燃やし尽くすもの

 頭の中に浮かんだのは一言だけ。


―――ランダが危ない。


 その瞬間を見ることは出来なかった。もし、その場面を見ることになったら嫌だから。


―――そんなの、もう嫌だ。


 もう、夢中だった。自分で何をしたかも分からない。ただ、次の瞬間にはそうなっていた。

 ゴオッと激しい音が鳴り、クリーチャーがけたたましい叫び声を上げる。思いもよらない変化に、何事かと目を開ける。そして目に映ったものは、まさに想像していなかったことだった。

「炎が……。」

 シーズは思わず呟いた。クリーチャーは燃えていた。どこかに火があったわけではない。この僅かな時の間で、誰かが火をおこすことを出来るはずも無い。では、何故燃えているのだろう。そんな疑問を胸に抱くが、時間はそんな疑問すらも置き去りにする。


 キィィイイッ、キイィィッッ!!!


 炎は激しく燃え上り、クリーチャーを丸呑みにする。いや、実際にはクリーチャー自体が激しく燃え上がっていた。何が起きているのか分からないのは恐らくクリーチャーも同じで、燃えているクリーチャーもランダの上から転げ落ち、暴れまわっている。

 ランダも暫く何が起きたのか理解していなかったが、クリーチャーが自分の上からいなくなったことで起き上がり、慌てて距離をとる。突然起こったことに混乱しているのはクリーチャーの群れも同様だった。絶え間無く続いていた攻撃は止んでいて、包囲の少し輪を広げて様子を見守っている。やがて炎が消える頃には、クリーチャー自体が燃え尽きて殆どが灰と化していた。

「何が…」

 ランダは何かを言おうとしたが、言葉にならなかった。起きたことが余りにも不可思議で、理解仕切れなかった。

 だが、そんな彼を時は待たない。様子を見ていたクリーチャー達は、炎が治まったのと仲間の一体が死んだことから再び臨戦体制をとり、一気に襲い掛かってきた。

「おい、ランダ!」

 呆けているランダに対してロイが叫ぶ、クリーチャーの狙いは殆どがランダに絞られている。そんな中、ランダは全くの無防備な状態で立っていた。ランダがロイの声に反応し、慌てて体制を取ろうとしたが、もう遅い。クリーチャーのうちの一体が既に飛び掛ってきていた。

「いやぁぁぁっ!!」

 シーズは叫んだ。今度は目を閉じてはいなかった、閉じることを忘れていた。だから見ることが出来た、これから起きる異変を。


 シーズは胸元で何かが光ったように感じた。そして、無意識に握っていたものがそれに呼応するように淡く輝く。シーズの体制はさっきから変わっていなかった。先程のクリーチャーが燃え上がった時と同じように、その握っているものはランダを襲おうとしているクリーチャーへと向けられていた。無意識のうちに握っていたもの、それは砂漠の小屋で渡された灰塵の杖と言われた物だった。


 クリーチャー自身が燃え上がる。何らかの発火行為があったわけではなく、炎に浴びせられたわけでもない。だが、クリーチャーは再び燃え上がった。シーズの動作と、灰塵の杖の異変と連動するようにして。

「え…?」

 ランダも見ていた。自分に飛び掛ってくるクリーチャーが、目の前で突然燃え出すところを。ランダは避け切れず、クリーチャーは燃え上がった状態でランダへと体当たりする。クリーチャーの体毛がランダの身体を浅く切り裂き、同時に炎が傷を焼く。

「くっ!」

 ランダは慌ててクリーチャーを払いのける。クリーチャーは金切り声を上げながら転がり落ちた。クリーチャーは燃えたまま暴れつづけ、そしてそのまま灰へと姿を変えていった。



 その場の異常さを感じてか、その後、クリーチャーの群れはあっという間に逃げてしまった。残ったのはランダ達と、燃え尽きてしまったクリーチャー二体分の灰だけ。

「一体何が起きたんだ……。」

 ベットもロイも、クシーも何が起きたのか理解できていなかった。分かっていることは目の前で唐突にクリーチャーが燃え上がり、灰へなってしまったこと。それ以上もそれ以下も、知り得ることは無かった。ランダもまた呆然と立ち尽くしている。

 シーズは、呆然と自分の手元を見ていた。二度起きた異変。一度目はただ夢中だった、二度目はそれが自分と関係していることが自覚できた。だが、なんで自分なのか分からない。突然光ったペンダント。それと呼応するように、輝いた灰塵の杖。ただ一つ言えること、それは、恐らくは自分がこの灰塵の杖を発動させ、その結果としてクリーチャーが燃えたということ。


 ―――何をしたの?私は?


「シーズ?」

 クシーがシーズの様子に気が付き、声を掛ける。そして、シーズの異変にも気が付いた。

「シーズ、どうしたのそれ!」

 言われたシーズの胸元では、ペンダントがまだ淡く輝いていた。シーズは、首を横に振り、そして言った。

「わたし……分からない。」

 そしてクシーを見上げたシーズの表情は、泣いたような笑ったような、複雑なものだった。



 ロイ達はランダの傷の手当ても含め、一旦休憩をすることにした。ランダの傷は浅く、そこまで大したものではなかった。だが、全身に傷を受けていて出血の量が気になる。軽く手当てをした後に大事を取って、ランダは安静の為に寝かされることになった。

 シーズは心配そうな顔でランダを見るが、すぐにそれ以上に思いつめた表情をして俯いてしまった。その様子をロイとクシー、ベットが交互に顔を見やり、そしてクシーがシーズに声を掛けた。

「ねえ、シーズ。一体どうしたの?さっき起きたことと、その光ってるペンダントと関係あるの?」

 シーズは答えない。ただ、首に掛けているペンダントは、未だに胸元て淡い光を放っている。揺らめく炎を見つめながら、しかしシーズの心は違う所にあった。


 ―――なんであんなことをしたんだろう?


 何度も同じ質問を自分自身にする。 


 ―――ただ、ランダを助けたかった。


 そしてすぐ帰ってくる答えもまた、何度も返ってきた同じものだった。


 ランダが危ないと思ったあの瞬間、もう夢中になっていた。思わず手にとったものを我知らずに前に突き出していた。ただそれだけだった。だが、手にしていたものは砂漠の小屋で手に入れた灰塵の杖で、それは首に掛けていたペンダントと共に異変を起こした。そして、それは次の瞬間に恐ろしい効果を発揮していた。

 ランダが死ぬかもしれないと思って、必死だった。もう目の前で人が死んでいくのは嫌だったから、悲惨な光景は二度と見たくなかったから。しかし、目の前で起こったことは想像もしていなかった恐ろしいことだった。

 ランダが助かればいい、それだけだった。だが、次に起きたことは不可思議だが、確実に生命を死へと追いやる現象だった。その現象に逆らうことはまず不可能だろう、それだけは分かる。自分が必死になって守りたいと思った、そしてその時に他のものを守る手段を手に入れた。だが、自分が必死になって手に入れたものは確実に命を奪う力だった。


 ―――私は、有無を言わさず殺してしまった。


 今までは、ロイ達がクリーチャー達を殺しているのを見ているだけだった。それすらも嫌で自分だけ隠れていることも多かった。


 ―――だけど、私のしたことは…


 数は少なくとも、やっていることは一つ。それ以外に無い。それは、殺しという行為。


「シーズ!!」

 そして、シーズは我に返った。クシーが肩を揺らして声を掛けていた。そこでふと違和感を感じた。なんで人間を殺した訳ではないのに、こんなにも罪を感じるのだろう、と。

「クシー…」

 小さな声で呟く。それにクシーは軽く首をかしげて答える。

「あのね、私にも分からないの。ただ、夢中になって、そしたら何時の間にかああなってたの。私…私は、悪いことしたの?」

 シーズはすがるような表情でクシーに訴える。クシーは、今にも泣き出してしまいそうなシーズを見て、自分の胸に引き寄せた。

「大丈夫、大丈夫よ…」

 シーズの頭を何度も撫で、クシーはそれだけしか言わなかった。


 ―――良いこと、悪いことなんて私にも判らない。でも、貴方はランダを助けたのよ、シーズ。貴方は人を守ることが出来た。もし、大事な人がいて、その人を護ることが出来なかったら、それは悲しいこと。誰にも護って貰うことが出来ないとすれば、それはとても悲しいことなのよ。

 私は助けられた。あの時、もう自分の人生は終わるんだと思っていたその時に。そして、今も生きている。私は、良いことも悪いことも判らない。ただ解かることは、一番大事なのが今生きているということ。生きているという事実。


 気が付くと、クシーに抱かれたままシーズは眠っていた。何時の間にかペンダントの輝きも失われていた。シーズが落ち着いたのか、ただ泣き疲れたのかクシーには分からなかったが、布を掛けてきちんと寝かせると、ロイがその様子を見て話し掛けてきた。

「クシーはどう思う?」

「ペンダントのこと?」

 ロイはクシーの言葉に頷く。クシーは、シーズのもう光っていないペンダントを見てから、少しの間考える。

「クリーチャーが突然燃えだしたあの時、確かにロイが渡したあの棒と反応してたよな。」

 ベットが先刻の様子を思い出しながら呟く。クシーもその瞬間のことに関しては分からないが、クリーチャーが燃え尽きた後にシーズのペンダントと、持っていた例の『灰塵の杖』が淡く輝いていたのは覚えている。

「もしかして、あれが『灰塵の杖』とかいうやつの効果なの?」

 クリーチャーが突如燃え出し、そして見る間に灰になっていく様を思い出して、クシーは寒気を覚える。もしそれがシーズが持っていた杖の効果だとしたら、それはクリーチャーだけではなくあらゆる生き物に対して恐ろしいほどの高価を発揮するだろう。そう、クリーチャーに対して有効な武器というのは、つまりはどの生き物に対しても有効な武器ということになるのだ。

「この杖があれば、クリーチャーはほぼ確実に殺せるだろうな。」

 ロイが、シーズの腰に下げている杖を見つめながら言う。それに対して、ベットとクシーは沈黙を守る。その沈黙は考えている為か、それとも次の言葉を待っているのか。暫くして、ベットが口を開く。

「問題は、その杖をどうやって使うか…だろう?」

「そうだな…。」

 ベットの言葉に頷くロイ。シーズが偶然杖を使うことが出来たといっても、それを自由に使うことが出来なければ意味が無い。だが、三人ともその検討は大体ついていた。

「感情の石…か。」

 ロイはシーズの胸元にあるペンダントを見て呟く。恐らくはその石の名前が杖を使うための鍵。

「人間の感情を鍵にしてその杖が発動するってのか?とてもじゃないが……。」

 ベットが口だけの反論をする。分かってはいるが、到底信じられないことには否定をしないと気がすまない。どのようにしたら、人の感情が物を使うための鍵になるというのか。

「試してみれば分かることさ。」

 ロイはシーズの傍まで来るとペンダントと杖をシーズから取り、それぞれを片手に持つ。クシーもベットも慌ててあたりの気配を探ると、闇の中に紛れた一つの気配があった。

「いつの間に!?」

 いつもシーズがいち早く反応を示すので、警戒を怠っていしまっていた。そして、闇に紛れたものは少しずつ近づき、その姿を露にした。

「ミ、見ツケタ…ヨウヤク……。」

 その姿は人型をした、全身が茶色をした、まるで泥人形のような風体をした生き物だった。だが泥人形にしては手足が異常に長い。人ではありえないその姿は、恐らくはクリーチャー。しかし、クリーチャーが果たして人間の言葉を発しただろうか。

「ホ、ホウ…コ、コクスル……。」

 そう聞こえる言葉を発すると、クリーチャーは襲い掛かることなく踵を返した。その意外な行動に虚を突かれるが、ロイは杖を振りかざし、クリーチャーに向かって振り下ろした。


―――感情で反応するというのなら、俺のクリーチャーに対する憎しみは誰にも負けない!


 しかし、ペンダントは輝くことも無く。杖も何の反応も示さなかった。クリーチャーは、闇の中へと消えていった。

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