのかもしれないが。で、俺はシモフリを書籍とかインターネットでしか知らなかったわけだが、生きてはないものの現物を見れたし、こういうのは大ハッピーである。

 で、俺はもう38歳にもなって、ようやくこのように自分の既有知識と展示物を結びつけて、「あーこれがあの」みたいになっているわけだが、幼少期からこのへんで暮らして、休みのたびに科博だ国立美術館だに通ってたら、これが全然逆になるわけじゃん? なんかで話聞いたら、「ああ科博で見たな」って思って、その「話を聞いた」タイミングで、こうなんていうか、生きた知識として吸収できるというか。それはすごいアドバンテージだなあと思うわけですよ。


 それで、その東京で育ったのかもしれない東大院生が、血も涙もない展示をしていてさ。なんかそのー、東京に日本人人口の35%とかいて、ものすごい集約されまくっていると。で、これってあんまり良いことではない。分散した方がいい。まあそれはそうだろうなあと思う。

 じゃあどうやって分散するか? っていうと、直下型地震とかからの復興を契機にしよう! って言うんだよね。お前ら。それは正しいと思うが、人情というものはないのか?


 いやまあ確かに無理だと思うんですよ。東京の都市としての機能を適当に分断し、地震より「前」に機能分散を完了させておき、以て地震とかの被害を軽減せしむる。そりゃあそうできたらいいが、そんなん、言ったって無理に決まっている。それはそうだね。だからって地震で壊滅的被害が出るのは前提の上で、その復興計画として分散型の計画を立てておこう! って、いやー、うーん。正しいよ。そっちの方が実現可能性は高い。しかしねえ。


 まあ、だから、「官僚」と呼ばれる人たちは、日々こっそりこういうことを考えて計画してるってことなんでしょうねえ。それはすげえよ。で、まあ、確かにショナイで考えられているより、公表しておいてくれた方がいいか。俺らはこういう計画をしてますが、それでもなお東京に住み続けてたのは皆さんの責任ですからね? って話だしね。いやはや。なんか未来予想図に、


 「2056年 日本の人口が1億人を下回る 計画完了」


 とか書いてあって、怖〜って思った。いやその別に1億人を下回らせる計画ではなくて、この1億人下回ったというところがちょうどこの「復興計画」の完了時点だよって話なんだろうけどね。だから本当に、言ってることは正しくて、ただただ人情だけがないんだよね。1億人を下回ったあとに計画完了って書いたら、「お前らの計画って人口を逓減計画計画なのか!?」って思われるとは思ってないんだろうなというか。思われても知ったこっちゃねえよと思ってるのかなというか。修士1年でここまでドライになれるのか。さすが東大。すごすぎるぜと思った。


 まあ、政治というのはトリアージ的というか、ある種血の通わない判断をしてこそ、「国」というものが維持されるわけで、これは全然皮肉ではなく、本気で、本当に彼らは国の宝だなあとは思ったんだが、しかしそれでもそのちょっと思ったのは、こんだけ爆裂に人口が密集しているからこそ成立するものっていうものあると思うんだよねえ。だからこの科博もそうだしさあ。過剰人口をアテにしないと存続できない文化とかそういうものもあるような気がする。もちろん一方ではそれは格差を産むのである。東京に生まれるのがステイタスだなあというのはそういう意味。しかし、他方でそういうのがないと突き抜けた存在というのも発生しないんじゃあないの? っていう気もしていて、まあ、しなくてもいいんだけど。別に。でもした方が楽しいじゃん? というときに、その文化的な都市機能というか、「都市」の存在によって存続する文化というか、そういうのはどうするのかなあってことをちょっと思ったんだよねという話でした。ダイエットとは関係ないのでこの辺にしておきます。昔は旅行行くと痩せてた気がするんだが、もう今は太るんだね。辛いです。それではまた。

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