壊れる日常、残る非日常

 ―――夜、アルベラの村。

 夕飯を済ませた後いつも通りの日課を終え、今は外で夜風に当たっている。森の中の少しだけ開けた場所に、座るのに丁度良い大きさの岩があり、日課の後はいつもそこで暫く時間を過ごす。これもまた日課だ。風は冷たく、ほのかに湿り気を帯びていて、食後の運動を終えて火照った体には丁度良かった。

 森の中から見上げる空は狭かった。それでも木々の間からは、ひしめき合うように星が詰まっているのが見える。その中でも月は視界の中心にあり、他の星を端へ追いやるほどに自己主張をしていた。

「黄昏ているのかな?」

 少し控えめな、だけどとてもよく通る声が聞こえた。ルシリアだ。声がしたほうを振り返ると、ルシリアが茂みの向こうからひょこっと顔を覗かせ、軽く手を振ってきた。ランダが軽く笑うことで応じると、彼女は茂みの中から出て来て岩の上、ランダの隣に座った。

 暫くの間、二人は黙っていた。二人で、同じ夜空を眺めている。その中を穏やかな風と時間が通り過ぎる。ルシリアが思い出したように、ランダの方を振り向いた。

「君も少しは様になったね。」

 ルシリアがランダの顔を下から覗き込むようにして話しかける。近すぎるその視線をまともに受けられず、目をそらし唸る。こんな態度を取られたとき、どうすれば良いか分からない。シーズとだってこんなに顔を近づけて見つめ合うことなんて無い。何かの弾みで触れ合うほどに近づいてしまった時でも、気恥ずかしさからすぐに顔を背けるか、体ごと離れてしまう。きっとルシリアはそれを分かってやっている。つまりは、ランダをからかって遊んでいるのだ。

「何の用だよ。」

 ルシリアの言葉を無視して、つっけんどんに返す。ルシリアは特に気にした様子も無く微笑むと、先程のからかう様子ではなく、穏やかな調子で言った。

「ようやく、シーズも村に慣れてきたみたい。」

 ランダは少しだけ考え、ルシリアの言葉に頷いた。

「シーズは、クリーチャーの気配が分かるんだ。今までは、その気配にただ怯えるしかなかったんだ。ここはクリーチャーが沢山いるけど、怯える必要は無い。だから、いつも周りにあるその気配に戸惑っていたんだと思う。」

 ランダは今までの旅、半年にも満たないその期間の中で、シーズがいつもクリーチャーの気配に怯えていたことを思い出す。クリーチャーの気配が無い、安心していい時でも何かを警戒し、怯えていたような気がする。そして夜は、度々悪夢にうなされていた。例え明るい表情をしていても、ふとした瞬間にそうしたことがうかがえた。

 アルベラに来てからも、暫くは同じような感じだった。周りにクリーチャーがたくさん居る環境になって、今まで以上に怯えてしまっていた。ここで暮らすようになってもう一年が経つが、この頃になってようやく怯えることが少なくなったのだ。今では言葉の通じるクリーチャー、タヌーア以外の、とも話すし、時には笑うこともある。

「心から信用してくれるまでは、まだ時間掛かりそうかな。」

 ルシリアは少しだけ寂しそうな笑顔を浮かべる。ランダは何も言葉を返せず、苦笑しながら曖昧に頷く。すると、ルシリアはまたランダの顔を覗き込んできた。

「で、君はどうなのかな。ランダ?君もまだ、私たちのこと信用出来ない?」

 ランダは思わず何かを言おうとして、言葉が詰まった。まさか自分に矛先が向くとは考えていなかった。シーズについて話をしに来たのだと、思い込んでいた。

「あ、えーと。ん、あぁ……。」

「ん?」

 言葉に困っているランダに、少し意地悪そうな笑みを浮かべながら、答えを待つルシリア。ランダは暫く見つめ合うようにして固まっていたが、取り繕うように口を開いた。

「し、信用してるよ。ル、ルシリアもタヌーアも、エイのおじさんだって。ここの人たちはみんな信用してる。そりゃあ最初はビックリしたし、戸惑ったけどさ。だって、クリーチャーの姿してるんだぜ?」

 その瞬間、嫌な映像が頭をよぎる。どうしても拭えない記憶。忘れようとしているが、忘れられない悪夢。アルベラの村のクリーチャー達はみんな気さくで、普通に人間と話しているのと変わらない。ランダの村を襲ったクリーチャーとは真逆だが、同じクリーチャーだ。あの時味わった恐怖は今でもランダに襲い掛かってくる。シーズに心配をかけまいと気丈にふるまい、表面上はちゃんと会話出来ていても、クリーチャーに対する恐怖と憎しみを拭いきれないでいる。

「本当に?」

 ルシリアの質問は、ランダの心の中を見通しているようだった。

「ごめん。今でも怖い。」

 何とかこぼした本音の先を辛抱強くまつルシリア。

「ロイにはあんなこと言ったけど、やっぱりクリーチャーが怖い、憎いんだ。タヌーアが、ここに居るクリーチャーが悪い奴じゃないってことは分かってる。でも、やっぱり怖い。信用したいんだけど、どうしてもあの時のことが忘れられなくて…。」

 そこまで言うとようやくルシリアはランダから視線を外し、そして空を見上げた。

「やっぱり。そうだったんだね。」

 少し寂しそうな声だったが、そこに責めるような響きはなかった。

「ここのみんなに接する態度、シーズもだけど、随分君もぎこちなかったからね。お姉さんの目は誤魔化せないよ。あーあ、やっぱりクリーチャーと人が一緒にいるのって難しいのかなぁ。」

 ため息交じりに、ルシリアが言う。残念、と続けながら伸びをし、そのまま後ろに倒れこむ。ランダが寝ころんだルシリアを振り返ると、やはり寂しそうな顔でランダを見上げていた。

「あのね、君に伝えたいことがあるんだ。」


ルシリアが話そうとした時だった。茂る木々をなぎ倒す勢いで、ランダとルシリアのいる岩の前にタヌーアが飛び出した。村からものすごい勢いで走ってきたらしい。ランダとルシリアの姿を確認するのももどかしい感じで、叫ぶ。

「ルシー、無事か!」

「どうしたの?何があったの?」

 タヌーアの様子にただならぬものを感じ、ルシリアは体を起こしつつ、岩の上からタヌーアの前に降りる。

「奴らが来た!」

 その一言で、ルシリアの顔から表情が消える。何かを悟ったような、そんな印象を受ける。

「分かった。タヌーア、村をお願い。ランダ、行きましょう。」

 ルシリアが遅れて岩から降りたランダの手を取り、村とは反対の方向に駆け出す。タヌーアはその姿を確認する前に村の方へと戻っていった。

「ルシリア、何があったの?奴らって誰のこと?」

 突然のことに訳が分からず、更にその姿からは想像できない力で引っ張られ、戸惑いながらルシリアに問う。夜の森の中を走りながらの、しかも後ろからの声が聞こえたか怪しかったが、少しの間を置いてルシリアは答えた。

「クリーチャーよ。」

「何で?村のクリーチャーは仲間なんでしょ?」

「そうね。でも、同じクリーチャーでも村の外にいる人たちは、違うわ。同じクリーチャーなのにね。話し合うことも出来ない。」

 ランダが訊くと、ルシリアは歯切れの悪い口調で言った。後ろからなので表情を伺うことは出来ない。村では仲良く出来ているはずのクリーチャー。それが、襲ってくる。一体どんな気持ちなのだろう。

「それより、シーズが心配なの。君を見かけたから、つい話し込んじゃったけど。彼女を探しているところだったのよ。」

 その言葉を聞き、ランダの背筋がゾクリとする。嫌な感じだ。どうか、何もおこりませんように―――そう祈るしかなかった。

「いた。間に合って!」

 ルシリアは叫ぶと、ランダのことはお構いなしに、速度を更にあげて前を進んでいく。ルシリアに握られていた手は離され、ランダ置いて行かれてしまった。

「え?待って!」

 あっという間に引き離されてしまったランダが、後を追いかけていくと、木々がなぎ倒されるような轟音と、金属と金属が激しくぶつかり合うような、耳障りな音が響いてきた。一体、何が起きているのか?決まっている。向こうにはクリーチャーがいるのだ。久しく忘れていた、恐怖。行方の分からないシーズ、先に行ったルシリアを守る為には、そんなことではいけない。心の底から込み上げてくる恐怖を無理矢理抑え込み、ルシリアが先に向かった、茂みの向こうへと飛び出した。


 ギンッ!!


 そこに目に飛び込んできたのは、クリーチャーが振り下ろした爪とルシリアの振り上げた剣がぶつかり合う瞬間だった。耳障りな音を響かせながら、クリーチャーとルシリアは弾かれたように距離をとる。ルシリアはランダに背を向けて立ち、両手で剣を構えなおした。既に何回か打ち合っているのか、ルシリアは大きく肩で息をしている。攻撃をかわし切れずに掠めたのだろう、服の端々が裂けている。また、クリーチャーの返り血を浴びてか、青い血がルシリアの身体を染めていた。

「ランダ君。シーズが!」

 呼吸を整えて、ルシリアが言う。ルシリアの視線の先を追うと、クリーチャーの向こう側にシーズが倒れているのが見えた。

「シーズ!」

 ランダが叫ぶが、シーズは気を失っているのか反応がない。近づこうにも、手前にクリーチャーがいる為、迂闊に動くことも出来ない。ルシリアはここでシーズを発見するが、目の前のクリーチャーに阻まれてその先にいるシーズに近づけずにいたのだ。

「俺も!」

 ランダが剣を構えようとするが、ルシリアに後ろ手で制される。

「ここはお姉さんに任せなさい。言ったでしょ?こう見えてもお姉さんは強いんだから。」

 一度大きく息を吸うと、剣を構えたまま走り出す。そして、お互いの間合いに入る手前で、剣を振り上げて、そのままクリーチャーに投擲した。だが、目の前に飛んでくる剣を、クリーチャーは振り払ってしまう。

 奇をてらった攻撃は簡単に防がれしまった。ランダがそう思ったとき、ルシリアは更に動いた。クリーチャーが剣に気を取られている隙に、一気に間合いを詰め、身体を沈めたかと思うと、身体を捻り、飛び上がる勢いに任せて下からクリーチャーの下腹に向かって肘を突き刺した。


 ドス、と重い音が響く。


 次の瞬間、クリーチャーは宙に浮き、そのまま数メートル吹き飛ばされてしまった。

「え!?」

 さすがにランダは目を丸くした。まさか、何倍も体格差があるクリーチャー相手に素手で挑むとは。でも効果はあったらしく、吹き飛ばされたクリーチャーは倒れたまま動き出す気配はなかった。

 だが、ルシリアも動けずにその場でうずくまっていた。よほどの反動があったのだろう。でも、振り返るとランダに向かって口を開いた。

「言ったでしょ?強いって……。シーズちゃんをお願い。」

「そうだ!シーズ……。」

 そう思って走り出した瞬間、ランダは目を疑った。倒れていたクリーチャーの姿がない。そして、つい先ほどまでいたはずのシーズの姿も、消えていた。

「え!?」


 ランダが狼狽えていると、視界に影が差し、暗くなった。そして上から声が聞こえてきた。

「コイツ、ハ、アズカル。」

 見上げると先ほどのクリーチャーよりも、更に大きいリザードマン型のクリーチャーが、木の上に立っていた。下手したら土台にしている木よりも大きな体格のクリーチャー。その細い枝の上に、悠然と立っている姿は、異様といえばあまりにも異様といえた。

 その、異様な光景の中に、更に信じられないものが映る。先ほどまでルシリアが相手していたクリーチャーと、シーズだ。巨大リザードマンの右腕にはクリーチャーが、左手にはシーズがそれぞれ抱えられ、握られていた。

「シーズ!」

 ランダは叫ぶが、シーズには届かない。クリーチャーも悠長に待ってくれるはずもなく、駆け寄ろうとする前に、姿を消してしまった。



 ここまで全力で走ってきたため、クリーチャーを追うだけの体力が無かったことと、倒れているルシリアを独り置き去りに出来なかったこともあり、ランダはその場で立ち尽くしていた。どれくらい時間が過ぎただろうか?村に現れたクリーチャーを片付けたのか、タヌーアが姿を現した。

「ルシリア、大丈夫か!」

 ルシリアを見つけるなり、駆け寄ってルシリアを抱き上げる。タヌーアが抱き上げると、ルシリアを染めている青い血が地面へと滴り落ちた。

「タヌーアごめん。頑張ったけど、シーズちゃん、さらわれちゃった。」

 そこで、タヌーアはシーズの姿がないことに気付いたらしい。辺りを見回した後、ランダの顔を見た。

「喋るクリーチャーが突然現れて、シーズを、連れて行った。」

 何とか声を絞りだすランダ。


 ―――守ると決めた人を、守れなかった。目の前でさらわれてしまった。


 悔しさから、夜の空に向かってランダは叫び続けた。

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