マリオストーリーが意味記憶からエピソード記憶への「解凍」みたいな感じになって面白い

 記憶というのはいくつかのやりかたで「分類」できることが分かっており、例えば主にそれをやってる脳の領域なんかも違うだろうと考えられている。それはまあ間違いないんだろうが、これを「ビッグバン」まで遡ってみると、たぶんエビングハウスの系列位置効果の研究に基づくアトキンソンとシフリンの長期記憶と短期記憶の分類なのだろうと思うが、じゃあ初頭効果がいわゆる「長期記憶」に移行したから生じるという説明が正しいのか? って言われると多分正しくないんちゃうんかなと思う。そののちに言われている「長期記憶」とは別な気がするんだよな。


 という風に考えると、いわゆる古典的な分類が現代にも通用するのか? っていうと微妙だと思う。例えば「手続き記憶」って運動に関する記憶って言われることがあるが、まあ「それはそれ」であるでしょう。イコール「非陳述的記憶」にはならんやろ。例えば「味の記憶」とかどこに入るんだ? とか、そういう疑問は生まれてくる。


 もっと言えばそもそも俺はタルヴィングの原典に当たったことがないので、何をもって「意味記憶」と「エピソード記憶」を分類したかもよう知らん。というわけで、このような用語を適当に使っていいのだろうかという疑問は若干ある(普段用語を厳格に使っているかのような言いぐさですね)(ぐう正)。一方で、これはもう「教科書に載る」レベルで正しい話になっている。のでまあ正しいものとして話すけど、記憶ガチ勢の人は怒らないでください。


 とにかくマリオストーリーがニンテンドーオンライン課金特典で配布された。ので、久しぶりにSwitch起動してプレイしてみた。これがすげえ不思議なゲーム体験で、もう確信したが、俺プレイしたことはある。それは間違いない。それは間違いないんだが、ぜぇーーーんぜん思い出せないんですよ。何一つ覚えてない。だからなんか、ピーチ城に呼ばれてったらピーチ城1Fが64マリオと同じような構成で、おお、ピーチ城のオフィシャルデザインってこうなんだ~ってすごいなんか新鮮に感動したりした。そんで、地面からクッパのあの、マリオワールドのやつがずごごごってせりあがってくるのとか、「すごい科学力!!!!」って素直にびっくりするなどした。のだが、なぁんか懐かしいというか、既視感があるというか。「知らないものを初めて見ている」はずなのに、ものすごく見覚えがある。


 だからそのー、なんか、皆さんも多分一度は体験したことがあると思うんだけど、タイム・トラベラーが来るわけですよ。で、このタイム・トラベラーは破滅の未来を回避するために俺と一緒に過去を変えようとして、最終的になんやかんやあって破滅の未来は回避される。そうすると、「このタイム・トラベラーが存在した未来」が消失してしまうわけだね。だから、タイム・トラベラーがだんだんスーッって薄れていって消えていく。


「なんでだよ! なんで世界を救った君が消えなくちゃいけないんだ!!」

「うーふーふーふーふ。ボクが消えるってことは、人間がいなくなる未来が無くなったってことなんだよ。だからボクは嬉しいんだ。ありがとう、みつぐ君……」


 で、光の中に消えてくわけね。そのタイム・トラベラーが。そしたらそのタイム・トラベラーが来たこと自体も歴史から消失するとか、なんかそういう理由で、俺の記憶からも急速にそいつのことが失われていく。で、寝て起きたらもう完全に忘れている。


「あーあ、よく寝た。なんか長い夢を見ていた気がするなあ。あれ、こんな鈴、いつ買ったんだっけ?」


 チリンと鳴る鈴の音は、一度も聞いたことがないはずなのに、何故かとても懐かしかった。どうしてだかわからないまま、俺は息ができないくらい泣いていた。



 みたいな体験したことあるでしょ。小5くらいの時に。ない!? いやそれただ忘れているだけですよ。見覚えのないアクセサリとか、自分の趣味じゃあないストラップとか、そういうの、だいたい「それ」らしいですよ。


 とにかくだからそれに近い体験ですよマリオストーリー。全然覚えてないのにすべてが懐かしい。全然覚えてないはずなのに、なんか、ところどころ「ああああああーーー!!」ってシーンがある。レベルアップしたときに、能力どれを伸ばすか聞かれて、BP極振りにしてたなとか。ハテナ虫すげえ見覚えあるなとか。ピンキー(ボム兵)見た瞬間に、ああいたーー!! って思い出すとかね。一方で、パレッタは仲間になるの忘れてて、え、お前は加わるの!?!?? って思ったりとか。ロレンチュの会い方とかも完全に忘れていて、でも、実際にそこまで進行するとすげえ思い出すんですよ。


 だからそのー、エピソード記憶ってのは個人的な記憶なわけです。体験が鮮明な形であって、もう何回も言ってるけど、チーズブリッジの隠しゴールを見つけた瞬間とかですよ。その瞬間のことは鮮明に覚えていて、ゲーム画面とかその時の興奮を含めて記憶している。

 一方で、意味記憶というのはそういう鮮明性が失われて、辞書的な記憶、他者と共有できる形になった記憶である。例えば皆さん「日」って漢字は書けると思うが、この漢字をいつどうやって覚えた? って言われると思い出せないと思うんですよね。いや私はすべての漢字を覚えたときのエピソード込みで完全に覚えてますが? という人は、今すぐエッセイ書き始めたほうがいいです。それは才能なんで……。


 だから、こっからは完全に適当な話だが、まず、体験の顕著性によってエピソード記憶として残るかどうかが決定されるんじゃあないかと思うわけです。そんで、このエピソード記憶を経由して、意味記憶が形成される。逆行性健忘というのは意味記憶だけが残ってエピソード記憶が消失する疾患であるが、エピソード記憶だけ可能で意味記憶に変換されないという状態像はないと思うんだよな。あるか? (ある。

少なくとも言語的にはありました:https://www.jstage.jst.go.jp/article/apr/12/2/12_2_153/_pdf/-char/ja)


 えーっと何が言いたかったというと、多くの場合は、「エピソード記憶がまずあって、これが徐々に意味記憶化していく」ということだと思うんですね。エピソード記憶を完全にすっ飛ばして意味化するのは難しいと思うの。だからこれはしばしば体験する。「うわー、このゲーム懐かしいな~。これこれこうなって、こういうエンディングなんだよ。実際やってみよ。あっそうか、こういうキャラがいたっけ!! そうそう、この展開で……。あっこのセリフはここで出てくるんだったのか!」みたいなことは良くある。「エピソード記憶」のまま残っている部分と、「意味記憶化」している部分が混在すると、こういう感じになると思う。つまり、鮮明なエピソードとして思い出せるところと、「とにかくこの敵はクソ強くてだるかった」という「意味記憶」になっていて、実際プレイして、「だるさ」をエピソードとして追体験するというかね。


 これが俺のマリオストーリーに関しては、エピソード記憶が完全なゼロなんですよ。不思議なことに。ところが意味記憶だけはいくつか残っているので、ゲーム自体がトリガーになって、それでようやくエピソードが解凍される。どうしてこういう記憶形態になったんだろうな? 完全に謎なんですが、とにかく、なんかこれが新鮮で面白くて、とりあえずボチボチ進めています。土曜日はほぼ完全に棒に振りました。


 まあ、夜にさすがにこれではな……と思って銭湯にはいきました。長くなったのでその話は明日しますか。日付変わるまで風呂にいたしね。


 2021年12月12日 12時59分の測定結果

 体重:101.40kg 体脂肪率:33.10% 筋肉量:64.30kg 体内年齢:49歳


 ただただ筋肉が落ちている。やば。運動します。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る