破壊の権化

 クシーの手には今まで握っていた武器が無かった。矢を打ち尽くし、クリーチャーによって鞭を奪われた今、クシーには、もう戦う為の武器が残されていなかった。

「ひっ…!!」

 クシーはクリーチャーの方を向き、思わず悲鳴を上げる。クリーチャーにはこちらが圧倒的に不利な状況だということを分かっているのだろうか?クシーは、クリーチャ―に対する対抗手段を全て失った。後、残された手段は逃げることのみ。それでも、クシーの足でこのタイプのクリーチャ―を引き離すことなんて出来やしない。クリーチャーの慣れていない場所、森の中等ならまだこちらに分があるのだが、ここは街の中、整備された道に障害物なんてあるはずも無い。このまま逃げても確実に捕らえられてしまう、しかし逃げる以外に道は無い。クシーにとって、そんな絶望的な状況だった。

「に、逃げないと。」

 先程までの機敏な動きではなく、力ない足取りで逃げ出す。

「逃げないと、逃げないと…やられる……。」

 うわ言のように繰り返し、フラフラと走る。だが、すぐに足がもつれ倒れてしまう。

「い、嫌!!」

 クシーは、顔を歪ませていた。今までのような毅然とした雰囲気は全く無く、その目はクリーチャーのほうを見ているが、クリーチャーを見てはいない、別の何かを見ているかのようだ。

 クリーチャーは、もうすぐ目の前まで来ていた。それはまるで、死の時が近づいてくるのが目で見えているかのようだった。

―――自分はどうやって殺されるのだろうか?他の死体のように心臓を一口に喰われてお終いだろうか?それとも、別の喰われ方をして死んでいくのだろうか?

 クシーの心は、既に絶望の色に染められていた。



「街の兵はもういないのか…?」

 ベットは走りながら辺りを見ていたが、もう動いている街の兵の姿は見えなかった。見えるのはクリーチャーと兵の死体のみ、クリーチャーもさすがにもうその姿のその殆どを屍へと変えていた。残っているクリーチャーも殆どが手負いだった、そのクリーチャー達を端から倒しながらベットは疑問を口にする。

「ロイとクシーは大丈夫なのか…?」

 声に出しても無駄なことだ、分かっていても思わず口に出してしまう。自分の所だけにクリーチャーが集中していたとはとても思えない、今見回していても、街の中にはかなりの量のクリーチャーが侵入していたことがわかる。自分より戦闘経験のあるロイと言えども、一瞬たりとも気を抜いていては戦いきれないだろう。まして、普通の獣ならいざ知らず、クシーは自分だけでこの街を襲っているクリーチャーに致命傷を与えられるほどの武器と力を持っていない。もし危機的状況に陥っているとしたら、可能性の高いのはクシーだろう。

「何処にいる……。」

 一体のクリーチャーに止めを刺したところで一人呟くが、答えが返ってくるわけでもない。そこにふと、視界の隅に何かが見えた。


 それは、一人の女性とクリーチャーだった。女性は地面に座り込み、クリーチャーはその女性に向かっている。それは非常に緩慢な動きに見えた。今まさに、クリーチャーはその女性を襲おうとしている―――喰らおうとしている。


 その女性は…!!


「クシー!?」

 ベットはその女性が誰だか気づき、焦った。このままではクシーはクリーチャーに喰われてしまう、殺されてしまう。

 ベットは今まで以上に、体の限界をも忘れたかのように、疾走した。


「あ…ぁぁ…」

 クシーは何やら呻いていた、もう正気を失っているのかもしれない。普通の人間に、クリーチャーを目の前にして正気を保っていろというのはまず無理な話だ。戦い慣れした戦士ですら、クリーチャーを目前に平静を保つというのは難しいのだ。それがクシーは。

 ベットはランスを右手のみで構え、左手を正面に突き出した状態のまま、クリーチャーへと突き進んでいく。あと少しでベットの間合いに入ろうという所でクリーチャーがベットの存在に気が付く、しかしクリーチャーはベットに取り入ろうともせず、もはや繊維喪失したクシーに向かって腕を振り下ろした。その時、ベットにはクリーチャーがこっちに向かって笑みを浮かべたかのように見えた。


 ドンッ


 重い音が辺りに響き渡る、クシーに向かって振り下ろしたはずの腕は後ろに弾かれていた―――否、吹き飛ばされていた。そして次の瞬間、ランスが届く間合いに入った瞬間に、ベットはランスをクリーチャーの左胸へと、心臓のあるはずのそこへ突き出した。


 ズッ…


 それは、余りにもあっけない音だった。ランスはクリーチャーを貫き、背中からその矛先を見せている。貫いている部分からは血が滴り、ランスの柄を汚す。そこから落ちた血の雫が、クシーの顔へとさらに滴っていた。

「償いは…これでも……。」

 顔を伏せ、ベットは口をかすかに動かしていた。何かを唱えるかのように呟いていた。

 その時、貫かれたままのクリーチャーの残った腕がピクリと動いた。次の瞬間、その腕はそのままベットに振りかざされる。しかし、その腕はベットに届くことは無かった。貫かれたランスごと、そのクリーチャーは宙を舞っていた。落下を始めるクリーチャー、その下に待つのは既に剣を構えたベットであった。

「滅せ……。」

 構えた剣でクリーチャーを刻み、その命に終止符を強制的に打ち込む。ベットのその表情は、今まで以上に鬱で、悲しげな表情であった。


 クリーチャーが完全に動きを止めてから振り返ると、クシーは地べたに座り放心したままであった。ベットはクシーに前までゆっくり歩いていく、クシーは何を見ているのか、目の焦点が何処にもあっていなかった。

「ぁぁ……。」

 口を少しだけ開け、何事かを呟いているようにも聞こえるその声は、ただ喉が音を発しているだけで、恐らく何も呟いていないのであろう。そんなクシーを、ベットは自分の胸の中にそっと抱き寄せた。

「もう大丈夫だ、心配ない。」

 ベットのその声は、今までのどの声よりも優しく、慈愛に満ちていた。クシーに言い聞かせるように何度も囁く。その声が届いたのか、クシーの瞳が焦点を結び始める。

「気づいたか…?」

 ベットがあくまで優しく囁き掛ける、クシーの顔が見える程度に体を離す。

「…ベット?」

 ようやく自分の置かれている立場に気づいたのか、それでも少しボケているようにベットの姿を確認し、その人物を確かめるように訊いてくる。

「ああ、俺だ。クリーチャーは片付けた、もう大丈夫だ……。」

 そう言うと、クシーを再び抱きしめる。普段ならば即座に何か反抗をしそうなものだが、全く抵抗を見せない。

「これで二度目だな。」

 ベットが呟く。

「お願い、これは…!!」

 すがるようにベットを見つめる、それをベットはまっすぐに受け止める。そして微笑んで言った。

「大丈夫だ、誰にも言いはしない。」

「ありがとう。」

 クシーの顔は未だに蒼ざめていた、体も微かに震えている。しかし、幾分気を取り直してきたようだった。

「もう行けるか?」

 ベットが確認する、それにクシーは首を横に振って答えた。

「お願い、もう少しこのままでいさせて……。」

「分かった。」

 そしてクシーは、再び顔をベットの胸に埋めた。



 ランダとシーズは街の中へ入るなり、愕然としていた。街の中はいたるところ、クリーチャーと街の人間と思われる死体で溢れていたからだ。シーズの様子は街に来るまでにかなり落ち着いたようだったが、街へ来てまた一変した。

「ロイたち、本当に大丈夫なのか…?」

 そして、ランダは道に転がるようにして倒れている人とクリーチャーの死体をまともに見て、つい昨日のことを思い出す。自分の暮らしていた村も、クリーチャーによって無くなった。みんな殺されてしまった。


「クリーチャー……。」

 シーズが震えた声で呟いた。何時の間にか、クリーチャーが目の前に現れていたのだ。

「……。」

 ランダは逃げ出してしまいそうになるが、何とか思いとどまり、自分にも戦う術があることを思い出す。腰に下げている袋に手をやる。

「シーズ。お、俺が合図をしたら、全力で走るんだ。いい?」

「何で?」

 こんな時でもシーズはランダに反抗する。これがロイだったら、まず間違いなく素直に従うだろう。クリーチャーはランダたちに向かって突進してきていた。

「いいから、走る…走るんだよ!」

 ランダは言うが早いが袋の中に手をやり、中に入っている玉を一つ取り出してクリーチャーに向かって投げつける。クリーチャーはもう目前まで迫ってきていた。ランダはシーズの手を取り、全力疾走で反対方向へと逃げ出す、そして次の瞬間―――


ドォォォン!!!


 鼓膜が破れそうな程の爆音と共に、突き抜けるように突風が吹き、あらゆるものを薙ぎ払わんとする。抵抗するまもなく、ランダとシーズは突風に吹き飛ばさる。荒れ狂う暴風の中で、ランダとシーズは気を失った。



 六体いたうちの五体までを何とか倒したが、ロイも既にボロボロだった。右腕はの感覚は既に無く、自分の意志ではもはや動いてくれない。戦斧を握っている左手も握ったまま固まっていて、逆に手放すことが出来なくなっている。激しく呼吸をしているが、酸素が間に合わない。残る一体のクリーチャーを前にして、その状態は最悪だった。

「これで終りだ!!」

 ロイが戦斧と共にクリーチャーに向かって襲い掛かる、クリーチャーを一撃で仕留める為に。ロイは残る力を持って振り下ろした!


…ゴッ!!


 戦斧は当たらず、クリーチャーの振るった腕が見事にロイの体に直撃した。

「ぐ……!!」

 クリーチャーの腕はロイのわき腹を捉え、すさまじい力で打ち付けられる。ロイはそのまま勢いよく吹き飛ばされ、地面に激しく叩きつけられた。

「かはっ!」

 必死に体を起こそうとするが、言うことを全く聞かない。戦斧を振り回すのも、今更剣を使うのも耐えられそうに無い。もう終りなのだ、後はクリーチャーにやられるのを待つしかないのだ。そう、覚悟が無ければ。

「来い。」

 ロイはうつ伏せの体のまま、クリーチャーが近づいてくるのを待った。自分を仕留めようとするその一瞬を狙う為に。


 しかし、クリーチャーはロイには近づかず、そのまま向きを変えると、ロイの前から去ってしまった。ロイが動かなくなったのを見て、興味を無くしたかのようだった。

「くそ…」

 ロイは微かに動く口で呟いていた。

「俺は…クリーチャーを殺せないのか…?」



 その直後、辺り一面を激しい光と衝撃が包んだ。

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