その存在
ロイは足元に散らばる、陶器の破片を見つめていた。
「砂漠にある小屋か。」
つい先日立ち寄った、砂漠の小屋を思い出してロイは呟いた。
「この先に、居る。」
一際大きな茂みがあるその向こうを指して、シーズが声を潜めて言う。目配らせをして互いに頷きあうと、ランダが前に出て慎重に茂みの向こうを覗いた。そして、向こうに見たものは。
「なにも、居ない?」
視線の先には、クリーチャーと思われる姿は無かった。茂みの向こうにあるものは、巨大な木を除いた他は、ただ平凡なまでに木々が生い茂っているだけだ。
「ねえ、あれ。」
後ろから覗き込んだシーズが、指差す方向を見るとそこには一際大きな植物の姿。ランダは一目見て巨大な木と見過ごしていたが、どうやらそうではないらしい。木の幹と思っていた色は緑色、地面に露出している根の色も緑色。大きさはともかく、草の類のようである。幹と思っていたものは実は茎で、上のほうにはそれに負けんばかりの巨大な葉が広がり、花が咲いている。また、茎には蔦が所狭しと巻きついており、そこから森の辺りへと広がっている。そしてその蔦は、時々思い出したかのように脈動していた。まるで、それ自身が何かの心臓のように。
「それは、クリーチャーじゃよ。」
唐突に発せられた声に、二人とも体を強張らせる。声の主を探そうと辺りを見回すが、シーズもランダもその姿を見つけられない。それが幻ではないことが分かるのだが、見つけることが出来なかった。そして再び巨大な植物へと視線を戻した時、声の主は二人の背後から姿を現した。
ランダはゆっくりと、シーズは驚きから急いで振り返る。そこにいたのは老人だった。元は白かったであろうローブは、今はくすみきったみすぼらしいローブとなっている。伸び放題の髪と髭は色が抜けて白に染まってて、その人生の長さを物語っていた。
「あなたは……。」
ランダはその老人に見覚えがあった。キーエリィウスの街がクリーチャーの襲撃に遭った夜に会ったのが、この老人だった。シーズも一緒に居たが、その時は眠っていた為、記憶に無いはずだ。
「ぬしはまだ連れておるのか……。」
老人はランダにそう言ったが、その言葉をランダは理解できなかった。シーズはその老人を警戒しているのか、ランダの後ろに隠れて老人の様子を伺っている。
「あれがクリーチャーだって?」
「そう、あれはクリーチャーじゃ。」
緊迫した空気が漂う中、ランダが老人に問う。その言葉にゆっくりと頷いてから、老人は話し始めた。
「以前、街を襲っていたのもクリーチャーじゃ。今、目の前に居るのもクリーチャーじゃ。クリーチャー植物、といったところか。」
ランダは信じられないといった様子で一回、その巨大な植物を見上げる。今までクリーチャーとは、怪物の姿かたちをしたものしか見たことがない。そう、例えば人を襲い、貪り喰い、殺戮を繰り返すような怪物たち。
もし目の前のがクリーチャーなのならば、気を付けなければならない。なにせ、樹齢千年を軽く過ぎている大木のように、本当に巨大な存在なのだ。今はただ静かに脈動しているだけだが、いったん暴れ出せばどうなるか分からない。今までのクリーチャーとは大きさが桁違いなだけに、その被害も尋常なものではないだろう。シーズに視線を合わせると、無言で頷く。きっとクリーチャーに違いない、と言うことなのだろう。
「シーズ!ロイ達に知らせるんだ!」
その一言で、シーズも理解した。ランダが言った言葉、つまりはロイ達に知らせてこの巨大なクリーチャーを殺す、ということ。二人で元の所に戻ろうとした時、老人が立ち塞がってそれを制した。
「通せ!」
「このクリーチャーは何もせん。」
ランダの発した言葉に、老人は静かに答えた。
「こいつは、ずっと昔からここで生きておる。そう、ぬし達が生まれる遥か昔から……。」
そして、老人は話を再開した。
「心臓だけを食べるって。それって、やっぱりおかしくない?」
クシーはベット言ったことを考えたが、どうも納得できなかった。
「おかしいんだよ、普通の生物で考えていたらな。でもクリーチャーは普通の生物じゃない、怪物だ。それでも、ある特定の器官だけを喰らうなんておかしいんだよ。それだけを喰らうように『創られて』ない限りは。」
「ん?それってどういうこと……?」
クシーは質問しようとして、途中で止めた。分かったのだ、ベットの言いたいことが。
「操作されているってことさ。それが生まれてくるより前に、その生き物としての意味を。」
ベットはクシー様子を見てその答えを言った、あくまで俺の考えだがと最後に付け加えて。
「クリーチャーを、何者かが作り出しているってこと?出来るの?そんなこと?」
戦慄を覚えたのか、少し身体を震えさせてクシーが呟く。
「少なくとも、俺たちには無理だろうな。」
クシーの反応を待ち、ベットが座る。
「クリーチャーが創られている?」
一瞬だけ、嫌な光景が浮かび上がる。背筋を激しい悪寒が駆け抜ける。両腕で身体を抱きしめていると、ベットが声をかけてきた。
「例えば、お前が居た場所とかなら。」
ベットの視線は、クシーの瞳の奥を見ていた。まるで心の奥を、記憶の底を漁るように。
「その話は止めて。」
搾り出すようにしてクシーが声を上げる。酷く声がかすれてしまい、ベットに届いたかどうかも分からなかったが。
「結局、クリーチャーのことを全く知らないんだよな。俺たちは。」
視線を上げ、空を見上げてベットは呟いた。
ロイが泉へと戻っている所に、ランダとシーズの二人が現れた。
「あ、ロイ。」
シーズはロイの姿を確認するや否や、すぐにロイの脇へ駆け出す。普段は考えられない組み合わせに、ロイは尋ねた。
「珍しいな。二人でどうしたんだ?」
「あ……。」
―――クリーチャーの気配がしたから確めに行った―――
その言葉が出ることは無かった。先の老人の話が頭に残っていたから。ランダはロイに話す気にはなれなかった。シーズもロイに話すつもりはないらしく、ランダの隣で黙っていた。
異なる存在、あってはならない存在、外れた存在、クリーチャー。だが生き物である限り、死ぬ時がやってくる。クリーチャーも万能ではなく、結果として強い生命力を持ったクリーチャーばかりが目立っているということ。当然、生き物を喰らう存在だけがクリーチャーではないということ。通常の生物の規格から外れてしまった種がクリーチャーと呼ばれ、それには植物のクリーチャーも存在するということ。
―――そのクリーチャーはこの森を守っておる。元は砂漠だったこの場所に、森を作り上げたのはこやつじゃ。この森を守り続けているだけじゃ。―――
老人は言った。クリーチャーには罪が無いのだと。そして、ランダがロイ達に知らせようとしていることに対して老人は言った。もし知らせたら、ロイ達は問答無用で殺すだろう、と。
「散歩をしてたんだ。森の中を歩くのは久しぶりだから。シーズとは途中で会って、一緒に散歩をしてた。」
ランダが言うと、そうかと答えてそれ以上は聞いてこなかった。そして三人で歩いて暫く、ランダは一つの質問をした。
「ロイは……ロイは、何で旅をしているの?」
その理由はわからないが、その目的は分かりきっている。そんな答えのわかっている質問をランダはロイにした、確かめる為に。
「クリーチャーを残らず殺す為だ。俺はその為に旅をしている。奴らを絶滅させるその日まで。」
それまでは穏やかだったロイの表情は、その瞬間に寒気のするほど怒りに染まっていた。そしてランダは悟った。例えどんなものでも、ロイはクリーチャーだと分かれば殺すだろうということを。
「ランダ。」
短く、ロイはランダを呼ぶ。ランダが返事をすると、ロイは短く言った。
「やらなくちゃいけないんだよ。奴らは人間の敵だ。俺は奴らを許さない。」
その言葉を聞き、ランダは今まで感じたことのない、複雑な気持ちになった。
―――消え行く鼓動を感じながら、ロイはリンフィスをしがみ付くようにして抱いていた。自分の流れる血も、気にならない。むしろリンフィスから流れでる血が心配だった。
「……ロ、イ。」
完全にかすれた声で、何とか声を出しながらリンフィスはロイに話し掛ける。目はロイを捕らえていない。だがロイは、それに必死に答える。
「リンフィス、しっかりしろ!」
揺さぶることはしない、それが無意味なことだとは解かってるし、自分自身も酷い手傷を負っているから。リンフィスはそんなロイにお構いなしに話を続ける。
「……砂漠の。いつか、話した。砂漠の、小屋の話……覚えてる?」
息も絶え絶えに、時間を掛けてようやくそこまでの言葉を口にする。息はもうないに等しい、呼吸をする音が殆ど聞こえてこない。
「砂漠の、小屋……。」
聞かれた言葉を反芻し、記憶の底から引っ張り出す。今は考えている時間も惜しい。
「覚えてる、砂漠の小屋の話だろう?覚えてるぞ!」
答えるが、リンフィスから反応が帰ってくることは無かった。口は尋ねられた時と同じ形をしたまま、虚空を見つめたまま、リンフィスは既に力尽きていた。
「リンフィス……?」
ロイが掛けた言葉は誰にも届くことなく、風に消えた―――。
―――クリーチャーの存在は、絶対許せない。
ランダ、シーズと泉へと戻る道で夕日に染まる空を見上げながら、ロイは心の中で呟いた。
次の日、ロイ達は泉を後にした。
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