第17話 万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり  奥坂まや

万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり  奥坂まや




前回の続きである。では、「笑点」の「大喜利」において理想的な回答とは一体どのようなものであろうか。




それは出題者の質問の意味から程よく離れていながら、全く無関係ではない回答、ということである。前回実例を示したように、出題者の問いに対してあまりに近すぎる回答、またはあまりにかけ離れてしまっている回答は、共に観客の笑いは誘えなかった。その中間をいかに上手く捉えるかが、回答者の腕の見せ所である。




さて、それでは前回提示した、


「芋畑に誰誰が居てね」と言って下さい。司会者が「へえ、どうしてたの」と聞きますのでさらに続けて答えて下さい。


という題に対するよい回答とは、どのようなものになるだろうか。一例を挙げてみよう。




「芋畑に元有名IT会社社長が居てね」「へえ、どうしてたの」「ホリエモン」




これは「ホリエモン」という落ちが「元有名IT会社社長」の渾名を指していると共に、「ホリ」という語感が「芋を掘る」という動作を連想させて芋畑とも関連性を保っている。




IT会社の社長、といういかにも現代的なものと、芋畑、といういかにも旧式のものとの組み合わせで一見すると不均衡だが、その不均衡が落ちの一語によってばらばらにならず踏みとどまっている。




この「つかず離れず」の関係が、観客の笑いを引き出す引き金となる。




そしてその「笑い」を「感動」に置き換えると、上記の考え方はそのまま俳句作りの考え方に当てはまるのではないだろうか。




俳句は短い。一瞬の芸事である。その中でいかに読者を「あっ」と言わせるかを考える思考回路は、「大喜利」の回答者の思考回路と実は大変に良く似ていたというわけだ。






ただ違いは、俳句では「感動」という結果を、「大喜利」では「笑い」という結果を狙っている、ということだけだったのである。




そういう言葉の距離感を考える上で、前回、今回と取り上げさせて頂いた二つの作品は、大変参考になる。




「てんと虫一兵われの死なざりし 安住敦」は重い内容に対して「てんと虫」がいかにも健気で、作者とともにほっと一息つける安心感が嬉しい。読者から最高の感動を引き出す季語の配置である。




「万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり 奥坂まや」は二物衝撃の代表例としてあまりにも有名だが、組み合わされたこの二つのフレーズの間には、片や大きな断絶がある一方で、背後で際どく繋がりあっている。




「笑点」もこれからは娯楽番組としてではなく、教養番組として観なくてはならなそうである。




蛇足。ちなみに前回の例題で、以下の回答も考えていた。どちらのほうがよかっただろうか。


「芋畑に野田総理が居てね」「へえ、それでどうした」「どじょう(土壌)を掬ってた」

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