3-5 思惑

「――上機嫌ですね、陛下」


 他国で言うところの王城の役割も果たす大聖堂内の一室。

 日頃から滅多に表情を緩めたりもしないイザベラにしては珍しく、ワインを片手に穏やかな笑みを浮かべてみせている主の姿。

 こういった姿をもっと周りに見せていれば、もう少しぐらい華やかな話題もあるだろうにと思いつつも、アイラは相も変わらず淡々とした物言いのままに声をかけた。


「『勇者』が思っていたよりも頷いてくれたものだからな。これを喜ばずに何を喜べと言うのだ」


「……確かに、想像していたよりも簡単に、あっさりと承諾してくれた事に少々驚きました。魔族というのは神の敵として認知されていると思っていましたが」


 イザベラが言う通り、彼女の申し出でもあった『世界の自治権』という代物に対する反応は、イザベラとアイラにとっても良い意味で予想を裏切られるものであった、というのが本音であった。

 神の使いであるルーファが『勇者』に至る背景を知らない二人から見れば、まさか神のお膝元から離れる等という意見を受け入れてもらえるとは、到底思っていなかったのも事実だが、ましてや魔族と人の混血だと聞いて、驚きはしたものの否定的な態度を取らなかったのもまた驚きであった。

 どちらについても、最悪の場合はあの場で多少なりとも揉め事でも起こるかもしれないと考えていただけに、嬉しい誤算であった。


「神々の考えなど分からぬが、此度の『魔王』も神の使いであると考えると、魔族そのものに対する価値を見出したのやもしれぬな。いずれにせよ、都合が良いのだから気にする事もあるまい」


「そうですね。――そういえば、陛下。『魔王』への使者は引き返させますか?」


 イザベラの目的――世界の自治権を得るという見通しが立つ前、イザベラはすでにエルバー商業国へと向けて使者を送り込んでいた。もちろん、狙いはそちらから魔王の人となりを見つつ、あわよくば交渉のテーブルにつく事が目的であった。

 しかし今となっては、ルーファという協力者も現れ、危険性を孕んでいる魔王アゼルに無理に接触する必要はないのではないかと考えるアイラであったが――しかし、イザベラは頭を振った。


「何を言っている。『魔王』への接触は必要だ」


「……『勇者』との密約が成ったのに、ですか?」


「くっくくっ。アイラよ、お前も『勇者』同様に青いな」


 短く笑った後で、イザベラは手に持ったワイングラスをゆらりと揺らしながら続ける。


「もし万が一、万事うまく運んだとしよう。『勇者』が『魔王』を討ち、妾はその後の魔族の受け入れ先を対価に世界の自治権を得たとして、世界が平和になるのはせいぜい十年程度といったところであろうよ。神の庇護なき地でも作物が手に入り、生活が潤い始めると知られる頃には、やれ神への叛逆者だの神の意思だのと大義名分を振り翳して攻めてくる有象無象が湧いて出てくるのは自明の理だ」


「それは……神々が認めても、ですか?」


「神が認めるのは、あくまでも“干渉しない場所”でしかないのだからな。当然、その後がどうなろうと助けてはくれまいよ」


 神の庇護下にある世界で、神の庇護が消えた国。

 自ら選んで自由を勝ち取るとは言えど、他国から見れば“神なき地”として白い目で見られるか、利権に目が眩んだ者達からは美味しい獲物にしか見えないであろう事ぐらい、イザベラとて理解している。


「だからこそ、妾には『魔王』が必要なのだよ」


「……新たな火種になるのでは?」


「考えてみよ。神々に敵対するにせよ、世界と敵対するにせよ、それには超常の力の持ち主が必要な事に変わりなかろう。魔導工学技術をひたすらに推してきたのも、そういった力が必要だと感じたからだ。だが、それだけでは足りぬ。ならば、更なる力を持つ存在を手に入れるのも必然であろう?」


「それが、『魔王』であっても、ですか?」


「そうだ。『魔王』も手に入ったとなれば、“自由”も盤石なものになる。勇者との戦いで命からがら逃げる魔王を救い、仲間に引き入れる事ができるのが理想だが、そう上手くいくとは思えぬ。ならば、無事な今の内に彼奴の子種を貰い、新たな『魔王』を生み出すのも悪くなかろうよ」


「それは……その身を差し出して、という事ですか?」


「差し出す、と言うのは些か聞こえが悪いな。これもまた取引だとも。幸か不幸か、妾はそれなりに見た目も優れていると自負している。まぁ、これまでこの肢体を武器にする事はなかったが、な」


 豊満な胸に引き締まった身体とすらりと伸びた長い足。美しく整い、故に冷たく見えるような怜悧さを兼ね備えた切れ長の瞳もまた、男にとっても実に魅力的な容姿をしている。

 そのセリフを口にして、嫌味に聞こえないというのもなかなか稀有な存在であるのは事実だが、確かに事実であった。


「とは言え、妾の場合は容姿以前に狂王としての名が売れ過ぎておる。利権目当てに妾を口説き落としたがる他国の狸か、下半身で物事を考えるような男しか妾を抱きたがるような者はそうそうおらぬ。ならば、新たな国の国母となるというのも一興ではないか? 幸いにして、魔王アゼルは妾にとっては実に好ましい男だ。全てを蹂躙できる力、茨の道すら歩む決意を宿した目。男としてあれ程に魅力的な男もいまい」


 僅かに酒に酔っているのか、潤んだ瞳で蠱惑的な笑みを浮かべてみせるイザベラにそこまで言われれば、大抵の男であれば我慢できなくなりそうなものである。

 もっとも、瞳に宿している光は、どう見ても獰猛な肉食獣のそれと似たような色を写しているのだが、それをアイラは口にしようとはしなかった。

 自由の為に、自らすら犠牲にしても手を伸ばす。

 そんなイザベラの在り方を知っているアイラが、ただの色恋に浮ついた少女のような恋などするはずもないのだ。いっそイザベラらしいとも言える瞳の色に、アイラは苦笑を浮かべた。


「陛下ならば、魔王アゼルすら籠絡してしまいかねませんね」


「……そうだと、いいのだがな」


 短く、小さな声で呟かれたイザベラの言葉は、アイラには聞こえていなかった。






 ――――その一方、同時刻。


「ふにゃ……うぅん……」


 明かりのない寝室。

 ノエルの寝息だけが聞こえる部屋の窓の外、ルーファは夜空を見上げてバルコニーで一人佇んでいた。


 イザベラとの間に交わされた、密かな取引。

 あの後、会場に戻ったルーファやイザベラに密談の内容を訊ねてくるような者はいなかったが、意外な収穫のある一日だったと言うべきだとルーファは結論づけていた。

 恐怖の象徴であると同時に調停者として魔族を司るという目的がある今、イザベラのように人族とのパイプ役を担ってくれるという存在は、悪くはない。


「……あとはアゼル。……キミが止まってくれさえすれば……」


 問題は、やはりアゼルであった。

 何故神々に反旗を翻してみせているのか、ルーファには未だに理解できていなかった。

 神々が憎いのだと告げてみせたアゼルではあったが、そもそもアゼルが――魔王の称号すらもあっさりと受け取ってみせたアゼルが、何故今更ながらに神々に叛意を抱くのか。


 世界の有様を見たから、ではないだろう。

 イザベラのようにこの世界で生まれ育ったのならばいざ知らず、アゼルは過去の記憶こそあやふやなものになってこそいるものの、元々別の世界で生きていた存在。生前の記憶に在り方を左右されているような節はなかったとルーファは思う。

 考えられるのは、初代魔王ジヴォーグの力――『歪み』を宿したサリュの存在を取り込んだ事で、アゼルの魂が多少なりとも変質してしまったという可能性ではあるのだが、しかしルーファはその可能性は低いと感じている。

 曲がりなりにも神の力によって生み出されたアゼルが、その程度の力によって変化してしまうとは考えられないのだから。


 そこまで思考を巡らせて――ルーファは頭を振った。


 アゼルと会い、その真意を確かめる。

 必要であるのならアゼルを討つ為にも、心を乱すのは得策ではない。


 夜が明けたら、ルーファはノエルとエーティアを伴って旅立つ。

 向かう先はアディストリア大陸の中でも、魔族の攻撃が激化し、『人族同盟』が防衛ラインとして定めているテオギア王国と呼ばれる、リッツバード王国の南に位置する隣国。教皇マルレーナより、まずはそこで活躍してほしいと頼まれている。

 最前線に攻め込んでくる魔族を倒し、そのまま人族に希望を、『勇者』としての名声を高める為にも活躍してみせる必要があるだろう事は、ルーファにも理解できる。

 ルーファにとっても、己の名声が高まれば、必然的に自分にとっても都合が良いと考えているため、その提案に乗る事にした。


 しかし――違和感があった。


 テオギア王国の最前線のみならず、これまでも『人族同盟』との戦いが僅かにでも膠着状態になった途端、魔族側はどういう訳か有力な魔族を前線から退けているのだ。

 もしも魔族が、イレイアやその他の名のある魔族を投じていれば、あっさりと打ち崩せるにも拘らず、だ。


 それだけではない。

 この半年という時間の中で、魔王軍の実力は洗練されてきている。

 かつての、ただただ個々の力のみで戦っていた頃よりも圧倒的に組織的であり、計画的な侵攻具合を見る限り、確実に戦略と呼ばれるものを導入しているのは火を見るより明らかだ。


 だと言うのに、詰めで見誤っているようなやり口。

 まるで、“わざと膠着状態を続ける為に時間稼ぎしている”ようにすら見えた。


 例えば、これがアゼルの慢心からくるものであるのなら、それもおかしな話ではない。

 もしくは、いざという時に戦力を投じるつもりであり、そうでなければ部下に武勲を立てさせる為だというのなら分からなくもないのだが――それだけとは思えなかった。


「……アゼル。キミは一体、何を狙っているんだい……?」


 義体であるこの身体を得てしまった事もあって、今ではアゼルに問いかける事も、決して返ってくる事もない呟きは、月明かりの下で虚空に消えていった。








 ――――そして、ちょうどその頃。

 魔大陸に生まれた魔国アンラ・マンユにある、切り立った崖の上に佇む魔王城の謁見の間。


 重苦しい空気が充満するその場所には、魔族の中でも名のある者達が一堂に会し、玉座に座るアゼルへと視線を向けている。

 重苦しい空気となった理由は、夢魔族の一人が齎した情報――神の使い、『真なる勇者』の降臨に関するものであった。


 ――再び、神が動いたのか。

 先代にして初代魔王ジヴォーグの頃と同じく、遂に動き出した神の存在に歯噛みするゾルディアは、かつての記憶を呼び起こす。


 圧倒的な力を有している自分達魔族でさえ、神の力を得た『勇者』に対しては手も足も出なかった、苦い記憶の数々。

 イレイアとその従者であるアルマ程の実力者でなければ、『本物の勇者』と呼ばれていたノエルら三人と戦えたかも怪しいところであったというのに、今度は神の使いとして直接送り込まれてきた『勇者』。


 神々の動きがあまりにも早い事に驚いているのも事実ではある。

 しかし、同時に――魔王アゼルという圧倒的な力を持つ存在と、神の使い。果たしてどちらが上回るのかという、純粋な疑問を抱くのも、彼らが力の信奉者でもあるが故だろう。

 重苦しい沈黙の中にどこか熱を帯びた気配が混じる。

 魔族の面々が心のどこかで激しい戦いに胸を躍らせているという側面もあるからだろうと、ゾルディアは周囲の空気をそう結論づけた。


「……想像以上の早さではあったが、想定の範囲内だな」


 沈黙を破ったのは、玉座に腰掛けていたアゼルであった。

 彼の物言いには、明らかに――どこか楽しげな、機嫌の良さが僅かに窺えた。


「陛下、いかがなさいますか? 神が動き始めたとなれば、これまでのようにはいかない可能性もあります。一度、それなりの実力者をぶつけて様子見するというのも手だと思いますが――」


「変更は必要ない。前線で戦う者達にも『勇者』の存在を教え、討ち取ったら褒美をくれてやると伝えてくれ。それがセオリーというものだろう」


 夢魔族の巫女にして、魔王アゼルの側近であるネフェリアは、思わずアゼルの言葉に耳を疑った。


「……放っておく、と?」


「前線に送っている者達にとっても、多少は腕のある相手とぶつかる方が経験にもなる。今までのハズレ勇者共は俺達が潰してしまったせいで、人族は烏合の衆でしかない。多少痛い目を見せてやるぐらいの方が、今後も言う事を聞いてくれるだろう」


「それは……」


 確かに、それは間違った話ではない。

 すでにアゼルによって、『勇者の末裔』も『本物の勇者』もあっさりと屠られ、魔族と人族との間で起こっているこの戦争は、圧倒的に魔族側に有利に傾いている。

 人族側の強者がいない事もあって、魔族にとっては今や人族など敵ではないという風潮もある。そういった部分もあってか、魔族の中にもアゼルの命令を軽視している者がいるという話も上層部に届いている。


 当然、そんな不埒者を放っておくような側近達ではないのだが――しかしアゼルは、そういった輩にも手を出さないようにと命令し、やりたいようにやらせている。

 結果として、人族と魔族の間の戦闘は膠着状態に陥りつつある。

 この状況に首を傾げつつも誰もアゼルの命令に逆らう事がないのは、偏にアゼルが圧倒的な強者であり、魔王であると誰もが認めているからこそでもある。同時に、そういった彼らの心情を知っていてなお、アゼルはそれ以上の命令を口にはしようとはしなかった。


 ――まさか陛下は、人族に情けをかけるつもりか?

 そんな事を考えて、訝しげに玉座に視線を向けた〈黒竜〉の一族の長、エイヴァンの視線を受けながらも、アゼルは玉座から立ち上がり、後方に位置する巨大な窓へと近づいて、窓の外に望む空を見上げた。


「……待ちかねていたぞ、神よ」


 口元に僅かに笑みを浮かべている事も、その意味も。

 それを知るのは、アゼルのみであった。

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