どこでもドア論:終わりの始まりと始まりの始まり
終わってる飲み会に良く行く。
終わってる飲み会というのは何かというと、「アルコールは摂取したい」「なんとなくコミュニケーションは取りたい」「深い話はしたくない」で成立する会で、ご想像の通り楽しい。楽しいけど終わってる。そういう会である。
このような会でしばしば取り沙汰されるテーマに、「ドラえもんの道具一個貰えるとしたら何がいい?」というのがある。やってみるとわかるが、この話題は素直な願望の発露、現代の科学技術の発展とその予測、ちょっとひねったニヒリズムの発露、ドラえもん知識マウントの取り合い、スタンド能力との類似性に関する議論、などなど様々な方向に発展する上に、生産性がゼロなので、つまり最高ということになる。
でまあ、このテーマでアンケートを取ったら、かなりの票を取るであろう道具が、「どこでもドア」であるが、よくよく考えてみると「どこでもドア」というのは単騎では使いにくい道具なのである。なぜか。
どこでもドアというのは、ご存知の通り、まずある一点にドアがあって、どこそこに行きたいと念じながらノブを捻ると、その行きたい場所にもう一つドアが出現し、そちら側へいけるという道具である。
で、「ドラえもん」界においては、この道具は大変便利に使われているが、これを我々の生活に置き換えてみると非常に面倒だということが分かる。なぜか?
我々は四次元ポケットを持たないからである。
まあスモールライトでも良いのだが、ここではその話は一旦措いておく。で、措いておくのにはきちんと合理的な理由がある。それは後述する。
四次元ポケットを持たない我々は、どこでもドアを利用する際に、一個余分なドア分のスペースを用意せねばならぬということになる。そうですよね?
そうなると、まず基本的にはどこに置いておくか、というとこれは確定で自宅だろう。なんだったら玄関のドアをどこでもドアに取り替えたっていいくらいだ。だから起点の方はさしたる問題はない。問題は、移動先におけるドアの問題である。
どこでもドアがあったらたとえばコストコに買い物に行くのも楽勝になるので、これは非常に便利だというのは分かるが、じゃあコストコのどこにドアを置くのか、というのはかなりの難問である。
コストコ入り口付近は最も便利であるが、最も置いてはいけない場所だというのはすぐ分かる。誰かが、「なんだこのドア」と思って戯れにノブをひねることを想像していただきたい。行き先を特に指定しない場合、起点の側に戻るというのが想定されるが、そうすると「なんだこのドア」と思って戯れにノブをひねるタイプの好奇心旺盛な人間が、あなたの自宅に突入することになる。これは単純にイヤでしょう。
更に言えば、この人がコストコに戻ってきてくれればまだ良いが、おっこれはどこでもドアか、と思ってハワイやら沖縄やらに行ってしまってごらんなさい。コストコ側のドアは消失してしまうので、あなたは重い荷物を抱えたまま、とぼとぼと三井アウトレットパークまで戻り、そこから送迎バスに乗ってそれぞれの駅まで行った後、乗り換え等をして自宅まで帰らないといけない。
それじゃあコストコからやや遠い、目立たない場所にドアを置いてってなると、今度はどこでもドアの効能が薄れる。つまり、そこまでは歩かなきゃあならない。座標指定だって難しい。だったら車で移動した方がなんぼかマシという事態にもなりかねない。交通費こそかからないとはいえ、である。
そのように考えると、どこでもドアというひみつ道具は、単体では普及しえなかったことがわかる。
というか、おそらくどこでもドアは「四次元」の発見と利用の副産物であろうと思う。「四次元」を発見し、利用できるようになって、【個人用】の四次元の使用が可能になることによって、空間移動に特化したものが「どこでもドア」、時間移動に特化したものが「タイムマシン」である。
っていうのは、良く考えていただくと、タイムマシンにはどこでもドア的機能が絶対に必要なのである。地球上のある時間の特定の空間から、まったく同じ空間座標の半年前に移動する、とどうなるかというとあなたは虚空に放り出される。地球というのは公転運動をしているからである。この事態を回避するためには、空間座標の移動処理をタイムマシンには付け加えなくてはならず、それが可能ということは、たとえば0コンマ1秒前のワイハとかに移動する、とこれは実情としてはどこでもドアと同等の役割を果たしたことになる。
一方、実はどこでもドアにも時間移動の機能が付随している。
これはたしか「ガラパ星からきた男」で明らかになった機能だと思うが、ノブをひねると3日間くらいは時間移動もできちゃうのである。
そりゃあPCが一台あれば通話もメールも動画の視聴も可能であるが、電話をしようと思ったら携帯電話・スマートホンが、動画を視聴しようと思ったらTVがそれぞれ便利であって、その根底には光通信や電気的通信というものがあるように、「時空間移動」というものがまず発明されて、その後、それぞれの用途に見合った形でいくつかの機器が開発されたのであろうと思われる。
で、じゃあその最も基本的な時空間移動機能を持つひみつ道具というのは何かというと、やはりこれは「四次元ポケット」に他ならないだろうなということである。
四次元ポケットには、スペアポケットというものがあって、これは「個人」に割り当てられた四次元時空間を共有する装置である。A地点にいるドラえもんの四次元ポケットの中にあるものを、B地点にいるのび太くんのスペアポケットから取り出せる道具、であるが、じゃあこのA地点を北海道、B地点を沖縄として、A地点のドラえもんのポケットの中にジャイアンが入り、B地点ののび太君がスペアポケットからジャイアンを引きずり出す、とこれはどこでもドアとほぼ全く同じ機能が実現できたことになる。
もちろんそこにポケットだけが取り残されると、ちょっとした風とかでふうわりと飛んで行ってしまって、戻ってみたら知らん場所みたいなこともあるだろうし、この場合あくまでスペアポケットは突然現出するのではなくて、移動先に置いておかなくてはならないという制限が存在するので、こと空間移動に関してはどこでもドアの方に利点があるわけであるが、この類似性を鑑みるに、やっぱ最初に四次元ポケットがあって、それに付随してどこでもドアが開発され、で四次元ポケットがあるとドアの持ち歩きも便利なわけだから爆発的に普及した、とこういう流れであったんだろうと思われる。
もう一度言うが、どこでもドアは単騎では使いにくく、おそらく四次元ポケットありきで開発された道具である(スモールライトでもいいが、スモールライトのことを考慮しなくていいのは、おそらくその背景理論が共通のものだからである)。で、このどこでもドアと四次元ポケットのペアの利便性によって、おそらく遠い未来においては爆発的な普及が発生したと推測される、とこういう話である。
それで、どこでもドアが爆発的に普及した未来というのを想像すると、「地価」という概念は消失していることがわかる。多少寝泊まりする場所があったかいところがいいなとか、それくらいの差異はあろうが、だってそうでしょう。どこに住んだって、職場まではドア・トゥ・ドアであるし、仕事が終わった後沖縄の海にダイブするのも、手稲オリンピアでスキーを楽しむのも、ポセイドン神殿に沈む夕日を眺めながらタコのオリーブオイル漬けを食うのも、ほぼ同等の手間だからである。下手したら「国家」が消失しているまである。「領土」がほとんど機能しなくなるからだ。
もちろん交通網なんて存在する意味がない。もちろんそうした"レトロ"な移動手段を好む人間というのは常に存在するので、趣味として、ラグジュアリーなものとしては残るだろうけれども、主要な手段としては使われないだろう。
そういうわけで、どこでもドアには次の特徴があると言える。
・それ単独では存在しえなかったものだが、その基盤を共有する別のものと組み合わさることによって、爆発的に普及した。
・ある時代――どこでもドアで言えば、土地というものに価値を見出し、交通・流通に対価を支払っていた時代――を終わらせた。これが「終わりの始まり」の意味するところである。
・しかし次の時代――地価や居住地、交通の不便といったことから解き放たれた、人類の次のステップ――を齎した。これが「始まりの始まり」の意味するところである。
で今日。俺はほとんどそれに類するものを発見した。
それがこれだ。
「今夜はてづくり気分 サラダチキンで作る濃厚ミネストローネ 白いんげん、にんじん、じゃがいも入り」(AJINOMOTO)である。
これを見た瞬間俺の脳裏に走った衝撃は非常に大きかった。たぶん、どこでもドアと四次元ポケットのコンボに気づいたときの人類とほぼ同等だったと思う。これはヤバいですよ。一つの時代が終わり、新しい時代が始まる。俺はそう確信した。
この製品の作り方であるが、以下の通りである。
【電子レンジの場合】
①サラダチキンを食べやすい大きさにさき、どんぶり状の器に入れる。
本品を開封前によく振り、スープを加える。
②器にラップをかけて、電子レンジで加熱する。
③ラップをはずし、温度が均一になるように、軽くかき混ぜる。
【鍋で作る場合】
①鍋に食べやすい大きさにさいたサラダチキンとスープを入れる。
②温まるまで加熱する。
すごすぎない? 「今夜はてづくり気分」って、ほんとに「気分」で、サラダチキンを指名してきてるのもすごいし(だったら最初っからサラダチキン入れとけばよいのでは? というのは野暮なツッコミで、Skypeがあるから電話とかいらないよね、みたいな話と同じことである)、サラダチキン側も「ほぐしサラダチキン」というのがあるので、もう二製品を器に投入してレンジにかければそれで完成である。
味については、「濃厚」は言い過ぎ。これはもしかしたらサラダチキンから水分が出てることに由来するかもしれない。事前にサラダチキンをふき取っておいたりするともう少し濃厚かもしれないが、でもうまい。ばっちり。
カロリー。遠からんものは耳に聞け、近くば寄って目にも見よ!
「濃厚ミネストローネ」が86 kcal!
サラダチキンが103 kcal!!!
一食189 kcalで、かなり満足する体験ができる、ということだ。
サラダチキンはそれ単独では普及しえなかった。
というのはやっぱ飽きる。でじゃあ、サラダチキンを使って別の料理を「てづくり」しようって、それやるような人は最初っから別のものを作って食える。
ところがこの「今夜はてづくり気分」シリーズ(まだミネストローネしか出てない気がするけど、俺はこれがシリーズ化すると信じている/追記:豆腐でしょうが鍋と、サラダチキンでサムゲタン(セブンイレブン限定)があった)の発明によって、「てづくり」面倒くさい時代、サラダチキン飽きる時代は終わりを告げた。そして、新しいてづくりとダイエットの時代が来た。
まず「今夜はてづくり気分 サラダチキンで作るだしのきいた筑前煮 ごぼう、こんにゃく、にんじん入り」でしょ。「今夜はてづくり気分 サラダチキンで作るバター香るホワイトシチュー (任意の心をそそる野菜)入り」もいい。カレーもいける。タンドリー的ななにかとかもいい。俺がまだ知らない鶏肉を使う民族料理でもいい。もうさー、これが出たらいけるよ。鶏肉アレルギーとか、根っからのヴィーガンだという方には申し訳ないけど(ヴィーガンのデブっているんですかね、まあいてもいいとは思いますけど)、みんな健康的に痩せる時代がやってくる。しかも「てづくりをしている」ということが心を豊かにして。
この製品の発明は、四次元ポケットとどこでもドアの発明に匹敵する、一つの時代の転換点だと思う。これ見た瞬間「終わったな」と「はじまったな」を同時に思った。こんなこと今までなかったよ。
ミネストローネ以外、ないかなあ。今日はそれを探したいと思っている。
2018年01月09日 19時16分の測定結果
体重:87.30kg
体脂肪率:27.30%
筋肉量:60.15kg
体内年齢:40歳
朝:豆ごはん
昼:サンドイッチ(これは一応パン買って作ってった/ピザソースが余ってたから消化しないとと思って)
夜:サラダチキンと「今夜はてづくり気分 サラダチキンで作る濃厚ミネストローネ 白いんげん、にんじん、じゃがいも入り」
あとプールで泳いで、帰ってご飯食べて体重計ったらめっちゃ寝てしまった。子供。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます