第14話 密密と隙間締め出しゆく葡萄  中原道夫

密密と隙間締め出しゆく葡萄  中原道夫



第三に写生句を作ることは作家の構想力を鍛えるのにとても効果的である。「構想力」と前回言った「表現力」とは意味が近い言葉のようにも見えるが、表現力が景色の感じ方、捉え方であるのに対して、構想力は景色の空間的な配置、把握力であると言えるかもしれない。表現力が「色付け」の力であるとすれば、構想力は「デッサン」の力だ。俳句では文字数に制約があるから、あまりくどくどと説明的には述べることができない。描くべき風景に対して、いかに不要の説明を省略していくか、そして作者の心にある風景をいかに読者の心に届けるか、そのためには確固たる構図がなければどだい無理な話であろう。


つまり写生句を作る、ということは俳句作家にとって必要な要素の大部分、空想力、表現力、構想力を網羅的に鍛錬することができる、ということになるのではなかろうか。だからこそ、古来より写生句を作ることが推奨されてきたのではなかろうか。


だとしたら、私も苦手、苦手と言って手を拱いている訳にはいかなくなってきた。良い句ができるかどうかは別である。ただ写生句を作ることを試みることだけでも、自分にとっては十分に効用があることと思い挑戦していくことは必要であろう。


薄明に現れし主峰や通し鴨  中島夕貴


例えば前々回紹介させて頂いた掲句。今までの論になぞらえて言えば、掲句は際立って構図がしっかりしている作品である。誰が読んでも、位置関係にぶれがないであろう。そして夜明けを迎えたばかりの山容に対して、「通し鴨」の配合が秀抜である。「鴨」を描くことによって山裾に広がる「湖」を連想させる。それによって周囲一帯を覆う森林の模様さえ伺えてくるのである。繰り返し現れるア音とオ音の響きも、風景の雄大さを感じさせる大きな一因となっている。名句である。


啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々  水原秋櫻子


こちらは「有り得べき嘘」の代表例として、藤田湘子が著書の中でしばしば引用している句である。実際に作者が目にしていたのは落葉している牧の景色である。そこに少し想像力をめぐらして「啄木鳥」を鳴かせたのがこの句の味噌。牧の景色に豊かな連想をもたらすとともに、音楽的な心地よい余韻を読者に与えるために配置した措辞だが、全く無理がない。むしろ自然である。まさに作者の秀でた想像力と感性の賜物であろう。


そして今回紹介する中原主宰の作品。前二回にわたって見て来たいわゆる「風景句」とは一線を画するが、写生を突きつめた先には掲句のような作品があると言えるかもしれない。つまり独自の俳句を作るには、独自の主観だけあっても全く役に立たないのである。自分だけが分かっていても作品として失敗しているのでは用をなさない。自分なりの感性、個性を支えるには、まずは対象を見詰める力を養うことが先決である。しっかり物を把握し、きっちりとした構図のもとで自分を表現する、そうすれば掲句のような佳句をものすることも夢ではなかろう。


実際には葡萄は「闇を締め出し」たりはしていない。しかし掲句を前にしてはそんな常識は全く歯が立たないのを知る。見詰めれば見詰めるほど葡萄の実の一粒一粒が膨張して行き、その間に挟まれていた小さな細かい「闇」たちは徐々に行き場を失い実の間から締め出されているようだ。


それを読者に納得させるには、まず白い更に盛られた黒々とした葡萄の様子を読者にイメージさせなくてはいけない。しっかりとした構図が必要である。まさに写生の力が問われている。


大家の作品ほど、その苦労の跡を作品に留めないものだ。いとも簡単に書き留めているように見える。


一歩でも、その高みにに近づきたいものである。



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