幕間章 『勇者』
幕間 新たな勇者
その場所を一言で言い表すのであれば、雲海。
見渡す限りに広がる雲の上、それぞれが小島となって中空に漂う不思議な空間。
重力さえも無視しているようなその場所の一角にある、一際大きな島に――それらはいた。
一見すれば、球体。
色とりどりの球体がその場所に集まり、一つの小さく灰色の球体を囲むように存在していた。
「――『魔王計画』は失敗と断定。早急に排除を命ずる」
抑揚のない物言いで、ただただ淡々と告げられたその言葉に、小さく灰色の球体は――激しく明滅した。
「ちょっと待っておくれよ! 確かに『魔王』は――アゼルは必要以上の争いを生み出したかもしれない! でも、だからといって排除するなんて、それはあまりにも勝手過ぎるじゃないか!」
「警告。ここは審議の場ではない。決定を通達している」
「……ッ!」
小さく灰色の球体が紡いだ、少女のような声色に少年のような物言い。
しかしそんな訴えは無慈悲にも切って捨てられ、一つの眩く淡い金色の輝きを放つ光は続けた。
「抑止力としての働きは十分である。これ以上の暴走は無意味と判断。『魔王』の排除は、我らの総意である」
「だからって……!」
「我らの兵――『勇者』を打ち破る程の実力を持つ『魔王』の登場は想定外である。このまま野放しにすれば、百害あって一利なし。よって――新たな尖兵を投入する」
「……ッ、まさかまた新たな『勇者』を生み出すとでも……? それじゃあ、以前の二の舞いにしかならないじゃないか!」
「正論。よって今回、『勇者』に人は不要。『魔王』を消す役目は――我らの使い、天使を投入する」
天使とは、神々が世界を守る際に投入する、謂わば神々の兵器だ。
しかし天使は忠実に破壊行動を起こせるものの、それはあくまでも人格を持たない、人々の常識が通用しない人形のような代物でしかない。
以前の魔王――ジヴォーグを斃した初代勇者のように、この世界の者に特別な力を与えた訳ではなく、神々がここにきて遂に動き出そうとしている明確な意思表示である天使の名に、小さな灰色の光は――アゼルによってルーファと呼ばれる亜神は、言葉を失った。
「天使なんて投入すれば、人々にだって危険が及ぶ可能性があるじゃないか……」
「必要な犠牲である」
神々が守ろうとしているのは、あくまでも世界。
たとえ人の命がどれだけ犠牲になろうとも、それでも世界が守られるのであれば、必要な犠牲であると神々は判断したのである。
――――神々が投与した劇薬――『魔王』を使った世界の修正。
通称『魔王計画』と呼ばれるその計画は、確かに当初――魔大陸に攻め込んできた人族を『魔王』であるアゼルが滅ぼし、世界に対して魔王の名を知らしめたあの時までは、成功していたと言える。
しかし――『魔王』は、そこで止まろうとはしなかった。
神々の尖兵として世界の調停者の役割を担う『勇者の末裔』を、その能力を受け継いだ『本物の勇者』を、アゼルは絶望の淵に叩き落とすかのように屠り、心を砕いた。
その上、人族全てを滅ぼすかのようにアゼルは未だに動いている。
ルーファとて、アゼルの行動は理解できなかった。
国を建国してみせ、人族から爪弾きに遭った者らを受け入れて国で庇護している姿を見る限り、ただただ破壊衝動に駆られているようにも見えない。
だからこそ、アゼルに問うたのだ。
何故そこまでしてしまったのか。そのような真似をせずとも、もっとうまくやれたのではないか――と。
しかし返ってきた答えは――神々への叛逆の為という、予想だにしていなかった答えであった。
あれからおよそ六ヶ月。
すでにアディストリア大陸では魔王軍の苛烈な攻撃と、『人族同盟』との間で起きている激しい抵抗のために、今こうしている間にも世界は戦に満ち、憎悪に染まり、悲しみに濡れている。
何度となく、ルーファはアゼルを止めようとした。
しかしアゼルは決して止まろうともせず、神々が動き出すその時だけを見据えているかのように戦い続けている。
当然ながら、神々とてそんなアゼルの動きは理解している。
ルーファが単独で接触していようとも、それすらも見通し、内容を把握できる全能――それが今、ルーファを取り巻いている神という存在なのだから。
「――これはお前に対する慈悲でもある」
「……慈悲、だって……?」
「肯定。結果として『魔王計画』は失敗である。しかし、『魔王』が悪を請け負うという契約は果たされた。お前の役目も本来ならここで消えるのが道理」
「……あぁ、そうだろうね。あなた達にとってみれば、ボクだって所詮はアゼルと同じ、ただの駒でしかないのだから」
「左様。故に、『魔王』亡き後、お前には新たな『魔王』となってもらう予定である」
神々にとってみれば、『魔王計画』――つまり『魔王』を悪として世界の不和を正すという初期段階の目論見は、成功したとも言える。
結局のところ、アゼルが止まらないまま、
神が、悪を悪として生み出せないからこそ、『恐怖を司る神』としてルーファという亜神が生まれた。そんなルーファの役目は、ある意味ではすでに終えていると言えなくもないのである。
そんなルーファを生かす為にも残された筋道こそが、新たな『魔王』の後釜であった。
本来の調停者としての役割、破滅を齎した魔王アゼルを殺し、新たに魔族という世界の『歪み』から生まれた者達を統率する存在を生み出す事。それこそが、修正案として神々が導き出した答えであった。
「……だったら、ボクが『魔王』を討って、その後で『魔王』になろう」
「棄却。お前は『魔王』に対し、余計な情を抱いている」
「あぁ、そうさ。確かにボクは『魔王』に――アゼルに対して、自分の子供のように、大事に想っているよ。けれど……いや、だからこそ、だよ。ボクがアゼルを止める。このまま止まらないというのなら……」
――その時は、ボクが自らアゼルを殺す。
その一言をわざわざ口にしようとはせずとも、ルーファを取り囲むように居並ぶ神々も理解できた。
「あの子を、たとえあなた達の命令で『魔王』の役目を担わせたとは言っても、直接的に狂わせてしまったのはボク自身だ。なら、ボクが最後まで面倒を見るのが道理というもののはず」
「……お前にそれができる、と?」
「産み出した親の責任、とでも言うべきなのかな。それに、これはあなた達にとっても決して悪くはない提案だと思わないかい? 少なくとも、ボクなら天使を降臨させた代償を払う必要もない。人々を無意味に犠牲にする事もないし、『勇者』のように子孫を残すような真似もしない。天使として、この世界に新たに生み出される『勇者』の役割をこなし、その後で『魔王』として魔族を統率すればいい。この計画を動かしたのがボクなのだから、幕引きだってボクがするべきだ」
神々を前に、ルーファの心に一切の嘘はない。
もしも可能であるのなら、アゼルを止め、当初の予定であった『魔王計画』に相応しい魔王とするのであれば、自分が抑止力になればいい。それができないと言うのなら、自分がアゼルに引導を渡す役目を担おう。
そうしたルーファの覚悟と想いを、たとえ胸の内に宿していようとも感じ取る事のできる神々は――僅かに逡巡する。
「だいたい、天使を動かして人々が今度は神に恐怖したらどうするんだい? そんな事になれば、人々の心が神々から離れてしまうかもしれないじゃないか。それは神々にとって、実質的な死を意味するはずだよ」
いくら世界を守る為とは言えど、神々は人の信仰によって世界に対する影響力というものを左右される。世界を守ろうとして、愛する世界が自分達の手から離れてしまうという現実に対して、神々が半ば諦めるように今回の結論を導き出したのもまた事実であった。
「ボクは天使と同じくあなた達に作られ、天使よりも人の心に近い価値観を持って生まれた存在だ。そしてこの『魔王計画』の実質的な責任者でもある。悪くない提案だとは思わないかい?」
物言いはまるで問いかけているかのようではあるが、宿る意思の力強さは紛れもなく本物。他の誰かに譲るつもりなど毛頭ないのだとでも言いたげに問いかけられた言葉であった。
「……よかろう。ならば、『魔王』を殺し、新たな『魔王』――調停者となる事を、お前に一任する」
◆ ◆ ◆
――魔王アゼル。
彼の登場によって世界は一変した。
これまで鳴りを潜め、もはや存在すら記憶の片隅にさえ追いやられていたはずの魔族。
末裔にせよ本物にせよ、“『勇者』という存在によって討たれるべき存在”と侮られていたはずの魔族は今、かつての栄華を取り戻すかのように恐怖の象徴と化していた。すでに『人族同盟』所属、オルベク王国の陥落から十分に時が経っている。
世界は――更なる混沌へ。
血で血を洗う魔族と人族の本格的な戦争が始まっていた。
そう、アゼルの目論見通りに賽は投げられたのだ。
世界に予定されたはずの混沌は、その小さな――しかし決して無視はできない『魔王』という一石であるはずだった存在は、神々ですらも予期できぬ程の強大な波となって、世界を呑み込もうとしている。
すでにアディストリア大陸の南部では、宣戦布告を果たしたレアルノ王国だけではなく、すでにエルバー商業国すらも魔族の軍勢によって滅ぼされ、魔族の領域と呼ばれるようになって、すでに数ヶ月もの時が流れている。
「――アホくさ。何が“エルバー商業国が滅ぼされた”、や。ウチらは滅ぼされたんやない。手ぇ組む相手を変えただけやっちゅうねん」
さながら狐を思わせるような、つり上がった細い目を薄っすら開いて、男がぼやく。
ここは件のエルバー商業国。
手に取った他国からの情報を書き出された紙を見て彼が鼻で笑う通り、エルバー商業国内は他国の者達が考えるような、阿鼻叫喚の地獄が広がっている等という事実は一切ない。
「今、『人族同盟』は人族の結束を強めたいはず。『世界の財布』とさえ言われているエルバー商業国が、まさか“魔族と対等に取引している”などとは考えたくなどないのでしょう」
「そらそうや。けどなぁ、
「『人族同盟』をあっさりと見限り、我々と対等に商売しているあなた方の考えの方が“有り得ない”のでは?」
くすりと笑いながら訊ねる美女――〈
魔族であり、魔族の諜報部隊〈翼〉を率いる彼女の見目の麗しさに、百戦錬磨の商売人であると自負しているエルバー商業国の代表――ルドルフ・オーヴェレームですら思わず見惚れ、我に返って頬を掻いた。
「そない言うても、商売人やからな。わしらの信条、信用と利益が何よりも最優先や。伝統やら格式なんぞ、金にもならへんモンに縋る連中と、しっかりと対等に利益を得る提案をしてきおったおたくら魔族。どっちと付き合ってゼニが儲かるかなんぞ、天秤にかける必要すらないわな」
「ずいぶんとあっさりしていますね」
「ま、戦争が始まる前やったら、なんぼなんでも足踏みする決断やで? けど、ウチらは『人族同盟』におっても針の筵やったからな。レアルノ王国のアホンダラが先走ったせいで、ウチのせいで魔族が動いたとか言われとる」
レアルノ王国が魔大陸へと進出したのは、彼らエルバー商業国の寄越した手紙によるものであったのは事実だ。
しかしそれは、再三に亘る借金の返済要求を無視し続けるレアルノ王国に対し、魔大陸の周囲を覆う闇が晴れたという情報を得たエルバー商業国が、「金がないなら、せめて資源が眠るであろう魔大陸の下見でもしてきたらどうだ?」、と手紙を送ったという真実がある。
無論、魔大陸に乗り出すなど、これまでの歴史からしてあまりにも危険過ぎる事はエルバー商業国を率いるルドルフとて、百も承知している。
それでもルドルフがそのような手紙を送ったのは、「そんな無謀をするのが嫌ならば、まずは出すものを出してこい」という意訳を込めたものである。
しかし、レアルノ王国上層部は、そういった意訳に気付かなかった。魔大陸という新たな資源の宝庫を、いっそ我が物にしてやろうという欲をかき、ルドルフの意訳を無意識に己の都合が良い方向に解釈し、暴走したのだ。
その結果として、魔王アゼルが動き出す事となったのだから、「レアルノ王国は悲劇の国どころか、いっそ喜劇の国やな」というのがルドルフの本音だ。
ともあれ、レアルノ王国の上層部に所属し、偶然にもアゼルが動いたあの日、王城を離れていた生き残りがいた。
その者らは『人族同盟』へと保護され、自分達が責められぬようにと、「自分達はエルバー商業国に脅され、魔大陸へと派兵した」と吹聴したのである。
結果として、エルバー商業国はその事を理由に、『人族同盟』側から赤字覚悟で物資調達を命令される事となってしまったのである。
「それでも、我々と手を組むなどという判断は、人族としては些か常識外れな考え方でしょうけどね」
「常識外れ言うんやったら、それこそ自分らやんか。なんやねん、あのありえへん強さ」
レアルノ王国から程近いエルバー商業国には、当然ながらに『人族同盟』が多くの兵を送り込んだ。自国を戦場にしたくはないというのが『人族同盟』の本音であろうが、表向きは魔族の侵攻を止める為に。
しかし――結果は蹂躙の一言に尽きる。
軍として機能しつつある魔族の軍勢は、膂力も魔力も桁違いである。
過去の魔王軍との戦いでは、少数の魔族に多数で囲んで戦ってようやく辛勝していたが、混成軍となった魔族を切り崩すような真似はできなかった。
結果――あっさりと、『人族同盟』は魔族に敗れた。
エルバー商業国は魔族に呑み込まれてしまった、というのはあながち間違いではないのだ。
もっとも――エルバー商業国内には確かに魔族も当たり前のように存在はしているが、お互いにどちらに服従するでもなく、文字通りの意味で共存していると言うのが正しい。
「――なぁ、姐さん。おたくら、ほんまにウチを滅ぼす気はないんやな?」
ルドルフの問いかけに、レナンはあっさりと頷いてみせた。
「ハッキリと言ってしまえば我々魔族にとって、あなた達エルバー商業国は都合が良いのです」
「都合?」
「ルドルフ様。我々魔族は、食べ物がなくとも生きていけるのはご存知ですね?」
「あ、あぁ、そら知っとるわ。便利な身体しとるで、ほんまに」
唐突過ぎる話題に困惑しつつも、ルドルフが肯定する。
一体何の話をしようとしているのかと勘繰るよりも早く、レナンは更に続けた。
「食糧は魔族にとって、魔力を回復する際に必要なものであるという方が大きいですが、同時に娯楽とも成り得るのです。同時に、今では魔大陸には魔族以外の者達もいます。彼らが生きていく上でも、食糧というものは早急に必要となっているのですよ。そういう部分を補う為にも、ノウハウや繋がりを持つあなた方は手放すには惜しいのです」
そこまで言われて――ルドルフは思わず目を剥いた。
――そんな事が、有り得るのか、と。
脳裏を過ぎる一つの可能性は、それはあまりにも現実的であり、しかし同時に現実的ではなかった。
しかしレナンは、そんなルドルフの驚愕をちらりと一瞥するだけで、満足気に笑みを浮かべるでもなく、さらにただただ淡々とした口調で続ける。
「あなたの想像する通り、ですよ。現在我々魔王軍を含めた魔族は、魔王アゼル様の指示の下に一国として治められています」
「……ッ」
独立独歩の風潮が激しい魔族が、今では魔王アゼルの下で一国として機能している。
成る程、と冷静に納得すると同時に――やはりルドルフにとっては、あまりにも“有り得ない”内容でもあった。
「陛下――魔王アゼル様は、あなた方が知る『魔王』ではありません。あの御方はすでに魔族のほぼ全てと、あなた方『人族同盟』によって迫害された者ら全てを、陛下が建国なさった魔国アンラ・マンユにて庇護し、従えています」
レナンがわざわざこのような言い回しをしたのは、アゼルがこれまでの『魔王』――つまりは、『魔王』を騙る魔族ではなく、本物の『王』としての役割を果たしているという警告でもあるからだ。
初代魔王であるジヴォーグの恐ろしさは、その後の『魔王』を騙る者達によって薄れている。
しかしそれらは、あくまでもたった数名から数十名程度の魔族が攻め込んでくる程度といった規模でしかなく、それらもまた『勇者の末裔』らによって排除されてきたからこそ、“『魔王』は『勇者』には敵わない”といった知識が植え付けられてきただけに過ぎない。
しかし今、アゼルは己の力を示している。
王城を護る守護結界をあっさりと打ち破る力。そして、アールスハイド神聖国の切り札であった『本物の勇者』でさえ、赤子の手を捻るかのように斃してみせた事は、ルドルフもすでに知っている。
そこに、さらに魔族を――否、全ての魔族を率いているともなれば、アゼルとこれまでの『魔王』とでは、あまりにも格が違いすぎる。
息を呑み、言葉を失ったルドルフの表情をちらりと一瞥してから、レナンは続けた。
「ところで……アールスハイド神聖国が動いた、という情報は届いていますか?」
「あ、あぁ、さすがやな。せや、あの国がどうやら『真なる勇者』とやらを手に入れるっちゅー、眉唾モンの噂やろ?」
唐突に話題を変えられて狼狽しつつも、ルドルフはつい最近耳にした内容を思い出す。
――アールスハイド神聖国が、此度の魔王に対して、神々の神託を受け『真なる勇者』と呼ばれるような存在を召喚する。
そんな噂が飛び交っているのである。
「どう、見ますか?」
「……正直、信じられへんな。『本物の勇者』なんて呼ばれとる勇者が魔王はんに負けた。その次に『真なる勇者』なんて、嘘くさすぎるわ。信用を取り戻す為に躍起になっとるっちゅーのが正直な感想や」
「……そう、ですね……」
「なんや、姐さんは信じとるんか?」
「いえ、そうではありません。ですが……」
――果たして、それがただの嘘であったのなら。
もしも魔王アゼルに対抗するだけの存在を用意できないのだとしたら、アールスハイド神聖国にとっては壊滅的な打撃を受ける事になるだろう。
なのに、果たしてこんな安い嘘を口にするのだろうか――とレナンは思う。
しかし――そんなレナンの危惧を肯定するかのように、アールスハイド神聖国はこの一ヶ月後、『真なる勇者』の降臨を発表したのであった。
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