2-13 Ⅱ Epilogue

 オルベク王国陥落。


 いかに小国と云えど、実質的には世界の支配者と呼ばれている巨大な同盟――『人族同盟』に加盟する一国をアゼル抜きに攻め落としたという事実は、魔大陸に棲まう者達の心を大いに沸かせた。


 それは魔大陸に招かれ、逃げ延びてきた者らにとっても同じだ。

 魔王軍には本格的に『人族同盟』に抵抗できるだけの力があると証明されたこの一件は、これより先の時代を生き抜ける明確な光明のようにも思えた。


 これまでアディストリア大陸を筆頭に、他の大陸に生きてきた『人族同盟』に加盟してこなかった種族にとって、『人族同盟』と事を構えるとなれば、それは死すら覚悟しなければならないというのが常識だった。

 いくら『人族同盟』に力を貸す気はないと云えど、魔大陸に来てしまった以上は必然的に『人族同盟』とは敵対し合う形となる。いずれは自分達も勇者によって殺されるのではないかと心の中で抱いていた不安が、此度の戦果によって払拭されたような気さえした程だった。


 戦勝を祝し、魔都アンラ・マンユではその日、建国を記念して以来の大きな宴が行われていた。


 数多くの料理が振る舞われ、食事をする必要のない魔族達もまた酒や食事を楽しみながら、騒ぎ、歌う。

 種族の違いなど関係なく賑わう魔都の様子は、アディストリア大陸に住んでいた者達からしてみれば、余程『人族同盟』が築いている国よりも平和を謳歌しているようにさえ見えていた。


 そもそも、力ある魔王の庇護下に於いて多少の力の差など大した違いですらない。

 この魔都でくだらない真似をしようものなら、圧倒的強者と名高い種族の長らによって処分される末路しか残っていない。そういった環境に居心地の悪さを覚えるのなら、そもそも魔都で暮らさなければ良い。


 その理念は徹底されているため、魔都に棲まう者達で種族の違いによる上下関係などを気にする者は少ない。


 そういった在り方に驚く者達も、次第に騒ぎに紛れていく。

 そうして騒ぎ立てる宴は夜になるまで続き、例え夜が明けても終わる事さえないような熱気に包まれていた。






 ――――その一方、魔王アゼルの居室。

 宴の熱ですら届かないその場所は、静寂に満ちた質素な部屋であった。


 置かれているのはベッドと、バルコニーへと続く大きな窓の傍に置かれた簡素な椅子のみ。空に浮かぶ蒼い月に照らされた薄暗い部屋の中は、蝋燭すら灯されていなかった。

 開け放たれた窓から吹き込んでくる風が揺らす、カーテンの向こう側。バルコニーに一人佇むアゼルは、魔王として動く際に着ている外套を脱いだ、ラフな服装のまま空に浮かぶ月を見上げていた。


《――やあ、ボクのアゼル》


「ルーファか。そろそろ話しかけてくると思っていたよ」


 ふと脳裏に響いてきた声は、アゼルをこの世界へと生み落とした少女の亜神ルーファ。

 ルーファが話しかけてくるであろう予感がしていたアゼルが驚くような素振りを見せるはずもなく、ただ柔和な空気を纏ったまま続けた。


「さすがに、今回ばかりは話しておくべき事があるんだろう?」


《……うん、そうだね》


 いつもの飄々とした様子とは異なる、どこか重苦しさを感じさせる声色。

 アゼルと話す時は、いつだって実に楽しげに声を弾ませていたはずのルーファにしては珍しく、どこか苦々しさすら孕んだような声で問う。


《――『本物の勇者』を二人も殺して、更には『人族同盟』に加盟している国を滅ぼしてしまった。その理由を聞かせてもらえるかな》


 ――やはり来たか、とアゼルは思う。


 アゼルら魔族の動きは、神々にとっては黙認できる範疇を超えている。アゼルもまたその可能性を切り捨てた訳ではなかった。


 アゼルに与えられた役目とは、あくまでも世界の調和を生み出す為の魔王であり、破壊と暴虐を繰り広げる存在ではない。国を滅ぼしたり勇者を殺したりという動きは、必要悪の魔王であるアゼルには行き過ぎた行為だろう、と考えなかった訳ではない。


 それでも――――


「必要な事だったからだよ」


 ――――アゼルは悪びれる様子すら見せずに、ただ短く答えた。


《……確かに人族はキミを侮っていたね。だけど、もっと他にやり方はあったんじゃないのかい?》


 平和ボケした世界に、本当の危惧を植え付ける為。魔王という強烈な存在をまざまざと見せつける為には、多少なりとも派手に動かなくてはならないだろう事は、ルーファにも理解はできる。


 だが、理性的なアゼルの性格からして、今回の行動はあまりにも乱暴であった。


 強引な力を使わずとも、レアルノ王国跡に魔王軍をそのままけしかけ、攻め込む姿勢さえ見せていれば、もっと穏やかに――と言えば語弊はあるが、穏便な形で魔王という脅威を認識させる事も可能ではなかったのかとルーファは続けた。


「それはそうだろうけどな。それで、俺は他の神に睨まれたのか?」


《……一応、今回はどうにか見逃してもらえたよ。けれど、これ以上の戦乱を生み出すような真似は、さすがに許してはくれないと思う》


「なるほど。予想通りと言えば予想通りの反応だ」


《アゼル……?》


「ルーファ、はっきりと言おう。俺は――この世界が憎いんだ」


《え……?》


 ――これが、アゼル……?

 剣呑な光を宿した鋭い目。確かに宿っているであろう憎悪が窺い知れるような、アゼルの黒いはずの目が紅く染まる姿を見て、ルーファは心の中で呟いた。


「増え過ぎた人族を減らし、世界に魔王の名を知らしめ、粛清する。それが俺の目的だ、ルーファ」


《ちょ、ちょっと待ってよ、アゼル……! キミは一体……!》


「お前を苦しめた神々に後悔させてやるんだよ、ルーファ」


 くつくつと込み上がる笑いを隠すつもりなどなく、アゼルは笑う。

 時折見せる紅い瞳は妖しく光り、身体からはかつての魔王ジヴォーグのそれに近い『歪み』の力が溢れてくる。


 ――……まさか……。

 ルーファの脳裏に、最悪の状況が過ぎる。


「魔王軍の仕上がりはすでに近い。これから人族も躍起になって俺達に対抗してくるだろう。そうなれば、必然的に戦火は世界へと広がる。神々は恐らく、俺という存在を危険視して排除に動こうとするだろう」


《それが分かっているなら、どうしてそんな真似をするのさ!》


「決まっている。神を、この世界に引きずり下ろす為に、だ」


《神を……? ねぇ、アゼル。何を言って……》


「――なぁ、ルーファ。最後まで、最期の時まで俺と一緒に、世界からの悪意を受けてくれるんだろう? だったらその相手が神でも、変わらないとは思わないか?」


《そんな……。まさかキミは……、神殺しに挑むつもりなのかい……?》


 神殺しなど、本来ならばまず有り得ない。

 神は自らが創った世界を見守りこそするが、本来ならば干渉などするはずがない。それは偏に、神が世界に直接的に手を出すという事は、世界を変えてしまう事と同義だからだ。

 魔王ジヴォーグという『歪み』が生み出した存在を討つ為に、『勇者』という役割を与えて対処させたのもそれが理由だった。


 しかし、ルーファは知っている。

 そのルールは――アゼルに対してだけは例外だという事を。


 神々によってこの世界にやって来る事を望まれた、神の一手とも呼べる存在こそが魔王アゼルだ。

 もしもアゼルが世界を揺るがし、滅亡を招く災厄と化すのなら、神々は自ら手を下す事すら厭わないだろう。神の力の片鱗を受け継いだ魔王アゼルをこのまま放逐し続ける事の方が、世界を変えてしまいかねないのだから。


 動揺を隠せないルーファの態度を感じ取ったアゼルは、確信する。


「どうやら、俺にならそれも不可能ではなさそうだな」


《――ッ、待ってアゼル! キミがそんな危険を冒す必要はないだろう!?》


「俺だからこそ、やる意義があるんだよ、ルーファ」


《どうして! 世界はすでにキミを知った! もうこれ以上、危険を冒す必要なんてないじゃないか! キミは、あくまでも『予定された混沌』の主であればいいじゃないか!》


「それはできない相談だな。すでに賽は投げられている。立ち止まる事も、引き返すつもりも俺にはない」


 取り付く島もなく、アゼルはあっさりと言い放った。


 魔族は魔大陸へと押し込まれ、空と海を覆われてなお魔王を僭称して人族へと攻め込んできた。しかしそのことごとくが勇者によって阻まれてきた。

 緩やかに朽ち果てるに身を任せるかのように、ただただ魔大陸の中でのみ生きながら、それでもこれと言って目的すらなく生きる日々の中で、やがて魔族は徐々に、確実に腐りつつあった。


 しかし今、魔王アゼルの名の下に魔族は集結している。

 永い時を〈霧啼きの海〉と赫空かっくうに包まれ、徐々に朽ち果てるかのように時を過ごしてきた魔族達にとって、本当の意味での新たな時代の幕開けを予感させるには十分な衝撃を齎した。


 アゼルが言う通り、すでに賽は投げられている。


 どこかでジヴォーグ以降の魔王と同等なのだろうと侮っていた人族も、『本物の勇者』を討たれたアールスハイド神聖国によって一丸となりつつある。

 魔族もまた、これまでの鬱憤を晴らすかのように、燻り続けていた火種が再び燃え上がり、大火となって世界へと放たれる日を今か今かと待ち望んでさえいる。


「――待っていろ、ルーファ。俺が神を、この世界を徹底的に壊し尽くしてやる」


 くつくつと肩を揺らすアゼルを見て、ルーファは思う。


 アゼルは神が神として、悪を生み出す事はできない。だからこそ、人の魂を使って生み出した存在だ。

 悲劇や惨劇を生み出し、魔王としての存在を知らしめる行いは、思っていた以上に、あまりにも人の魂に背負わせるには大きすぎた負担だったのであろう、と。魔王として生み出し、たった数ヶ月程の期間で世界に混沌を齎してみせた代償なのだろう、と。


 ――もしも、自分が触れる事さえできるのなら。

 ただ見ている事しかできない自分が、歯痒い。無力な自分が、恨めしい。


 悲しげに名を呼ぶルーファの声に何か反応を返す事もなく、アゼルは踵を返して居室の中へと消えた。





 






 ――――明けて翌朝。

 魔王城の中心に位置する最上階の玉座の間では、アゼル玉座に腰掛けていた。


「ねぇ、愛しい御方。楽しみね」


 くすくすと笑いながら、玉座に腰掛けるアゼルの足元でしなだれる『陽を跨ぐ者デイウォーカー』イレイア。その手はアゼルの足に置かれ、恍惚とした笑みを浮かべていた。


「……いい加減にしたらどうです、イレイア。陛下が何も仰らないからと言って……」


「おや、嫉妬ですか。夢魔の巫女ともあろう者が、陛下を理由に己の醜い感情をぶつけるとは、情けないですね」


「んなっ!? そ、そういうつもりでは……ッ! だいたいあなたこそ、イレイアの従者ならばしっかりと諫言を口にするなりしてはどうですか!」


「主であるイレイア様と、イレイア様がお認めになり慕う御方です。私が口を挟むのは烏滸がましいというものでは?」


「わ、私だって陛下を慕ってますからっ!」


「それは陛下に直接言う言葉であって、私に言う言葉ではないと思われますが? もっとも、陛下は先程から何かを考え込んでいらっしゃるようで、聞こえていないと思いますが」


 玉座の斜め後方、アゼルを挟むような位置で始まったアルマとネフェリアの言い合い。

 その光景を眺めていたランは引き攣った笑みを浮かべると、一つ小さくため息を零した。


「やれやれだよ、まったく。陛下を挟んで言い合いなんてしている場合かい?」


「混ざりたければ素直に混ざったらどうだ?」


「……さすがにあの中に入れってのは、ちょいと酷じゃあないのかい?」


 軽口に対するランの冷静な指摘を受けて、ゾルディアもまた僅かに顔を引き攣らせ、それ以上は何も言おうとはしなかった。


 魔王、という存在を囲む面々にしては、些かこの場は混沌としていた。


 アルマとネフェリアの口喧嘩にオロオロとした様子で止めるべきか迷うガダと、カタカタと骨を鳴らしながら笑う『不死王ノーライフ・キング』ギ・ジグ。眉間に皺を寄せて腕を組んだまま動かないエイヴァンと、それに伴われてついてきたヴェクターは無言を貫き、ベルファータはくつくつと肩を揺らしている。


 魔王軍の頂点とも呼べる場に存在する彼ら彼女らがいる場とは思えない、和気藹々とした空気が流れる中――闖入者はやってきた。


「スッンバラシィ! これぞ陛下の名の下に集まった勇士らの本当の顔! 歴史に語られるであろう方々の、評論家や研究家では決して想像もつかない会話の流れ! ワタクシ、この場にやって来られた事に思わず感動してしまいました、ハイ!」


 姿を見せた〈道化〉のアラバドが、高らかと歌い上げるように語る。途端、ピタリとそれまでの喧騒が止んだ。


「ほウ、そノ狂いぶリは相変わラズだな。久しイな、『無音の暗殺者サイレント』よ」


「ヒョホホホッ、そのような懐かしい呼び名はご遠慮致しますとも。今はただの〈道化〉。それ以上でもそれ以下でもございませんとも」


 ギ・ジグとアラバドのやり取りに、ネフェリアはもちろん、ベルファータとラン、ガダまでもが大きく目を剥いた。


 ジヴォーグ在りし頃、ゾルディアと共にジヴォーグの腹心には有名な魔族が存在していた。

 ギ・ジグやイレイアなどは、ジヴォーグとは表立って協力しようとはしない変わり者であったが、実力を知られ、一目置かれていたと言える。


 表立っての実力者として知られる、ゾルディアとバロム。

 彼らに並び立っていたジヴォーグの腹心――『無音の暗殺者サイレント』と呼ばれる魔族の名を、知らぬ者はいなかった。


「いやいや、まさか〈道化〉があの『無音の暗殺者サイレント』だってのかい? どう見たって真逆な気がするんだがねぇ」


「ヒョホッ、これは手厳しいッ! ふむふむ。これはワタクシ、少しは証明ぐらいはしておいた方が宜しいのでしょうか? ではラン様、少しばかり振り返っていただけますかな?」


「振り返って……――ッ!?」


 玉座の間の入り口側にいたはずのアラバドが、振り返ったランの目の前――それこそ手を伸ばせば届く距離に立ち、優雅に腰を折って礼をしてみせた。


「ヒョホホホ、いかがでございましょう?」


「い、何時の間に移動したんだい?」


「おや、おやおやおや。むしろ先程まで皆様が見ていた、入り口から入ってきたワタクシこそが幻影だったのですよ。何時の間に、と問われれば、陛下が玉座の間に座るその前から、ワタクシはここにおりましたとも」


 最初からその場にいて、姿を消していたのだとアラバドは告げる。

 しかし、果たしてそれが真実なのかどうかは、この場にいる誰にも判らなかった。

 誰もが、入り口から姿を見せたアラバドが騒いで、初めて誰もがアラバドの存在を認識したのだ。


 それまでに何処に姿を隠していたのか、それとも今、誰も気付かない内に移動したのか。その真実を知るのは、アラバドのみであった。


「――どうやら、タイミングはバッチリでしたようで、ハイ」


 アラバドが玉座に腰掛けるアゼルへと振り返り、再び深く腰を折る。

 同時に、ネフェリアの目の前で影が人の形を象るように浮かび上がり、伝わってきた情報を耳にするなり、口論をやめて真剣な表情を浮かべた。


「陛下、準備が整いましてございます」


「あぁ、始めよう」


 これまで沈黙を貫いていたアゼルが静かに目を開けると、その場の空気は一変した。






 玉座に腰掛けた魔王アゼルが、魔大陸の上空に巨大な映像となって浮かび上がる。

 それはかつてアディストリア大陸のレアルノ王国で行った、世界に対する宣戦布告の際と同じく、夢魔族による幻影を駆使した魔法であった。


 魔都アンラ・マンユに棲まう者も、魔都に集まらない多くの魔族も。

 誰もが空に浮かび上がるアゼルを見上げた。


《――親愛なる魔族諸君。時は満ちた》


 静かに告げられた一言だけで、誰もがその続きを予想した。

 胸の内から広がるように、熱が灯る。


《もはや多くを語る必要はないだろう。すでに皆が知っている通り、『人族同盟』の一国を攻め落とせる程に、俺達の準備は整ったのだ。さあ、始めよう、血で血を洗う争いを。屍の山を築き上げ、お前達が魔族である事を証明してみせろ》


 そしてアゼルは――宣言する。


《標的は、アディストリア大陸だ。――さあ、戦争を始めよう》


 どちらかが屈するまで、決して終わる事のない戦いが始まる――――。









第二部 FIN

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