滅論:Pinguis, ergo sum.
行為論
脳の中のマシュマロ・マン
めっちゃ長いんですけど(今カウントしたら9298文字ありました。えっと)、短く言うと、
・ウォーキングをはじめました
・たまに80 kg台になることもあります
という話です。
お疲れ様でした。以下を読もうと思うのであれば、覚悟を決めてくださいね。
覚醒、という言葉がある。
いや知ってるわ! あ、そうですか。それは失敬。
信じられないかもしれないが、普段俺が文章を回りくどく書くのは、そういう悪文を書いて皆の時間と精神を削り取ろうという悪意ある行為、ではなく、ある種のサービス精神、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、下手な鍛冶屋も一度は名剣、生活参与にあたって視覚における困難を抱える人滅法、的なそういう精神によるものなのであって、つまりやろうと思えば短く書くことだってできる。
たとえば、「覚醒という言葉がある。ゲームなどではいろいろな意味合いで使われる言葉であるが、ここでは目がさめている、と言う意味合いで使う」と書けば二行で済む。「覚醒、というのは目がさめている、ということであるが」だったら一行だ。現状の文言は空行も含めると九行であるので、手間が4.5倍~9倍かかり、それでいて分かりやすさはこれは個人差があるとは思うがたぶんむしろ減っている。ではなぜ俺はこんなにも意味のない文章を長々と書き連ねるのであろうか。
発想としては例えばあなたが北海道に旅行に来て、目的地は富良野のラベンダー畑である、というときの思考に似ている。このときあなたには、一心不乱にただただ一路千歳ICから夕張ICくらいまで突っ走って、国道452号線かなんかに入ってひたすら一意専心そこに向かう、という手もある。あるにはあるが、せっかく旅行に来ているのだからちょっと寄り道をしよう、で、してみたら、珍しいキティちゃんのキーホルダーがあって、わあ良かったなあ、買おう、と思ったり、道のわきにそっと置いてある句碑を見て、おや、と趣深さを感じ、旅情に浸る、なんて体験というのは非常に貴重なものであり、だからただ突っ走る、でなくて少し心に余裕を持って脇道にそれる、適度に止まる、ということをする・しようと思うのではないかと思うが、それと同じことで、パズル・アンド・ドラゴンズというゲームをやっている人が、「ああ、覚醒ってそうだな、確かに、強いモンスターのイメージで使っているかもなあ、最近」と気づき、そのことにおかしみを抱いたりしないかな、という狙いによって、短く書けば書けることを、長く書くこともある、という話であった。
ところで完全に余談であるが、パズル・アンド・ドラゴンズには「仏陀」は出てこないが、仮に仏陀が出てきて、「覚醒仏陀」になった場合、「仏陀」とは「目覚めた人」という意味があるらしいので、「目覚めた目覚めた人」という意味合いになって、ちょっと面白いと思いませんか。そうでもないですね。はい。
で、これだけ書いといて恐縮だが、今は別にサービス精神で長々と文を書いているわけでは実はない。な、なな、ないのかよぉ~~!! そう。ないのだ。
今、そうしているわけではない話に対して数十行を費やしたことについては、政治的な理由から敢えて考えないことにして。
で、皆さんは理由があろうがなかろうが、早く話を進めろと心の中で悪罵をついているかもしれないが、まさにその、理由、のところで、迷いってか考えをまとめながら書いてるせいで話が前進しないのである。
ええい、ネタバレになるが言ってしまおう。この後何を言いたいかというと以下のようなことである。
「覚醒水準の低下が身体感覚の低下を引き起こすのではないか?」
「じゃあ覚醒水準を上げればいいかっていうと、上がるとそれはそれで苦しい」
「ということは覚醒水準の調節の下手さ、が運動の下手さ・ぎこちなさにつながり、がために太り、に繋がるのではないか?」
と言っても、
簡潔にまとめると、前に似たようなことを書いたが「デブは脳までデブ」ということなのであるが、それだとあまりに悲しすぎるし、見ようによっては差別的な表現である。もう少し説明をしたい。
そういう訳で、以下の文章は悩み・迷いつつ書き上げたものであるので、ここまで以上にぐだついている、ことを先にお詫び申し上げておきたい。
覚醒水準、という言葉で表されるものは、言うなれば脳機能の賦活の程度、を示すものであって、あんまりよろしい例えではないが、ギンギンに脳を使いまくってる状態を「高覚醒」、あんま使ってない状態を「低覚醒」と呼ぶ。なぜよろしくない例かというと、「使いまくってる」という言葉から受ける印象が人によって違うであろうからであるが、これは多分、量ではない。世には「人間は10(~30) %くらいしか脳を使ってないので、100 %使うとすごいつよい」という説があるようだが(※)、そのパーセンテージ、でもない。
この「水準」は何によって規定されるかというと、感覚刺激に対する反応性、だと思う。日常の範囲で最も覚醒が低い状態は眠りで、このときは、ちょっとやそっとの音・光・皮膚感覚では目覚めない。感覚性激に対する反応性は低いわけである。ただないわけではなくて、ゆさゆさと揺り動かされたり、腹を踏まれたりすると目が覚め、覚醒水準も移行する。
で、寝ぼけ眼の人は、眠っているよりは覚醒水準高いが、普通にしゃっきり目覚めている人よりは覚醒水準が低い、ということになる。だから、起き抜けに突然、「昨日話合っていたタキオンを用いた超光速航行における技術的課題についてわたくしは一定の解決策を考案したのであるが、それはつまり」などと話しかけられても、その内容理解にまでは及ばず、「んあ、ふにゅう、ねむねむ」くらいしか答えられず会話は成立しない。
歯を磨いて毎日骨太かなんかを飲んで、そんでようやく人としてまともな行動ができ、感覚刺激に対して適切に反応できるようになる。さてでは覚醒水準が高ければ高いほどいいのかというと、いわゆる覚醒剤を摂取すると大変よろしくないことが起こることから分かる通り、高きゃあいいというものではない。気持ちは良くなるし集中力も高まるかもしれないが、一定の水準を超えると、何を見ても人生はハッピー、という気持ちになって、まあそれだけならそれでいいが、人生は本来ハッピーなものではないので、ハッピーな人生を追い求める為に常用が生じ、さらにどうも耐性ができるらしいので、ハッピーでない時間が破滅的なことになり、よろしくないことが起こるという理屈である。まあそうでなくとも、刺激に対して過剰に反応することが必ずしもよろしくないだろう、ということは賢い皆さんならお分かりのことだと思う。
つまり、最適な覚醒水準を保つ、ということが大事ですよと言う話である。
さて、この覚醒水準であるが、おそらく人間・種全体として、ある文化の中で最適な覚醒水準、というものと、個別の人間の中で最適な覚醒水準というものは必ずしも噛み合わない仕組みになっている。
そうすると何が起こるかというと、普通の人、一般人、大多数の人、マジョリティにとってあたりまえな覚醒水準に、ちょっと頑張らないと到達できないよ、という人が存在することになる。しかも覚醒水準を上げようとすると上がりすぎて機構崩壊してしまう。こういう人はどうなるか。
太る。
いや必ずしも太るかどうかは分からないけど、俺はそうなんじゃあないかなあ、という話なのである。長くなって恐縮であった。
というのは、たぶんこの前置きを無くしてこの話からすれば良かったなあと今しみじみと思っているのだけれど、運動、嫌いではない。しかし、すぐに疲れるんですね。精神が。この感覚をうまく説明できなくて、いろいろと調べた結果、覚醒水準の調節、というところに至って、あーこれだー! と俺は思ったのだけれど、それを伝えるだけの技術がないのが辛いという話なので、どうしても理解してあげたいという優しい方は覚醒水準、について調べていただけると幸いである。
それなりに運動をはじめ、その結果、内観を繰り返すことによって、俺は水泳やジョギング中に、肉体的疲労の限界の前に、精神的疲労の限界が訪れる、ということが分かった。
どういうことかというと、走ることが嫌になる。泳ぐこと、というか息が苦しいことが嫌になる。嫌になるだけで、体を動かそうと思えば動かすことは可能である。でも、その嫌になった、という感じでやめてしまう。みんなそうだよ。それでもみんながんばってんだよ。おまえもやれよ。
そうではない。と思いたい。
そりゃああなたに忍耐力が無いだけでしょうよ、と言いたくなる気持ちも分かる。分かるけれども、じゃあその、「忍耐力が無い」ということは、俺の責任なのか? と俺は問いたい。もうここまで来たら構成とかどうでもいいですね。そっから話をしましょうか。
DRD4という遺伝子がある。スターウォーズとは一切関係ない。とにかくこれは一時期流行ったのでご存知の方も多いものと思われる。今も流行ってるのかもしれない。
これでググると、「旅好き」「新しい物好き」「リベラル」にかかわる遺伝子とされていて、なんか良さそうに見えるが、なんのことはない、これはドーパミンの受容体を規定する遺伝子である。
そもそもドーパミンとは何か、というと報酬系を活動させる神経伝達物質で、神経伝達物質、というのは漢字が六文字も続いているので俺にはなんのことだかさっぱり分からない。必死の思いでググってコピペするので精一杯だ。
簡単に俺が理解してることを言うとドーパミンがいっぱい出ると気持ちよくなる。いい心持になる。これもちょっと正しくない説明だと思うが、まあ大体そんなもんである。さっきの覚醒剤とかも、脳内のドーパミン総量を増やしましょうという薬である。
で、これがなんで集中力なんかと関わるのかというと、我々は快なくしては学習をできないからである。快を得たものを繰り返そうという仕組みが動物にはあり、それを我々は学習と呼ぶのである。いや不快・罰だけでも学習、できないことはないがどう考えてもコスパが悪いし、絶対精神的に病む。
我々はこの程度のもん、生物ですらないもんによって、何かを学んだり、幸せを感じたりして暮らしているわけで、なんだか馬鹿にされているような気がするが、それはそういうものなのである。
でこのDRD4遺伝子の反復多型、つまりある塩基の繰り返し回数が、違う人がいる、というたかがそれだけのことで、我々の性格・気質というものは相当影響を受けるという話なのだそうである。このループが多いことと関係しそうな性格的・気質的な何かとしては、AD/HD (注意欠如多動症)、新規性を好むこと、旅に出るのを好むこと。
日本人は4回反復が多く、アメリカ人は7回反復が多いそうである。モンゴロイドとコーカソイド、でざっくり分けてしまうのもどうかと思うけど、どっちかというとモンゴロイドは早い段階から農耕・定住を行いがちで、コーカソイドは狩猟・移動・採集を結構長期間やってた、みたいなこともこの遺伝子多型の影響かもしれない、ということを言っている人もいるらしい。
でつまりだからようするに、俺たちゃあ所詮、遺伝子の乗り物に過ぎなくって、そんで乗られてる俺たちは、遺伝子様が望む方向に進むしかないんである。叛旗を翻そうにも、翻す対象が自分自身と言うんだから、これは無茶苦茶な話で、だからまあ、なんとか折り合いをつけてやっていくしかない。それがオトナの判断、というものである。
何が言いたかったかというと、まずは実はこれは伏線なので次の次の更新までこの話を覚えておいて欲しい。どういう話になるかは俺も分かっていないが伏線なことは間違いない。ようするに遺伝子検査をするぞ舐めやがってこの野郎ということである。誰が何をどう舐めているか? 知るもんか。気合の呪言であると思って欲しい。
もうひとつ、こっちが本題であるが、つまり人間は、たかだか塩基とやら、目にも見えないようなくっだらねえばかげた有機物が何個あるかによって、文化・歴史・性格アンド・ソー・オンのわりかし多くの部分を規定されているということである。
舐めやがってこの野郎。
そう思うのも仕方ないことだと思う。でも再び言うがこれはもう受け入れなくてはいけないことだ。
古くはゲゼルが唱えた遺伝説であるが、いまだにしぶといもので、セーガルという偉い人が書いた"Born Together—Reared Apart "という本には結構シビアな現実が書かれている(※2)。さっさと翻訳して欲しいのだがされていない(たぶん)のでざっと概略を紹介すると、ようするに一卵性双生児(
今手元にないので細かい数字はいえないが、この二人、どれくらい似るかというと、ちょっと引くくらい似る。異性愛か同性愛かで言うと98 % (たしか50組の双子を対象にしていたと思うので、ようするに片方が異性愛者で片方が同性愛者であったペアは1組しかいなかったということである)、知能レベルは大体8割の相関だったと思う。ちょっと「教育とは?」って感じになるがこのへんはまだ分かるとして、職種、信仰の相関係数もチャンスレベルを超えている。職種の類似性は7割とかじゃあなかったかな。我々は生まれたその瞬間に、7割方は将来どんな仕事に就くか、何を信ずるかを規定されているのだ。
舐めやがってこの野郎。
再びそう思うのも仕方がないことだと思う。俺もそう思う。人間を舐めるなと言いたい気持ちは確かにある。あるけれども、俺がそう決めたわけじゃあないから、許しておくんなまし~~お代官様~~~!!
ちょっとふざけないとやってらんないくらい、ある意味では救いがない話だと思う。俺たちは・遺伝子の・乗り物だ。それにすぎない。救いはない。絶望。
本当に救いはないのか?
ある。実はある。あると思いたい。
それは何かというと、愛だ。すっかり聞き飽きた陳腐な歌や物語のようなことを言うが、愛こそがすべてだ。陳腐なのはなぜかというとたぶんそれが本当のことだからだ。愛だけが俺たちを救う。愛こそが俺たちを自由にするのだ。
つまり「誰を愛するか」ということだけは、我々に自由が認められているということである。双生児の片割れが愛する人を、もう片方に見せたときのその人に対する魅力度の判定値は、双生児の片割れがその人を愛していることに左右されない。つまり、俺たちに許されている自由というのは、誰かを愛すること、それだけだということだ。
しかし残念ながら今俺が話したいことはデブの話で、愛の話とかどうでもいんですよ。じゃあなんでしたんだよ。なんでしたかというと、俺が覚醒水準の調整が苦手で、そのために走ったり泳いだりするのはやあよ、と言っているのは、俺の甘え、ではなく俺の遺伝子様が悪いと言いたいからであった。
……それだけのために? そうだよ。悪いかよ。
まあそんなこんなで、走ったり泳いだりするのは俺のせいではなく、たぶん俺の遺伝子のどっか、覚醒水準を規定する何か、が悪いのではないかと思っているということである。
というのは、もう悠久の時が流れてしまったと思うので再び言うが、「覚醒水準」というのは刺激に対する反応性、というものである。この刺激、には、身体の感覚も恐らく含まれる。単純に肉体的限界、を迎える前に精神的限界を迎えてしまうというのは、俺が身体が発する信号、つまり刺激に過剰に反応してしまうからではないかと思っているということである。
で普段は覚醒水準が低いんですね。どう考えても。「特技」というよりは「疾患」であるが、俺の数少ない特技のひとつに、衆目の前で喋っているその最中に、眠ることができるというものがある。ナルコレプシーかよ。いや意図的によ。で本当に限界のときだけよ。今ちょっと寝よ、と思って、一息ついた瞬間に寝るのである。うーんやっぱり自分で書いてて疾患感があるなあ……。
そんで、普段覚醒水準が低いというのはどういうことかというと、身体からの信号、刺激に対する感受性が低いということなんですな。だから自分のボディ・イメージを捉えるのが苦手で、まあこれは太っていて人よりでかいというせいもあるけど、とにかく物にぶつかりまくるマンである。このような状態で暮らしていると、「腹がいっぱい」という状態がわからず、食いたいものを食おうとなってしまうということになる。そして走ったりすると覚醒水準がぎゅん、とあがってしまい、普段あまり受け付けていない大量の刺激入力に耐え切れず、つらたん、と思って走るのを止めてしまう。ほら太るでしょ? いや全員がそうかは知らないよ。俺の話だから。これは。
ではどうすればいいのか。太るがまま、運命に、遺伝子様に従って暮らすべきなのか。ただただ使うあてもなく脂肪を蓄えながら?
それは嫌だと俺は思った。
「生きてくってことは戦うってこと」だからだ。
俺は戦う。どうやってか? 覚醒水準を上げない。あんまり。でも動く。どのように?
ウォーキングだ。それだ! こんな長々話す必要あったかな、と今でも少し思っているが、まじめにこのような思考の結果ウォーキングを始めたんだから、それを記録せねばなるまいと思って俺は書いている。偏屈と呼びたければ、呼ぶといい。
ポケモンGOもまた追い風となった。俺は8/15現在、ポケモンGOとともに50 kmほど歩いている。思ったよりは歩いてないけど、まあ常に起動しているわけではないから、実質的にはもっと歩いていると思う。そのはずだ。ちなみに、iPhoneには「ライフケア」という便利な機能がある、と賢い人に教えてもらって、へえと思って起動してみると、こいつがこっそり歩数をカウントしてくれていることが分かった。それで改めて見直すと昨年一年間の歩数の平均値は一日五千歩。ウォーキングをしよう、と決意する前の日曜日の歩数とかみると、平気で三桁。211歩、とかの日もあった。俺は牛歩カードでも使われてんのか誰かに?
今週は平均13228歩ということなっている。たいしたもんだと思う。
それで、さて体重はどうなったかというと、もう一ヶ月以上前のことであるが、7/4時点ではこうだった。
2016年07月04日 05時33分の測定結果
体重:94.00kg
体脂肪率:29.20%
筋肉量:63.15kg
体内年齢:41歳
それが、こんな感じになった。
2016年07月05日 08時10分の測定結果 体重:92.95kg 体脂肪率:29.70% 筋肉量:61.95kg 体内年齢:42歳
2016年07月06日 07時40分の測定結果 体重:92.25kg 体脂肪率:29.30% 筋肉量:61.80kg 体内年齢:41歳
2016年07月07日 06時47分の測定結果 体重:91.35kg 体脂肪率:29.20% 筋肉量:61.30kg 体内年齢:41歳
2016年07月08日 07時15分の測定結果 体重:91.30kg 体脂肪率:28.20% 筋肉量:62.15kg 体内年齢:40歳
2016年07月09日 01時19分の測定結果 体重:92.35kg 体脂肪率:26.40% 筋肉量:64.50kg 体内年齢:37歳
2016年07月10日 11時30分の測定結果 体重:92.25kg 体脂肪率:29.20% 筋肉量:62.00kg 体内年齢:41歳
まあ増えたり減ったり、ではあるがじわーりじわりと減っている。たまにめっちゃ順調な日があるがこれは誤差であろう。
そしてこの一週間後。
2016年07月17日 09時25分の測定結果
体重:90.55kg
体脂肪率:28.60%
筋肉量:61.30kg
体内年齢:41歳
どうだ! 見たか! だいぶ来たぞ!
さらに一週間後。
2016年07月24日 10時14分の測定結果
体重:89.80kg
体脂肪率:27.80%
筋肉量:61.45kg
体内年齢:40歳
ウオオーーッ!! 80 kg台! BMIも30を切ったぞ! やればできる! 人間は自分に、自分の遺伝子に打ち勝てる!!
と喜んだのもつかの間。
2016年08月01日 09時23分の測定結果
体重:91.15kg
体脂肪率:27.90%
筋肉量:62.30kg
体内年齢:39歳
……あれれ~?
というわけでまあ当たり前だが、ウォーキングだけではやはり劇的な変動はない。まあごっつり増えてはいないからそれは喜ぶべきとしても。
そんなわけで、俺はまた、色々なことを試そうと思っている。
なんとか遺伝子という【呪い】に打ち勝つために。打ち勝たないまでも、負けないために。折り合いをつけて、なんとかやっていく、そのために。
よければ見守って欲しい。それを人は愛と呼ぶ。たぶんそのはずだ。
愛だけが人間を自由にする。
【次ッ回予告ゥ~!】
失敗? それとも失敗? プロテイン置き換えダイエットの巻!
タイトルでネタばれしているので、早めにさくっと書く予定です。
※ ところでもし脳を100 %使った場合はどう考えても機能崩壊は避けられない。まあ例えばだいぶ前に書いた、体性感覚なんとか(漢字が五文字以上なので思い出せない……)では、体の各部位の運動に関係する領域があるわけで、100 %使うというならば、当然そこを全て使うわけで、全身に運動指令が飛ぶことになる。そうするとどうなるかというと、たぶん無軌道な痙攣みたいなことが発生するような気がする。あるいは、視覚皮質なんかは、色・形・位置・運動をそれぞれ分担して受容する領域があるわけであるから、そこが全部いっせいのせ、で活動したとすると、たぶん光り輝く視覚イメージが縦横無尽に駆け回る、みたいなことになってその人はおそらく回心してしまうであろう。あるいは悟ってしまうかもしれない。現実的には、悟り、回心、にかかわる場所は側頭領域にあるらしい。
※2 ちなみにたぶん似たようなことが書いていると思われる"Entwined Lives: Twins and What They Tell Us About Human Behavior" という本は、Kindle Unlimitedで無料で読める。Kindle Unlimited自体が無料ではないのが玉に瑕。何冊か読みたい本もあるので、Kindle Unlimitedも登録しようかなあ。誰か使用感とか教えてくれませんか。
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