かりそめの平穏

 ―――剣を構える。


 振り返ることなく、辺りの気配を探る。今、自分がいるのは森の中。昼下がりの強い陽射しは、木々によって遮られ、自分の下には心地よい明るさの光となって届く。風が吹き、枝が揺れ、葉が擦れ合う音がする。風が草花の匂いを運び、自分の所まで届けている。一見すると穏やかな風景そのものはずだが、本来居るべき動くものの気配が無かった。今、自分の周りにいるのは木々たち、そして……。

 ガサ、と後ろで音がたつ。それは居ないはずの動くもの。そして本来居ないはずの、そこに元々居ないはずの動くもの。それはもう一度ガサリと音を立てた。だが動かない、きっと罠だから。対処すればいいのは本命だけ。そう、いちいち全てに反応する必要は無い。こちらに向かってくるものにだけ反応すればいいはず。

「来た。」

 こちらに、右側から向かってくる気配。体をひねり、飛んできたそれを交わした。それは小石、恐らく牽制のために投げられた囮。地面に落ちたそれに気をとられていると、背後に迫ってくるものを感じた。

 しまったと思うがもう遅い。咄嗟に前に向かって跳び、距離をとる。そのまま前転して勢いを利用して起き上がり、振り返ると、そこには巨大な影がそびえ立っていた。クリーチャーだ。二本の足で立っているそのクリーチャーは、不意打ちを避けられ、次に打つべき手は何にするか考えているようだった。まともにやりあえば敵うはずも無い。不意打ちを避けられたことで現状は対等の立場になったはず。ここは先手を打ち、こちらにとって有利な体勢に持ち込むことが出来れば!

 剣を後ろ手に持ち、駆け出す、相手が動き出す前にこちらから。間合いを一気に詰め、そして攻撃の態勢に入る。だがクリーチャーは腕を振り上げ、こちらを吹き飛ばそうと待ち構えていた。上から強力な一撃が振り下ろされる。まだ自分の間合いには遠い、あと一歩―――勢いを殺さずにかがみ込み、頭の上で攻撃をやり過ごす。動きが大きい為、攻撃を外したクリーチャーには隙が出来る、はず。その隙を衝くように攻撃できれば!

 かがみ込んだ姿勢からクリーチャーに向かって、跳ぶ。狙うは相手の喉元。上手くいけば致命傷、避けられたとしても相手はバランスを崩すはず。そこからさらに追い討ちをかければ、やれる。跳んだ勢いを剣に乗せ、クリーチャーの喉元に向かって叩き付けた。

 鈍い衝撃、確かな手応え。だが改心で放ったはずの攻撃は、難なく素手で受け止められていた。まずい、と思ったときにはもう遅い。いつの間にか構えられたのか、攻撃を受け止めたのとは反対の腕が、目の前に迫って……。


「タヌーア、止めなさい!」

 絶体絶命寸前で止められる攻撃の手。一瞬でも遅れていたら頭は潰され、確実に命を奪われていただろう。ランダは目の前で止められた攻撃を緊張した目で見ていた。この場合は突然の闖入者に驚き、お互いにあと少しで取り返しのつかない状態になった為。いや、見つかってはならない物に見つかってしまった為の緊張か。クリーチャー、タヌーアは声がした方を向いて固まっていた。その先には腕を組み、仁王立ちをした少女の姿があった。年のころは十五、六歳くらい。背は歳を考えると低くいわけでも高いわけでもなく、肩まである髪を後ろに結んでいる。垂れ目がちな目は、ともすればおっとりとした表情を思わせるが、今はその目吊り上げ、力強い光を灯していた。


 ―――非難の目だ。


「何をやっているの?」

 非常に穏やかな声、だがその声だけを聞けばの話だ。その顔、は微笑んでいるように見えるが、目は笑っていなかった。その少女、ルシリアは組み合っている二人、タヌーアとランダの方へ歩き出す。

「てっきり薪を拾いに出かけたと思ってたんだけど。」

「あ、いや……薪は拾ったよ。」

 ランダが指差した先、少し離れた木の根元には、拾い集められた木の枝がまとめられていた。ルシリアはそちらを見てから、もう一度二人の方に向き直る。そしてため息をひとつ。

「お願いだからそういうことはしないでって、いつも言ってるでしょ。」

 落ち着ついた声でルシリアは言う。怒るのではなく、あくまで説得するといった様子で。半分諦めたような雰囲気も混じっているようだ。

「俺はただ、こいつに稽古をつけてただけだ。」

 表情はわからないが、声とおなじ感じなのだろう、タヌーアは憮然とした様子で言う。「そうだよ、お願いして剣の練習をしてたんだよ。」

 悪いことは何もしていない、とランダは言う。ルシリアは一瞥してそれを黙らせる。

「練習。あれが?」

 ルシリアの、声のトーンが落ちる。その声を聴き、ギクリとするランダとタヌーア。例え悪いことをしていなくても、謝らなくてはと彼らを思わせるには充分な声色だった。思わず二人とも黙ってしまう。

「私には、真剣に殺しあいをしているように見えたんだけど。今のだって、間違えばランダは殺されていたわよ?それでも練習をしていたと言うの?」

 目の前まで迫った攻撃には、ランダも焦った。でもそれは、実践に近い形でやっていたためだ。実際には当てることはしない。ランダが持っている剣も、練習用の模造刀で刃は無い。タヌーア相手ならランダが本気で打っても大したダメージは与えられないのだ。そう、打ち身にすらならない。タヌーアも本気を出しているわけではない。ランダに攻撃をするときは、全て寸止めだ。それでも受ける身としては冷や汗ものだが、それ位でないと意味が無い。

 でも、それは言えない。そもそも練習自体を危ないから禁止だと言っているルシリアに対して、どんな言い訳をしても無駄だろう。ルシリアの物言わせぬ雰囲気に、それでも負けずにランダは口を開いた。

「練習だよ。だって、強くなりたいんだ。強くなるためには練習をしないと。強くないと、誰も守れないよ。誰も……。」

 ランダが下を向く。ふと、今までのことが頭をよぎる。旅をすることになった原因。始まりは、自分の村がクリーチャーに襲われたこと。そこで母親を殺された、村のみんなを殺された。そして、自分だけ助けられた。助けられて、生きろと言われた。そして今何故、ここに居るのか。ロイたちとの決別、そしてシーズと一緒にここに残った。あまりにも考え方に隔たりがあったから。今までは分かったつもりでいたが、実のところ、ロイの考えを全然理解していなかった。ロイはクリーチャーを憎んでいた。クシーとベットも、きっとクリーチャーを赦せないと思っているはずだ。例えそれが邪悪な存在ではないと知っていても、クリーチャーという存在が赦せないほど憎んでいるのだ。一緒にはいられない、そう思った。ロイもそう感じたのだろう、だからランダたちを置いて去っていった。そして、今ここにはランダとシーズが残っている。

 今まではロイがクシーが、ベットが守ってくれた。今は、タヌーアがいる。でもこれから先、誰かが守ってくれるという保証が無い。それに気付いた。だから、守れるだけの強さを手に入れたいと、訓練をタヌーアにお願いしたのだ。

「駄目よ。」

 ルシリアは一言で否定した。そしてランダの目の前まで近づき、続ける。

「あなたに、そんな危ないことはさせられない。今まではどうだったかは知らないけど、ここではそんなことしなくていいの。みんなを守ることはタヌーアが、他の人がしてくれる。人間とクリーチャーにどれだけ力の差があるか、知ってるでしょ?あなたの出る幕なんて、それこそ無いわ。」

 少し屈み、ランダの顔を覗き込む。

「ここに居れば安全よ。何かあっても、みんなが守ってくれる。だって、ここでは人もクリーチャーも関係ない。たまに喧嘩もするけど、それだけよ?ここでは、自分の出来ることをすればいいの。今あなたが出来ることは、命を捨てることじゃないわ。」

 ルシリアの表情は、怒りの入り混じった強張ったものではなく、穏やかなものになっていた。

「お願いだから、こんなことは止めて。ランダ、あなたにこんなことはして欲しくないの。」

 暫くのの沈黙。でも、とランダは口を開いた。

「でもそれじゃ、シーズを、ルシリアを守れないよ。ロイはルシリアも斬ろうとしたんだ。それじゃあもしもの時に、僕は誰も守れないよ。」

 守る、ということに執着するランダ。それは駄々をこねる子供そのものだった。ルシリアは微笑むと立ち上がり、ランダの頭を胸に抱きしめた。ランダは一瞬戸惑うが、暖かい、やわらかい感触に安心し、目を瞑る。ルシリアはランダを抱いたまま頭を撫でる。

「馬鹿ね、そんなことにはならないわよ。もしもの時は私が、ルシリア姉さんが守ってあげる。これでも、力では負けないわよ?」

 でも、と言いかけて止めた。それでも守れるようになりたいと。だが、今だけは甘えても良いかも知れない。この平和で、穏やかな場所に甘えても。つかの間の平和に、少しだけ甘えても。甘えた後で、剣の訓練はその後にしよう。今は少しだけ休憩だ。でも、絶対強くなる。守れるだけの強さを手に入れたい。


 茂みの向こうから、誰かが近づいてくる気配がした。顔を出したのは頭の禿げ上がった、中年の男だった。こんなところにいたのか、と男は近づいてきた。

「ルシリア、お前まで何をしているんだ?食事の準備が出来たのに誰も戻ってこないって、シーズが泣きそうにしていたぞ。」

 中年の男、エイが言う。そう、ルシリアは食事の準備が出来たから二人を呼びに来たのだ。それが当初の目的を忘れて、今はランダを胸に抱きしめていた。

 そんなところを人に見られて恥ずかしくなったのか、ルシリアはパッとランダから離れると、エイの方に歩き出す。

「ごめんなさい、ちょっと二人と話し込んじゃった。すぐに戻りましょ。」

 エイが先に戻り、ルシリアもその後に続く。そしてそうそう、と振り返るルシリア。

「タヌーア、ランダ。あなた達は昼食抜きね?」

 え、と非難の声を上げる二人。慌てて謝罪の言葉を並べ立てる二人の様子を見て、ルシリアは笑い声を上げた。

「冗談よ。さあ、早く行きましょう。これ以上遅くなったら、シーズが拗ねちゃう。」

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