お好みの結末
漆目人鳥
お好みの結末
棗のような常夜灯の光りに照らされて、きらり、ぎらりと刃が光る。
「金をだせ」
胸部と腹部に、金縛りのような圧迫感を覚え、薬補『
男は、掛け布団の上から女店主の上に馬乗りになって、彼女の身体の自由を拘束する格好になっていた。
右手には刃渡りの長い、頑丈そうな刃物が握られており、左手には、拘束の為に準備したのか、大層な長さの荒縄を抱えている。
「金を出せ、と言われて人様にただでくれてやるようなお金があるのなら、こんなチンケな商売なんかしてませんわ」
身動き一つ出来ない状態で、しかし、特に怯えた様子もなく店主が答えた。
「減らず口叩きやがって」
男がズイと店主に顔を近づける。
「そうじゃねぇ、おれは『命が惜しかったら金を出せ』と言っているんだ」
「はあ、つまり、私の命に見合ったお金をよこせと?」
店主がそう言うと、男は覆い被せていた身体を彼女から離し、馬乗りのままで満足そうに口を開いた。
「少々血の巡りが悪い様だか、理解したようだな。そのとおりだ、さっさと出した方が身のためだぞ」
そう言って、店主の鼻先に、ぎらりと刃物を突きつける。
「お褒めにあずかり光栄ですが、私の命の対価だとすれば、金に換える価値なんぞありはしません。ますます、あなたにお金を差し上げる理由が無くなりましたわ」
「てめぇ、ならばこの場で俺様がお前の喉頸掻き切っても異論はないって言うわけだな。俺は命を大切にしない奴は大っきらいなんだ、躊躇なく行かせてもらうぜ」
男は刃物で店主の喉元をひたひたと叩いてみせる。
「まあ、待ちなさいな。確かに私の命に対価的価値がない事は、私が言いだした事ですから異論は有りません。有りませんが、世の中には金では測れない価値というものが有るのも事実。これでもこの命、私にとっては中々に使い勝手の良いものでしてね。一生大事にしようと思っております。金がほしいというならば、私の命うんぬんとは無関係に差し上げたいが、生憎、本当にここにはあなたが満足するほどのお金も金目のものもない」
「嘘をつくな、なにやら高価な漢方やらを売りさばいて、小金を貯めこんでいるという噂だぞ」
「薬が高価なのは、原価が高価だからですよ。それが資本主義社会というもの……」
そう言って、店主がはたと視線をそらして自信なさげに続けた。
「だったような気がします」
「何をごちゃごちゃと言ってやがる」
「ご提案をして差し上げようというわけですわ」
「なんだと?」
「ですから、あなたはまとまった金がほしいと言う。ここには金がないと私が答えた。だけどそう言ったところで、どうせあなたは信じてくれちゃいないんでしょ?」
「当たり前だ」
「そこでご提案です。とりあえず私は何の抵抗もしませんのでお好きなようにしてください。そのお持ちになっている荒縄で縛ろうが柱に結えつけようがご自由に。ガムテープで口と目を塞ぐのも結構。ただし、その時は鼻の穴だけはご勘弁。息ができなくなって死んでしまったら、それこそ本末転倒です。あとは、お気がすむまで、お好みのままに店中を探索していただき、お好きなものをお持ちください」
「お前、そんな風にいえば俺が納得して出ていくとか思ったら大間違いだぞ」
「そんな事は思ってませんよ。下手に行き違いがあって怪我をしたり厄介事を背負い込んだりするのが厭なだけです。大体、ぐるぐる巻きに縛られて、私が嘘でも付いていたならそれこそ殺してくださいって言ってるようなものでしょう?」
「まあ、とりあえず、抵抗しないと言うならばいい心がけだ。お望み通り縛らせていただくぞ」
言うと、男は店主の上から下りて、掛け布団を剥いだ。
黒いネグリジェの裾が乱れた、あられもない店主の姿が晒される。
目出し帽の男の表情は解らなかったが、その視線が、あらわになった店主の艶めかしく白い太ももに注がれていることは、ごくりと鳴った喉の音で明白だった。
一瞬、戸惑いのような躊躇を見せた男は、それでも気を取り直したように首を振り、店主の上半身を立たせると、持っていた荒縄で手際よく縛り上げる。
「口枷とか目隠しとかはしなくてよろしいので?」
「どうやらお前さんは、じつはなかなかに頭のいいやつのようだ。ならば金が無いのは本当かもしれない。と、なれば店の商品を頂いて行くのも一興という言う寸法だ、さっきおまえさんも『高価なものだ』と認めていたしな。物の詳細を知りたいときのために目と口は暫く自由にしておいた方が便利そうだ。大声を出したきゃ出せばいい。命が惜しいのもホントのことのようだから、そんときゃどうなるかは頭のいいお前さんのことだ、お差察し下さいって塩梅だ」
「あんたって人はつくづく面倒くさい人ですね」
「なんとでもいえ、ほら、出来たぞ、さっさと店の方へいかねぇか!」
男はそういって店主を立たせると刃物を突きつける。
二人はそのまま、男が入って来た時に開け放されていた障子戸をとおって、縁側続きの店舗へと向かった。
突き当たりを廊下なりに曲がり、右手に現れた歪んだ透視ガラスがはめ込まれた引き戸を、男が前に出て開け放すと、一段低くなった店内が広がった。
その空間には、深い水の底のような気が満ちている。
あまり広くない店内には、人の背丈より頭一つ高く、5段ほどある棚が古本屋のような様相でひしめくように備え付けられており、
棚には大小蓋付きの透明な広口瓶と書籍が混然と並べられ、瓶の中には多分漢方の材料となる薬草であろうものが詰め込まれているのが見える。
「店の中はごちゃごちゃしてて危ないですよ。明りをつけてくださいな、そこの上がり場の壁にスイッチがあります」
「ふざけた事をぬかすな。なんで盗人の俺が人質の心配をして、自分の正体を明かすような危険なまねをしなけりゃならないんだ」
男は、さほど声を荒げたわけではなかったが、それでも、店の中に広がり響いていた古くさい掛け時計が時を刻む音をかき消すには充分だった。
「いえいえ、私は目をつぶったままでも店の中は歩けますよ。私は、あなたの心配をして、よかれと思って忠告して差し上げているのですわ」
「なにが、よかれと思ってだ。おれはその言葉を使っていいことをした奴を見たことがない」
「はいはい、解りましたよ、ホントにあなたは面倒くさい。とにかく、気を付けてくださいね」
誰もがそこはかとない不安を感じ、物怖じしそうなたたずまいの中、店主を先にして男が徘徊を始める。
唐突に、棚に陳列物のアクセントのようにぽつんと置かれた、ほかのものよりひときわ大きい広口瓶に入った白く薄汚れたぶよぶよの塊が、のたうつように蠢き、ごばり、ごぼりと鈍い音を立てた。
驚いた男は思わず身を引いたが、それは結果的に後ろの棚へ身を預けるように追突する格好となってしまっていた。
「うわ」
ぶつかった後ろの棚に陳列された、乾燥した薬草の葉や根の入った硝子瓶や古そうな書籍が、ばらばらと床に落ちる。
それに呼応するように、先ほどの固まりの入った瓶も床に落ち、中の薄汚れたぶよぶよが床にぶちまけられた。
「ああ、だから言わんこっちゃない」
その瞬間、床で蠢いていた固まりが何倍にも膨れあがったかと思うと、飴のように伸び上がり、男の目の前に立ちはだかった。
「なんだ、これは?どうなって……」
「だから、人の言うことは素直に聞くものですよ」
そう言って、店主がコキコキと肩を鳴らすと、がんじがらめになっていた荒縄が、彼女の足下にストンと落ちるのを見て男が再びぎょっとする。
「私はあなたのお好みのままにしてあげただけだ、その結果がこのざまだというならば、あなたも実に満足でしょう。満足いかないなら悪いのはあなただ。もっとも、悪いのがあなたかどうかは別にして、あなたは悪い人であったことは間違いないですよね、泥棒さん」
店主がそう言って口元に薄ら笑いを浮かべた刹那、伸び上がった固まりは、そのまま男の頭上から襲いかかるように崩れ、べとべとと男の身体に筋を引いて滴っていき、身体をすっかり包み込んだかと思うと、今度はぐねぐねと蠢き出す。
男は、黄色く濁った鼻水のような固まりにどんどんと包まれて、姿が見えなくなりながらも、何事かを叫び、もがいているようだったが、物体の蠢きが激しくなっていき、やがて、太い枝を折るような音が聞こえだすと、固まりは深紅に染まり出し、最早、男の抵抗を感じられるモノは何も無くなっていた。
やがて真っ赤に染まった固まりは、大きく一つ伸び上がり、ゴムのような上下の律動を繰り返すと、次第に小さくなっていき、ひとしきり縮んでしまうと、二つに分裂した。
二つになった固まりは、紅いゼリーのようにぶるぶる震えながら、ナメクジよろしく店主の下へと這っていく。
店主は転がっていた広口瓶を拾い上げ、片方の固まりの前に差し出し、「ほう、ほう」と声を掛けると、固まりは嬉しそうに身震いして、瓶の中に滑り込む。
「今は丁度良い入れ物が無いから、あんたはそっちの隅っこで暫くおとなしくしてなさい」
店主が、そう言って、残った片方の固まりをぽんと蹴飛ばすと、固まりはぶるぶると震えながら這いずり、闇の中へと消えていった。
彼女はそれを見て一つ息を吐くと、踵を返し歩き出す。
「そうそう……」
ふと、振り返り口を開く。
「もちろん、私自身、人が悪かったことには異論が無いんですがね、泥棒さん」
そう言った彼女の眼は
お好みの結末 漆目人鳥 @naname
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