3-4 女帝の真意 Ⅲ
「――『勇者』よ。妾と取引しないか?」
「取引?」
「左様だ。相手としては『魔王』も捨てがたかったが、貴殿のような存在が現れた以上、『魔王』と手を組むというのも愚策であろうよ。どちらと組んだとしても大差ない結果を得られるのなら、貴殿と組んだ方がメリットは大きい」
まさかこの情勢――『人族同盟』が魔族によって追い詰められているこの状況下で、アゼルと手を組む事すら考えていたのだと言い出してみせるイザベラを前に、ルーファは訝しげにイザベラを見つめた。
イザベラの微笑みに、一切の嘘は見当たらない。それは同時に、今こうして自分へと持ちかけてきた取引とやらに応じなかった場合には、イザベラはアゼルに対して手を組もうと持ちかける腹積もりであろう事を意味している。
「……酔狂だ、と言いたいところだけれど、生憎キミの言い分はまだまだ的を射ていないし、不明瞭だね。肝心の取引って、何が欲しいと言うつもりだい?」
「――世界の自治権、だ」
「……世界の自治権……?」
堂々と言い放ってみせたイザベラに、ルーファはさらに困惑を深める事となった。
曲がりなりにもエルセラバルド帝国の皇帝。すでに十分な国土も手に入れ、軍事力も他の追随を許さない程のものを持ち、現在では『人族同盟』の重要なポストを担っているイザベラが、何故そんな言葉を口にしたのか。
疑問に思うルーファを他所に、イザベラは足を組み替えて続けた。
「どういう意味も何も、今の状況が全てを物語っているであろう? 神々が決め、神々がこの世界に干渉し、『魔王』を生み出し『勇者』である貴殿を寄越してきた。ここに妾や人の思惑は一切介入しておらず、更に言えば避ける事も解決する事もできぬ」
「……まさかキミは……」
「左様。盤上遊戯のようなこの世界を――神の箱庭と化しているようなこの世界に、神々が干渉できない場所。そういう意味での、本物の自由を妾は欲しているのだよ」
それは、この世界で生きる者ならば、いっそ忌避するような考えですらあった。
神々の加護があるこの世界は、アゼルが前世を過ごした地球のそれとは異なる。
不毛の大地に水を生み出す事もできれば、木々を生やす事さえできる――それが神の庇護下にあるという事だ。
魔法と呼ばれる技術は確かに神の力は関係ないが、魔王城の裏手に住まうリリイなどの大精霊の存在もまた、神の力と近いものであると言っても過言ではない。もしも神々がその場所を見捨てるような真似をすれば、大地は荒れ、木々は枯れてしまう可能性すらあるのだ。
しかし、イザベラはそれらを理解した上で続けている。
「確かに世界は神々の加護によって守られているであろう。肥沃な大地、飢えずに恵まれる食べ物、神という絶対的な庇護下にあり、それ故に人にとって住みよい世界――それらは実に素晴らしい事だ。だが、妾はそれが原因で、今の人族は腐敗しているのだと考えておる」
「人族が腐敗……?」
「そうであろう? 神々の庇護をアテにし、世界の均衡よりも己の利益を求める者。神々の権威を笠に着て、代弁者と宣う教会。権力に溺れ、力ばかりを求め、そうして今の時代が――貴殿の主であろう神々が、粛清として『魔王』を投じなくてはならぬ時代がやってきた。果たしてその原因はなんだ? ――人族の愚かさであろうよ」
苛烈な言葉を用いて、イザベラは続けた。
「三百年前。初代魔王と呼ばれるジヴォーグとの戦いは、神々が動いた結果――『勇者』という英雄が生み出され、確かに人族は勝利を収める事となった。が、それと同時に人族に対して“人族こそが正しい存在だ”と暗に宣言したようなものだ」
「――違う、そんな……ッ!」
「で、あろうな。当然、神々にとってみれば、そんな意味など持たせてなかろうよ。――しかし、現実だ。そう受け取ってしまっているのが世の多くの者であり、同時にそれが当然であるとさえ思い込む阿呆もいる」
世界を守ろうとした結果、この世界に生きる〈
言葉に詰まるルーファを他所に、イザベラは滔々と続けた。
「三百年前、『勇者』として〈
それは紛れもない現実であった。
アゼルが生み出される前――否、アゼルが存在を高らかに世界へと告げたあの一件があってなお、『人族同盟』は『人族同盟』ではない者達を蔑ろにし、実際に多くの者達が魔族側に寝返る道を選んでしまった。
それは偏に、『人族同盟』という存在がどれだけ歪んでいたかを物語ってもいる。
「……キミは、そういった世界の歪さを正す為に、敢えて神々の庇護から離れたいと?」
「その通りだ。世界全体が神々の箱庭である以上、教会や他国の目は何かと種族やら血筋やらと、面倒で仕方がない。くだらぬ権力争いに身をやつす、選民意識に染まった愚かな者などいらぬ。外交しようにも、種族なんぞに拘るという使える者すら使えぬような柵が、妾にとっては邪魔でしかないのだ」
「だったら、神々に種族差別をなくすように神託を授けてもらうという方法も――」
「くっくくくっ、青いな」
ルーファの言葉に、イザベラは肩をすくめて笑った。
「現実を見よ、『勇者』よ。すでに魔族側に渡った者達が、今更神の言葉などを信じると思うか? これまで他種族を下に見ていた者達が、神の言葉に心を入れ替えられると思うか? ――その程度では足りぬであろうよ。生温い処置をしたところで、表立って争いはなくなろうといずれ再燃する」
イザベラの言葉を、ルーファが否定できるはずもなかった。
「妾は有能な者に種族など問わぬ。それこそ、相手が魔族であっても、だ」
魔族とはそもそも、世界の異物でしかない。
神々が初代魔王ジヴォーグの討伐に手を貸したように、魔族もまた“誅するべき存在”として認識されている。
そんな魔族すらも利用しようと考えているからこそ、イザベラは神々の庇護下を離れ、敢えて共存共栄の道を模索するつもりなのだと、ルーファは今更ながらに気が付いた。
それは確かに、神々の真意とは異なる。
神々にとって、魔族は“世界の異物”でしかなく、当然ながらに共存するような道など最初から考えてはいない。魔族を隔離し、せっかくなのだから統治して利用しようとした神々の思惑と、イザベラが考える共存共栄とでは、明らかに違いがある。
そういう意味で、イザベラが提案した自治権という提案は、ある意味では正しく現実を捉えていた。
「……その提案を受けるとして、ボクらにメリットがあると?」
「そうさな。これが国相手であったら“魔王と手を組む代わりにそちらに協力する”とでも言えば黙ったのかもしれぬが、貴殿相手ではそうもいくまい。そこで、自治権を認めてくれるというのなら、貴殿が魔族を統治するなら互いの交流を、殲滅するのならば生き残りの魔族を妾が拾い、管理しよう」
――悪くない、とルーファは思う。
魔族の中でも危険な、特に理性も一欠片程度しかないような者は、アゼルを説得するにせよ討つにせよ、ルーファは処分する対象として捉えている。その後、理性的な者達はうまく統治する予定ではあったが、これを機に魔族という“世界の異物”を、この世界に馴染ませ、共存させる道筋を作る事もできるようになるだろう。
当初からアゼルには共存共栄は認められなかったが、今では事情も変わりつつある。
魔王を生み出した亜神という立場であったが、魔族の問題が片付き、改めて魔族の神――魔神という立場に収まり、魔族を完全に押さえ込む役割を担う事も考えれば、調停者としての戦力としても魔族を生かすという方針に交渉の余地が生まれる可能性もある。
そこまで考えて、ルーファはしばしの逡巡の後でイザベラへと改めて視線を向けた。
「……どうして、そこまで拘るんだい?」
イザベラの身体に魔族の血が流れているというのなら、まだ分かる。またはイザベラが愛している相手が、『人族同盟』から認められない種族であるというのなら、そうまでして世界の自治権などというものを欲する理由も分からなくもない。
ただ単純に自治権などというものを欲するには、それ相応の理由があって然るべきだろうと考えたルーファの思惑を汲み取って、イザベラはパンパンと手を叩いてみせた。
部屋の中に入ってきたのは、イザベラの腹心であるアイラであった。
「コレは妾の忠実な部下であり、友でもあってな。名をアイラ――〈
「――……ッ、魔族の血を……?」
使用人が着るお仕着せに身を包んだアイラが、イザベラに紹介されてルーファへと頭を下げて挨拶してみせた。
「アイラと申します」
「先日、『魔王』アゼルが世界へと宣戦布告した際に協力したのは、夢魔族が放っていた間者である事は知っておるであろう」
イザベラはアゼルが行った宣戦布告に、各国に潜んでいた夢魔族の〈羽〉の者が関与している事を、アイラから聞かされていた。実際、アイラから密かに報告を受けて監視していた夢魔族は、あの一件以来エルセラバルド帝国からも姿を消しており、無理に手を出さずに見送るだけに留まっている。
彼女が謁見の間で誰にも気付かれずに佇んでいられるのもまた、幻術を得意とする夢魔族の力があるからこそでもある。もっとも、表向きには〈
「そうしてやって来た夢魔族の者の中には、結婚して子を成した者もいるようでな。しかし、本来ならばそうして生まれた魔族との混血は、魔族側に寝返る。当然と言えば当然だ。何せ人族側にとって――否、世界にとって魔族とはそもそも悪そのものとして扱われておる。わざわざ生きにくい環境に身を投じ続ける必要もなければ、そもそも魔族とは魔王を裏切れない生き物だと聞いておる」
――しかし、アイラは違うとイザベラは続けた。
「此奴は自ら妾に売り込んできたのだよ。魔族の血を持つからこそ、自分は他の者が持たぬ武器を持っている、とな。妾はそういう不遜な部分が気に入っておるが、他の者がアイラの正体を知ろうものならば、騒ぎとなろう」
「私の血が原因で問題が起こるのは本意ではありませんので、もしも陛下の願いが叶ったとて、公にするつもりはありませんよ?」
「無茶を言うな。〈
「……困った御方ですね」
「くくっ、諦めろ、アイラ。妾は我儘で傲慢な皇帝であるぞ?」
「分かっていますよ」
意外だ――とルーファは目の前のやり取りを見つつ目を丸くする。
かの『
そう感じつつも、ルーファはふっと小さく笑みを浮かべる。
こういった形でも、魔族と人が手を取り合えると証明されているのであれば、調停者の役割を担うとしても今後の展望は明るいのではないだろうかと、そう思わずにはいられない。
「分かったよ。神々との交渉も含めて、ボクはボクで動いてみよう」
――――こうして、狂王と『勇者』の間では、密かな取引が成立したのであった。
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