融け始める心

 夜が明けて間もない、薄暗い景色の中。キーエリィウスの街の一角、南の門に、ロイ達五人とアシュレイは立っていた。

「世話になったな。」

「気にするな。こっちも、充分世話してもらったしな。」

 少し笑いを浮かべながら、ベットとアシュレイは簡単に挨拶を済ませる。

「さっさと行きましょうよ。」

 少し苛立った様子でクシーは急かす、随分とそわそわしている。皆、簡単な荷物を持っているだけだ。ただ、クシーは小脇に抱えるほどの袋を、自分の荷物とはまた別に持っている。

「まだ大変だろうが、頑張ってくれ。」

 ロイはアシュレイにそういうと、みんなに目で合図をして歩き出す。それにクシー、ベット、シーズ、ランダが続く。

「気が向いたら、寄ってくれ。歓迎するぞ!」

 暫く歩いたところでアシュレイが手を振って叫んでいた。ベットが軽く手を上げて答えると、ロイたちはキーエリィウスの街を出発した。



 キーエリィウスの街は、森と砂漠とのちょうど境目にある街である。北を森、南を砂漠に挟まれており、ロイたちは街から南の砂漠へと向かってい。

「ところで、クシーは何貰ってたんだ?」

 ロイが、クシーの小脇に抱えている袋を見ながら尋ねる。

「え?…え、えーと、ちょっとしたものよ。何でもないわ。」

 慌てた様子で答えるクシー、その反応にロイは怪訝な顔つきをする。

「ま、んなことどうでもいいじゃんか。こいつの荷物なんか見ても全然面白くないぜ?」

 全く興味がないといった感じでベットが口を挟む。

「んー、そうか…そうだな。」

 ロイは思い直して、再び前を向きなおして歩き始める。

「私の荷物が面白くないってどういうことよ?」

 ロイが袋から興味を無くしたように歩き始めると、クシーはこめかみを引くつかせながらドスのきいた小声で呟いた。



 日も高くなり、真上に見えるようになった頃、昼食も兼ねてロイ達は休憩をしていた。

「そういえばさ、何処に向かってるの?」

 食事をしながら、目的地を特に聞いていないランダが、ふと疑問に思って尋ねる。それにロイが答える。

「別に何処に向かってるって訳じゃないな。」

「ん?」

 干し肉を食べながら、ロイのはっきりとしない答えにランダは疑問の色を濃くする。

「クリーチャーの『巣』を探しているんだよ。」

 既に食べ終わっているベットがロイの代わりに答える。

「『巣』?」

「そう、クリーチャーもずっとあちこちを徘徊しているわけじゃないのよ。どちらかというと、何処かに住処を決めてそこを中心に複数で活動していることが多いの。その、クリーチャーの活動の拠点になっているところを、私たちは『巣』って呼んでいるわけ。」

 今度はクシーが、水を口にしてから簡単に説明をする。

「その『巣』を、今俺達は探しているのさ。まあ、全てを隈なく探して絶対見つけるってわけでもないんだがな。一応、あちこち行ってみて探してみるって感じだな。」

「ふうん。」

 最後のロイの説明に、ランダは納得したように頷いた。そして、自分の横に置いている剣に目をやる。出発する前日にアシュレイが餞別として渡してくれたものだ。実際は小ぶりの剣だが、まだ子供のランダにとっては充分に大きいものだ。


―――クリーチャーの『巣』があったら、試すことが出来るんだ


 キーエリィウスの街にいた三ヶ月の間に特訓した成果を試すことが出来る。そんな気持ちがランダ心を占めていた。


「あ…!?」

 突然、シーズが身体をビクッと振るわせる。そのはずみで、シーズは手に持っていた水の入ったコップを落とす。水は砂に見るまもなく吸い込まれていった。

「ランダ、巣を見つける前にお前の腕を見せてもらうことになったようだ。」

 ロイが慎重に立ち上がりながら斧を手にとって構えを取る。

「え……?」

「絶対に調子に乗るんじゃねえぞ?」

 ベットはランダに警告をする。

「死んだら元も子も無いってことよ、私はシーズの傍に居るわ。」

 クシーも構えを取りながら、突然様子を変えたシーズを庇うようにして立つ。

「シーズ、どのくらいだ?」

 ロイがシーズに尋ねる。ランダには何を言っているのかサッパリ分からなかった。シーズに何を聞いているのだろう?こんな状態のシーズに…

「一体じゃない。六体か、七体位だと思う。」

 ロイの質問にシーズが答える。

「おいおい、随分と歓迎してくれるじゃないか。俺たちの飯の臭いに釣られてきたか?」

「かもね。」

 ベットとクシーがそれぞれに口を開く。

「え、え?」

 ランダは一人、状況を良く理解出来ていなかった。シーズの様子がおかしくなって、突然皆が警戒を始めた。剣の腕を試す時が来たと言う。

「クリーチャーが来たんだよ。前にも言わなかったか?シーズはクリーチャーの気配に敏感なんだ。」

 理解出来ていないランダの様子を見て、ロイが改めて状況を説明する。

「油断するなよ。一度に五体以上を相手にするとなると、かなりきついんだ。おい、早く構えろ!!」

 呆けているランダに指示を出す。その声にハッとして、ランダは慌てて剣を構える。


 シーズの隣にクシー、周囲を守るようにロイ、ベット、ランダがそれぞれ構える。辺りの様子をじっと警戒していると、やがて三つの影が姿を表した。影の正体は狼のようだった、まともな形をしていない狼……。一つの体から二つの頭が生えている、普通の生態からは絶対に考えられない姿をしていた。

「ケルベロス!?」

 ランダは思わず声を上げた、このクリーチャーはランダの住んでいた村にも出てきたことがある。このクリーチャーは、頭が二つある分食欲も旺盛なのか食べる量が半端じゃない。それぞれの頭が別々に働き、守備範囲も広いので退治するのは一体だけでもかなり骨なのだ。それが三体、ロイ達を取り囲むようにして現れていた。ランダにとって、実質一対一の戦いでは到底勝ち目が内容に思えた。

「信じろよ、自分のしてきたことを。」

 不意にベットが声をかける。ランダは振り返るが、ベットはクリーチャーとにらみ合っているようにして微動だにしていなかった。

「いくぞ!」

 ロイは、そう言うと一番近くにいるケルベロスに向かって駆け出す、足元の砂が跳ね上がった。

「こっちもいくぜ!」

 ベットもランスを左手に持ってもう一体のケルベロスに向かう。ランダも覚悟を決めて、残る一体のケルベロスと対峙した。


 二つの頭がこちらを向いている。四つの眼がこっちを認識し、警戒している。

―――俺が…戦うんだ!

 ランダは心の中で呟くと、剣を両手に握る。

「グァルァアアア…!!」

 ケルベロスが咆哮を上げながら襲い掛かってくる。ランダは飛び掛ってくるケルベロスを腰を低く落として右へ避ける。しかし、ケルベロスの四つの眼はランダの姿を見逃さない、首の一つがランダの方をしっかりと向いていた。そして、ケルベロスの眼とランダの目があった。

「!?」

 瞬間に、ランダの体は硬直した。獣の、欲求に素直なその眼に睨まれた途端に背筋が凍りつく。獣特有の純粋な殺気、ただ食欲を満たす為だけの…その気配に飲まれてしまい、体が動かなくなる。その間にケルベロスは着地し、再びランダへと向かって飛び掛る。ランダはそれをじっと見ていた、目を逸らすことも無く引き寄せられるように。

「ランダ!!」

 その時、叫び声が聞こえた。ランダはその声に我を取り戻し、咄嗟に前方に転がり込んでケルベロスをやり過ごす。すぐにランダは剣を構えなおす。ケルベロスが着地し、こちらの姿を見つけ出すより先に、ケルベロスに向かって駆け出す。


 ザスッ


 振りかざした剣は重い音と共に、そのままケルベロスの左の首を薙ぐ。一瞬の後に血が迸る。

「グヲォォォアアアァァァッ!!」

 傷を受けたケルベロスが咆哮する、返り血を浴びながらもランダはさらに踏み出し今度は胴体に突き刺す。ちょうど、心臓のある辺りに向かって。

「ガァァァアアアアッッ!」

 ケルベロスはもがきながらランダを睨みつける。ランダは、自分がまたケルベロスの視界に入ったことで、一瞬凍りついた。実際にはもう勝負はついている、ケルベロスは見事に心臓を貫かれていた。首を薙いだことによる出血もかなりの量だ。確実にこのクリーチャーにとっての死は近づいている。だが、すぐにでも自分が喰われてしまいそうな錯覚に陥る。いや、錯覚では無いのかも知れない。今まさに、このクリーチャーは前肢をランダに向かって振り下ろそうとしていたのだから。

 今度こそは体が動かなかった。まるで時が止まったように、ゆっくりと鉤爪が迫ってくる。だが、見覚えのあるものがケルベロスの片方の首に巻きついた。そして、ケルベロスは思い切り引っ張られるように後ろに向かって倒れた。最後の力を使ったケルベロスの反撃も、ランダには及ぶことが無かった。倒れた後暫くの間もがいていたが、やがてその動きを止めた。

 

「大丈夫みたいだな。」

 ロイが確認するように呟く。ロイとベットも、それぞれケルベロスを倒していた。そして、すぐにでもランダに手を貸せるように構えていたのである。

「シーズ、残りは?」

 倒したといってもまだ三体。先ほどのシーズの話では、あと三体か四体はいるはずだ。

「大丈夫。ここから離れてるみたい。もういない。」

 その言葉を聞くと、二人とも構えを解いた。



 ランダは放心していた。目の前でクリーチャーが倒れ、その生命活動を停止した。首を薙がれ、心臓を突き刺されても暫くの間、もがきつづけていた。その生命力をまざまざと見せ付けられたのだ。普通は恐怖を覚えずにはいられないだろう。だが、そんなことでランダは放心していたわけではなかった。

「名前を呼んでくれた。」

 その声は、誰にも聞こえなかっただろう。ランダは一人で呟き、心に刻んだ。さっき聞こえた叫び声、それはシーズの声だった。会ってから三ヶ月になるが、まともに会話すらしてない状態で、あまつさえランダをさす言葉さえシーズは口にしたことが無かったのだ。

「はは…呼んでくれた。」

 それだけ言うと、ランダはその場に倒れ気絶した。


「こいつ、緊張しすぎだ。」

 ベットが気絶しているランダの様子を見て一言だけ言った。

「初めての戦いでこれだけやったのでも凄いんじゃない?緊張するなってのが無理よ。」

 クシーはランダを眺めて、ベットの言葉に嘆息しながら言い返す。


 気絶したランダの表情は、心なしか嬉しそうだった。

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