痩論:ぼくのわたしの痩せ論2017参加録

自律的な参加表明、あるいは恥と疑惑

体格と性格、あるいは痩せたいけど痩せる体力がないという言葉が切り取る真理について

 当てて。当てて当てて。今手を挙げてるから。当てて。指名してくれ。俺を。

 せーの。


 せーの、って急に言われても困るか。せーの、の後に、\雅島君/って言ってくれ。俺に発言権をくれ。

 いくよ。


 せーの。



 くれよ! 俺に発言権をくれよ!! 当ててくれ。俺は手を挙げてるんだ。

 一生懸命。君に当てて欲しくて。名前を呼んでほしくてだ。

 俺はずっと待ってるんだ。ディスプレイに向かって。あなたの指名をただ待って。

 いいか?

 いくよ?


 せーの!



 

 のっけから混乱を招いて申し訳ないが、俺の気持ちも分かって欲しい。痩せ論企画がはじまると聞いて俺は以下の話を一生懸命書いてたんだ。そしたら主催者が書いたのがこれだ。もうこんな話読まなくていいからこれを読んできてくれ。


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054884047309


 勝てるわけないじゃん。何言ってんだよ。こっちはBMI30が29になったヤッターの人だよ。173 cm90 kg体内年齢40代の人だよ。身長10センチしか違わねーのに体重43 kg違うじゃねーか。センチあたり4.3 kg。密度が高いなー。


 何が痩せたいけど痩せる体力がない、だ!!

 恥ずかしい。穴があったら入りたいよ。

 俺は恥ずかしいよ。


 ちゃんとレギュレーション決めて勝負しましょうよみたいな、ちゃんと戦ってちゃんと負けたいんですよみたいなことを言ったんだけど、いやー勝負(コンテスト)じゃあなくてよかった。戦いの土俵にも上がれない。階級が違う。リアルに体重による階級が違うけど、そういうことじゃねーんだこれは。分かるでしょう。


 はーーーーーあ、泣いちゃおうかな。32歳だけど。太ってるけど。

 わんわん泣こうかな。そういう気持ちですね。


 一応書いたので置いときますが、もう大丈夫です。読まなくて。


---


 デブは躁鬱のケがあると言ったのはクレッチマーというおじさんで、つまり体格には性格が現れるというのがこのおじさんの主張である。俺もある程度は賛同したい。


 と言っても、この話、すでに何度かしている。クレッチマーの話も初回でこすっている。なので、こんなの読んでたら日が暮れっちまぁクレッチマーよという人はここでさよならをしてもいい。あとこのダジャレが辛かった人も。


 帰る人もいるだろう。それでも俺は話そうと思う。何度かしている話を、再び。準備はいいかな?


 滅びない言葉というものがある。


 例えば「とんでもハップン」。例えば「MK5(マジでキレちゃう/恋する五秒前」。例えば「激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム」。


 どれも一日に一度は使う言葉だろう。一日一度は言い過ぎにしても、何かことが起こるとこの言葉が脳裏を過ぎる。そして、「まったくそりゃあ、とんでもハップン歩いて五分だ」みたいなことを言いたくなる。


 なんでこういう言葉が滅びないのかと言うと、え? もう滅びてる? うっそだあ。言うでしょ。ちょっと腹立ったときとか。「マジMK5~~」って。「ほんとアイツ、激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム~~~」って。ねえ。いくらKYの俺でもですよ。そのくらいは分かるよ。


 というのを無限に話すと本題に入れなくなるので、まあ「いい言葉」ってあるでしょう。えーっと例えば、「東中出身、涼宮ハルヒ。ただの人間には興味ありません。 この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者が居たら私の所に来なさい。以上」みたいな。みたいではないな。いやこれもいい言葉なんだけどさ。


 えーっとほら、たとえばパスカルがこういうことを言っているらしい。「人間にとって苦悩に負けることは恥ではない、快楽に負けることが恥なのだ」

 うっせーーーわ! ぶっ殺すぞ。もう死んでたわ。ハハハ。ハハハじゃねーよ。


 話が前に全然進まないので、普通のやつを言うと、たとえば、

「人生は一箱のマッチに似ている。 重大に扱うのはばかばかしい。 重大に扱わねば危険である」(芥川 龍之介)とかさ。こういうのって名言ってことになって、ずっと滅びない言葉になっている。


 じゃあなんでこの言葉は滅びないのか? というと、我々が普段ちょっとずつ感じていて、でも言葉にできないとりとめもない何かをスパっとバスっと切り取るからだ。それで、まあだから、「わかる」「それな」ってなるからだ。そうだと思う。


 で、そういう言葉を俺だって見つけたい。ずっとそう思って暮らしていた。

 でもそういう言葉は、探しているときには見つからないものだ。そして、探していないときにこそ見つかる。ただ心の赴くまま、書き綴ったときにこそ見つかるんだ。それが良く分かった。その言葉というのが、前回の最後に書いた言葉である。


 痩せたいけど痩せる体力がない。


 それな。わかる。自分で書いたんだからそりゃあ分かるだろうけど、自分で書いてこんなにハッとした言葉もなかなかない。


 でもたぶん、痩せに属する人にはこの言葉、あんまハッとはしないだろう。なので、名言としての資格は失うことになりかねないが、それでも、この言葉が切り取った、確かな真理の一端というものについて、少しだけ話をしたいと思う。


 「ダイエットなんて簡単じゃん。食う量減らすか、食った分運動すればいいんだよ」

 みたいな言説があって、まあそらそうだ。言ってることは全然間違ってないし、複雑なことは何一つない。簡単なさんすうの問題だ。


 でもじゃあ、「貯金なんて簡単じゃん、使う量減らすか、使った分稼げばいいんだよ」って言われて、イエスユーコレクト、イグザクトリー、って言えるかっていうとそうではないでしょう。確かにこれも簡単なさんすうの問題だけれども。下手したら体重より簡単なさんすうだ。何故ならゼニカネというのは、あくまで数字だからだ。


 でも「使う量減らすったって限界があるだろ」なんてなことを思うわけである。


 そら確かに、一か月一万円で食ってくみたいな人もいる。いるから減らせば減らせる。でもカネというものの一つの機能は、私用するHP・MPの削減というところにあって、たとえばコメを炊いて食えば一食50円とかのところ、同量のコメ、食事に8倍とかの値段を出したりするけども、そうすることによってコメを炊いて食って炊飯器を洗って冷蔵庫の中を勘案した上で翌日の献立を考えて買い物に行って、という手間を減らすことが可能になったりする。ついメシの話をしてしまうが、もうちょっと皆さんにも分かりやすい例を挙げれば、10分間の睡眠時間の確保と、地下鉄とバスの乗り継ぎのめんどくささの削減のために、4倍のカネを出してタクシー乗りたくなる朝、というもあるだろう。俺はよくやる。よくやるのは良くないとは思っているが、よくやってしまう。


 つまり我々は、少なくとも俺は、日々かつかつの体力で生きている。本当はもっと、余裕をもって、健康的に、活力溢れて暮らしたいと思っているが、でもまあ、そういう余裕とか、健康とか、活力とか、そういうものをちょっと楽しいこと(皆さんの作品を読んだりですよ)に費やしたくなって、結果、余裕と健康と活力を失って、失った分をどうするかというと、カネでどうにかする。


 あるいは。

 あるいは、飯を食ったりして、ごまかしている。

 あるいは、ちょっとジョギングをサボったりして。


 だからつまり何が言いたいかと言うと、そりゃあ痩せたい。でも、痩せる体力がない。この世界にはやりたくないけどやらなくちゃあならないことと、やるべきではないけどどうしてもやりたいことが沢山あって、そっちに体力と時間を回すと、痩せにはなかなか回らない。


 というタイプの人間もいるのよ。そしてそういう人はどうなるかって言うと、まあ太りますわな。イエスユーコレクト、イグザクトリー。つまりデブは大体似たような性格になるということだ。似たような性格のやつが太るというか。そういう意味ではクレッチマーは正しいよな。


 でここからが本題だ。あなたはこのことを責められるだろうか? よぉっく胸に手を当てて考えてみて欲しい。


 俺だってものの道理は分かるから、痩せてんのと太ってんの、どっちの社会的評価が高い? どっちが健康的? って問題の答えは知ってる。まあ一部例外もあろうが、痩せてる方が答えでしょう。正解。100点。おめでとう。ずいぶん簡単な問題だった。


 この簡単な問題の簡単な答えを知ってて、その上で太ってる、ということをよく考えて欲しいんだ。


 この世界にはいろんな柵があって、その柵を乗り換える方がカッコいい、正道、ということがわかってても、乗り越えらんないことが多々ある。俺が物語の主人公だったら、映画の主演だったら、ツイッターで語られる武勇伝の主だったら、そんなことはしないようなことを、それでも色々な背景があって、乗り越えられないことってある。


 痩せるってのは俺にとってその柵だ。越えるべきなのは分かってる。その方が正しい。でもこの柵は高いんだよ。ちょっとやそっとでは越えられない。あなたにとって越えるべきなのにちょっとやそっとでは越えられないなって柵を思い浮かべてみて欲しい。俺にとっての痩せがそれだ。毎日豆を主体で食べて、夜はほどほどにジョギングをする。それでたぶんもうちょっとは行けるだろう。それは知ってる。そんなにめちゃめちゃ難しいようにも見えない。でも現実、それを目の前にするとこの柵はハチャメチャに高い。高いんだよなぁ。


 でも何度も言うけど、俺は知ってる。痩せる方がまあいいんだろうなってことは。知っててできないのよ。そういう心の葛藤というか、辛さ、これを示した言葉が、「痩せたいけど痩せる体力がない」、これだ。


 じゃあ俺はどうやってその体力を養ったり、キープしたりするのか、というと、これはもうみなさんの力を借りるしかないと思っている。そもそも、この日記を書かないと太る。これは明白で、まあ適当でいいやってセコマででかいホットシェフのおにぎりシリーズに天むすが出てるうわぁーって食べちゃったりするからだ。でも日記を書くぞ、という思いがその欲望を少しだけ抑えてくれる。俺の疼く右腕は、この日記を書くぞという義務感というか、そういう気持ちで少しだけ抑えられている。これは本当にありがたいことだと思ってる。


 そいで、じゃあまあ書けばいいじゃん、ということになるが、それで書いてるんだけど、なんとぼくのわたしの痩せ論という企画が始まるという。これじゃん。みなさんの痩せ論を読んで、俺も可能な限り実践、記録をする。こう見えて素直なところもあるので、誰かがやってることなら俺もやろーって思える。だからみなさん是非参加して、別に毎日書かなくてもいい、こういうテがありますよ、こんなのどうですか、そういうことを伝えて欲しい。きっとそれが俺の体力になるから。お前の体力にするために書いてんじゃねーよ、って言われても勝手にするからね。待ってるよ。

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