想うは過ぎ去りし過去

「本当に何考えてるのかしら?」

 自分たちの水浴びを除いていたベットをひと通り懲らしめた後。しかし、それで懲りたか疑わしいベットの様子に、クシーが嘆息する。

「良いじゃないか。減るもんじゃないだろう?」

「あんたねぇ……。」

 頭を抱えるクシー。ベットはそれを気にせず、辺りの様子を探ってから再び話し掛ける。

「それと、お前に話があるんだが。」

 またどうしようもないことだと思い込んでいるクシーは、何よ、と気の無い返事をする。

「三ヶ月前のクリーチャーのことだ。」

 ベットの声はは先程までとは打って変わって、とても真面目なものだった。



 ランダは辺りを注意深く見回し、シーズは自分の感覚に集中していた。森の中、ランダがいくら周りの気配を探ろうとしても何も掴めない。そもそも、この森自体に生き物の気配が感じられないのだ。ランダは普段、ある程度なら動物の気配を感じ取れるのだが、この森に来てからは一切そんな気配を感じ取ったことが無い。実際、この森には動物らしい生き物の姿は無い。

 だが、シーズはクリーチャーの気配がすると言う。自分の感覚とシーズの言葉とを比べ、ランダはシーズの言葉を取った。ランダも目の前で何度か見た、シーズのクリーチャーを感じ取る能力を信じることにしたのだ。

「どっちの方向にいるか分かるか?」

 いつでも戦闘状態に入れる体制をとり、ちらりとシーズを見て尋ねる。その言葉にゆっくりと頷き、シーズは極めて落ち着いた様子で一つの方向を指差した。それは、泉があるのとは逆の方向。遠くには切立った崖が見える。その風景もやはり穏やかで、ランダには何の気配も感じることは出来なかった。

「多分、あっち。」

 シーズが呟くと、二人は互いに顔を見て頷いた後、その指差した方へと進みだした。恐らくは、クリーチャーがいる方へと。



 泉のほとりに、ベットとクシーは互いに向かい合うようにして座っていた。

「三ヶ月前って、キーエリィウスの?」

 これまでの沈黙をそっと破る様にして、クシーが言う。

「それと、ランダのいた村のだな。」

 ベットが付け加える。

「あの二つの場所に出たクリーチャー、俺のところでは『リザード』って呼んでるんだが、奴等の動きが妙に思えてな。奴ら、リザードが何を食っているか知ってるか?」

 ベットが唐突に質問をした。クシーは少し考える様子を見せたが、すぐに答えた。

「人間ね…それ以外に見向きもしない。」

 そう言って、クシーはランダのいた村や、キーエリィウスの街での出来事を思い出した。そこに現れたクリーチャー達は皆、人間のみを標的として惨殺、殺戮の限りを尽くした。あれが生き物としての本能のみでの行動なのかは分からない。

 だが、クリーチャー達が生きている人間を対象としてのみ殺戮をし、糧としているのは分かる。そう、分かっているのだ。クシーは身震いをした。自分の考えに没頭しすぎて、あらぬところまで考えが及んでしまったのだ。頭に浮かんだ恐ろしい考えを振り払い、もう一度口を開く。

「それと、生きている人間にしか興味が無いって所かしら?」

 さっきの言葉に付け加えるような台詞、自分の持っている情報が正しいか尋ねるような口調でベットの答えを待つ。

「そうだな、奴等は何故か生きている人間にしか食欲を感じないらしい。現に、狙っていた獲物が死んだ途端に新しい獲物を探し始めていたしな。」

 ベットが頷き、話を進める。クシーはその言葉を静かに聞く体制に入る。

「キーエリィウスではあれだけの集団で現れて、まともに統率は取れてなかった。複数で団体行動みたいな動きを見せているのもいたが、基本的には自分勝手に動いていた。そう、人間を殺す為…まさに餌を奪い合うようにな。奴等の襲った人間の死体は見たか?」

「見たわ、あんなに酷い死体は見たこと無い。もう思い出したくもないわ。」

 クシーが口元を押さえて俯く。思わずその死体を想像してしまったのだろう。

「さっき、生きている人間にしか興味をひかないって言ったが、それだけじゃない。奴等は、何故か心臓だけを狙って喰っている。」

「そんなはず……。」

 クシーは勢いよく顔を上げて、思わず口に出し掛けた言葉を飲み込む。ベットのあまりにも予想外な言葉に、驚きを隠せない。

「そこまで見てなかったか?クリーチャーに襲われた死体は、必ず左胸の部分がごっそり無くなっているんだ。奴らが喰う前に死んでしまったものを除いてな。」

 クシーが見た坦々と話すベットの顔は、いつに無く真剣なものだった。



 ランダとシーズは森の中を進んでいた。ただ一つの方を目指して。急いで歩いているわけではなく、ゆっくりとシーズが充分についていける程度の速さで歩いていた。歩きながら、ランダは疑問に思っていたことを口にする。

「シーズって、分かるのはクリーチャーの気配だけなのか?」

 シーズは少し考え、答える。

「気配で、わかるのはクリーチャーだけ。クリーチャーのなら、結構離れていても、感じることができるの。多分。」

 今までのことを思い出しながら言っているのか、口調はかなりゆっくりだ。それを聞いて、ランダはさらに尋ねる。

「じゃあ、他の気配は感じられないの?例えば人の気配、動物の気配とか。」

 目の前の邪魔な枝を払って、シーズを振り返る。シーズはしっかりとついてきている、木の枝や根などに多少苦戦している様ではあるが。

「わからない。すぐ傍にいれば、さすがに目をつむっていっても人がいるんだなって分かるけど。それも気配というより、その人が立てる音で分かるって感じだし。」

 やっぱりわからない、とシーズは答える。そこで、静かに立ち止まる。ランダもシーズが立ち止まったのに合わせて歩くのを止めた。ランダがどうしたの、と尋ねようとすると、その前にシーズが口を開いた。

「いる。この向こうに、クリーチャーが。」



 ロイは墓の前に花を供えて、そこから少しだけ離れた場所に立っていた。かつてそこで生活が営まれていたであろう、その場所に。かつてそこにはテーブルがあり、その場所には決まってリンフィスが座っていた―――



「ねえ、ロイドは砂漠にある小屋を知ってる?」

 リンフィスは唐突に、ロイに尋ねた。リンフィスがボロボロの姿で森の中に倒れていたのを発見してから一月ほど経った。手当てをして、リンフィスがまともな生活を出来るようになったのが数日前。それまではベッドで寝ているだけ、頑張っても椅子に座るのがせいぜいで、何もすることの出来ない日々を過ごしていた。その間にロイとは打ち明けるようになり、結構会話を交わすようになっていた。別にリンフィス自体は人当たりが良いのだが、リンフィスの置かれている状況のせいなのか、最初のうちは警戒心から全く話そうとはしなかった。

 ひと月前のリンフィスと比べ、随分と変わったなと思いつつ、ロイは質問に答える。

「いや、知らないな。」

 コップに水を入れ、二つあるうちの片方をリンフィスに渡す。リンフィスはそれをありがとう、といって受け取る。そしてロイはテーブルの、リンフィスに向かい合う位置に座った。

 砂漠、ロイが住んでいる村は森の中にある。森は少し西に行くと砂漠と繋がっており、その砂漠には誰も近づかない。そこに入る者に待つのは死のみと、ずっと言われつづけている。それを確かめたものはいない。

 だが、それを誰もが実感している。森にはしばしば怪物が現れる。その怪物は森を、森の動物達を、そして人間を襲い、喰らう。それに皆恐怖し、恐れを抱き毎日を暮らしている。しかし、人間は恐れているばかりではない。自分の生活を守る為に、その怪物を退治する為に、若者達が集まって村の周囲の森を巡回している。ロイも丁度、先程までその巡回をしてきた所だった。

「そう、じゃあ聞いて。これから話すこと。」

 明るい声でそういうと、水を一口飲む。テーブルの上に置いたコップを両手で包むようにして持って、リンフィスは話し始める。話している間、リンフィスは目を上げずにコップをじっと見つめていた。

「西にある砂漠にはね、一軒だけ、小さな小屋があるの。はっきりとした場所は分からないけど、その小屋にはあるものが眠っているの。」

「あるもの?」

 リンフィスの、その『あるもの』を知っていて伏せているような言い方に違和感を感じ、ロイが尋ねる。

「そう、あるものよ。その小屋で、それは眠りつづけてるの。もしかしたら、永遠に。」

 少し間を置いて、これでおしまいとリンフィスは告げた。もっと話が続くと思っていたロイは、意表をつかれて気が抜ける。

「はぁっ?」

「だから、これでお終い。話は終わりよ?」

 きょとんとした顔でリンフィスは言う。ロイはますます気が抜け、そしてリンフィスに対して少し苛立ちを覚えた。

「なんだよ?何か真面目な話に感じたから、こうやってきちんと聞いたって言うのに。」

 釈然としない気持ちで、文句を言う。

「何?真面目な話じゃないと、ロイドは私の話をきちんと聞いてくれないの?」

 リンフィスが表情を堅くする。ついこの間まで見慣れた、警戒心むき出しの表情だ。

「いや、そういうわけじゃない。ただ……。」

 ロイは慌てた、またリンフィスに警戒心を抱かれては溜まったもんじゃない。やっと打ち解けてきたと言うのに、この位で台無しにしてしまっては意味が無い。最近は、リンフィスとの暮らしが楽しいものになってきたというのに。

「う・そ・よ!そんなうろたえなくてもいいじゃない。」

 突然表情を崩し、笑い出すリンフィス。その様子に思わずロイは脱力する。

「おいおい、冗談はよしてくれ。」

 リンフィスは尚も笑いながら、いいじゃないと言った。そして一瞬だけ真面目な表情に戻る。

「でね、もし砂漠で、小さな小屋を見つけたら、見つけることがあったら。そこを探して、ある物がそこに眠っているかもしれないから。」

 その表情にロイもまた引き戻されるが、リンフィスはすぐさま明るい表情に戻る。

「そこに、本当にそこに小屋があればだけどね。」

 そしてまた、笑う。

「おいおい……。」

 さすがにロイは溜息をつきながらリンフィスを見る。リンフィスはよく表情を変える。暗い表情をしたと思ったら、次の瞬間には笑っている。最近良く見せるようになった、そんなリンフィスの様子をロイはいつまでも続いて欲しいと思っていた、出来れば自分はそれをずっと見ていたい、と。

 何時までも笑いつづけるリンフィスに、ロイもつられて笑い出す。こんな生活がずっと続いても悪くない、そう思った。

「今の貴方には必要ないかもしれないけど。」

 その後にリンフィスが呟いたその言葉を、ロイは聞き逃したりはしなかった。

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