食事の隠しパラメータ「幸福度」に関する一考察
正月明けてからどっちかというと体重は安定・減少の方向に向かっており、これはもうジムでもリングフィットでもなく、完全に外食を減らして家で食っている、家で食う余裕があるからなのであるが、そうやって食事をしていて、食事には「満腹度」の他にもパラメータがあることに気が付いた。いやさすがに「味」がパラメータなのは知ってるよ。そこは前提だよ。
何度か言っていると思うが、食事の中には「幸福の象徴」になるものがあると思う。まあホラ「誕生日ケーキ」とかね。「はじめて子どもが作ったカレー」とか。「みんなでやった手巻き寿司」とか。「お子様ランチ」もそうか?
これらは物理的に胃も満たすが、心も満たすわけ。イイこと言うな~。料理は心。文句あるか。文句があるなら勝負しろ、勝負で決める、負けたらおまえの『料理は勝負だ』という信念は取り消してもらう!
そんで、我々が「飯をもう食べなくても良いや」と判断する基準というのは、この「満腹度」と「幸福度」の総和で決まる。この仮定に従えば、「満腹度」が下がってなくても、「幸福度」が低下すると「飯が食いたいなあ」と思うことになる。というタイプの人間は太る。という話は初期に書いたな。同じことでも別の切り口から語るのは大事。
つうのは、実はここしばらく朝食は「レタしゃぶ」に白滝、まあちょっと薄切り肉、くらいにしていたのであるが、別に全然満足していた。
レタしゃぶというのはなんなのかというと、レタスをゆがいてポン酢で食うものなのだが、これだけ見るとすごい悲しい食事じゃあないですか。ところが食ってる方は割と幸せで、それはなぜかと言うとレタしゃぶというのは「タコしゃぶ」と結びついているからである。「タコしゃぶ」というのは稚内に伝わる郷土料理で、薄切りにしたタコをしゃぶしゃぶにして食うものであり、葉物にレタスが選択される傾向にあるのだ。ところでこんなものどう考えても全国で食えるのに稚内にだけ伝わってるのはなんでなんだろうね。皆さんも食べてくださいよ。うまいよ。
まあだから、レタしゃぶってのは満腹度の上昇にはさして寄与しないが、幸福度の上昇には寄与する食事で、かつ季節カード「正月」の効果によって幸福度の低下が抑制されていたので、そういう飯で行けているということである。行けていたというか。
そうやって幸福度を保って来てたんだけど、火曜。朝は全然レタしゃぶ食ってぼけーっとしてたんだけど、夜打ち合わせがあって、まあ打ち合わせるでしょ。それで終わったら「うわああああああああおおおおおおおおぶううんんぶうううううん」という感じになって、どういう感じだよ。文章で表現しろよ。
その、実際叫ぶほどではもちろんない。言うほど仕事でもないし。ただね~やっぱここまでほぼノーストレスで来てたから。そんでなんかこう、ぶうんぶんってのは低いエンジン音みたいなことよ。そういう唸りのような何かが俺の中で燻っていて、だからまっすぐ帰らずなんかスープカレー屋に突入してしまったわけ。全然帰って食っても良かったんだけど、つい行ってしまった。
だからその、ここで「飯を食う」行動を誘発したのはどう考えても「空腹」ではないわけね。「幸福」の低下よ。つか良く見てみ。
KOUHUKU
KUUHUKU
ほぼ一緒じゃんか。そら同じことが起こるわ。
で、水曜、これはもう普通に出勤で、まあ厳密にはこっから仕事始めになるんでしょうな。出勤して。早速紗々がいるなと思って紗々を買い、昼にまた打ち合わせをして、キーってなってクラーク亭で「昨日何食べた?」って新刊出てんだ~って思いながらチキンカツ定食を食った。なるほどね~。なるほどね~じゃない。他人事じゃあない。他人事じゃあないが、いや別になんかこう人格が乖離しているとか言うつもりもないけど、なんつうの、natural selection。ってそういう意味で使う言葉じゃあないね。行動選択が自然とそうなるのよ。身体が俺を導いている。落ち着いて考えられないっていうか、なんつうかなあ。これ説明ムズイっすねえ。
とにかくだからこれは「幸福度」の低下によるんだなと思ったわけ。満腹度ってホラ、お腹いっぱいの時におにぎりとか食うと上がるじゃあないですか。でそういうことはやってきたので、満腹度の方は器がでかいんだと思うが、翻って俺は幸福度に対して同じことをやってきたか? というと「やりました!」と胸を張って言えないっていうか、いや別に幸福な人生を送ってきているとは思うんだけどさ、その、だから、これは生得的にかどうか知らないけど、「幸福の器」が小さいのよ。うわー胡散臭い話になってきたな。でもその、分かりますよね。(この言葉で説明を放棄するスタイルを最近気に入っているが、あまり良くないと思う)(のでちゃんと説明する)
thesis 1. 満腹度(食事によって物理的に満たされる値)と幸福度(食事によって精神的に満たされる値)が存在する。
thesis 2. 満腹度と幸福度の和が一定以下になると、人間は「空腹状態」に陥る。
thesis 3. 「空腹状態」に陥った人間は飯を食わなくてはならない。
thesis 4. 満腹度と幸福度には上限がある。(無限の増加を認めない)
thesis 5. 満腹度と幸福度の上限は、ある程度は上限到達を繰り返すことで増加する。
ということを前提としたときに、「そもそも満腹と感じるのが早い」という人間の存在は疑いようもないと思う。人間の間で個人差があることは否めなかろう。痩せてる皆さんそうじゃあないですか。生得的にか後天的にか知らないが、というのはつまりもともと「満腹度の器」が小さく生まれてきたのか、後天的に努力を怠ったのかは知らないが、とにかく相対的に満腹度の器が小さい人間がいる、これは事実で、でじゃあここで皆さんは「器を大きくしとけよ、バカかよ、その器小さい人間に生きる資格なし、努力しろ、この怠け者が」って言うか? って問うまでもなく、皆さんはそんなこと当然言わないでしょ。
飯の食う量くらい好きに決めさせてくれよってなる。でホラ、食えない奴はそりゃあいるわけで、我々(というのはデブのことですが)だって年齢を重ねたらいずれ「食えなく」なるのかもしれないし、そのことを責めてもしょうがない。ましてそれを努力不足だ! なんて言い出したら逆に炎上ものである。「給食食い終わるまで外に出れません」みたいな話、ツイッターの人たちに聞かせてみなさいよ。大暴れするでしょ多分。日々飯を食う努力をして満腹度を上昇させておきなさい、なんて不毛も不毛、とてもじゃあないがパブリック・スペースで宣言できる主張ではない。
じゃあ幸福度だってそうだろ?
生得的に、および/または後天的に、幸福度の蓄積許容量とかが小さい人間がいる。そりゃあいるよ。満腹度とだから同じことだって。それで、じゃあ、あなたは「幸福の器を増強させるべき」っていうわけ? それはお前。なんすか。そのツボ買えばいいんすか? 36回ローンまで可? へえ。
ってなるじゃんか。そんなん無理よ。幸福の器がでかい人間は幸いですよ。飯余計に食う必要ないから痩せるかもね。それはラッキーで羨ましい限りだが、器が小さい人間を責めたってしょうがないわけよ。だって今既に小さいわけで、この器サイズでほぼまる34年やってきるわけよ。今更どうせいっつうのよ。なあ。
だからこのへんをしっかり理解しておいてほしいですね。めしにはそういうパラメータがある。太るとか太らないとかじゃあなくて、幸福度を満たすために食うめしがある。これはもう、しょうがない。そういうもの。怠惰とかではない。
わかりましたね。ではまた。
2020年01月08日 22時14分の測定結果
体重:95.15kg
体脂肪率:30.50%
筋肉量:62.70kg
体内年齢:45歳
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