2-11 転換点 Ⅲ

 朦朧としていたノエルの意識は、視界に映し出された光景によって鮮烈な覚醒へと引きずり出された。


「――……え……?」


 大鎌を構えていたアゼルがふっと姿を消したかと思えば、次の瞬間にはシルヴィの目の前に姿を現していて、赤黒の尾を引きながら大鎌が地面すれすれの虚空を走り、シルヴィの身体を真下から斬り上げる。

 咄嗟に身体を回避させつつ、より強い加護の力を発動させる事でアゼルの一撃によるダメージを最小限に留めようと試みたシルヴィ。しかし、アゼルの大鎌はシルヴィの加護など一切の抵抗もなくすり抜け、捻った身体に追いつけなかった片腕をあっさりと断裂させた。


 そもそも『勇者の加護』は、あくまでも『歪み』に対する力だ。

 アゼルはかつての魔王とは異なる存在であり、当然ながらに魔族とも異なっている。

 その事実を知らないシルヴィにとっては、腕を斬り飛ばされた痛みや恐怖よりもまず、ただただ何が起こったのか理解できないという混乱が大きく、目を剥いたまま動けなかった。


 そんなシルヴィにわざわざ説明してくれるつもりなど、アゼルにはない。

 ぐるり、とアゼルが大鎌の刃の向きを変えて、唖然としたまま目を大きく見開いたシルヴィの首を刈り取ろうと軌道を変える。

 だが、振り下ろされた大鎌が斬り裂いたのは、シルヴィの首ではなかった。

 咄嗟にシルヴィを救おうと突き飛ばしたロザリーの肩口を斬り裂き、大地へと突き立てられた。


 たった一瞬。

 それだけの間に、自分と同等以上に強く、賢く、頼りになるはずのシルヴィとロザリーの二人が、鮮血に染まって崩れ落ちる姿を目の当たりにしたノエルは、言葉を失った。


 ――あのままじゃ、二人が死んでしまう。


「……だ、れか……」


 空を奔るヴェクターのブレスが、ストラング砦を崩壊させる。

 人々の喧騒が、ブレスの強烈な魔力が震わせた大気が音を奏でる中、ノエルの口が僅かに動く。


「だれ、か……! 助け、て……!」


 倒れたロザリーも、転がったシルヴィも満身創痍のまま動かない。

 そんな中、ノエルの呟きに応えたのは――アゼルの冷たい眼差しであった。


「――助けなど来ない」


「……え…………」


「周りを見れば分かるだろう。すでにお前達の味方であり、守るべきであった人族など誰一人としてお前達を救おうと向かってなど来ない」


 アゼルの言葉は、正しかった。

 誰かに救いを求めるように視線を巡らせてみても、そこにもまた惨劇が広がるばかり。

 空に佇む巨大な黒竜ヴェクターのブレスによって、リッツバード王国軍もエルセラバルド帝国軍も、助けに来れる程の余裕などない。ストラング砦は壊滅し、エルセラバルド帝国軍は潰走している。

 戦場に残されているのは、この場に倒れた『本物の勇者』である三人と、魔族であるアルマとイレイア、ネフェリアとヴェクター、そしてアゼルだけだ。


 ノエルもそれが理解できたのだろう。

 アゼルへと視線を向けるが――それは縋るような、ただただ見逃してほしいと、助けてほしいと訴えるような視線。

 その想いに気付きながらも、しかしアゼルは表情を動かす事もなく、あっさりと告げた。


「助けたければ、精々足掻いてみせる事だ。このままお前が倒れていれば、こいつらは野垂れ死ぬ。生きたければ、かかって来い」


 それだけ告げて、アゼルは倒れた二人を一瞥した。

 もはや、わざわざとどめを刺す必要はない。

 シルヴィはすでに腕を斬り飛ばされ、自分を庇ったロザリーは生死の淵を彷徨ってしまったせいで、完全に失ったままぴくりとも動こうとしない。すぐにでも治療したとしても、は血を失い続けている二人が助かる可能性は極めて低い。


「――もっとも、この程度で死にかけているこいつらに、ここを生き延びた所で何ができるとは思えないが、な」


 明らかな嘲笑を浮かべてみせるアゼルの姿を見て、ノエルの中で何かが切れた。

 震えながら身体を起こし、落ちていた双剣を手に取り、先程までの縋るような表情からは一転、射殺さんばかりにアゼルを睨みつけた。


「う……ああああぁぁぁぁッ!」


 それはさながら獣のようだ。

 肌を灼くようなチリチリとした殺気を放ちながら、ノエルが一歩ずつ大地を踏み締め、徐々に加速し、疾駆してアゼルへと肉薄した。

 片手に構えた短剣を振り抜き、避けられようが防がれようが、逆の手で追撃を狙って振るわれる攻撃。どちらかと云えば技巧派といった印象を受けるノエルの剣が、一撃一撃に明確な殺意を乗せ、力任せにアゼルへと襲いかかっていた。


 ――速く、なっている……。

 アゼルに襲いかかるノエルの連撃。アゼルを殺すという殺意に満ち満ちていてなお、それは徐々に洗練されているようにアルマには見えた。


 大鎌の柄で短剣を弾き、時に石突で反撃に出るアゼル。

 しかしノエルは持ち前の運動能力としなやかな動きを発揮して回避しつつ、それでもアゼルを殺さんと短剣を振るう。硬質な、鉄と鉄のぶつかり合う甲高い音が徐々に、明らかにテンポを早めて奏でられていた。

 裂帛の気合、或いは獣の咆哮を思わせるようなノエルの気迫と殺意は、思わず目を見張るものがある。だが、それでもアゼルは相変わらず涼やかな表情を浮かべたまま、ただノエルの剣戟をいなしている。


 それはまるで、見極めているようであった。

 稽古をつけているような、殺すどころか成長を促しているような、そんな光景だ。


 焦燥に駆られながらも、ノエルはそれでもひたすらにアゼルへと攻撃を繰り返す。

 倒れたシルヴィとロザリーは立ち上がるどころか、ぴくりとも動こうとはしていない。浅い呼吸を繰り返している姿をちらりと見る度に、アゼルが「そんなものに気を取られている場合か」とでも言いたげに鋭い一撃をノエルへと見舞う。


 ――助けたいのに、助ける事ができない。

 十分過ぎる程の実力を持っていると自負していたはずなのに、今こうして対峙しているアゼルはもちろん、イレイアやアルマにすら届かない。

 歯痒さに、歯を食い縛る。

 どうにか一撃を入れれば、この状況を打破できるのだと信じて。


 ――――しかし、時は無情に進んでいた。


 時間が経つにつれてシルヴィとロザリーは明確に死へと近づいており、ノエルの体力も華奢な身体にしては保った方ではあるが、段々と動きが鈍いものへと変わりつつある。

 やがて剣速は緩やかなものとなり、息を切らしたノエルの頬を拳で打ち抜いてみせると、すでに満身創痍となっていたノエルは傾ぐ身体を立て直す事もなく、無様に転がりながら吹き飛ばされた。


 倒れたノエルの目の前には、すでに目から光を失ったシルヴィとロザリーの死体が横たわっていた。


「……あ……ぁ…………」


 剣を握る握力すら、すでにノエルには残っていなかった。

 弱々しく震える腕を伸ばし、ノエルは今では物言わぬ屍と化した二人に地面を這いずりながら近寄っていく。


「やだ……、やだ、よ……。おいて、いかないで……」


 ぼろぼろと涙を零しながら呟くノエルの声は、実に痛ましいものであった。

 上空でひと暴れしてきたヴェクターの攻撃もいつしか止んでいて、イレイアやアルマ、ネフェリアもまたノエルの姿を見つめていた。


 そんな中、アゼルだけが――ようやく手がシルヴィとロザリーの遺体に手が届くといったところで、ノエルの目の前に大鎌の切っ先を突き立てた。


「憎いのなら、俺を憎むといい」


「……な、んで……! なんで二人を殺したッ!」


「敵だから、だ。個人の恨みや憎しみなどない。お前達が『勇者』であると言うのなら、俺は『魔王』。必然的にどちらかがどちらかを殺すまで、戦いが終わるはずもない」


「わ、たし、は……わたし達は、『勇者』になんかなりたくてなったんじゃないッ!」


「――ならば、これから『勇者』で在る事に感謝する事だ。その力が在る限り、お前は俺へと辿り着けるだろう。いつかは、怨みを晴らす事もできるのかもしれいないのだからな」


「……ッ!」


「だが、今のお前ではまるで足りていない。俺の目的の為にも、お前が俺を殺す為にも、まるで力が足りていない。――いや、、と言うべきか」



 ――、と。

 アゼルがシルヴィとロザリーをそう称してみせたのは、当然ながら理由があった。




 魔大陸で邂逅を果たした『勇者の末裔』であったアレン。

 サリュの一撃を加護によってどうにか切り抜けてはみせたが、サリュの力に対して対抗できるかと言われれば程遠い実力しか持たず、アゼルのように自ら修羅の道を歩むような苛烈な覚悟もない。それはアゼルにとってみれば、不満しか残らない存在でしかなかった。

 アゼルが持つ、アゼルだけが知るを叶えるには、アレンのような存在ではのだ。


 ならばアールスハイド神聖国が隠していた最終兵器とも言える『本物の勇者』と呼ばれる存在ならばどうだろうかと期待を寄せてはいたのだが――結果として、『本物の勇者』と呼ばれる存在ですら「たかが知れて」いた。

 確かにシルヴィとロザリー、そしてノエルはそれなりの力を有している。エルセラバルド帝国軍が擁する〈アルヴァ〉すら一蹴してみせたのだから、その実力は間違いなく『勇者の末裔』よりも強い。


 しかし、いかに強大な力を持っているとは云えど、それはあくまでも『陽を跨ぐ者デイウォーカー』イレイアにすら届かない程度であるのならば――それではアゼルにとって、


 ここでただ見逃したとしても、何かが変わるとは思えない。

 それと同時に、ここで無慈悲に殺してしまったとしても何かが変化するとは思えなかった。


 故に、アゼルは決めた。

 かつてのアレンと同様に、『本物の勇者』達もまた『種』として扱おう、と。


 アレンの心に宿る、傲慢さが生み出した魔族に対する憎悪を増幅させるべく、心をへし折り、負け犬のように晒し、生かして放置するのも。魔王軍を立ち上げ、『人族同盟』に対する戦いの準備を着々と進めるのもまた、「『種』を萌芽させる」という一つの手でしかない。


 綺麗事もおためごかしもなく、ただただ争いを生み出すに相応しいきっかけ。

 それらを生み出してくれるであろう存在を、アゼルは『種』と称していた。

 種とは萌芽し、生長し、開花して結実する。

 屈辱や挫折から『種』がいずれ開花し、世界全体に戦火を広げる事を結実させるという意味で――『種』と。


 神々に請われ、純粋な悪として、世界の必要悪として存在するというアゼルの宿命からは、どうやらまだ離れていないらしいとアゼルは考えている。もしもその道を外れれば、少なくとも神々は黙っているはずないのだから。

 最近ではアゼルをこの世界に生み落とした亜神ルーファでさえ、アゼルには話しかけてさえも来ていなかった。それは要するに、神々として止めるべきラインというものが存在していて、それをアゼルは超えていないという証左でもある。


 生贄として選ばれたのはシルヴィとロザリーの二人。

 ネフェリアによってアルマの手を止め、ノエルを救ったのは『種』と成り得る存在が最も相応しかった存在が、ノエルであったからに他ならない。

 アールスハイド神聖国が動き出したという情報を得て以来、アゼルはこれまで――この戦場に至るまでの間、夢魔族に『本物の勇者』達の監視を続けさせてきた上で、そう判断している。


 天真爛漫にして純真無垢。

 それはつまり、如何様にも染まりやすいという意味でもある。





「――お前には期待しているのだよ、俺は。本当の意味で『本物の勇者』となればいい」


 故に、二人には生贄となってもらった。

 今もなお、満身創痍になっても未だ射殺さんばかりに己を睨み続けるノエルを見て、アゼルは『種』が根付いたと判断して、踵を返した。


 ――準備は整った。


 アゼルはそんな事を考えながら、静かに口角をつり上げた。









 





 リッツバード王国とエルセラバルド帝国軍が齎した戦争は、突如として姿を現した魔族によって両軍が壊滅状態へと追いやられた。これを受けて、エルセラバルド帝国もリッツバード王国もお互いに休戦に同意。


 魔王、そして魔族。

 片手で足る人数で、ただそれだけで両軍を屠り、さらにはアールスハイド神聖国が抱えていた秘密兵器である『本物の勇者』、内二名が死に、一名がどうにか生き延びる事となった。


 これまで、あくまでも秘密裏に国家に人族終結を訴えていたアールスハイド神聖国であったが、さすがにこの事態を看過できるはずもなく、遂には魔王アゼルの脅威を全世界に向けて公表し、『人族が斃すべき敵』としての発表した。

 かつての魔王ジヴォーグと同じく、全世界に向けて再びの『人族同盟』の集結を促すと共に、今後『人族同盟』に対して戦争を仕掛けるような真似をする国が出てこようものなら、これに対して全力を以って制裁を加えるとまで宣言してみせた。






 そして同時期、『人族同盟』にはとある情報が齎された。

 それは「魔王軍と名乗る魔族の軍勢により、オルベク王国壊滅」というもの。







 ――――それは、今度こそ戦乱の幕開け。

 その日、『人族同盟』は魔族の殲滅こそが最優先事項なのだと認識した。









 ジヴォーグが現れた三百年前の悲劇が――それ以上の惨劇が、始まる。

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