第7話
「ビル・エヴァンスのレコード貸してあげようか?」
ある日、玲子が、いつも通りマイ・プリンスに来ていた美月に言った。いつも通りと言っても、典子は学校の用事があって来ていなかった。
「レコードって何ですか?」
美月が訊き返す。
「そっか、レコードのプレーヤー、きっと家にないよね。じゃあ、CDはどうかな?」
「CD…ああ、それならお父さんが持ってるけど、コンポ?っていうの、使い方わからなくて聴いたことないです。音楽はスマホでダウンロードして聴くので」
「CDなら、家のパソコンで聴けるだろ」
賢太郎が口を挟む。
「パソコンも苦手で…」
美月が苦笑する。
「もういい、じゃあ、ポータブル・プレーヤー貸してやるよ。それなら犬でも使えるだろ」
「ああ、はい…てか、いい加減、犬扱いやめてよね」
美月は、自分で気付かぬうちに、賢太郎にタメ口を混ぜて話すようになってきていた。
「名前なんだっけ?それに犬の方がしっくり来るんだよな」
賢太郎が笑う。美月はそれにドキドキしながら、
「美月!み・づ・き!」
と叫ぶ。
「美月、いや犬っ娘、ほれ」
美月はウ〜ッ…!とまさに犬の如く唸りながら、ポータブル・プレーヤーを受け取った。
「中にエヴァンスのCD、入ってるから失くすなよ」
賢太郎は付け加えた。
美月が操作に迷いつつOPENと書かれたボタンを押してみると、中に入っていたのは、「ポートレート・イン・ジャズ」と書かれた円盤だった。
「たまたま聴いてたんだ。お前の好きなサムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カムも入ってるぞ。まさに、ビル・エヴァンスの妙だな」
と彼は軽やかに微笑む。
ビル・エヴァンスの妙。美月にはその意味がわからなかった。ただ、私の好きな曲、覚えててくれたんだ、と、彼のイケメン笑顔も相まって、ドキドキが止まらなくなってしまい、そんな自分に頬を染め、俯いた。
「大袈裟ねえ」
美月のそんな様子に気づいたのか気付いていないのか、玲子が笑う。
美月は火照ったカラダをごまかすようにカルピスを飲み干すと、
「…ありがとう…」
と言い残して店を出た。
美月は家に帰るなり、賢太郎から借りたポータブル・プレーヤーでCDを聴いた。カム・レイン・オア・カム・シャインが流れてきた。美月はそのタイトルを知らない。ただ、微妙に軽やかに始まるピアノのフレーズに耳を傾ける。自然と、賢太郎の顔がなぜか浮かんできた。
次に、オータム・リーブズ。邦題で枯葉だ。なんだかビターなカンジだな、と美月は思った。
ずっと聴いていると、やがて、聴き慣れたメロディーが耳に入ってきた。いつか王子様が、だ。そう言えば、彼の笑顔って、王子様みたいだな…と、賢太郎の笑顔を思い出しながら、曲に浸りきる。
ラストのブルー・イン・グリーンまで、美月は膝を抱えながら聴き入っていたのだった。
次にマイ・プリンスに行った時、美月はポータブル・プレーヤーとCDを賢太郎に返した。
「よく返してくれた、犬なのに」
彼はそう言いつつ、美月のS字型に近いつむじを、なぞるように何度も撫でた。遊ばれている。
美月は、
「ちょ…!」
と怒りながら、まんざらでもなかったようで、顔を赤らめていた。美月にMっ気が芽生え始めた。いや、それだけだろうか。
「なになに〜、どゆこと〜!?」
典子は大きすぎる胸を弾ませながら、ニヤニヤして美月に問いかける。
「え、何が!?」
美月はわからないフリをしたが、内心わかっていた。
「美月、彼のこと好きでしょ〜」
「え〜、んなことないよ〜…今日だって、犬扱いしてくるし」
「だって、顔超赤かったもん〜」
同性の、というか女の観察眼は鋭く、美月をとらえていたのだった。
「そうかな…」
美月はまた顔を赤くする。
「ほ〜らカラダは素直じゃん、正直になって、ガンガン行っちゃえ〜」
典子は拳を作り、美月の腕に押し当てる、
ウ〜、と犬の如く唸る美月。今にもワンワン吠えそうだ。
「美月、どんどん犬っぽくなってるよ〜。彼のおかげでM犬に目覚めたんじゃないのお〜」
押し当てた拳をグリグリしながらのたまう典子。
「何言ってんの〜。てかあの人とは年が離れすぎてるし…」
「年の差なんて関係ないじゃん、付き合っちゃいな」
「そんな…」
美月は、典子によって明らかにされた自分の気持ちに戸惑っていた。
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