2-12 広がる波紋

 ――シャレにならない。

 アゼルを含む魔族の去った戦場から、物言わぬ屍と化したシルヴィとロザリーの遺体を転送の魔法陣を用いて転送した後、エドワルドは未だに震えが止まらない自らの手を見つつ、そんな事を思いながら嘆息した。


 エドワルドが恐怖するのも無理はなかった。

 アールスハイド神聖国が秘密裏に抱えていた『本物の勇者』は、神聖騎士団ですら太刀打ちできない、埒外にいる実力者だったはずだ。

 しかしそんな三人の少女ですら、魔族の実力者と魔王を前に、まるで赤子の手を捻るかのように屠られたのだ。


 シルヴィとロザリーの二人は死に、一応は生きてこそいるノエルに至っては、すでに完全に心が折れてしまったようで動こうともしない。

 虚ろな瞳が映しているのは虚空ばかりで、肩を貸しているエドワルドに対して一瞥すらしなかった程だ。


 ――このままこの少女は、きっと立ち上がる事すらできないだろう。


 戦場を知り、戦争の中で心が折れる者は珍しくはないのだ。ましてやノエルは実力は埒外にあろうと、心は天真爛漫で、いっそ年齢よりも幼い程だったのだ。

 仲の良かった、それこそ姉のように慕っていた存在が死んだとなれば、再び剣を手に取るどころか――いっそ自ら命を絶つのではないか。

 いっそ殺された方が、よほど楽だったのではないかと、そんな事さえエドワルドは思う。


 それでも――――


「……殺して」


 ――――そう願いながら呟くノエルの声に、エドワルドは決して首を縦に振ろうとはしなかった。


「……そいつはできない相談っすよ」


 願いを断る自分に何か反応を見せてくれればと思うエドワルドに対し、ノエルは沈黙したままであった。

 答えてこそみたものの、果たしてそれが自分に向けられた願いや言葉だったのかエドワルドには判らないまま、アールスハイド神聖国へと戻る転移の魔宝石を砕き、その場を後にした。






 ――――神聖国アールスハイド。

 転送の間と呼ばれるその場所に光が溢れ、直後に姿を現した二人の死体と、唯一の生き残りである『本物の勇者』ノエルの心が壊れたかのような姿が現れた。予想だにしていなかった有り様を見た者達により、静謐さを思わせる大聖堂には似つかわしくない、蜂の巣を突いたような騒ぎに見舞われた。


 ノエルと二人の遺体を預けたエドワルドに対し、『本物の勇者』の監視役という立場である以上、この惨事に対する弁明は必要とされる。

 騒ぎは即座に枢機卿団及び教皇マルレーナに伝わり、エドワルドはようやく帰ってきたと人心地つく間もなく呼び出され、事態の説明を求められた。


 エドワルドが呼び出されたのは、審問室と呼ばれる一室であった。

 手前側の扉から入り、「コ」の字を思わせるように配置されたテーブルには、すでに教皇マルレーナと、枢機卿団の面々が座っていた。


 表情は当然ながらに厳しい。

 当然彼らも、エドワルドを攻めたところで何も解決しない事は理解している。

 しかし『本物の勇者』はアールスハイド神聖国としてはもちろん、人族の切り札と成り得る存在だ。


 想定外な、それも人族同士の戦争を止めて箔をつける為だけに動かしたつもりが、まさか死ぬ事になるとは。同行していたエドワルドはもちろん、このような事態を一体誰が予想できただろうか。


「――魔王が、動いたのですね……」


 エドワルドから状況の推移を聞いた、教皇と枢機卿団。重い沈黙に包まれる中、マルレーナは悲痛な面持ちで呟いた。


 マルレーナとて、まだ『本物の勇者』と呼ばれた三人が魔王と対峙するのはあまりに早すぎると考えていた。いくら神聖騎士団よりも優れた戦闘能力を有しているのは確かではあったが、魔王アゼルはそれ以上の力を持っているだろう、と。


 だからこそ、此度のエルセラバルド帝国軍とリッツバード王国軍の戦争は、三人の試金石としても悪くはないと考え、『本物の勇者』を投入する事を決意した。


 結果は――『本物の勇者』の壊滅。

 各国が手を取り合い、魔王と対峙する理由になるのは間違いないが、それはあまりにも大きすぎる代償である。


「残された勇者は一人。しかも心が壊れてしまっているのではアテにはなりませんな」


 涼やかな物言いで告げるビアージョに批難の目が向けられるも、ビアージョは臆することなくただ肩をすくめてみせる。あくまでも真実を口にしただけだとでも言いたげな態度であった。


 一時険悪な空気が流れるその中で、口火を切ったのは元『聖女』のグロリアであった。


「ともあれ、これで人族は一致団結。魔王討伐に向けて遂に足並みが揃うという事には違いありませんわ」


「グロリア」


「マルレーナ聖下、仰りたい事は重々承知しております。ですが、今は悲嘆に暮れる時ではありません。人族の敵である魔王が強大かつ危険な存在であると、此度の戦いでハッキリした以上、我々が立ち止まっている時間はありませんわ」


 窘めるように声をかけてきたマルレーナへ、グロリアは涼しげな声色のまま更に畳み掛けるように言い募った。


 グロリアとて元は『聖女』。『本物の勇者』と同じく、人族の旗頭として生きていた。だからこそ、己の役割を死という形ではあったものの全うしてみせたシルヴィやロザリーの矜持に応える為にも、ここで立ち止まる訳にはいかなかった。


 それでも――思う所はあったのだろう。

 握り締められた拳と、目を閉じたまま思考に没頭しているかのように振る舞うグロリアの姿に気が付いたマルレーナは、僅かに瞑目して逡巡し、気持ちを切り替えた。


「レオンツィオ。ノエルの事は、時間をかけてでも癒やしてあげてください。任せて良いですね?」


「……できる限りの事は、するつもりですとも」


 マルレーナにはそう返したものの、レオンツィオは帰還したノエルの姿を目にしていた。


 あまりにも強い力を持ちつつも、それでも精神的に未熟であった三人に不安を抱かなかった事はない。

 ノエルはともかく、シルヴィやロザリーは明らかに光神教に対して叛意を抱いていた事も、レオンツィオは気が付いていた。いずれ成果を出せば、必ず手に余る事態が訪れるだろう、と。


 だが、二人はあっさりと魔王によって殺され、唯一の生き残りであるノエルはすでに。エドワルドからの報告を聞き、さらにはあの姿を見てしまった以上、もはや復帰は難しいのではないかというのが本音である。


 そうした本音を言下に滲ませている事に、マルレーナもまた気が付いていた。

 何かきっかけがあれば良いが、中途半端な慰めや叱咤激励など、今のノエルには届かないだろう事は理解しているが、それでもこのまま捨て置くような真似をできるはずもない。


 気を取り直して、マルレーナは枢機卿団の面々を見渡した。


「悪い事にばかり捕らわれている訳にはいきませんね。グロリアの言う通り、今回の一件で魔族――延いては魔王の危険性は確実なものとなりました。これにより、私達人族は再び一丸となれるでしょう」


 魔王ジヴォーグが斃れ、それぞれの国が復興に力を入れていた頃に比べ、今の『人族同盟』は危うく形ばかりのものであった。マルレーナもまた、そんな世界の有り様に憂いてきた存在の一人だ。

 改善されるに至るための代償が、多くの屍と『本物の勇者』の壊滅だというのは決して無視できるものではないが、それでも為政者としてこれをうまく利用するしかない。


「もはや、躊躇っている暇はありません。神聖騎士団を動かしてでも、各国の同意を得てください。時間がかかればかかる程、魔王が世界を脅かす事と知りなさい」


 この僅か数日後、オルベク王国が魔王軍と名乗る魔族の軍勢によって壊滅したという情報がアディストリア大陸へと知れ渡り、マルレーナがこの時発した言葉は確かなものであったと枢機卿団の面々は理解する事になった。








 一方、エルセラバルド帝国。

 苛烈なる女帝、『鮮血女帝レッド・エンプレス』と呼ばれるイザベラは、突如として現れたアゼルやイレイアによって軍が壊滅的な打撃を受けたと報告を耳にするなり、仏頂面を浮かべたまま淡々と停戦に踏み切ってみせた。


 そんなイザベラの姿を見つつ、敗戦報告を行った軍部の者が抱いた感想は、「運が良かった」に尽きた。


 最新兵器の〈アルヴァ〉を投入してなお壊滅したともなれば、激昂して八つ当たりの一つや二つぐらいはあってもおかしくないというのが本音であった。

 おおよそ、あまりの失態にさしもの女帝も多少なりともショックを受けているのだろうと、そんな事を思わずにはいられなかった。


 ――――しかし、実際は違った。


 おおかたの事務作業を終え、停戦へと踏み切り、ようやく一段落を迎え自室へと戻ったイザベラは、侍女のアイラが背後で後ろ手に扉を閉めると共に――くつくつと込み上がる笑いを噛み殺す事をやめ、やがて哄笑をあげた。


 突然哄笑する主の姿に、アイラが目を瞠るどころか「やはりか」とでも言いたげに呆れたような様子で小さくため息を漏らしていると、イザベラが金色の双眸を爛々と輝かせながら振り返った。


「――アイラ、妾はこれを待っていたのだよ!」


 まるで新しい玩具を買い与えられた子供のようだ、とアイラは思う。

 どこか退屈そうに、世界を俯瞰しているかのような態度ばかりを取るイザベラが、こうもに笑う姿。そこには純粋な興味に混在する、確かな憧憬の色が確かに窺えた。


「いかがなさるおつもりなのです?」


「フフフ、此度の戦のおかげで耳朶に触れるには十分であっただろう。ならば次は、それ以上の興味を抱いて貰わねばなるまい?」


「まだ、魔王に拘るおつもりで?」


「まだ、ではないな。今回の結果を見て、改めて確信したのだよ、アイラ。妾には、やはり魔王こそが必要なのだ、とな」


 イザベラがここまで誰かに対して執着するなど、アイラにとっては初めて見る姿であった。


 イザベラが求めるものは、常に周りの発想とは異なるものばかりだ。

 それに応えられる人材であれば、例え仇敵であっても手に入れる。しかし、用済みとなればまず間違いなくその存在を処断する。

 時には膿を出し切る為の駒としても利用し、これまでの功績があろうが、必要とあればあっさりと。

 ただただ苛烈に、情による判断さえも一切排除する有り様は――アゼルを知る者ならばどこか似ていると、そう思うかもしれない。


 しかし、果たして魔王はどうであろうか、とアイラは思う。

 かつて見た光景の中で佇む魔王アゼルは、イザベラ以上の苛烈さをまざまざと魅せつけ、イザベラを魅了した。


 それがイザベラにとっては有用だからなのか。

 それとも、イザベラが在ろうとするべき姿を体現している存在だから惹かれているのか、アイラには分からなかった。


 前者ならばまだ良い。

 しかしそれが後者であったのなら――――


「アイラよ。妾は妾の道を征く。それがあまりにも間違っているのであれば、よ?」


 ――――アイラはきっと、迷わずにを果たすだろう。

 狂える苛烈なる女帝イザベラの心の臓に、冷たい刃を突き立てるという、アイラだけに与えられた、その役目を。


「……それを託すぐらいならば、いっそ自制していただきたいのですが」


「くはは、無理な相談よの。妾はとうに狂っておる。全てはこのエルセラバルド帝国の為にしか考えられぬ。妾にとってみれば、『女帝』の称号ですらエルセラバルド帝国の駒でしかないのだからな。常識など、うの昔に置き去りにしてしまったとも」


 ――故にこそ、妾にはお前が必要なのだよ、アイラ。

 そう続けてみせたイザベラは、新たな一手を打つべく、愉しげに思考を切り替えていた。











 ◆ ◆ ◆











「――『人族同盟』、オルベク王国。陛下の命令通り、陥落致しました」


 アディストリア大陸での戦いから数日。

 魔王城へとアゼルが戻ってきて僅か二日後に帰ってきた、オルベク王国へと攻め込んでいた魔王軍の戦果を聞くべく、アゼルは玉座の間へと主だった面々を招集していた。


 新生魔王軍を率いる悪魔、ゾルディアの報告を玉座に座りながら聞くアゼル。

 目の前にはゾルディアを筆頭に、ランとガダ、バロムにエイヴァン。そしてベルファータにイレイアとアルマが、それぞれに膝をつき頭を垂れ、ネフェリアが満足気な表情を浮かべてアゼルの斜め後方に立っていた。


「ご苦労。魔王軍の運用はどうだ?」


「はっ、此度の戦では種族特性を活かした編成のみで対処しましたが、種族毎の統率ではやはり対策が練られているようでした。小国故に力押しが可能ではありましたが、大国相手ともなると厳しいものかと」


「そうか。ラン、所見は?」


 オルベク王国を攻める際、ランは自らが率いる獣魔の者らと、ガダが率いる『鬼』の一族による混成部隊を編成し、少数ながらエイヴァンら〈黒竜〉までもを入り混ぜた混成部隊を指揮していた。

 予め、これはあくまでも試験的なものでしかなく、例え失敗でも構わないと告げていたアゼルではあったが、ランはそういったアゼルの懸念を得意気に口角をあげながら否定した。


「まだまだ試験的な部分は否めないんだけどねぇ。ま、仲の良し悪しってのはあるし、このまま全体運用は時間がかかるのはともかく、悪くはないみたいさね。ただ、指揮をするヤツの実力が足りないとバラバラになっちまいそうだよ」


 獣魔族の長であるランが指揮している分には、どの魔族も歯向かおうとはしなかったものの、試験的にランの部下に指揮を引き継いだ途端、統制が取れなくなりかけるといった事故も起こっていたのだ。

 力ある者こそが上位であるといった魔族の風習は、やはりそう易易と拭えるものではないと知らしめる結果となったが、それでも指揮官さえどうにかしてしまえば、それもある程度は抑えられると判断するには十分な成果であった。


 言下に含まれる、そういった部分を加味するランの判断を聞いて、アゼルは小さく頷いた。


「思っていたよりも、良い結果が出たみたいだな」


「下手に暴れりゃ、陛下が出るってのもあるからね。そういう意味じゃ、あんまり派手にやらかそうってヤツもそう出てこないさね」


 魔都アンラ・マンユに棲まう魔族にとって、アゼルの力というものはすでに疑いようのない代物であるというのが共通認識である。そういった意味でも好きこのんで不和を生み出そうという輩は少ない。


 いまいちそういった背景を理解していないらしいアゼルの姿にくつくつと笑いながら、ランはそれだけ伝えるとゾルディアに続きを促すように視線を向けた。


「陛下、今後は混成部隊の強化を重点的に行う方向でよろしいですか?」


「あぁ、よろしく頼む。それと、アラバドと連絡を取ってくれ」


「アラバド、ですか?」


「あぁ。エルセラバルド帝国が使っていた鋼鉄人形はそれなりに厄介そうでな」


「あら、あの程度でしたら造作もないのではないかしら?」


 横合いから声をかけてきたのは、今の今まで沈黙を貫いていたイレイアであった。


「陛下の御力があれば、あのような人形風情など取るに足らない存在でしょう? それに、わざわざ何者かの力を借りようとしなくたって、私が陛下の為に全てを血で染めてくる事だって……」


「その気持ちは嬉しいが、俺はあの程度で全てだとは思っていない。いずれにせよ、こちらにもこちらで武器を用意する必要がある。それに、俺達だけが暴れ回ってしまう訳にもいかないからな」


 恍惚とした表情を浮かべて語りだすイレイアの言葉を、アゼルは受け容れるつもりはなかった。


 あくまで魔族と人族の戦いは、ある程度の均衡を生み出す必要があり、一方的過ぎても困るのだ。

 ここにいる錚々たる面々に加え、ギ・ジグなども加えてしまってはあまりにも一方的な戦いになってしまいかねない。


 そうなってしまえば必然的に、神と、そしてルーファとの約束を違えてしまうのだから。







 それをするには――、とアゼルは考えている。

 アゼルが撒いた『種』が芽吹き、やがて世界に大火が広がる為には、まだ時間がかかるのだ。






 ――全てが整ったその時、への道が始まる。

 アゼルが心の内に秘めたその目的は、未だ誰かに知られる事はなかった。

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