悪夢、一端の終焉

 ―――母親が喰われている。目の前で、あの怪物に喰われている。自分は何も出来ないで見ている、いや怖くて何もしていないだけ。怖くて隠れているだけで、何もしない。母親が悲しそうな視線をこっちに向けている、もう絶命しているはずなのに、口を開く。タスケテ、と―――


 パチパチ…。


 何かが燃える音がする。焚き火か、何を焼いているんだろう?そんなことを思いつつ、意識が現実に戻る。少年が目をあけると、辺りはもう暗かった。体には簡素な布団がかけられている、気だるい体を起こす。

「目がさめたか。」

 唐突に声がした。少年は声のしたほうを振り返ると、焚き火の番をしているらしき傭兵風の男を見つけた。

「よかった、君はこの村の人だよな?」

 そう声をかけられ、少年はハッとする。そうだ、今までのは夢だったのか?これからのが真実で、今までどおりの平凡な日々がまた始まるのではないのか?今までの悲惨な出来事は悪夢だったのだと、そう信じて。

「そうだ、お母さんは?村の人たちは!!」

 思わずそう叫ぶ、落ち着いていられない。あれが夢の出来事だと確認しなければ、そんな期待とは裏腹に男は沈痛そうな、やり切れない表情を浮かべた。

「君の村については残念だった、我々が着いた時にはもう、村の人はみんなクリーチャーにやられていたよ。なんの為にクリーチャーの情報を聞きつけてやってきたんだが…。」

「そんな…。」

 少年は肩をがっくりと落とす。一気に精気が抜けたようになる。

「ロイ、そんな気を落とすんじゃないの。この子を助けることが出来ただけでも、精一杯だったんだから。」

 かなり落ちつた声が足音と共に近づいて来る。そちらの方を見ると、こちらもまた傭兵風の、でも随分と軽装な出で立ちの女性がやってきた。

「確かに村の人を全員助けられれば良かったのかもしれない。でも私達ではそれは無理だった、もしかしたらこの子も助けられなかったのかもしれないのよ?」

 女性はそう言うと少年の隣に腰をおろした。そして穏やかな口調で訊いてくる。

「きみ、名前は?」

「…ランダ。」

 少年は暫く黙った後、そう答えた。

「そう、ランダね、私はクシーよ。あなたはクリーチャーと呼ばれる魔物に喰われる寸前だったの。ギリギリのところで私と、ここには居ないけどもう一人、ベットとなんとかで救うことが出来たの、本当に間一髪だったわ。村に残っていたクリーチャーは全部倒したわ、もう襲ってこないと思うから。」

 クシーは説明を始める。クリーチャーはどういうものか、クリーチャーは村を襲ったものだけでなく、他にもいろんなものがいるということ。旅路の途中、クリーチャーの群れを発見して追いかけたが、既に村は手遅れだったということ。村に着いた時、クリーチャーはもう数匹しか残っていなかったこと。そして助け出すことが出来たのはランダだけだったということ…。

「それでね?ランダ、突然で悪いんだけど、あなたはこれからどうする?」

「え?」

 唐突な質問にランダは驚いた。それはそうだ、全く考えてもいないことを聞かれれば誰でも驚く、それにランダはまだ少年。生きること、その全てを親に、大人にまかせっきりで毎日を生きてきたのだ、そんなことを普段に考えることなんてまずしないだろう。考える必要が無かったのだから。でも、これからは必要になる。もう親はいなくなった、殺された。村の大人達も皆居なくなってしまったのだから。

「どうするって。」

 ランダは呟く、やはり精気の無い声で。

「望まなくてもお前は一人になってしまったんだ、もう甘えられる人間もいなくなってしまったんだよ、親も殺されたんだろう?これからはお前が一人で考えて生きていかなくてはなってしまったんだよ。」

 焚き火の番をしている男、ロイは言った。

「そう、望まなくてもね、一人で決めて生きていかなくてはならないのよ。悲しんでだけいるわけにはいかないのよ、残酷だけど。」

 クシーが付け加えるように言う。それでもランダは答えられなかった、答えられるはずが無いのかもしれない。

「そんなこと言ったって、僕には何も出来ない。」

「何にも出来なくてもだ、しなくてはならない。生きなくてはならないんだよ。」

 ロイは声を抑えつつも、強い調子で言う。そして続けた。

「俺達がお前をずっと連れて行くことも出来る、近くの村まで送って保護してもらうことも出来る、もちろんここにおいていく事もな。でも、それは俺達の行動だ。お前がどうするかはお前が決めないといけないんだよ、ランダ。お前はどうしたいんだ、ここに残るか?それとも近くの村にでも保護してもらうか?」

 ランダは黙っていた、これからは自分で生きていかなければならない、その意味が良く分からなかったのだ。自分で生きるとはどういうことなのか、一人で生きるとはどういうことなのか、考えてもやはり答えはでない。

「わからないよ。」

 ランダは呟くように言ってから、顔をきっと上げて叫んだ。

「一体何なんだよ、何が起きたんだよ!なんで皆殺されたんだよ!なんで僕だけ生きてるんだよ!何で!なんで?なんで…。」

 勢いづいて叫ぶが、最後まで続かなかった。さらにランダは泣き叫ぶ。

「僕も、あの時死ねばよかったんだ!怪物に、食われてれば良かったんだ!そうすれば、何にも考えなくて良かったのに…。」

 涙ながらに呟きつづけるランダ。ロイは顔を伏せて表情を曇らせる。それまで、隣に座って黙って聞いていたクシーが、突然ランダの襟元をつかんで引き寄せる。

「何言ってるのよ、あなた生きてるじゃない!村の皆は殺されてしまったけど、あなたは生きているじゃない!殺されたほうが良かった?ふざけないでよ、死んでいいはずが無いじゃない。生きたかった人はどうなるのよ、死にたくなかった人は?皆死んだかもしれないけど、あなたは生きているのよ?生きなさいよ、あなた。死んだ人の分も、殺された村の人たちの分も生きなさいよ!死んだほうが良いなんて今度言ってごらん、私が死ぬよりつらい目にあわせてあげるよ!一人でも、誰も居なくても生きるのよ、無念で死んだ人の為にも。いえ、なにより自分の為に!」

 クシーは一気にまくし立てる。まるで悲鳴を上げているかの様な声で訴えかけてくる、襟首を掴まれたままランダは呆然としている。言いたいことを全て吐いたのか、ハアハアと息を切らしている。呼吸を落ち着けてから再びクシーは言った、今度は落ち着いた、なだめるような声で。

「とにかく、あなたは生きなくてはならないの。クリーチャーに喰われる寸前のあなたを助けたのは私達の勝手かもしれないけど、あなたが生き残ったのは偶然かもしれないけど、独りになってしまったのは悲しいかもしれないけど。でないと何も出来ないのよ?居なくなってしまった人を悲しむことも、なにも。」

 掴んでいた手を離し、肩に手を置いてクシーは、さっきとは違ったやさしい目で話し掛ける。

「生きていれば出来るの、なんでも。死者を弔うことも、悲しむことも、泣くことも、喜ぶことも、新しい幸せを見つけることも。そう、何でも。」

 そこでクシーは手を離す。そして直ぐにそっぽを向く。どうやら自分がかっとなったことが恥ずかしいらしいのか、彼女の顔が赤い。

「そうだ、生きなくてはならない。その為に自分で決めなくてはならないんだ、自分の生きる道を。難しいかもしれんが、それでも決めなくてはならない。それは他人にはとてもじゃないが決められることじゃない。だから俺達が決めることは出来ないんだよ。ランダ、お前が決めなくてはならない。もう一度訊くぞ、どうする?」

 ロイがクシーの後を引き継ぐように続ける。

「僕は…。」

 それから、暫く静寂が包んだ。二人ともランダの次の言葉を待った。その間、何者も音を発するのをはばかったのかも知れない、本当に静かだった。月が雲に隠れてまた顔を出すまで、誰も声を発しなかった。

 やがて少年が顔を上げ、決心したように口を開いた。

「僕は、生きるよ。でも、僕には住む場所が無くなった。」

 クシーもロイも黙って聴いている。少年はさらに続けた。

「他の村に行っても駄目だと思う、生きていけないよ。一人で生きていけないってわけじゃないんだ、何とかやれば多分うまく良くと思う。でも、それじゃ嫌なんだ!またあの、クリーチャーって奴らにおびえて暮らすのが、何も出来ないのが!だから、僕を一緒に連れて行ってよ、なんでもするからさ。」

「それで、いいのか?」

 ロイが静かに訊く。

「いいよ、僕にはもうそれしかないんだ。他の村に行っても、皆はいない。」

 顔を伏せてからランダは寂しそうに言う。しかし、次に顔を上げたときにはそんな感情を微塵も感じなかった。ロイとクシーは互いに目を合わせて頷く、そしてロイが言った。

「よし、分かった。じゃあこれからは一緒に頼むぞ。」

「一件落着ね。ちょうど良いわ、ベットも戻ってきたみたい。」

 クシーがそう言うと、木の陰から男が現れた。どうやら彼がベットというらしい。

「お~い、見回り終わったぞ。もう交代で寝ようぜ?」

 そう言ってそのままランダの目の前を通り過ぎ、布をかぶって横になる。

「交代になったら起こしてくれよ…。」

 そして直ぐに寝息が聞こえ始める、ランダはしばしの間呆然としていた。

「ベットの奴、相変わらずね。」

 ため息をつきつつ、クシーが言う。そしてランダに向き直って話し出す。

「もう寝ましょう。掛ける布が足りないから、あなたはそのままシーズと寝てくれる?」

「え?」

 また呆然となる、自分は一人で寝ていたのではなかったのか?身じろぎをすると、やわらかい、暖かい感触が隣にあった。見てみると少女が隣で静かに寝ている。今まで隣に寝ていたのに全く気づかなかった、それどころではなかったので意識できるほどではなかったのかもしれない。それでも彼女が突然隣に現れたかのような錯覚にとらわれる。

 年は自分と同い年か、それとも少し下か、その位だろう。髪は黒く、肩ぐらいまで伸び、顔は少しふっくらとしている。まだあどけなさが抜けきらないその顔が目をとじ、寝息を立てている。寝ているから目が見えないが、笑ったらきっと素敵だろう。かなり可愛い、もし自分に妹が居たとしたら、こんな妹が欲しいと思わず考えてしまう。

「その娘はシーズだ。わけありでな、俺達と一緒に行動している。」

 ロイが少女のことを簡単に紹介する。

「シーズは、やはりクリーチャーのことがトラウマになっててな、クリーチャーの気配には人一倍敏感なんだ。それで寝込んでたんだが…。お前と一緒に寝かしたら何故か、ずっとうなされてるのがおさまったんだよ、だから離さずにそのままにしといたんだ。」

 シーズを眺める、今では穏やかな寝顔を見せている。彼女がトラウマを負っている?自分と同じか、少し下の少女は自分よりも以前に自分と同じような目にあったというのか、とても信じられない。

 ふと、シーズがランダの方へに寝返りを打つ。その時にランダの腕がシーズの体にあたる。すると、シーズはまるで愛しいもののように抱きかかえてしまった。

「あ…。」

 ランダは少女に腕を両腕で抱きしめられることに顔を紅く染めた。暖かいぬくもりが腕を包む。直ぐに腕を振り解こうと思ったが、その少女があまりにもその腕を抱いて安心しきっているのを見て、やめた。この少女を安心させておきたい、出来ることならば護りたい、そう思ったのだ。

「諦めておとなしく寝て頂戴、シーズは寂しいのよ。」

 クシーは言った、確かにそうだろう。一人では無いとはいえ、同年代の友達も居なく、常に恐怖と一緒に居るのだから…。

 ランダは頷くと、そのままシーズに添い寝をしてやるように横になった。暫く起きていようと思っていたが、ランダの意識は直ぐに闇に落ちていった。


 そして、終わらないと思われた悪夢のような日は終わりを告げた。

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