③鬼吉権現の回想

 俺の漕いだ船は白い浜辺に到着した。

 浜辺はそのまま砂漠だった。どこまでも白い砂が波を打ち連なり、目の前に広がる世界は白い砂しかなかった。

俺は、取りあえず船をおりた。しかし、地面は揺れていた。長く船に揺られていたからだ。振り返るとそこも白い砂漠になってゆらゆらと揺れていた。そんなに意識はしていないのだが、俺はだいぶ歩いたのだろう。遙か彼方に青がほんのわずかだけ、糸くずのように見える。あそこが海だ。でも間もなく消える。もう見ることもないような気もするが、それは恐ろしい気もする。涙が出そうになる。今、向きを変えてあの青に向かって思い切り走れば、俺はもとの世界に戻れるのだろうか。しかし、それは無理だとわかっている。もどるには、前に突き進んでいくしかないのだ。

 過去は無表情な絵になり、自分を凝視しする。あの青はこの景色に張り付いた一枚の絵に過ぎない。

 砂と同じくこの白い空に、灰色の太陽は熱も持たずに、しらけて輝いているだけだ。

 いくつもの陽炎が舞い上がる。赤い舌を出し。赤い舌が思い切り笑っている。

 この音の無いざわめきをカビのようにはびこらせて、俺が進み続ける真っ白な砂に浮かんでは消え、消えては浮かび真っ赤な舌が風も無く揺れている。俺はこの真っ赤な舌の浮遊物を赤舌と名付けた。

 すぐ前に居た赤舌に、両手で砂をすくい上げ、思い切り投げつける。ごっそりとその口に砂が入り、目の前の赤舌は苦しそうに黄色い唾液を砂に垂らし、前のめりになり、鰓のような両腕で自分の首を絞めゼイゼイともがいている。俺はその陽炎に近づき思い切り背中を蹴り飛ばす。

 回りを取り囲んでいる陽炎は、その俺の姿を見て、鰓のような手を打ち鳴らしながら腹を抱えて笑う。やはり俺の一挙手一投足は尊敬に値するものなのだと今あらためて思う。それが、どうしてここに居る。ここの現実こそが謎なのだが、しかし俺が考えて謎が解き明かせなかったことなどはなかった。やはり俺は、俺に相応しく意味を持っていつも存在していた。

 すべての状況に的確な判断を下すものとして、その決定をくだすものとして、指示書を作り出すものとして。命令を出すものとして、命令に従って動くものを操作するものとして、結果が当然のこととして、すべての者共の驚嘆と賛美の内に表れることを確認するものとして。

 俺の辞書には不可能と言う文字はない。不可能どころか可能と言う文字もない。すべてが、当然なこととして俺を覆っているのだ。

 俺の回りから陽炎は消えた。居なくなったのでは無く、俺を迎えるための準備をし始めたのだということは俺にはよく分かっていた。

 青い空が広がってきた。果てしなく続き、白くうねり続ける地。しかし俺は歩み続ける。 なぜか。その答えは、俺の生まれたころから、これまでに到る歴史の中にある。

 歴史は瞬間であり永遠であり、時間を超えた一枚の絵であり、真理ではあるが、たった一点のみが真実であり、その真実は無限の虚偽で覆われている。その真実こそが俺の内にある。

 動きの無い風が俺を包み込む、砂が時折薄いレースのように舞い上がっている。太陽からの光は、燦めく線となり、あるいは幾重にも折り重なった面となって、柔らかく地上に舞い降りてきていた。青と白がこの世界を彩るすべてとなり俺の前の景色となり、その景色に限りない無が覆い尽くしている。だから俺は全く自由になり、いつまでも歩き続けることができる。それはすなわち、俺の歴史を、その美しい絵をさらけ出していくことになる。

 振り返ってみれば、この世に誕生して、俺は誰よりも早く言葉が理解出来ていた。付きの者に連れて行かれた病院の定期診断で、回りの同じ年齢の幼児が泣き叫んでいるのを横目に看護師の説明を聞いていたのを今もよく覚えている。

 小学校に上がるころには、新聞が読めていたし、英語やスペイン語は会話ぐらいなら出来ていた。推理小説はすでに読んでいたし、漫画の単行本一冊は普通の大人よりもは早く読み終わっていた。パソコン操作もほとんど出来ていて、ゲームは時間を掛けずにクリアーした。

 学校の勉強はつまらなかったが、授業中は、記憶していた高学年の問題を頭の中で解いて過ごしていた。

 友達との会話も幼稚すぎてつまらなかったが、家に帰れば大学生から大人の家庭教師が三人いてそれなり優秀な人材であったから、家に帰れば充分に話すことは出来た。ただし父親も母親も社交が忙しく、ほとんど家に居ることがなく、したがって親との会話はほとんどなかった。

 学校での生活は、小学校も高学年になれば児童会に無理矢理出させられるようになり、そうなると会話もせざるおえなくなり、自分で言うのもななんだが、容姿端麗で頭が良く、スポーツも得意でピアノもでき、裕福な家庭の御曹司であるから、女子が黙っているはずは無く、連日列をなして家に遊びに来るようになった。しかし、家庭教師、手習い、ピアノ、弓道等の連日の日程が組まれており、付き人がいとつもそばに行って、時間が来れば女友達は菓子を持たされてを追い出され、学習部屋やレッスン教室へと押し込まれて、一人の女子と懇ろになる時間はずっと持つことが出来なかった。

しかし大学に入ると、全く自由になった。付き人の鎖が外れたのだ。もちろん金はふんだんにあった。俺の才能が花開く時。それは俺の天平時代、あるいはルネサンス期だった。高級売春婦がいつも取っ替え引っ替え部屋に入りこみ、快楽の極みを尽くし、媚薬に麻薬を持ち込みそれを酒で体内に流し込み、知らぬ間に幻想的な音楽と色彩が漂う賭博場で札束が乱れ飛び、隠微で残酷な暴力が乱舞しそれを酒を飲みながら全身で甘受し血だらけになりながら笑い転げた。快楽と欲望の限りを尽くしたと言ってもいいだろう。

 しかし栄華はやがて質を変えていくものだ。社会は俺の才能と品格を必要とした。

俺は待望され、世に出ることとなった。予想通りその活躍は目覚ましいものだった。誰もが尊敬と敬愛の眼差しで俺を見つめた。しかし俺の仕事に向き合う態度は厳しかった。数の些細な相違も決して許すことはなかったし、論理性のない言動はその間違いを知らしめ糾弾した。真理とそれに向かう理論を、俺は直ぐに理解し手玉に取った。確率でさえ理論で解明し、弄び、金に苦労することはなかった。

 俺の後に続きたいと願った者は、砂地に這う無数の虫のようにいた。しかし俺はそれを許さなかった。能力のない奴を相手にしても埒があかないからだ。時間の無駄。体力の浪費に他ならない。俺を慕っていた内の一人花岡竜一は社内にあっては、最も優秀な人材ではあったが、やはり俺を慕い、なんとか俺に取り入ろうと、船釣りで俺を接待し近づこうと試みたが、やはりそれで俺の弟子になることなど出来るはずもなかった。誰もが認めるあの優秀な花岡竜一ですら、俺は近寄りがたい存在になっていた。

 俺はすでに、高級なマンションに住むこともなく、美食で腹を満たすこともなく、女を回りにはべらせることもなく、修験道の行者のように己を磨いていた。

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