第3話 辣韮剥く己に克つといふ一事  伊沢惠

辣韮剥く己に克つといふ一事  伊沢惠




伊沢惠さんという作者には、私はどんな感謝の言葉を以てしても感謝を言い尽くせない。




その方には、私が前の結社誌に在籍中、俳句の骨法を叩き込んでもらったという経緯がある。私の俳句の土台を作ってくれたのが伊沢惠さん、私に俳句の基礎を叩き込んでくれたのが伊沢惠さんである。




私が初めて惠さんに出会ったのは、私がまだ18歳だった頃のことだ。(ちなみに「惠さん」というのは「けいさん」と言うのではなく、「けえさん」と呼ぶことになっていた。そうでないと師匠の藤田湘子に怒られたのだ。)




惠さんは俳壇でこそそれほど知名度のない作者であったが、結社の中では飯島晴子とも並ぶほどの偉大な女流作家であった。




そんな惠さんの膝下に赴くことになったのは、一体何がきっかけだったろうか。今となってはしかと思い出すことができないが、恐らく惠さんのお孫さんと私とがちょうど同じ昭和55年生まれだったのも一つの大きな要因だったような気がする。




惠さんは、師匠の藤田湘子譲りの、とにかく厳しい指導者だった。肉づきの豊かなふくよかな体型からは一見似ても似つかぬような激しい苦言を、いつも門下生に放っていた。




しかしその教えは、どこまでも藤田湘子の教えに忠実であった。ある時惠さんは言っていた。


「他の人が言うの。私の教え方は湘子先生の受け売りだって。でも、私はそう言われるのは逆に嬉しいの。だって、湘子先生の教えをそのままみんなに伝えるのが私の役目だもの。湘子先生の言っていることをそのままみんなに伝えているっていうのは、私にとって褒め言葉だわ」




人に対して厳しくする、ということは、逆に言えば自分に対する風当たりを強くするということでもある。たとえどのような華麗なる経歴を持った作者であろうとも、自ら人の参考になるような作品を作らず口ばかり偉そうなことを言ったって、その下に属する者たちは次第に心が離れ意欲を失っていくばかりだろう。




惠さんはその点、立派だった。門下生には常に厳しい叱咤激励を浴びせながら、自身は常に結社の第一線の作者として、前例のない斬新な句を連発していた。




そう。掲句のように、まさに「己に克つ」ことを第一義として。




惠さんは残念ながら平成19年に没してしまった。




私は惠さんに愛された門下生の一人として、私の出来うる限りにおいて、惠さんの作品の素晴らしさを世に知らしめたいと思う。




そして惠さんの教えを一人でも多くの人に伝えて行きたいと思う。




それが弟子として出来る最高の恩返しだと思うし、弟子としてしなくてはならない、最低の責務だと思うからである。

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