異常

 ロイは暗い中、クシーとベットが進んだであろう跡を、ただひたすらと歩き続ける。ランダとシーズはそれに離されないように必死についていく。普段ならロイのすぐ跡をついていくシーズだが、歩く速度について行けずランダに引っ張られながら進んでいる。そのランダもついていくのが精一杯だ。それだけ、クシー達の置かれた状況が危険だと判断したのであろうか。

「シーズ、大丈夫?」

 ランダは自分よりつらそうなシーズへ、呼吸の合間になんとか声を掛ける。それに対してシーズはゼェハァと息をつき、頷くだけであった。ロイの方を見るが、待ってくれる様子は無い。それだけ余裕が無いということがわかる。ランダもシーズもそれを承知している、何も言わずに急ぎ足でロイを追いかけた。

「クリーチャーか。」

 ロイは一番大きい可能性を考え、口にする。そして、その状況がクシーにとって一番危険であることを思い出して舌打ちする。クシーはクリーチャーに対してトラウマがある。もし独りきりで遭遇した時、逃げることも戦うことも困難だろう。その場合、後に待っているのは確実な死ということになる。ランダとシーズの安全をどうこう考えている場合ではないのだ。

 止まることはせず、少しだけ速度を緩めて後ろを見る。ランダとシーズは遅れながらもしっかりとついてきていた。ロイは追いついてくることを待つ訳でもなく、すぐに向き直り、速度を戻した。



 クリーチャーが完全に死んだのを確認してから、ベットはクシーの元へ駆け寄る。クシーはまだ放心状態だった。

「おい、クシー! 大丈夫か。」

 二、三度頬を叩いてから声を掛ける。それでようやく気づいたようで、クシーはベットへと視線を向けた。その目には涙が溢れている。

「…あぁ。」

 クシーが発した言葉は、ただそれだけだった。後は嗚咽を漏らすばかりで言葉にならなず、暫くの間すすり泣いていた。その間、ベットは静かにクシーが泣き止むのを待っていた。

 やがてクシーは落ち着くと、彼女が話していた男とこの施設のことについて話し出した。ビリオヌがクシーと同じ研究施設に居たということ。その頃からビリオヌはクリーチャーを操る研究をしていたこと。研究施設が襲われたのはビリオヌの仕業だということ。そして、先ほどベットが倒したクリーチャーはクシーの後輩だったということ。

「まさか人間からクリーチャーを作るだなんて……なんだか胸くそ悪いな。」

 話を聞き終えて、ベットが感想を口にする。言い終えたクシーは悲痛な面持ちで俯く。近くに倒れているビリオヌと、クシーの後輩だったというクリーチャーの死体。そう、ベットが倒したクリーチャーは人間の手によって作られたというのだ。人間を苦しめている存在を、このビリオヌという男は人為的に作り出していた。そして、それを意のままに操ることまでしている。クリーチャーを人間の手で作っていた、その事実にベットは大きなショックを受けていた。

「一体何なんだよ。」

 ベットはクシーとクリーチャーを交互に見た。いくらクリーチャーだとは言え、元はクシーの知り合いだったのだ。それをベットは殺した。目の前で暗く沈んでいるクシーに無事で良かったとも、残念だったとも言うことが出来ない。どう声を掛けていいかも分からず、やりきれない気持ちをどうすることも出来ず、溜息をつく。

「ベット、ごめんね。」

 そこに、静かにクシーが呟く。この時のクシーは非常に脆く、とても壊れやすそうに見えた。

「お前とは、こんなのばかりだな……。落ち着くまでもう少し待ってやるから、気が済むまで泣けよ。」

 クシーは静かに頷くと、大きな声で泣き出した。



 遠くから、一つの人影が近づいてくるのが見えた。ロイは進むのを止め、その影が誰のものであるかを見極めようとする。同時に、ランダとシーズに静かにするように促す。その影は人というにはやや大きいものだった。暫く目を凝らしていると、それはベットがクシーをおぶってきている姿だということが分かった。

「よう。」

 お互いにはっきりと視認できる距離になってからベットが声を掛けてきた。背にクシーを負ぶっている。ベットも警戒していたのだろう、今まで片手に持っていた剣を鞘に収めると、改めてロイたちの側に近づいてきた。

 ランダはベットの元へと駆け寄り、その無事を確認しようとする。シーズはロイの傍から動くことはせず、ここまで来たことで乱れた息を整えていた。ロイは自分から歩くことはせずにベットが来るのを待った。

「無事だったか。」

 ロイはベットとクシーの状態を見て、とりあえず安心する。ベットもクシーも特に大きな怪我をしている訳ではなさそうだった。

「ギリギリだったけどな、なんとか無事だった。」

 ベットは苦笑いしながら答える。背中で眠っているクシーを一度見てから口を開く。

「ちょうどクリーチャーに襲われるところだった。俺が倒したけど、さすがにつらかったな。」

 一度溜息をつくと、それまでの厳しいものからいつもの物憂げな表情へ戻る。

「詳しくは朝話す、今夜はもう休ませてくれ。」

 ベットは心底疲れきった声で言った。草を薙ぎ、一人寝られる分の場所を確保するとそこにクシーを寝かせる。それからもう一人分の場所を確保し、自分もさっさと休んでしまった。

 それを見てロイはまた俺が見張りかよと愚痴をこぼすが、もうベットは寝てしまっているのでどうしようもない。すぐにランダとシーズ、二人が休める場所を用意する。自分も座り火をおこすと、ランダとシーズにも寝るように言った。やがて皆が寝静まった頃、ロイは溜息をつきながら呟いた。

「クリーチャーが……。」

 薪はパチパチと音を立てながら燃え、夜は静かに更けていった。



 翌朝、夜が明けてもすぐには出発せず、ベットが昨夜の出来事を掻い摘んで話した。見回りの途中でクシーがクリーチャーに襲われたこと。そのクリーチャーが一昨日の喋るクリーチャーだったということ。ただ研究所のことやビリオヌのこと、そのクリーチャーが人の手で作られたということは伏せて……。

「それじゃ、出発するか。」

 話し終えて、ベットは立ち上がる。ロイは話の内容に多少の不満を持っているようだった。ベットの話した昨夜の内容が、全然詳しく説明したものでないからだが、そこまで詮索しようとはしなかった。ロイは一度自分に言い聞かせるように頷くと、立ち上がって出発する準備を始めた。



 出発して暫く、時は昼も間近だった。ランダは未だ顔色が良くないクシーが心配で、声を掛ける。

「クシー、大丈夫? まだ辛いんじゃないの?」

 声を掛けられたクシーは心配そうなランダを見て、まだ青い顔を微笑ませて大丈夫よ、と答えた。ランダはクシーのその様子に何も言えず、胸にもやもやを抱えたまま引き下がった。

 後ろに下がったランダを見届けて、クシーは軽く溜息をつく。子供にまで心配されているようでは自分は相当重症だな、と考える。確かに昨夜はあまりにも衝撃的なことがあった。だが、それで挫けていてはいけない。辛い目にあっているのは自分だけではないのだ。恐らくはここにいる全員、何らかのかたちで悲惨な事にかかわっているはずだ。クシーは軽く頭を振って、昨夜のことを考えるのをやめた。

 クシーの様子を見ながらシーズはランダの隣を歩いていた。クシーの様子がおかしいのは分かっていた。それだけでなく、自分の様子がおかしいことも感じていた。何故自分の様子がおかしいのか分からない。だが、昨夜からおかしいのだ。

 それは、クシーとベットを探すために動き出した頃からだった。遠くにクリーチャーの気配を感じたが、いつも通りのクリーチャーの気配ではなかった。いつもならば気持ち悪くなるぐらいの本能を見せつけてくるのだが、あの時のはとても悲しい、理性のある気配がした。だがその気配はすぐに消えた、消える間際にその悲しさを一際大きくさせて…。その、いつもとはあまりにも違う感覚に戸惑い、ロイとランダにクリーチャーの存在を伝えるのを忘れてしまったのだ。でも、伝えずともクリーチャーはシーズ達の前に現れることはなかった。その代わりに、暫くしてベットとクシーが現れた。ああ、あのクリーチャーは殺されたのだなと思った。そして、胸に悲しい気持ちが溢れた。

「何でだろう…。」

 小さく呟く。その呟きが聞こえたのかランダがどうしたのか尋ねてくるが、何でもないと、気にしないように言う。それきりで、ランダは特に気にした様子はなくなった。

 何でだろうと、もう一度呟く。今度は誰にも聞こえなかったようだ。クリーチャーはただ、怖いだけの存在だった。それは今も変わらないはず。なのに、昨夜クリーチャーの気配を感じたときには恐怖を感じなかった。代わりに、殺されたと分かったときに悲しみを感じた。

 一度だけとはいえ、クリーチャーに対して悲しみを感じる自分が不思議でならなかった。もともと、遠くからでもクリーチャーの気配を感じ取れること自体が特異な事なのだが、人間に忌み嫌われている存在に対して、悲しみを感じるというのはどうだろうか。これがシーズがおかしいからなのかは分からない。今まで感じたことのなかった感覚。だが、クシーが昨夜からおかしいことと関係があるのではないかと思った。昨夜殺されたクリーチャーは、クシーと何か繋がりがあったのではないか。それが言葉を操るクリーチャーだったということも少し、気になった。自分は眠っていたから分からないが、一度だけ自分達の前に現れたクリーチャー。


 ―――普段なら例え眠っていてもクリーチャーの気配で目が覚めてしまうのに、気付かないなんてにおかしい。


 どこかで、繋がっているのかもしれない。自分がおかしいことも、クシーがおかしいことも、クリーチャーのことも。全てどこかで繋がっていて、それがおかしくなっている原因かもしれないと考え、シーズはそこで考えるのをやめた。

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