3-1 願い

 アールスハイド神聖国に降り立ったルーファが最初に始めた事と言えば、ただただ延々と、訓練場で一人剣を振るい、魔力を操るという基礎的な訓練であった。

 それは奇しくも、アゼルがこの世界に降り立ってから始めたものと同じく、“肉体に宿されたポテンシャルを把握し、発揮する”という目的にのみ沿った、酷く淡々としていて、それでいて必要不可欠な行動である。


 そうした訓練場の片隅に、少女は――ノエルはいた。

 アゼルによって心を壊されて以来、かつての天真爛漫な笑みを浮かべる事すらなく、ただただ人形のように日々を過ごしていたはずの少女。


 そんな彼女が、自らの意思でルーファを見たいとポツリと漏らし、こうしてルーファの事をじっと観察している。


 その瞳に宿るのは――紛れもない怒りであった。


 ――どうしてもっと早く来てくれなかったのか。

 ――何故、シルヴィとロザリーの二人を助けてくれなかったのか。


 それらが八つ当たりと呼ばれる感情である事は重々承知しているが、それでもそんな気持ちを抱かずにはいられない。


 だらりと弛緩していた身体に、久しく込められた力。

 ノエルは訓練用の木剣を両手に取り、ゆっくりとルーファへと向かって歩み寄っていく。


「――ボクが憎い、かい?」


 舞うように剣を振るっていたルーファが、背後から近づいてくるノエルへと振り返ろうともせずに問いかけた。


 決して奇襲を仕掛けるつもりもなかったノエルではあるが、唐突に自分に向けられた言葉には反応せずにはいられず、ぴくりと身体を震わせ、歩みを止めた。


「……どうして、今更来たの……」


「どうして、と言われてもね。キミ達――『本物の勇者』と呼ばれたキミ達が負けて半年、人族は着実に窮地に追いやられつつある。だから、ボクが動く事になったんだよ」


 アディストリア大陸に、かつての平和はもはや存在していない。

 魔族の混成部隊が魔物を操り、多くの都市を陥落させ、国を呑み込んでいく。

 不気味な沈黙を保ちながら『人族同盟』に協力を始めたエルセラバルド帝国も、かつての魔導兵器〈アルヴァ〉を投入こそすれど、最低限の助力しか続けておらず、その裏では何を考えているのかと『人族同盟』内でも不審感が募っている。


 そういった点でも、お世辞にも一丸となっているとは到底言えない『人族同盟』。

 それを見抜いているかのように、アゼルの指示によって多くの魔族が押し寄せ、『人族同盟』は刻一刻と追い詰められつつあるのが現状だ。


 ノエルも時折、彼女ら『本物の勇者』のお目付け役でもあった枢機卿――レオンツィオ・カミロから現在の人族が追いやられている状況については聞かされている。

 レオンツィオなりにノエルを奮い立たせるつもりで口にしていたようではある。もっとも、残念ながらノエルの心に届いたかは別として、だが。


 俯くノエルへ、ようやくルーファは目を向けた。


「キミは、戦いから外れるといいよ」


 ルーファの一言に、ノエルは思わず目を見開いてルーファの目をまっすぐ見つめた。


「キミにアゼル――魔王は鮮烈過ぎる傷を与えた。キミが彼に立ち向かうのは、無理だと思う」


「……あなたなら、それができるの?」


「ボクはその為にやってきたからね。できるできないじゃない、やるしかないんだよ」


 ルーファとて、可能ならばアゼルを止めるつもりだ。

 殺さずに、理性を取り戻し、恐怖の対象としてアゼルが魔王として君臨してくれるのであれば、予定調和を取り戻せる。

 その為には、どうしてもルーファにはアゼルと対峙する必要があった。


 そんな中でノエルのように、アゼルに対して憎しみを抱いている存在が近くにいては、話が拗れてしまう可能性だってある。

 だったらいっそ、ノエルにはここで舞台から降りてもらった方がルーファにとっても都合が良い。


 しかし――ルーファには人の心に似たものはあっても、人の心を完全に把握できる訳でもなかった。


 ノエルは手に持つ木剣を強く握り締め、ルーファをまっすぐ見つめたまま――口を開いた。


「……わたしと、手合わせ、しよ」


 ノエルは決して賢い娘とは言い難い。

 生まれ育った環境――純真無垢に育てられ、貴族に手折られる為だけに善悪も知らぬままに育ったという歪な環境に育ってきたノエルには、頭で考えるよりもまず、心の赴くままに行動するという節がある。


 そうした背景を知らず、ただただ素直に助言したつもりのルーファの言葉が、かえって“二人の姉を殺した仇敵から逃げろ”と言われているような気がして、苛立った。


 頭でも心でも、理解はしているのだ――魔王アゼルには勝てない、と。

 それを理解して、動物のようにただ逃げるのは、今のノエルには不可能であった。それをするには、あまりにも憎しみが根強く残っている。


「あなたといれば、魔王を殺せるかもしれない。だったら、あなたと一緒にいる」


 この半年、ノエルは何度も、それこそ気が遠くなる程にアゼルが見せつけた力を思い返し、シルヴィとロザリーの二人を殺した瞬間を繰り返して思い出していた。

 それに対してノエルがやった事と言えば、ただただ苦しみに泣き叫ぶでもなく、“どうすれば対抗できるのか”という純然たるイメージトレーニングであった。


 人形のように壊れた心――そう揶揄されている事など、ノエルにはどうでも良かった。

 ただ、自分だけの力ではどうしようもなく魔王アゼルには届かず、その差を埋めるにはがむしゃらに剣を振るうしかない自分だけでは、届かないと本能的に理解していた。


 だが――ルーファの剣舞を見ていて、その力を見ていて、ノエルは確信していた。


 魔王アゼルに己の剣を届かせる為に、ルーファの力は必要不可欠であろう、と。


「……足手まといはいらないよ。悪いけれど、手加減するつもりもない」


「構わない。シルシルとローズの代わりに、私が戦う」


 ならば――あとは己の力を、圧倒的な強者であるルーファに引き上げてもらえばいい。シンプルでありながらも、最善の手である結論に至ったからこそ、ノエルはこうしてルーファに声をかけたのだ。


 理不尽な憎しみをぶつける。

 それをしないのは、偏にノエルが――どこか壊れてしまっているからでもあった。


 今はただ、魔王を、二人の姉の仇敵を己の手で殺す事を。

 それだけを渇望して、その為にルーファという力が自分には必要なのだと、ノエルはそう判断していた。


 そうしたノエルの判断基準は、お世辞にも一般的とは言えない。

 人の心を持つとは言え、それでも人と関わり合う事のなかったルーファには、どうしてそういった結論に至ったのかも理解できなかったが――それでも、ルーファは目の前の少女の必死さに、何かを感じ取っていた。


 本来ならば、アゼルと会わせるべきではない存在である。

 ルーファはアゼルを討つとは公言しているものの、かと言ってそれだけが目的で動くつもりでいる訳ではないのだから、下手をすればノエルの存在そのものが邪魔になる可能性だってあるのだ。


 なのに――ルーファは、ノエルを放っておく気にはなれなかった。


 アゼルを見ていたルーファだからこそ、ノエルも、アゼルに殺された残りの二人も知っている。否、知ってしまっていた。

 だからこそ、頭では”邪魔になるかもしれない”と考えつつも、心のどこかでは”このまま放っておいてはいけない”という、矛盾を抱えている事に気付き、ルーファは逡巡した。


 それでも――ルーファは己の胸の内に宿るそんな感情を、敢えて蓋する事にした。


「……分かった。ボクも多少は自分の腕を確認しておきたいからね」


 ――いざという時は、ボクがこの子の面倒を見ればいい。

 そんな風に覚悟を決めて、敢えてルーファは、ノエルが再び自らの足で立ち上がろうとする意思を、受け止める事にしたのだ。


 しかしそれが――魔王アゼルが撒いた、『種』。

 その萌芽を手伝う事になっているなど、この時のルーファは気が付くはずもなかった。




 ――――そして、それからおよそ三週間が経ち、アールスハイド神聖国は『真なる勇者』であるルーファの存在を、『人族同盟』に発表したのである。










 ――――『真なる勇者』の降臨。

 このニュースは『人族同盟』に所属する者らは大いに沸いた。


 魔王アゼルの力、そして魔王軍と呼ばれる魔族らの力は圧倒的で、アディストリア大陸内でもこの半年程でかなり追い詰められ始めている。

 そんな現実は、もはや国々の上層部だけでは隠しきれるような規模ではなくなっていたのだ。


 そんな中で齎された、『真なる勇者』の降臨。


 曰く――「『真なる勇者』は神々が直々にこの世界に与えてくれた、天使」。

 曰く――「魔王を妥当してくれる救世主」。


 多くの民衆が、このまま魔王軍によって蹂躙され、殺されるのではないかと不安を抱いていただけあって、ルーファの登場は久方ぶりに訪れた朗報であるとも言えた。




 しかし――その報せを耳にして誰よりも喜んだ人物がいた。




「――くっ、くっはははははははッ!」


 ――魔導帝国エルセラバルド。

 その謁見の間で、アールスハイド神聖国からやってきた使者が持ってきた手紙を目にして哄笑したのは、他ならぬ魔導帝国の女帝――『先決女帝レッド・エンプレス』イザベラ・エル・エルセラバルドその人であった。


 およそ半年程前、リッツバード王国との戦争。

 その最中、突如として現れた魔王アゼルらの姿を見て、エルセラバルド帝国もまた渋々ながら、『人族同盟』への参加を表明した。


 当然ながら、周辺国――特にリッツバード王国などからは厳しい意見も出た。


 魔王を見誤り、己の国を過信していた愚かな女狐とイザベラを揶揄してみせたりもしたが、しかしイザベラはそれに対して反省はもちろん、決して悪びれる様子もなく、ただただ淡々と戦後の賠償金を支払い、魔導兵器――〈アルヴァ〉を無償で貸し出すなどして人族側に力を貸し続けてきた。

 実際、〈アルヴァ〉のおかげで人族は今もなお、水際で戦い続ける事ができているのだから、これにはリッツバード王国の国王――ヘンゲル・オム・リッツバードとて無視できるものではないのだから、必然的にそんな批判も鳴りを潜めつつあるが。


 そんなイザベラが今――この半年の不気味な沈黙を打ち破り、本性を曝け出すかのように哄笑している。


 その姿に家臣らは「あぁ、やはり」と思いつつも、自分達の信じる狂王が返ってきたのだと僅かに頬を緩ませ、アールスハイドから手紙を持ってきた使者には目を白黒されるというちょっとした混沌が引き起こされたが――ともあれ、イザベラはかつてのように、それはもう水を得た魚のように楽しげに笑みを浮かべていた。


 やがて謁見の間から臣下や使者が下がった後で、イザベラは己の腹心――侍女服に身を包んだアイラの名を口にした。

 すっと姿を現したアイラに、イザベラが今しがた自らへと渡された手紙を「読め」と一言だけ告げながら手渡すと、アイラの反応を探るようにニヤニヤとした笑みを浮かべながらじっと見つめた。


「……これは……」


「どうだ、アイラよ。妾の睨んだ通りであった、という事が証明されたであろう?」


 そこに書かれていたのは、神界から遣わされたルーファの正体。

 ルーファの力を以って魔王は討たれるであろうという、常時ならば鼻で笑って一笑に付すような内容とさえ言えるような内容である。


 ――しかし、この非常時となれば話は別だった。


「……神々が動いた、と?」


「そう、そうだ、アイラよ。神々は動いたのだよ、。やはり魔王アゼルは、であったのだという訳だ」


 半年程前、『本物の勇者』が討たれ、エルセラバルド帝国側にとってみれば水を差される形となった、リッツバード王国との戦争。それをきっかけに、エルセラバルド帝国は『人族同盟』に参加する事を表明する事になった。


 ――とは言え、何もイザベラが“魔王を討つべき”と方針を転換した、という訳ではなかったのだ。


 いっそイザベラは、この状況で“賭け”に出たとも言えた。

 チップは――世界と自らの命。

 それは実に狂っていて、それでいてイザベラらしいと言えばらしい、そんな賭けであった。


 それが今、アールスハイドからの報せを受けて、イザベラは己の“賭け”は正しかったのだと証明されたと言っても過言ではない。


 ――勝負に勝ったのだから。


「……いかがなさるおつもりですか?」


「ふむ、そうよな。事がこうなったのならば、妾にとっての相棒が『魔王』より『勇者』である分、幾分かはと言えるであろうよ。たかだか半年程度で神々が動いた事についてはではあったが、こうなる事はであったからな」


「では?」


「うむ。であるなら、今後の点も視野に入れて――ここは一つ、『勇者』に真偽を確かめてみるのも一興やもしれぬ」


 ――そこで一度区切って、イザベラは言い放つ。


「――これによれば、近々お披露目とやらがあるらしい。そこで妾が直接、神の使いとやらを見極めてくれよう」




 狂える女帝――イザベラが、遂にその野望を実現へと向けて動き出そうとしていた。

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