存在のない善と悪は彷徨い続ける

存在してはいけないもの

 泉の場所から東へと十日ばかり歩き続け、動物の気配のしない森を抜けると草原に出た。草原に出てみてはっきりしたことだが、北側にには今まで進んでいた方向と平行にして崖が続いていた。崖に沿って二日ほど歩くと、それは姿を現した。

 崖の上を見上げると、何かの建物のようなものが見えた。それは木で出来ている訳ではなく、だからといって石造りでもない。遠めに見てもとても奇妙な感じのする建物だった。

「あれは……なんだ?」

 ロイがその建物を見て誰にともなく問う。ベットもクシーもそれに答えることはなく黙っていた。

「もしかして、遺跡?」

 暫く眺めていて、クシーが考えられる答えを出した。それを聞いて、ロイもベットもその可能性が高いと感じた。


 遺跡―――旧世界に立てられた建造物。旧世界から存在するモノ。謎に包まれたまま、調査の進まないモノ。世界各地にある遺跡は、どれだけ時間を掛けて調査してもそれが何に使われていたのかを明らかにすることは出来なかった。殆どの遺跡では中にある仕掛け一つですら、何の為にあるのか分からないのである。

 遺跡の中に眠る遺産を解き明かせば失われた技術を取り戻すことが出来ると、遺跡と遺産の研究に相当の労力をつぎ込んでいる人間も多い。


「此処から見てるだけじゃ分からないわね。崖の上に行くことが出来ればいいんだけど。」

「そいつは無理だろう。此処から直接は上ることは出来ないし、見る限りこの崖はずっと続いてるしな。」

 ロイが今回は諦めろとクシーに言う。ベットも興味があるのか、見過ごして行くのを悔しそうにしていた。



 結局、崖の上に見えた遺跡らしき建物を無視してさらに西に進むことにした。草原はかなりの範囲で広がっているらしく、軽く見渡した限りでは果てが無いようだ。のんびりとした空気のまま時は過ぎたが、日も沈む頃、その雰囲気は一変した。

 最初にそれに気がついたのは、やはりシーズだった。何かの気配を感じたのか一瞬身体を震わせた後、せわしなく辺りを見回す。そして、確信に至ったのか皆にそれを告げた。

「……クリーチャーがいる。」

 シーズの変化からそれを予想していたので、既にそれぞれ辺りを警戒している。ランダもクリーチャーの気配を掴もうと、賢明に辺りを探る。

「どこだ?」

 しかし、ランダには見つけることが出来ない。ロイやベットたちの様子を見てもまだクリーチャーを発見した訳では無さそうだ。ランダは改めて、シーズのクリーチャーを感じる能力の凄さを知る。それと同時に一つの疑問を抱く。シーズは何故、クリーチャーの気配だけを感じ取ることが出来るのだろうかという疑問を。だが今はそれを考えている時ではなく、すぐに頭から締め出して再びクリーチャーを探し始める。

 暫くして、シーズが再び口を開いた。身を抱えて震えていて、その様子はいかにも調子が悪そうだ。

「近くに居る……気を付けて。」

 シーズが言った直後、見晴らしが良く何も居ないと思っていた草原から、草の一部を切り取ったような生き物がシーズ目掛けて飛び出してきた。

「くっ!」

 それに一番早く反応したのはロイだった。素早くシーズへと駆け寄ると、構えていた斧を振るって緑色の生き物を叩き落した。

「なんだよ、こいつは…」

 それは、まさしく草原の一部を切り抜いたかのような生き物だった。全体的に丸い感じのするネズミ。ただ、その背中には頭から尻尾にかけて、針がびっしりと生えていた。緑色をした、傍目から見れば、そこら辺に生えている草と見間違えしまうような針が。身体をその針が守っているのか、切り払われていないが斧で激しく殴打されたにも関わらず、既に身体を起こしてこちらを威嚇をしている。

「擬態か?クリーチャーにそんなもの必要ないだろう?」

 ベットが吐き捨てる、今回は槍ではなく剣を構えていた。クシーはシーズの隣へ行き、ナイフを持って構えている。

「なんか、沢山出てきたわよ。」

 クシーが声を震わせて言う。改めて辺りを見回すと、先程までは何も居なかったはずの草原の中に、クリーチャーの群れがランダたちを取り囲んでいた。

「なんか、知らないうちに縄張りに入ってたみたいだ。」

 キーキーと耳障りな音を立て、威嚇しながら包囲の輪を縮めるクリーチャーの様子を見ながらランダが呟く。その様子を見るからに、どうやら知らず知らずのうちにクリーチャーが縄張りとする所へと足を踏み入れてしまったらしい。草原の中に、完璧に擬態して隠れているクリーチャーの、その縄張りを侵すなというのも無理だろうが。

「こいつら、餌を待ちわびてたみたいだな。」

 ロイがゆっくりと斧を構えなおす。完全に周りを囲まれてしまい、体制を整えようにも迂闊に動きを取れない。ランダは、剣をいつでも抜けるような体制をとる。シーズも腰に下げていたものを手にとり、握り締める。

「来るぞっ!」

 ベットが言ったのとクリーチャーが動き出したのは殆ど同時だった。


 クリーチャー達は、一斉に飛び掛ってきた。それに応じるベットとロイ。ランダも、自分に飛び掛ってくるクリーチャーをなんとか払いのける。なんとか剣を捌いているが、未だ完全に扱いきれているわけではない。情け容赦の無い襲撃に対して、ランダはギリギリの線で防いでいた。

「ランダ、大丈夫か!」

 ロイは飛び掛かってくるクリーチャーを斧で切り払い、その合間にランダに声をかける。しかし、ランダにはそれに答える余裕すらなかった。剣を振るってクリーチャーを払ってはいるが、ランダはそれで仕留めたかどうかも分からない。本当にただ振るっているだけだった。

―――なんで、なんでこんな…!

 頭の中で考えていることも既にろくにまとまっておらず、それでも剣を振り続けなければならない。冷静に考えることの出来なくなった者は、無意識のうちに無駄な動きを増やし、意識出来ない疲れからミスを招きやすくする。

 下から次々と飛び跳ねるようにして襲い掛かってくるクリーチャーに対し、ランダは手こずっていた。剣の訓練は人間を相手だけだった。この間のケルベロスの時は殆ど一対一の形ということも手伝って、なんとか乗り切れたが今回はあきらかに量が違う。例え一体一体が強くないとしても、次々と襲い掛かってくるクリーチャー相手となると、かなり骨を折る。戦闘経験の未熟さも手伝って、ランダの動きは次第に鈍くなっていった。


「このっ!」

 クシーが自分とシーズの所まで来たクリーチャーを、ナイフでもって斬り落とす。ロイ、ベット、ランダの三人が周りを囲んでいるので、此処まで襲い掛かってくるクリーチャーの数は、ほんの少しだけだった。

「シーズ、大丈夫だからね。」

 先程から身を震わせているシーズに対して、クシーは声を掛ける。シーズは頷き、周りを見た。クリーチャーの数は減っていない。クリーチャーのその身体を覆っている針が、攻撃を防いでいるのだ。加えてクリーチャー自体が小型なので、ロイの戦斧などの破壊的な攻撃を受けても、ただ吹き飛ばすだけで致命的なダメージを与えるには至らない。吹き飛ばされたクリーチャーはすぐに体制を立て直し、また襲い掛かる。このまま時間が経てば、どちらが倒れるかは、日の目を見るより明らかだった。


 シーズは周りの様子よりも、ランダの様子が気になった。ロイ、ベットと共にシーズたちの周りを守ってはいるが、戦闘としては完全に素人なのだ。いくら訓練していても、経験は無いも同然だ。狩りは慣れていても、戦闘ではない。狩りは一方的なもの、戦闘は双方向的なものである。実際、ランダは段々クリーチャーを捌くことが出来なくなってきている。時折、捌ききれなかったクリーチャーから攻撃を受け、身体のあちこちに傷を負っている。たいした傷では無さそうだが、体力の消耗を激しくするには充分な傷だった。

「くっ!」

 ランダが呻く。足元に攻撃を受け、体制を崩してしまったのだ。相手が不利な体制になったことをクリーチャーも理解しているのか、ロイやベットを攻めていたクリーチャー達もランダへと標的を変える。一気に攻撃される量が増え、ランダは為す術も無く倒れてしまう。

「ランダっ!?」

 クシーが叫ぶ、しかし助けることが出来るわけではない。標的がランダに集中したとはいえ、他へも牽制程度に攻撃は続いている。ロイもベットも駆け寄ろうとするが、やはりクリーチャーの攻撃のせいですぐに動けない。

 クリーチャーの一体が、倒れたランダの身体へ這い上がり、首下へとやってくる。自覚していたより体力の消耗が激しかったことで、ランダは倒れた体制から上手く動けない。シーズには、時間の動きが遅く感じられた。ランダの首元に来たクリーチャーは、どう見てもランダの息の根を止めようとしている。そう、餌を確実に確保する為に。

 クリーチャーが頭を上げ、大きく口を開き、牙を露にする。口も牙も小さく、たいしたものではない。しかし、それで喉に喰いつかれたら―――。シーズの脳裏に嫌なものがよぎる。

 ゆっくりと感じる時は、しかし確実に流れていく。クリーチャーの牙がしっかりとランダの喉を狙い、そして……。


 そして、シーズは叫んだ。


「ランダァァッ!!」

 シーズの声と共に、首に下げているペンダントに異変が起きた。そして、シーズが知らず握っていたものにも。

 ペンダントが淡く青い光を帯びる。そして同時に、シーズの手の中にあるものも淡い青い光を発する。しかし、誰もそれに気が付かない。シーズも、ランダが次の瞬間にどうなるかを見るのが嫌で、強く目蓋を閉じていた。

 叫んだ時に、シーズは両手に握ったものを前に突き出していた。それはランダの上のクリーチャーに向けていた。それ以外に何か特別なものがあったわけではない。別に激しい衝撃や、耳を塞ぎたくなるような音が轟いたわけでも無かった。そう、異変が起きたとすれば、シーズが下げていたペンダントと、シーズの手に持っていたものが淡く光ったことくらい。しかし、それに気がついたこと者は無く、異変が起きた。


 何の前触れもなく、燃え上がった炎と―――


 キシャァアアアアッッ!!!


 耳を塞ぎたくなるような、断末魔の叫び。それは、ランダに喰らいつこうとしたクリーチャーのものであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る