一流大学の法学部を卒業し、大学の成績も良くも悪くもなくそこそこの男だったので、その時代はまだ求人難でもあったから、面接で疑問の残るところはあったが取りあえず雇ったのだが、すぐに化けの皮を剥がしはじめた。自分は小学校から高校に到るまで常に会長職を引き受け、失敗を恐れず先生と生徒の期待を一身に受けて、どのようなことでも必ず成功させた。と言う言葉を真に受け、入社早々当時の上司に当たる綾口廉係長が自分の執り行っていた仕事の二つを最初から鬼吉権現に振ってみた。しかし簡単な取引にもかかわらず二つの会社からキャンセルが入った。二つの会社とも理由は言わなかったが、相当憤っているようで、社長にも連絡が入った。結局綾口廉係長は出先の会社に出向と言うことになり、もうこの会社に戻ってはこなかった。鬼吉権現は自分に綾口はろくでもない仕事をさせようとして、逆に自腹を切ってしまったと誰彼となく吹聴しまくっていた。 しかし綾口廉係長は後から、鬼吉の傍若無人な態度を噂に聞くにつれ、この会社に移ってよかったと思った。給料も仕事の内容もほとんで変わらなかった。二十年後、倒産した前の勤務先に鬼吉がまだ在籍していたことを知り、倒産したことを納得し、再度今の会社に移り出世したことにしみじみと喜びを感じた。

 鬼吉の第三営業係は、取引の上手く立ち行かなくなった相手との最終の駆け引きを行う、この会社独自の係で、営業部の謝罪専門係のような所だった。ある意味難しい係だった。こちらの否を認めないように、どちらかと言えば相手方の方に否かあるように慇懃に謝り続けて行く係であって、市場範囲の狭い業界なので、ある意味理不尽な相手であっても出来れば切らないで多少なりとも利益が得られるように、歯みがきのチューブの最後の一絞りを行うような係で、なくても会社にとって特に問題はないと、大方の社員は思っているような係だった。

 ここには、再雇用の古参が三人いたが、いずれも我が道を行くという図太い神経の持ち主で鬼吉係長をもってしても太刀打ちできるようなものではなく、時間管理も仕事内容も自分のやり方を通し、しかし会社の利益にはそこそこ貢献していた。

 したがって、係としての方針や協力して何かを推進していくようなことはなく、形だけの会議を開いても、ある者は自分の資料作りに没頭し、ある者は弁当をひろげ、さらにある者はここぞとばかり、靴下を脱ぎ爪をきりはじめる。そんな中で鬼吉係長は新人が辞めずに、まだ生き残っていれば、そちらを向き、すでに退職してしまっていれば、薄汚れた壁にむかって我が営業係の方針という、自慢話を延々と語りはじめる。興が乗ってくると、くすりのフラッシュバックが来たように陶酔し、居合わせた者どもは三々五々会議室を出て、持ち場に戻り仕事を開始する。しかし何年かに一人配属される新人はそういうわけにはいかず、最後まで苦汁をなめることになる。入社半年のある新人は、あるとき突然他の者と同様に会議室を出て、そのまま会社も出て行ってしまい。もどってくることはなかった。

 鬼吉係長は久しぶりに新入りを自分の配下に招いた。これまでにも五人が鬼吉の係に配属されたが、最長もって一年で退職した。はやい者は三日でいなくなった。今となっては鬼吉の係に配属される者は、入社当初から先の見通しがつかない取りあえず受け入れて、受け入れ人数の確保をし、会社の信頼の指標としようとしているところがあった。したがってあきらかに辞めるために入社した新入社員の取りあえずの置き場だったのかもしれない。

そこに入ってきたのが胡桃亨だった。大方の予想は三日。もって一ヶ月だった。いかにも今風の若者で、小ぎれいな顔と姿をしたいたが、いかにも線が細く、些細なことでもたやすくすぐに折れてしまいそうな感じがした。

 入社して、営業部での最初の挨拶は好奇な目で見られた。その簡単な挨拶を聞いている営業部の多くのものが、鬼吉のところに配属されたこの若造が会社にどのくらい滞在しえるのか値踏みをしているような目つきだった。

 最初の会議の時、いつものように自分の仕事をしている者、栄養を補給している者、身体のお手入れをしている者のなかで、胡桃亨はと言えば誰よりもはやく腕を組んで寝始めた。新人としては珍獣の部類に入るかもしれないと営業三係のものはこの男に好奇の目を向けた。さらに勝手に退出をする者が出始めると、なんと急に眠りから目が覚め、この退出者の後に続き二番目に退出してしまった。

しかし胡桃亨は誰もの予想に反して見事な営業技をおこなった。フットワークが軽く、何回も取引先に赴き、担当者から可愛がられ、折り合いの悪くなった仕入れ先との関係を修復したり、そこから新たな仕入れ先を手に入れてきたりした。しかし鬼吉係長はそれらすべてを自分の仕事の成果とした。しかも胡桃亨の提出した報告書を一旦はゴミ箱に捨て、後でそれをそっと拾い自分の名前に修正液を使って書き換えて上司に提出した。

 社内ではそのことを知っている者は多数いたが、不思議なことに胡桃亨も多分そのことを感づいていたと思われるが、怒るどころか楽しんでいるようにも見られたのだった。

 したがって、そのことが社内で問題となることはなかった。

 胡桃亨が入社して、半年が過ぎたころ、すでに誰もがいつ辞めるかと言う目で胡桃亨を見るものはいなくなった。鬼吉係長配下の三人の古参も、胡桃亨を同僚として扱い、むしろ胡桃亨が円陣の芯となり三人の古参に会話と協調が表れた。

 そのことを感じ取った課長から鬼吉係長が指摘をうけると、それは自分が胡桃亨を通しておこなった、自分の作戦であるように上司に報告した。

 しかし、胡桃亨が入社して三年目に会社は倒産した。しかし、その予想は大方の社員は持っていて、次の手立てを講じている者もいた。胡桃亨はその噂を知っていたが、次のことを考えることはなく今の生活を過ごしていた。同じ第三営業係の古参の社員には楽しんでいるようにも見受けられた。鬼吉係長に到っては、そんな会社の状況を理解することも知ることも出来なかった。

 会社の倒産が間近に迫り、それを公に告知する間際に井村悦夫社長は鬼吉係長を呼んだ。倒産後の残務整理を依頼するためだった。学生時代からの友人である破産管財人、岩立岩三郎から会社の人間を一人か二人残してくれと言われたからだった。そのような依頼を引き受けるのはこの男しかいないと踏んでいた。この男の社内での評判はあまり良くないことを社長は知っていたが、しかしこの男については一目置いていた。二十年間この男を見てきてどこか病んでいることは感じてはいたが、しかしその病巣の皮が剥がれれば何かが表れてくるような思いがあった。

 鬼吉は自分がその職務を行うために、胡桃亨も残してくれと言ったので、井村社長はそれは了解した。しかし、鬼吉に言わせるこの胡桃亨はあまり出来のいい男ではないらしい。

 しかも困ったことに今年アメリカに留学し卒業して帰国した、井村社長の姪を親に掛け合って無理矢理入社させていたのだが、どうもこの男と付き合っているらしいのだ。親もそのことを感づいていて何とか二人の間を切ってくれと言われていた。留学中に付き合っていた男がいて、その男は優秀で親はその男を気に入っていたからだった。

会社は倒産し、社内には鬼吉と胡桃亨だけが残ることになった。二人は破産管財人として来た岩立岩三郎の下で働くことになった。鬼吉権現の係長としての立場ではなく、胡桃亨と対等な立場として岩立管財人は接した。岩立は胡桃亨を気に入っていた。フットワークが軽く、よく気を回して作り上げた書類には、倒産して職を失った社員への気配りが感じられた。岩立は胡桃亨を呼んで、仕事の指示を出すようになっていた。鬼吉は胡桃からの説明で仕事を行うようになった。

 鬼吉は、胡桃に説明を受けるごとに内に沸きだたせるように沸沸と不満を募らせていた。

 それは胡桃亨にではなく、あくまでも岩立にむかった。なぜなら胡桃亨は鬼吉をたてるように謙って対応し説明し、会社時代と何ら変わらない様子を示したからだ。それは胡桃亨の気遣いではなく、胡桃亨の持っている自然な態度というよりも、これまでの生き様によってそなわった人間性だった。一見、この世で捨てられたと思われる道程が、得難い道であることもある。胡桃亨はその道を歩んでいた。誰もわからないまま、他に知られることもなく。それは鬼吉権現も同様であったが向きが違っていた。

 やがて鬼吉権現はこの職場を去って行く。それは断固たる意思決定によるのではなく、ただ単に職場に行く足が向かなくなったのであり、それによって出てきた有り余った時間は競馬場で費やされることになる。しかし資金はもう底をついていたし、借りられる当ても消え失せていた。鬼吉権現の持ち続けている尊大な心では、福祉には頼る気持ちはなかった。自分をここまでに追い詰めたのは、この社会が天賦の才を妬んで自分を追い込んでいるという確信があった。

唯一望みが持てると考えたのは、自分を慕っていると思い続けている胡桃亨との共同生活だた。胡桃亨だったら、どこからか食べる物も、住むところも見つけ出してくるに違いないと思っていた。しかも胡桃亨は俺が天賦の才の持ち主だという真実を知り得ていて、俺を敬い俺の命令にを必ず聞き従うのであると思っていた。

その胡桃亨が女に狂いはじめていると心底からの危惧を抱き、そこから胡桃亨を救い出すことが自分に課せられた天命だと思っていた。女は蛇のように狡賢く、綺麗で優しい女ほどその舌先に猛毒を隠し持っているというのは、鬼吉権現のまさしく骨身まで染み込んでいる実体験から得た教訓だった。鬼吉権現は動き始めた。それは社長から直接命じられた最後の指示でもあった

しかしことごとく挫折した。胡桃亨も、別れるように電話を掛けまくった井村絵里も突然鬼吉権現の前から姿を眩ました。あっという間だった。こんなに素早く生きる術が自分の前から消えてしまうとは思わなかった。

 井村絵里は倒産した会社から、当初自分が望んでいた外資系の会社に再就職して、イタリアに赴いていたが、そこに掛かってくる鬼吉からの繰り返しの電話を避けるために、電話会社を変えた。胡桃亨も電話番号を変え、引っ越して、鬼吉権現との関係を切った。

 鬼吉は住む場所を失い、食べる物もなくなった。ふらふらと歩きながら三浦半島まできた。そこは関東では、自分の恵まれた幼い日々が影のように揺らいでいる場所だったからだ。公園で寝泊まりを繰り返し、ゴミ箱を漁りながら三日でたどり着いた。

 たどり着いたそこに廃屋があった。そこに入り込んだ。しばらく歩いた町中にハンバーガー屋があり、その裏手のゴミ箱に朝方売れ残ったハンバーガーが捨てられた。鬼吉は、それは天が自分を救済するために、旧約聖書の時代に

荒野に降り注いだマナのように感じ取った。それを求めて二人の先人がいたが、そこに割り込んだ。何回か殴られたり、棒で顔面を叩かれ血だらけになったこともあったが、それでもあきらめずに割り込み、三人目の立場を得ることが出来た。

 しかしやがてそのハンバーガー屋は店を閉めてしまった。あれだけ売れ残りのハンバーガーを捨ててしまっては経営は立ちゆかなくなる。

 売れ残りのハンバーガーで生きていた三人の男は離散し生きる糧を失ってしまった。

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