信仰するモノ
ランダは森の中をひたすら歩いていた。タヌーアとルシリアから教えてもらった、施設がある方角に向かって。アルベラの村は森のほぼ中心にあったらしく、森を抜けるにはどこに向かうにも最低二、三日は掛かるとのことだった。
アルベラの村を出てから丸二日は歩いただろうか。睡眠をとる為のほかは軽く休憩するに留め、残りの時間は全て進むことに費やしていた。少しでも早く森を抜けたい―――シーズを見つけたい、その一心で歩き続けた。その成果あってか、三日目の日が傾く前に、森の切れ目が見えてきた。ここ一年ずっと見てきた、木々以外の景色を見たくなり、思わず駆け出す。果たして森は終わり、そこから先は草原が広がっていた。
「抜けた……。」
久しぶりの、全身に浴びる眩しい陽の光。手で顔に影を造りながら周りを見渡した。穏やかな起伏があるようで、全てが見えているわけではないが、見渡す限り草原が広がっている。遥か向こうには山が見える。パッと見ただけでは、何か怪しいものがあるようには見えない。だが、この先にあるはずなのだ。シーズがさらわれ、連れていかれた施設が。目を凝らし、もう一度良く見渡す。
「あった。」
余程注意して見ないと気付かないような、小さな違和感。草原のある場所から、小さく煙が立ち上っているのが見えた。火事が起きている様子ではない。人為的に火を起こしている証拠だ。小さい頃から狩をして、小さい違和感を見逃さないよう鍛えられた眼が役に立った。
煙の位置を見る限り、どう頑張っても一日はかかりそうな距離だった。一日が半分も過ぎた今からでは、陽が沈むまでに着くのは無理だろう。ランダは今日はここに野営し、明日早めに出発することに決めた。
―――次の日、陽が上り始める前に出発した。森の中とは違い、太陽から身を隠す場所がない草原をひたすら歩くのだ。砂漠ほど過酷な環境ではないが、やはり体力は出来るだけ消耗したくない。陽が昇り、体力を奪うほど暑くなる前に目的の場所まで着けるようにしたかった。
目的の場所を見失うことはなかった。昨日から確認していたが、煙は絶えることなく立ち上っていた。勿論、目を覚ました夜明け前も。常に目印が見えていたため、目的地への道中は非常に楽だった。途中で獣や、クリーチャーに遭遇することなく、煙の上がっている場所まで辿りつくことができた。空は既に赤く染まり、地平の先から紫色に染まろうとしていた。
その場所は大きくすり鉢状になっており、その底にあたる場所に集落ができている様子だった。ランダは、丘の上から見下ろしているような状態だ。問題の煙は、集落の中心地から上がっているようだった。そこを中心に、人らしき影があちこち移動しているのが見える。そして、人以外の影も、移動しているのが見て取れた。
「ここもクリーチャーと暮らしているんだ?」
そう、人以外の影は、クリーチャーと思われるものだった。アルベラの村と比べると少し様子が違うようだったが、人とクリーチャーとの共存が実現できているのを知り、少し安心する。
―――クリーチャーと人間が対立する必要はないんだ。
いつまでもボーっとしている訳にはいかない。ランダは、集落に向かって歩き出す。その足取りは、心なしか早くなっていた。
集落の入口には見張り台があり、見張り台の上と下に人間が二人ずつ立っていた。見張り台の正面から近づいたため、大分前からランダの姿が見えているはずだ。向こうもランダに視線を向け、明らかに警戒していることが分かる。敵対心が無いことを示すために、両手を空にしている。顔の表情が確認できるくらいの距離になると、ランダは両手を上げながら大きな声で尋ねた。
「すみませーんっ!聴きたいことがあるんですけど!」
その声で、警戒が解かれることは無かった。それどころか地上の見張りは剣を構えて警戒色を強める。ただ、聞いてくれるだけの余裕はあるらしい。あごを動かして話の先を促している。ランダはそれ以上近づかず、立ち止まって質問を続けた。
「訳合って女の子を探しているんです!巨大なリザードマンと一緒だったはずなんですけど、知りませんか?」
二人の見張りは顔を見合わせ、何やら話し合っている。やがて、見張り台の二人とも手を振って何かの合図をしている。すると見張り台から二人が降りてきた。合計四人の見張りは、更に話し合いを続けている。ランダのところまで声が届かないので、その内容までは分からない。それを眺めるしかないンダは、両手を上げたままひたすら話が終わるのを待っていた。
やがて、一人が剣を構えながらこちらに一歩だけ踏み出し、大声で話しかけてきた。
「お前は何者だ!ヴォルドワードの巫女様に何の用だ?」
ランダは何を言っているか理解しかねた。ヴォルドワードとは何だ?巫女様って誰のことだ?訳が分からないが、何やら普通じゃないことは理解できる。ランダも一歩だけ踏み出し、慎重に言葉を返した。
「俺の名前はランダ!リザードマンと一緒に居た女の子とは、一緒に旅をしていた仲間なんだ。だが、途中ではぐれてしまった。だから、合わせて欲しい!」
さらわれた、とは言わなかった。リザードマンとの関係も特に言わない。不要なことを言ったらまずい気がした。
見張り達はまたお互いに顔を突き合わせて話し合い始めた。少し近づいたせいもあってか、今度はギリギリ会話の切れ端が聞こえた。
「……巫女様の知り合い……。」
「…どうする?………。」
今度はそんなに長く待たなかった。先ほどと同じ見張りが、こちらに向き直り、声を張り上げた。
「巫女様のお知り合いとのこと、詳しい話を聞こうではないか!この村に入ることを特別に許可する!」
それだけ言うと、見張りは門の奥へと向かう。他の見張りはそれぞれ自分の持ち場に戻ってしまった。とりあえず、集落の中に入ることは許されたようだ。ランダは見張りに後について、集落の中へと入った。
集落の中を歩くと、外から見た違和感は強くなった。中にはクリーチャーが居て、人間と一緒に暮らしている様に見える。だが、アルベラに居た時に感じた和気あいあいとしたような空気はない。集落の人間はクリーチャーを特別な存在を扱うような、大仰な雰囲気が伝わってくるのだ。
クリーチャーとすれ違う時は、必ず道の端によけ頭を下げる。ランダが案内されている途中もクリーチャーと何度かすれ違い、その度に道の端によけ、頭を下げなければならなかった。
案内されたのは、集落の中心にある大きな建物だった。上から見た時の記憶が正しければこの建物は円形に作られており、中心に煙突が立っているはずだ。遠くからでもランダが見ることが出来た煙は、この建物の煙突から出ていた。
「入れ。」
見張りが扉を開け、中に入るよう促す。ランダは促されるまま建物の中に足を踏み入れた。
「うわっ。」
思わず声が漏れた―――そこは広い空間になっており、何かを祭る祭壇の様に感じられた。建物の中は薄暗い為、全体を見渡すことは出来ないが、目に見える範囲だけでも十分に広い。中央には巨大な影があり、その両脇と上に炎が燃え盛っている。昼夜を問わず煙が上がっていたのは、この炎が燃え続けている為なのだろう。
巨大な影に目を凝らすと、それは大きな石像だということが分かった。何かの神を祭っているにしては、あまりにも禍々しい雰囲気のある像だった。それは人の形を模しているものではなく、怪獣と呼ぶに相応しい姿をしていた。巨大な体は鱗の様なもので覆われている。その体からは手も足も数え切れないほど生えている。生えているのは手と足だけではない。これまた数え切れない量の触手、大きな翼が3対、身体の上には狼、鷹、トカゲなどの頭がくっついている。
そして像を更に怪しくしているのは、足の下に、手の中に、触手の先に、それぞれの口に、人の形をしたものが収まっていた。その像によって、人は蹂躙され、捕食されていた。この像が表しているモノからしたら、人は食料の一つに過ぎないのだろう。
「我らが崇めるヴォルドワード様の像だ。」
ランダが、巨大な像の異様さに目を奪われていると、像の前に座っていた老人が振り返ることなく言った。後ろで扉が閉まる音がすると、見張りが祭壇と思われる像の前まで行き、座っている人に何事かを話す。すると老人が振り返り、ランダに声を掛けた。
「少年、こちらへ。」
言われるがままに祭壇の前まで進むランダ。目の前までくると、その像がいかに巨大で、異様なものかが実感できる。像に対して寒気を覚えながら、目の前にいる老人へと視線を移す。祭壇の前に座っているため、その顔はランダより上にあった。
「おぬしは、ヴォルドワード様を知っておるか?」
ゆっくりと首を横に振る。ランダは下手に言葉にするより、こうする方が良いと判断した。
「その昔、人は自らを世界の神と勘違いし、君臨した。神はそれに良く思わず、人の上位の存在を作り出された。分かるか?おぬしもよく知っている存在じゃ。」
ランダはまた、首を振る。
「クリーチャー様じゃ。神に作られたクリーチャー様によって、驕った人の支配する時代は終わりを告げた。そして、クリーチャー様の支配する、新しい時代が始まった。これが現在につながる時代の始まりじゃ。」
老人の話は短かった。だが、簡潔にこう言っていた『今の世界は人に替わってクリーチャーが支配している』と。
「クリーチャー様は、人よりも優れておる。だから、人より偉いのは当たり前じゃ。時には人を捕食対象とする。人が草や、動物を食べるように。それは、当たり前なのじゃ。クリーチャー様は、神によって作られた人の上位的存在。だから、人はクリーチャー様に支配されなければならない。崇めなければならない。自身の姿を模してクリーチャー様を造られた、ヴォルドワード様を!」
老人は穏やかに、だがやや興奮して話している。その目は何かを猛進するあまり、常軌を逸しているようにも見えた。話している内容はとても信じられるようなものではなかった。だが、確実に分かったことがある。
この集落は、クリーチャーを信仰してる。クリーチャーを上位的存在として崇め、クリーチャーに支配されることを望んでいる。集落に足を踏み入れる前から感じていた違和感は、ここから来ていたのだ。
「ところでおぬしは巫女様と知り合いと聞いたが、何しに来た?」
ランダはまただ、と思った。クリーチャーにさらわれたシーズのことを聞いただけなのに、彼らは巫女様と言う。シーズが巫女ということなのだろうか。
「すみません、巫女ってどういう事でしょうか?お、俺はただシーズって言う女の子を探しているのですが。」
分からないことだらけで、少しでも情報が欲しくて、質問で返す。言ってしまった後でまずかったかな、と思い直すが遅い。だが、目の前の老人は少しの間をおいて答えてくれた。
「巫女様の名はシーズと申すのか?あまりに恐れ多いのでな、すまぬがわしらは名前を知らんのだ。」
そういうことかと、ひとつの謎が解ける。名前を知らなければ別の呼び方をするしかない。だが、巫女というのはどういうことか。
「お主の知り合い、シーズ様はヴォルドワード様の、意志をその身に受け継ぐ巫女様なのだよ。我々、人とクリーチャー様の上に立つことの出来る特別な存在だとのお告げじゃ。」
「……えっ?」
老人が続けた言葉は理解を超えていた。クリーチャーの上に立つ存在、クリーチャーを統べる存在、それがシーズだという。クリーチャーを崇拝する彼らにとって、恩恵を得る為の巫女の存在が必要だというのだ。
突拍子もない話で、とても信じられるものではなかった。だが、クリーチャーを正確に把握し、判別する能力。シーズの持つ不思議なチカラ。説明のつかないこれらのことを納得させるには、腑に落ちる所もあった。
「あ、あの!」
話し続ける老人の言葉を遮り、ランダはずっと訊きたかった質問をする。
「シーズは?その巫女様はどこにいるんですか?ここにはいないんですか?」
ランダの発した言葉が響き渡り、完全に消えるまで誰も音を立てなかった。
更に少しの時間が過ぎてから、老人は静かに首を横に振り口を開いた。
「残念ながら、巫女様はここではなく『支配の塔』にあらせられる。ヴォルドワード様の塔じゃ。」
終わらない闇の刻 由文 @yoiyami
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