破滅を呼ぶもの
火の中に枝を放る、日が落ちてもう随分な時間が経つ。ロイは黙り、向かい側に静かに座っている。暫くじっとしていたが、堪らなくなってランダは口を開く。
「ねえロイ、いくらなんでも遅いよ。」
ロイは反応を見せない。ただ火をじっと見ているだけだ。何を考えているのだろうかと思ったが、ランダではそれをみることは出来なかった。
ふいにロイが立ち上がる。考えがまとまったらしい、ランダは言葉を待つ。
「ランダ、行くぞ。」
あまりにも遅いと判断したのか、それだけ言うと火を消してシーズを起こすと、クシーが、そしてベットが歩いていった後を追い始めた。
キィン、と硬く冷たい音が微かに響き渡る。聞こえたのはその一度きりで、その後はまた静けさを取り戻す。辺りに気を配りながら慎重に進んでいたベットは、聞こえた方角がクシーの進んだはずの方と同じだということを確認すると、注意を払うのをやめてその場所へ向かって走り出した。
「間に合えっ。」
自分に言い聞かせて、夜の闇の中を全力で駆け抜ける。走り出してから暫く、音が聞こえた場所からそれほど遠くないところに、微かな明かりが見えた。
今目の前に居る男の放った言葉を反芻してみる。クリーチャーに命令をして研究所を襲わせた、確かにそう言った。
「そんなこと……。」
「出来るはず無いといいたいのかい? いや、出来るのさ。彼等はその為に作られたんだしね。」
クシーが言いかけた言葉に先回りをするビリオヌ。その内容が信じられないという表情を見せるクシーに対して、言葉を続ける。
「クリーチャーは、人間に作られた存在なのさ。おかしいと思わないのかい、あんな奇怪な生物が自然界にのさばるということ自体が。不思議に感じたことは無かったのかい、子供のクリーチャーが一度も発見されなかったということに。」
それは、クシーも疑問に思っていたことだ。自然界の生態系を完全に無視したような存在を不思議に思っていたし、研究施設に居た頃も今も、成体のクリーチャーは見ても幼体のクリーチャーを見たことは無かった。
「でも、それこそ出来るはず無い。生き物を作り出すなんて。」
クリーチャーの生態すら分かっていないのに、果たして作り出すということが可能なのだろうか。しかも人間にとって、都合のいいように動く生き物を。
「何を言っているんだい、そんなのは簡単さ。先人たちが既にしていたことを真似るだけなんだからね。ベースとなる生き物の遺伝子を操作し、他の生き物の特長を融合させていく。ただそれだけなんだよ。それだけで、クリーチャーは誕生する。あとは、人間様の言うことを聞くように脳を弄ってやるだけさ。」
ビリオヌは興奮を抑えられないといった様子で、声を張り上げる。自分のしてきた事を人に話せるのがたまらないのだろう。後ろにいるクリーチャーを撫で、不気味な笑みを浮かべて話を続ける。
「ただ一世代だけのハイブリッドということを除けば、それはもう素晴らしい道具さ。どんなことでもさせることが出来る。高度なことをさせるには、流石に人間をベースにしないと無理があるがね。人の脳でないと容易に人の言葉を理解し、意図を汲むことが難しい。クリーチャーの研究を進めるために、人間の試験体が沢山必要になったのさ。それで研究所を襲うことに決めたんだよ、研究をするのに邪魔な奴らも多かったことだしね。」
とんでもない告白を聞いて、クシーは驚愕した。ただ自分の研究を進めたいが為に、研究所をクリーチャーに襲わせたという。目の前の狂っている人間は、禁忌の実験に躊躇うことなく足を踏み入れた。そしてその実験の試験体として、クシーたち研究所の職員は巻き込まれたのだ。ティムやメル、フーリー達職員は、そんなことの為に殺されたというのか。クシーが覚えてるあの惨劇は、この男の狂気の所為で起こった出来事だった。
「クリーチャーも随分やられたがね、満足のいく数の試験体を手に入れることが出来た。せっかく手に入れた最高のクリーチャーの素体を逃したのと、君の死体を見つけることが出来なかったのが無念だったが……。」
ビリオヌが一息つく。立て続けに喋り続けて、さすがに息が上がったか。
「昨日、メルから君のことを聞いてビックリしたよ。ただ、死体が見つからないだけで死んでしまったと思っていた君が生きていたんだからね。」
これまた堪えきれないといった様子で笑い出す。クシーは何がなんだか分からなくなっていた。余りにも信じ難い内容ばかりで、全然頭が追いつかない。だがゆっくりと、ビリオヌの言ったことを理解する。
人間を試験体にし、クリーチャーを人間の手によって作り出す。それを、人間の道具として使う。それと今、ビリオヌはなんと言っただろうか。メル、それは研究所にいた時の後輩の名前。恐らくは昨夜遭遇した、目の前のクリーチャーのことを指してるのだろう。彼女はクリーチャーに殺されたのだ。そんな彼女の名前をクリーチャーにつけるとは。そもそも、何故クリーチャーが私のことを分かるのだろうか。
「クリーチャーをその名前で呼ばないで、寒気がするわ。」
クシーは吐き捨てるように言った。自分を慕ってくれていた後輩の名前が、醜悪なクリーチャーにつけられているのは我慢ならない。
「何を言う、彼女を彼女の名前で呼ぶのが何故悪い?」
何てことを。ビリオヌの言葉が指す事実は……!?クシーはそこから推測される結果に衝撃を受けて、目眩を覚える。
「一世代限りでは、その都度作り出すのも面倒なのだよ。雌のクリーチャーというのも貴重でね、交配実験をするのに必要なのさ。」
言葉の端々が、クシーの想像が正しいということをより強固に補完してしまう。彼女の後輩、メルは殺されるどころか、クリーチャーの実験体とされてしまったのだ。それが、目の前にいるクリーチャーだという。もう我慢の限界だ。腹の底に溜まったどす黒い感情が、溢れ出している。今まで耐えてきたクシーの怒りが爆発した。
「ビリオヌ。貴方、許さないわ。」
こうも人の命を容易く弄ぶとは。自分の、そして巻き込まれた自分の周りの人間の運命が、この狂った男の所為だとは。クシーはナイフを手に取り、恐らくはビリオヌが反応できないだろう速度で、襲い掛かる。ビリオヌの死角へと回り込み、喉へとナイフを振るう。一撃で仕留めるつもりだった。
キィン、と鋭い音が鳴ったと思うと同時に、ナイフはすごい勢いで弾かれた。クシーは頭に血が上るあまりに忘れていたのだ、ビリオヌの傍に居るクリーチャーの存在を。
「そんな軽率な行動に出てもらっては困るよ、エリィワンド君。」
ナイフを弾かれた衝撃で、痺れる腕を押さえ、うずくまるクシーを見下ろすビリオヌ。その顔には落胆と哀れみの表情が見て取れた。
「君とはやはり分かり合えないということか、残念だよ。いっそのこと君にも試験体になってもらうか……。いや、人間のままクリーチャーと交配してみるのもいいかもな。元が人間のならば、受精は出来るだろう。」
クシーは顔を引きつらせる。何てことを言うのだろうか?ビリオヌの言葉に底知れぬ恐怖を感じるクシー。と、何を思ったのかクリーチャーとクシーを交互に見て、暫く考え込む。
「そういえば、メルは君に対して好意を抱いていた様だったな。君には彼女の栄養になってもらうというのも、いいな。それが良い。」
そう言い、クリーチャーに向かって何事か呟く。クシーは嫌な予感を感じ、その場から全力で飛び退く。一瞬の後にクシーが元居た場所を、クリーチャーの腕が薙ぐ。それでも遅かったのか、クシーの腹の辺りの衣服が裂け白い肌が除き、さらにうっすらと赤い跡が残る。これでもう少し遅かったら、腹から体を真っ二つにされていただろう。
無理な体勢で無理やり動いたものだから、クシーは着地する時に体勢を崩してしまった。立て直そうとするが、体が言うことをきかずそのまま仰向けに倒れてしまう。それに追い討ちを掛けるようにして、激しい衝撃が胸を打った。その衝撃で、肺の空気を全て吐き出してしまう。
「カハッ……。」
もはや声となる声さえ出ない。今の衝撃の正体は、クリーチャーの腕だった。巨大な手のひらがクシーの胸を捕らえ、ちょうど首が出るような形で床に押さえつけられたのだ。
ものすごい力で押さえつけられ、胸を圧迫されてまともに息することすら出来ない。目の前にはあのクリーチャーがこちらを覗き込むようにしている。口からは涎を垂らし、それがクシーの顔へと滴ってくる。それを舐め取るように長い舌を出してクシーの顔中を舐め尽す。
クシーは嫌悪感と恐怖心で一杯だった。これは変わり果ててしまったメルの歪んだ愛情表現なのだろうか、それともただ食事に対する渇望なのか。クリーチャーの一挙一動はただ、クシーを怖がらせるだけだった。
「ひっ!?」
クシーが一段と顔を引きつらせる。表情はもう、恐怖が顔に張り付いているようだった。クリーチャーが舐めるのをやめ、クシーの目を覗き込んできたのだ。間近に見るクリーチャーは、やはり恐怖でしかなかった。目に浮かぶ涙は溢れ、顔を流れる。もう心が耐えられなかった。過去に一度経験した恐怖と、今感じている恐怖が被る。
―――もう駄目だ。
「喰え。」
ビリオヌが言い、クリーチャーが口を開き、クシーが全てを諦めて目を閉じようとした時だった。
突然クリーチャーの首に棒が生えたかと思うと、クリーチャーが横倒しになる。ズシン、と部屋中に音が響き渡る。クシーには何が起きたのか分からなかった。いや、その場に居る誰もが理解出来なかった。
「なんだ?」
ビリオヌの発した言葉はそれで最後だった。タタタタッと、足音が近づいてきたかと思うとドンッという何かがぶつかる音と、ドサッという人が倒れたような音が聞こえてきた。
「下衆が。」
吐き捨てられた底冷えするような声は、ベットのものだった。
ベットがこの小さな研究所を発見し、奥の部屋に到るまで時間はいらなかった。この部屋に入った時、ちょうどビリオヌがクリーチャーに命令し、クシーを喰わせようとしているところだったのだ。
その場所まで走ったのでは間に合わない。そう感じたベットは手に持っていた槍を、クリーチャーに向けて投げつけた。槍は見事クリーチャーの首に命中し、クシーの元から離すことが出来た。それでもクリーチャーは死んだわけではない、ただ倒れただけなのだ。直ちに追い討ちを掛けなければならない。
だが、今はそれよりもやっておくべきおくことがある。元凶と思われるビリオヌを殺すことだ。状況を理解できていないビリオヌの元まで一気に詰め寄ると、勢いそのままに心臓めがけて剣を繰り出す。殆ど体当たりのようなその攻撃は、ビリオヌの体を貫いた。静かに剣を抜いた後、ビリオヌの体はドサッと倒れた。
「下衆がっ。」
倒れたビリオヌの姿を見て、ベットが吐き捨てる。まさか、人間がクリーチャーを操っていようとは、少なくともベットにはそう見えた。とても許せることではなかった。
クシーは無事だったがまだ放心状態のようで、身動きをしていない。クリーチャーの方を見ると、既に起き上がってこちらの存在を確認しているようだった。相手の並外れた生命力に小さく舌打ちし、血にまみれた剣を構える。首に槍を貫通させ、相当なダメージを受けているはずだが油断は出来ない。相手と自分の間合いを確かめると、完全に態勢を立て直す前に攻撃に出た。
相手の死角を突き、後ろに回りこんで剣を振るうが致命傷にはならない。皮膚が硬くて、まともな傷を負わせることが出来ないのだ。ただ切り込んでいるだけでは致命傷を与えられない、ベットはそう判断して一回間合いを取る。クリーチャーはベットの位置を確認すると、闘争本能に任せるように一直線に突進してくる。ベットは寸でのところまで待ち構え、クリーチャーが目の前まで来たところで後ろへ一飛びする。クリーチャーが放った薙ぎ払いの攻撃は、虚しく空を切る。頬に風を感じながら体勢の崩れたクリーチャーに向かって、全身をばねにして剣を突き出した。
硬いが、確かな手ごたえを感じる。剣が根元まで刺さったのを確認すると、ねじりながら抜き出し、すぐに飛び退く。傷口は左の胸、人間と同じならば心臓のある辺りをちょうど突き刺していた。傷口から血が噴出す。クリーチャーは尚も動き続け、ベットに攻撃を仕掛けてきたが、次第に動きが弱まり、ついには倒れた。槍は首に刺さったままだった。
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