第10話 千代田区のとなり港区潮まねき  珍田龍哉

千代田区のとなり港区潮まねき  珍田龍哉




先週は作家の「得意分野」ということについて述べたが、珍田龍哉氏は固有名詞を扱うことについてはまさに得意中の得意とする作家であった。




掲句も東京在住の人なら、いや例え東京の地理にあまり詳しくない人にだって一読句意は明瞭である。「千代田区」の隣に「港区」がある、という何の変哲もないことをただ正直に述べているのである。




試しに地図を開いて見ると、なるほどやはり「千代田区」と「港区」は隣り合っている。きっと昔から隣り合っていたのだし、将来も恐らく隣り合って行くことだろう。




しかし少し視界を広げれば、千代田区の周りには中央区も墨田区も江東区も台東区もある。港区の周りにも品川区も目黒区も渋谷区もある。いずれも仲良く隣り合っている。




しかしその中から俳句として選択されるのは、やはり「千代田区」と「港区」しかあり得ない。「渋谷区のとなり目黒区」では句にならないのだ。




もちろん「千代田区のとなり港区」を句として成立させているのは季語の「潮まねき」の効果が絶大な役目を果たしているのだが、それ以上にこの固有名詞の選択はゆるぎない。固有名詞の力を十二分に発揮させている作品だと言えるだろう。




珍田作品の中から固有名詞を扱った句を探すことはそれほど困難ではない。仮に句集『昼寝の国』から抜き出すとすれば以下のようなものがある。




石見沢ばんえい競馬草紅葉


チャタレーもかの森番も冬霞


北の丸御門より凡百の卒業子




固有名詞を俳句の中で活かすのは一般的には難しいとされる。ありきたりな地名、人名では平凡になるし、あまりに突飛な名詞では読者にイメージを喚起させられない。ちょうどその頃合いのところを見計らって、言葉そのものの持つ語感やイメージを存分に引き出し、例え実際にその場、その人物を知らない読者にもある一定の感興を湧き立たせないのでは固有名詞を使う意味がない。




珍田氏はその間合いというか距離感を捉える達人であったように思う。




俳句も一種の競技、競争であるから、自分の得意分野を持つということはとても大きな武器となる。私も自分ならではの得意分野を作りたいものと思う。

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