造り出される禁忌

 暗い中を慎重に降りていく。灯かりは申し訳程度にしか点いておらず、注意を怠ると躓いてしまいそうであった。下へ降りきるまでさほどの距離は無かった。暫く行くと道は終わっており、奥には明るく照らされた部屋があるだけだった。

「ここは……?」

 そこは、整然とした部屋だった。机がいくつかと、壁を覆うようにしてある背の高い本棚。そして、何に使うのかも分からない見慣れぬ物体が部屋の中央にまとめて置いてある。

 本棚には様々な本が埋まっており、紙を束ねたものもいくつか入れられている。机の上には資料らしき紙が山と積まれているが、そこに書いてあるものについて何が書いてあるのか理解できなかった。いや、文字が自分の知っているものではなかったと言うべきか。そこに書いてあるものは、クシーが知っている文字ではなかった。もしかしたら、言葉自体が全く違うものなのかもしれない。本棚の本などを手に取って開いてみるが、やはり自分の知っている言葉や文字を見つけることは出来なかった。

「何かを研究している所なのかしら?」

 人がただ住んでいるだけならば、こんなに本や紙の束などが必要になることは無い。むしろ、本などはあっても意味が無いはずだ。この時代の人間は、クリーチャー等の獣から身を隠しながら、日々の暮らしをしていくだけで精一杯のはずなのだから。

 そもそも、この部屋には生活感というものが無い。あるのは資料と思しき本の山や紙の束ばかり。その中で人間がまともに生活をしているとは思えない。ならば、此処は何のために使われているのだろうか。恐らくは、何かを研究する為に使われているのであろう。ここに生活観がないというのも、研究をするにはそういうものを一切排除しなければならない理由でもあるのであろう、もしくは無いのかもしれないが。

「一体何の研究をしているの?ここは。」

 調べようにも、書かれている事を読むことも出来ず、研究に使われていると思われる部屋の中央に置かれているものも、どのように使うのか、使われているのかも想像すらつかない。ただ自分に理解できそうなものを探しだす他に、知る手立ては無さそうだった。


―――研究所、つくづく嫌なことを思い出すわ。


 胸中で呟きながら、辺りを慎重に調べていく。自分の中に沸き起こる不安を押さえながら、大丈夫だと自分に言い聞かせる。胸騒ぎがずっと消えない。とても嫌な予感がする……。

 そんな時だった。クシーは本棚の影に隠れていた一つの扉を見つけた。

「この奥には何があるのかしら。」

 他に誰かがいるわけでもないが、思わず口に出してしまう。そうして気を紛らわさずにはいられないのだ。扉をそっと押すと、軋んだ音を立てながらゆっくりと開く。どうやら鍵は掛かっていないようだ。一度覗いて簡単に安全を確認した後、クシーは用心深く扉の向こうへと入っていった。



 陽は沈み、もう辺りは暗くなっている。焚き火をしながら、ランダ達はクシーが見回りから帰ってくるのを待っていた。

「遅いな。」

 ロイが心配そうに呟く。クシーが見回りに出て行ったのが陽が暮れる前、今はもう陽は暮れてしまっている。普段、辺りの見回りだけでそこまで時間を取ることは無い。特にクシーならば、効率よく行動するので見回りに時間はさほど掛かることは無い。可能性があるとすればこの草原の草故に慎重に行動しているか、さもなければ……。

「何かに巻き込まれたか。」

 今度はベットが呟く。ロイは特に反応を示すことは無かったが、その言葉にランダがギョッとする。シーズも落ち着かない様子になる。だが、実際にクシーの帰りは遅いのだ。何かに巻き込まれたと言う可能性は否めない。ランダもシーズもその可能性があるからこそ、クシーの安全を信じていたかった。

「見てくる。」

 暫く考えていたベットが立ち上がり、クシーが姿を消していった方へと歩き出す。

「あ、俺も!」

「わたしも……。」

 つられるようにしてランダとシーズが立ち上がり、ベットについて行こうとする。しかし、ベットは振り返ると二人を押し止めた。その顔は普段は見ることの無い、真剣そのものの表情であった。

「駄目だ、お前らは此処に残ってろ。」

 それだけ言うと、一人でそのまま姿を消してしまった。


「ベットの言う通りだな。俺としても大人しくしてくれいたほうが良い。」

 ベットが立ち去ってから、ロイが言った。その言葉にランダが納得できず、どうしてと聞き返す。

「お前達がついていっても、足手まといになるだけということだ。もしもの時に、こんな視界の悪い所で二人を庇いながら戦うことは出来ない。例えベットでもな。」

 厳しい口調でロイは言う。クシーを探しに行くのに、そこで新たな犠牲を出す必要は無いのだ。ベットがクシーを探しに行き、ロイが此処でランダとシーズを見張っていた方が遥かに安全で、そして効率的だ。

「俺たちは疲れを取る為にここで休憩している。全員で疲れてもしょうがない。」

 そう言うと、ロイは枯草を焚き火の中へと放った。



 扉の向こうの部屋は暗く、見通しが悪かった。しかし天井は比較的高く、それなりに広い部屋だということは分かった。

「何、これ……。」

 部屋の中を見回すと、先程の部屋とは違い、大きな筒状のものが整然として並んでいた。中に入り扉は閉めず、暫く入り口の近くで暗闇に目を慣らす。すると、筒状のものはどうやらガラスで出来た容器のようだった。そしてその中には、それぞれに大きく黒い影が浮いていた。

 さらに目が慣れ、辺りの様子が分かるようになり、動くのに支障がなくなってからその容器へと近づく。その中に何が入っているのか近づいて確かめようとした。

「これは!?」

 クシーは思わず数歩下がった。容器の中に入っていたのは、おおよそ人間と同じ大きさの生き物ばかりだった。全て、少なからず人の姿を思わせるような形をとっていたが、腕や脚が数対あるもの、爬虫類を無理やり人型にしたようなもの、頭が二つあるものなど……その姿は異形で、知りうるどんな生き物にも当てはまりそうになかった。いや、当てはまるものは在った。

「クリーチャー、なの?」

 クシーは声を絞り出す。目の前に広がっている光景は信じがたいものだった。ここに、何故クリーチャーがいるのか?

 容器の中の生き物は時折、僅かながら動いている。液体の中に浮いてはいるが、死んでいるというわけでもなさそうだった。もっと詳しく見ようと、クシーは顔を寄せる。その時室内に淡く灯りがともり、誰もいないと思っていたこの場所に人の声がした。

「珍しい、お客さんかい……。」

 クシーは身構えて、声のしたほうへ向き直る。そこには、薄汚れた白衣を着た男が立っていた。線が細く、身の丈はそれ程でもないが、結構高い印象を受ける。眼鏡の奥には狐のような目が光っているせいか、その男は随分と神経質そうに見えた。

「おやおや、誰かと思えば。そんなに警戒することはない。以前のこととは言え、同じ職場の仲間じゃないか。なぁ?エリィワンド。」

 クシーに近づきながら、男は話しかけてきた。

「…え?」

 クシーは間の抜けた声を出してしまう。聞き慣れない自分の姓、昔は呼ばれていたこともあったが、今はクシーを姓で呼ぶ者はいない。この男はクシーのことを知っている。しかも、以前のクシーを。混乱し、うろたえているクシーに男は話しかける。

「おいおい、まさか僕のことを忘れているのかい?エリィワンド、そりゃ無いんじゃないか?」

 大袈裟ともいえるようなほど大きな身振りで驚くと、男はクシーの目の前まで歩み寄り、そして口を開く。

「ふん、相変わらずだな……昔からそうだったよ君は。自分が所内でちょっと才能があるからといってお高く留まりやがって。僕のことは気に留めるまでも無かったってことかい?」

 男の握った拳が震える出す。男の口調は穏やかに聞こえるが、内心までは穏やかではないようだ。

 クシーはこの男の振る舞いに、一人の男を思い出す。

「…ビリオヌ=フォルワ。」

 その呟きが聞こえたのか、男は軽い驚きを見せてから皮肉気な表情を浮かべた。

「ほう?思い出してくれたのかい…光栄だねぇ、エリィワンド。」

「いちいち姓で呼ばないでっ!」

 クシーが怒鳴る。しかし男、ビリオヌは構わずにおどけてみせる。

「なんだい。それじゃあクシー、と優しく囁いて欲しいのかい?君が?私に?」

 唐突に会話が途切れる。クシーも黙っていた。何故こんなところにこの男はいるのだろうか。


 自分の過去を知っている男、ビリオヌ=フォルワ。かつて研究所内でクリーチャーが暴走した時、自分以外は助からなかったのではないか?そう、自分は研究所で唯一助けられた人間だった。その時、研究所の敷地付近には、クリーチャーによって襲われた人間の無残な死体しか残っていなかったと、ベットは言っていた。では何故この男は生きているのか?クリーチャーが暴れだした時に、同じ施設内にいたこの男は……。


 そして、沈黙も突然破られた。ビリオヌが笑い出したのだ。笑いが収まってから、ビリオヌは再び話し始めた。

「エリィワンド、君は僕の事を馬鹿にしていたようだが、もうそんな事はさせないよ。僕の研究の成果を見れば、馬鹿にすることなんか出来なくなる。いかに僕が凄いかってことが分かるはずだ、この僕の天才ぶりがね。」

 そしてビリオヌは愉快で堪らないといった感じで笑いながら、そばにあるガラスの容器を撫でた。その容器の中に入っているのは、他の容器と変わらない。そう、クリーチャーだ。

「貴方、まさか!?」

 クシーはそこでハッとする。思い出したのだ、ビリオヌがどんな人間だったのか、どんなことをしていたのかを。

「あれから何年経ったのか、もう随分経ったねぇ…。君のおかげで随分と研究が進んだよ。いや、もう完成に近いかな?もうすぐ完成するんだよ、僕の長年の研究が……。」

 ビリオヌの容器を撫でる手つきは、まるで母親が子にするように、とても優しいものであった。

「僕にも造れそうなんだよ、ヴォルドワード・クリーチャーをね。」

 ビリオヌが指を鳴らす。するとビリオヌの後ろ、部屋の奥の方からゆっくりと大きな影が近づいてきた。

「ビリオヌ、貴方。」

 クシーは恐怖を覚えた、やはりこの男は正常じゃない。早くこの場から逃げ出さないといけない。しかし、動くことが出来なかった。クシーの体は言うことを聞いてくれなかった。

「さあエリィワンド、僕の研究の成果を見てくれ。」

 ビリオヌが笑いながら言う。


 やがて奥から現れたのは、昨夜遭遇した喋るクリーチャーだった。

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