乖離する理想

 森の中を、五人は静かに歩いていた。誰も口を開かない。ただ黙々と歩いているというよりは、気まずい雰囲気によって誰も喋らないといった感じだった。武器を持ったクリーチャーと遭遇した時から、ずっとこんな感じだった。必要以外口をきかない。変に気を使ったり、気まずくて話せなかったりで、些細なことで言葉が出ることが無くなった。以前のように冗談をいったり、愚痴を言ったりといったようなことは全くなかった。

 幸い、あれ以来クリーチャーには遭遇していないが、もしこの状況で遭遇したらどうなるのだろうか?重い空気が支配する中、それぞれが物思いにふけっていた。



 いつ頃だっただろうか、遠くからの木の葉のこすれる音にランダが気づいた。

「何かが近づいてきてる。」

 音から、何者かが近づいてきてることを告げた。森の中で育ってきただけあって、誰よりも森の中の気配を探るのには慣れている。シーズが反応をしてないところを見ると、クリーチャーではないらしい。だが、クリーチャーだけが危険なわけではない。熊や狼の群れなど、生身の人間では相手にならない。この世界では、クリーチャーはあくまで強者、人間は弱者の部類でしかないということだ。弱者が生き残るためには、防御手段を固めるしかない。ランダの特技はそういった種類のものだった。

 ロイ、ベット、クシーがそれぞれ警戒態勢をとる。音はだんだんと近づいている。速くはないが、確実に近づいてくるその気配に皆の緊張が高まる。そして、すぐそばまで来ている気配に、ベットとクシーが構える。先手を打てるようにする為だ。ベットは気配の主が出てくるであろう場所まで駆ける。そこでランダは気配に違和感を感じた。近づいてきているものは、クリーチャーでも他の動物でもなく……。

「攻撃しちゃ駄目だっ!」

 ベットが動いたのを見てランダが叫ぶ、姿を現したのは少女だった。なんとか勢いを殺して、ベットの剣が相手の目の前で止まる。そして、突然目の前に剣を突きつけられた少女は、腰を抜かして尻餅をついた。



「そうですか、クリーチャーを……。」

 暗い調子で少女が言う。その様子は、何か考え事をしているようにも見えた。

「悪い、早とちりしちまった。」

 ベットが申し訳なさそうに少女に謝る。あれから恐怖で混乱している少女を助けおこし、落ち着くのを待ってから簡単に事情を説明をしていた。少女はベットの話を聞いて、心なしか表情を曇らせていた。

「いえ、気にしないでください。人だと分かっているからって、あまりにも無防備に近づきてしまいました。」

「そう言って貰えると助かる。あぁ、そういえばまだ互いに名乗ってなかったな。俺はベット。そこのごついのがロイで隣にいるのがクシー、後ろにいる子供二人がシーズとランダだ。さっきも言ったように、俺たちはクリーチャーを退治しながら旅をしている。」

 順番に指を差しながら、それぞれの名前を告げる。名前を告げるだけとはいえ、そのぞんざいな紹介の仕方と、特にごついと一言でまとめられた事にロイは不満そうにしていた。その様子に気づいた風もなく、少女は自分の名前を告げた。

「私はルシリアです、ルシリア=ブルメリニーノ。村の人たちは、私のことをルシーと呼んでます。」

 ベット達に笑顔を向けて挨拶をする。ロイとクシーがそれぞれ、挨拶をルシリアに返す。ランダは間をおいてから挨拶し、シーズは下を向いたまま何も返さなかった。

「そういえば、さっき村の人って言ってたよな。てことは、この近くに村があるってことか?」

 ルシリアの言葉を思い返して、ベットが尋ねる。その問いにルシリアは、はいと答えた。

「この森を暫く東に歩いたところにあります。そこのアルベラという村で、私達は暮らしているんです。」

 ルシリアが、簡単にだが村の所在を説明する。そこに、それまで黙っていたロイが口を挟んだ。

「さっきから気になっていたんだが、こっちに歩いてきたのは『人がいると分かってた』からと言っていたな?それはどういうことだ。先に誰かが俺達のことを見つけていたということか?それとも、あんたに人間とクリーチャーを判別する能力があるってことか?」

 あからさまに不信感を抱いている様子だった。責めるような強い口調に、疑いの眼差し。ロイが放つ威圧するような空気に、ルシリアは黙り込んでしまった。気圧されて口を開けないルシリアに、ロイは更に続けた。

「クリーチャーは獲物に対して随分と鼻が利くらしいが……。なあ、お前はクリーチャーか?」

 ロイは殺気を放っていた。その殺気に気づいたのか、ルシリアはビクッと身体を震わせる。そして、ロイを見上げたまま腰を抜かした。

「人がいると分かっているにしても、あまりに確実に近づきすぎだ。そんな獲物を追うハンターのような芸当は、動物を狩った事も無いような子供の出来る芸当じゃない。お前の正体は何なんだ。」

 いつの間にかロイはルシリアへと近づき、剣を引き抜こうとしていた。間合いを詰めるロイに対して、ルシリアは身動きひとつ取れない。ロイが目の前で立ち止まった時、ヒッと小さな悲鳴を上げるだけだった。

 金属のこすれる、乾いた音が響いた。ロイの抜いた剣はそのままルシリアの目の前へと降ろされる。ルシリアの視線は、剣の切っ先に注がれていた。

「答えろ。」

 死の宣告にも聞こえるようなロイの声が響いた時、ロイとルシリアの間に突然、大きな影が落ちてきた。ルシリアは恐怖のため動けず、ロイは身の危険を感じて咄嗟に飛び退いた。同時に鈍い衝撃がロイの手元を襲い、剣が弾かれた。距離をとったロイと向かい合うようにして大きな影は、ルシリアを後ろにして立っていた。


 ルシリアの前に落ちてきた影はクリーチャーだった。

「こいつ!?」

 見覚えのある姿に、ロイだけでなくクシーとベットも驚きの表情を見せる。今目の前にいるのは、つい先日遭遇した、武器を使うクリーチャーだった。弾き飛ばされた剣はそのままに、ロイは戦斧を手にとって構える。ベットもランスに手をやって警戒している。

 ランダは今起きていることに頭がついていっていない。森の中で少女に出会った。ロイが突然、その出会ったばかりの少女に剣を向けた。そしたら今度はクリーチャーが現れた。そのクリーチャーは先日遭遇したクリーチャーだった。事実だけが頭の中を回り、一体どういう状況なのかが理解が追い付かない。動くこともできず、ランダはただ成り行きを見守るだけだった。

「おい、随分とタイミングが良いじゃないか。」

 クリーチャーに向かって話しかけるが、返事は返ってこない。クリーチャーとの間合いを微妙に取りながら、様子を伺うロイ。相手に知能も力もあるのなら、迂闊に手を出すわけにはいかない。だが、ロイは戦斧を振るった。それをクリーチャーは少し横にずれるだけでやり過ごす。懇親の力を込めて振るった戦斧は、クリーチャーすれすれの所を掠めていく。

「チッ!」

 ぐっと腰を落とし、勢いで伸びきった腕を引き寄せる。そして、空振りした勢いをそのまま反動にして繰り出した次撃は、クリーチャーの手によって受け止められた。

「ロイ!」

 クシーが叫ぶが、ロイには届かなかったらしい。ロイはそのままクリーチャーへと攻撃を続ける。だが、攻撃のことごとくをクリーチャーに受け止められてしまう。押しかけるようなロイの攻撃にも、均衡状態が崩れることは無かった。クリーチャー側の余裕を考えると、ロイが圧倒的に不利なのかもしれない。

「調子に乗りやがって。」

 呟くと、少し離れて様子を伺っていたベットは、ロイに加勢する為に動き出した。クリーチャーの視界から外れるようにして、間合いを一気に詰める。手に持ったランスを繰り出そうと構えた時だった。クリーチャーは振り返ることもせず、ベットに向けて尻尾を振るってきた。

「くっ!?」

 なぎ払われるようにして振るわれた尻尾を、身を反らして全力でかわす。不意打ちを狙ったはずが、逆に予想だにしない攻撃を振るわれて態勢を崩してしまう。ベットは倒れることだけは防ごうと、精一杯踏ん張って耐えた。だが、間をおかずに再び振るわれた尻尾に反応することが出来なかった。

 鈍い音を響かせてベットが吹き飛ばされる。何とか受身を取って地面への激突は避けたが、立ち上がることは出来なかった。ベットはひざを突きながら舌打ちをした。

「ベット!」

 クシーが駆け寄ってきてベットを助け起こす。ベットは礼を言い、ロイとクリーチャーの戦いに目を向けた。

「何なんだよ、こいつは……!?」


 それまで受けるだけだったクリーチャーが、ロイの攻撃を討ち払った。今までとは比べ物にならない強さの打撃に、ロイの体が傾く。相手が二人に増えて長引かせてはまずいと考えたのだろうか?態勢が崩れたロイに向かって、クリーチャーは追撃を仕掛けた。ロイは肺の中の空気をすべて吐き出してしまう。クリーチャーは空いてる方の拳を握って、腹へと突きを繰り出したのだ。ロイの身体は一瞬だけ浮き、崩れ落ちた。

 ロイが戦闘不能だと確認すると、次の敵を探す。そしてクリーチャーは、抜き身の剣を構えていたランダを次の標的に絞った。

「え?」

 クリーチャーと目が合い、ランダは間の抜けた声を出した。同時に、嫌な記憶を呼び起こす。数ヶ月前におきた陰惨な事件、自分からすべてが失われた日のことを―――。

 ランダが呆けているのを、クリーチャーは待ったりしない。ランダとの間合いを一気につめる。ランダが気がついた時には、クリーチャーは目の前に影を落としていた。慌てて攻撃を仕掛けるが、あっさりとはじかれてしまう。そして、ランダは手ぶらになってしまう。ランダは剣をはじかれた態勢のまま固まってしまう。クリーチャーは攻撃するために腕を振り上げる。ランダにはその動作が、ひどく緩慢なものに感じられた。


「駄目ぇぇっ!」


 ランダに止めを刺すであろう一撃は、放たれることは無かった。突然響き渡った声に、クリーチャーは動きを止めたのだ。

「やめて!人を襲っちゃ駄目!」

 ルシリアは、クリーチャーに向かって話しかける。そしてクリーチャーへ近づいていく。それまで恐ろしいほどの殺気を放ってきたクリーチャーは、ルシリアが歩み寄るにつれて薄くなっていった。

「……だが、こいつらはお前に殺意を持っていた。」

 クリーチャーはルシリアに向かって声を発した。ひどく低温でひび割れていたが、それは、人の言葉としてはっきりと分かるものだった。

「駄目よ、話せば分かってもらえるの。すぐに殺してしまおうなんて考えないでって、いつも言ってるでしょう。」

 つい先ほどまでの怯えたものとは違う、はっきりとした、強い口調で言うルシリア。対するクリーチャーも、人間さながらの表情を見せながら話している。実際にクリーチャーの顔に、直接表情が出ているわけではないが。

 ルシリアとクリーチャーは、口論を始めていた。ルシリアの意見にクリーチャーが反論するが、それをルシリアが一蹴している。それはルシリアが一方的に諌めているだけにも見えた。だが、そこにはごく日常に繰り広げられているような、何処か安心感を誘うものだった。

 今までとの、あまりにもの違いに、恐怖や過去のことを忘れ、ランダは、ルシリアとクリーチャーとのやり取りを呆けて眺めていた。


 ―――まるで、普通に人と喧嘩しているみたいだ。


 つい先ほどは恐怖におののいていたことすら忘れ、可笑しく思えた。これでは本当に人間の、人間同士の喧嘩ではないか。しかも、形勢はクリーチャーのほうが不利で、負けはほぼ確定している。ランダはふと思う、こんな日常が送ることができたら良いな、と。

「わかった、俺が悪かった。」

 クリーチャーが、両手を挙げて降参を宣言する。ルシリアはその様子に満足そうな笑みを浮かべたが、自分たちを見つめる視線に気がつき、すまなそうな顔に戻る。

「申し訳ありません、ひどい目に合わせてしまいました。悪気は無かったんです。ただ、彼が心配性すぎるんです。」

 ルシリアは謝る。そして、クリーチャーを軽く一睨みすると、クリーチャーは低い声で唸った。どうやら、このクリーチャーは、目の前の少女に逆らえないらしい。

「私からきつく言い聞かせますから……。」

 視界がふと暗くなったので、上を見上げた。そこにはロイがいた。影が差したのは、ロイが目の前まで来ていたからだった。ロイはルシリアの前に立つと、突然ルシリアの胸倉を掴んだ。ルシリアは小さな悲鳴を上げる。

「クリーチャーのお仲間か。」

 ひどく冷えた声。そして、見開かれた眼。クリーチャーと対峙している時のロイが、そこにいた。胸倉をつかまれているルシリアは、体が宙に浮いている。苦しさから逃れるため、ロイの腕を両手で掴み、足をバタつかせている。二人は頭一つ分は違う。視線が同じ高さになるまで持ち上げられては、それは苦しいだろう。

「ルシリアっ!」

 クリーチャーがすぐに反応する。だが、それを見て叫んだ。

「攻撃しちゃ駄目!」

 その言葉で、クリーチャーは動くのを止めた。あと一瞬あれば、クリーチャーは間合いを完全に埋めてロイに向かって攻撃を仕掛けていただろう。ルシリアが放つ言葉を信じられない様子である。

「駄目だよ……。」

 ルシリアは悲しそうな目でクリーチャー見つめている。クリーチャーは動けずに固まってしまう。ルシリアの言葉が、まるで呪縛の様だった。

「クリーチャーも、その仲間も敵だ。どんなことがあっても許せないんだよ。」

 だが、ロイは躊躇しない。そのままルシリアを投げるように放ると、抜き身の剣を構える。ルシリアは受け身も取れずに、地面に倒れたままでいた。

 そんな状況を前にして、ランダは何も考えられなかった。いや、何も考えたくなかったのかもしれない。頭は真っ白なまま、しかし体は動き出していた。

 ロイが剣を振り上げる。ランダは駆けながら、右手に持っている剣を両手に持ち替え、下から振り上げる。ロイが剣を振り下ろす。ランダはルシリアのすぐ脇をすり抜け、勢いをそのままにロイの剣を受け止め、そして弾き飛ばした。

「こんなの、おかしいよ。」

 肩で息をしながら、ようやく一言だけ言う。ロイは弾かれて何も持っていない手を一目見て、そしてランダを、ルシリアを睨み付ける。それだけでランダは怯みそうになるが、ぐっと耐えて声を上げた。

「ぼ、お、俺だってクリーチャーは憎いよ!クリーチャーのせいで僕の村は無くなった。僕の家は無くなった、お母さんは居なくなった…。目の前で僕の大切なものを奪ったクリーチャーを許せない。平気で人を殺してしまうクリーチャーを許せないよ。だけど、だけど……これは違うと思う。」

 一旦息をつく。話しながら、クリーチャーに襲われた情景が頭の中を駆け巡る。絶望と、恐怖と、怒りと、悲しみ。どうしようもない感情が、一気にランダを押し流そうとする。喚き散らしたい衝動を堪えながら、次の言葉を繰り出す。

「これだと、ロイがクリーチャーみたいだ。」



 どれくらい時がたっただろうか。ランダが最後の言葉を言ってから、その場に居る誰もが黙っていた。ランダ、ロイ、クシー、ベット、シーズ、ルシリアとクリーチャー。皆、誰かがランダの言葉に答えるのを待っていたのかもしれない。その中でロイが口を開いた。

 弾かれた剣を拾い、ランダに背を向ける。

「俺は、クリーチャーを憎んでいる。俺達から、大事なものを奪い続ける奴らを。」

 そして歩き出す。ランダに、シーズに背を向けたまま。

「そして、それは俺だけじゃない。ベットも、クシーも変わらない。」

 突然切り出された言葉に、ランダは頭がついていかなかった。ロイが何を言っているのか解らない。ベットとクシーの方を振り返るが、二人とも俯き、一様に気まずい表情を隠さないでいた。

「クリーチャーが憎いって言うから連れてきたが、それもここまでだ。考えの違うやつと一緒にはいられない。」

 ロイが剣を収める。そして、ランダに向かって振り返って言った。

「ここでお別れだ。」

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