2-9 転換点 Ⅰ

「――『本物の勇者』、『陽を跨ぐ者デイウォーカー』イレイアとその従者アルマ。ぶつかり合えばどちらに軍配が上がると思う?」


 時は僅かに遡る。

 すでにアゼルはシルヴィら三人が『本物の勇者』と呼ばれる存在であるという情報を掴んでいた。


 ――――アゼルが『国崩し』と呼ばれるようになった所以は、当然レアルノ王国の王城をあっさりと潰してみせたからだ。

 あの時、世界各地で上空に映像を映し出した、人族の町の中に溶け込むように暮らしていた夢魔族の配下であったが、今ではその多くの者が魔大陸へと帰還している。

 それでも、問題はなかった。

 何せ町に溶け込んだ夢魔族の多くは、その町にある貧民街や裏組織といったものに関わり、中には裏組織そのものを牛耳るような者さえもいたのだから。


 アゼルの行為により、人族が魔族に対して警戒するのは当然の流れ。

 だが、人族を裏切り、情報を引き渡す人族とて存在しているのだ。その理由は様々。金の為であったり、或いは人族でありながら人族を見放している者。反体制派とでも言えるような組織が、国を乗っ取る為に魔族を利用しようとする事も珍しくはなかった。


 要するに、夢魔族を引き上げたからと言って、一切の情報が手に入らなくなった訳ではないのだ。


 ともあれ、そうした組織から得られた情報によると、アールスハイド神聖国が隠していたのは『本物の勇者』と呼ばれる三人の少女であるらしい事はアゼルの耳にも届いていた。

 そんな三人組がエルセラバルド帝国の挑発とも言えるこの状況に顔を出してくれるのは、アゼルにとっても非常に好都合であると言えた。


 夢魔族が掴んだ情報によれば、アールスハイドが誇る神聖騎士団をたった三人で捻じ伏せる事ができる程度には強い。そこに『陽を跨ぐ者デイウォーカー』イレイアが『本物の勇者』の元へと向かっている。


 両者がぶつかり合えば、一体どうなるのか。

 そんな質問の内容ではあるのだが――しかしアゼルの問いかけは、どちらかと言えば質問というよりも、ただ意見を求めているだけに過ぎないかのような物言いであった。


「『陽を跨ぐ者デイウォーカー』の名は俺でも聞いた事があるぐれぇだぜ」


 同行していた二人の魔族の内、アゼルの思惑に気がつく様子もなく先んじて答えたのは、黒髪を逆立てさせ、爬虫類を思わせるような黒く太い尾を持った男。かつてアゼルに大敗を喫する事となった〈黒竜〉――ヴェクターであった。

 以前のような荒々しく驕るような空気は鳴りを潜め、随分と落ち着いた様子で続けた。


「俺ら〈黒竜〉でも、吸血鬼の連中には手を出すなって言われてる。実力はともかく、相性が最悪だ、ってな」


「以前のあなたなら迷わず突っかかっていそうなものですが」


「うぐ……っ」


 更にもう一人、同行していた夢魔の巫女ネフェリアによって冷静に告げられ、ヴェクターは思わず言葉に詰まった。

 実際、アゼルに突っかかってみせたのはまだまだ記憶に新しい。そのおかげで目が醒めたとでも言うべきか、一枚剥けるかのように成長しつつあるヴェクターにとってみれば、耳の痛い言葉である。


 蜘蛛魔族アラクネの長――ベルファータ。

 彼女との訓練は今まで力押しの一辺倒であったヴェクターの視野を広げてくれていた。

 どうしても力――要するに戦いの実力によって優劣を決めたがる〈黒竜〉の一族では、男尊女卑という訳ではないが、雄の方が圧倒的に戦いに向いている。それは種族的なものであり、魔力や膂力、竜の姿をした際の身体の大きさなどに直結している。

 その為、これまでは女というものは傅いて言う事を聞く者ばかりしか知らなかったヴェクターではあるが、ベルファータによって、今では性別や普段の振舞いばかりで相手を見下すような悪癖も取り除かれつつある。


 若かりし頃の恥ずかしい思い出を暴露されているような、なんとも名状し難い気恥ずかしさや後悔といった感情を噛み締めつつも、ヴェクターは一つ咳払いをしてアゼルへと視線を向けた。 


「『本物の勇者』ってのは、強ぇのか?」


「さてな」


「……は?」


「俺とて実際に見た事がある訳じゃないからな」


 ヴェクターの問いかけに肩を竦めつつあっさりと答えてみせたアゼルは、「だが――」と言葉を続ける。


「アールスハイドがこの事態に投じた戦力だ。おおよそ、普通とは言えるはずもない」


 神聖国アールスハイド。彼の国が魔導帝国と大国の戦争に投じたのが、たった三人の少女。その決断が罷り通る以上、冗談にも普通であるとは言い難い。


「陛下は『本物の勇者』とやらを警戒なさっているのですか?」


「……警戒? いいや、むしろ歓迎しているぐらいだ」


 思わず、ヴェクターとネフェリアはアゼルから滲み出てきた魔力に身を震わせた。

 アゼルの顔は、込み上がる笑いを隠そうともしないような、どこか狂気的にさえ思えるような笑みを貼り付けてさえいる。


を成すには、そういった存在はむしろだ」


「では、生かして捕らえるおつもりで……?」


「いいや、違うな。そいつらがもしも『本物の勇者』であるとするならば――俺の手で殺す必要がある」


 ――だからこそ、アゼルは問うたのだ。

 イレイアを相手にあっさりと死なれてしまう事そのものが、どうやら不都合であるらしいと気が付いたネフェリアは、それ以上を問いかけようとはしなかった。


 短く「行くぞ」と告げて前を進むアゼルを見て、ヴェクターはネフェリアの隣に並び立つように足を進めた。


「……夢魔」


「ネフェリアです、蜥蜴」


「……テメェ……。まぁいい。それより――あの魔王、なんかんだがよ」


 ヴェクターが口にしたのが、果たして何に対する言葉なのか。

 ネフェリアにはそれをわざわざ確認せずとも理解できた。


「……私は、陛下の御心のままに生きるのみ。ついて行けないと言うのであれば、魔大陸へと戻ってはいかがです?」


 軽口を叩きつつ、ネフェリアはアゼルの後を追って歩きだす。


 ――遠い。

 こうしてアゼルの背を見ていると、ネフェリアは思わずそう痛感させられる。

 アゼルが何を目指しているのかさえも理解できなくとも、いずれは隣に並び立てるように、追いかけ続ける。


 今のネフェリアにできるのは、ただそれだけであった。










 ◆ ◆ ◆











 怒号響き渡るはずの戦場を満たしているのは、重く痛い程の沈黙。

 風さえも止んだ草原地帯で、誰もがから目を離せずに動きを止めて――否、誰もが動けなかった。


 それも無理はなかった。

 魔族は確かに人族よりも強靭な肉体を持ち、膨大な魔力を有してこそいるが――は明らかに、文字通りに桁が違ったのだから。


 佇む銀髪の美女。

 魔族随一の実力を持ちながらも、これまで決して表舞台に名を馳せる事のなかった、眠れる孤高の実力者――『陽を跨ぐ者デイウォーカー』イレイア・ヴラド・アーゼアス。


 重く纏わり付くかのような、どろりとした濃密な死の気配に絡め取られた者達の本能は、警鐘を鳴らす余裕すら与えようとはしない。

 生存本能とでも呼ぶべき代物が警鐘を鳴らそうにも、すでに本能さえも屈してしまっていては意味がないのだ。


 ――自分達は、ここで死ぬ。

 本能からそれを悟るしか、彼らに残された選択肢はなかった。


 しかし――――


「わあああぁぁぁぁ――ッ!」


 ――――誰も動けなかったその場所で、誰よりも最初に動いたのは『本物の勇者』の一人、ノエルであった。


 純粋無垢に育てられたからこそ、周りの者よりも余程動物的とでも言うべきか。ノエルの生に対する執着は、そういった意味では一般人のそれに比べても強い。

 絶対的な死の象徴とでも言うべきイレイアの呪縛。諦念に塗り潰されるその前に、抱いた本能を振り払うべく大きな声をあげて振り払うべく、イレイアへと肉薄していく。


 ノエルは必然的にアルマにも向かってくるような形で疾駆している。

 当然ながら、主に敵対するのであれば容赦はしないかと思われたが――しかし、対するアルマは己の横を駆け抜けていくノエルを止めようともせず、いっそ邪魔をしないように道を空けてさえ見せた。


 その意味にシルヴィが気が付いた時には、ノエルはすでにイレイアまであと数歩で間合いに入れるという所まで近づいていた。


「――ッ! ダメよ、ノエルッ!」


 慌てて制止しようと声をあげたシルヴィ。


 しかし既に時は遅かった。

 ノエルは留まれるはずもなく、イレイアへと剣を振り下ろしている。

 それでもイレイアは微動だにしようともせず、ただ興味深そうにノエルを観察し、反撃する事もなく振り下ろされた剣を見つめているばかりであった。


 先程まで相手にしていた〈アルヴァ〉すら斬り裂いたはずの一撃がイレイアへと向けられ、一切の反応すらなくイレイアへと襲いかかる――その瞬間、硬質な音が響き渡った。


 ノエルの剣は、イレイアの周囲に薄っすらと浮かび上がった光の膜によって受け止められ、虚空で何かとぶつかり合うかのように動きを止めていた。


「――な……ッ!?」


「どんな攻撃を前にしても、光の膜が護ってくれる。――それが勇者あなた達だけの専売特許だとでも思っているのかしら?」


 きらきらと煌めく、淡い金色の光。

 その光景を目の当たりにして、ノエルはもちろん、シルヴィやロザリーまでもが大きく目を剥いた。


「そ、んな……!?」


「……勇者の、加護!?」


 驚愕に声をあげる二人を見て、イレイアは悪戯が成功したとでも言いたげにくすくすと笑ってみせると、「残念」とだけ短く告げる。そのまま未だに後方へと退く事もできなかったノエルと目を合わせると、剣に指を弾いて当ててみせた。


 刹那――ただそれだけで、ノエルの身体は凄まじい勢いで大地を滑り、吹き飛ばされていった。


「魔法障壁でも、この程度の事はできるのよ。勉強になったかしら?」


 敵対している者にかけられているとは思えない程の優しい声。ただしそれは、言下に「本気になるまでもない」と語ってさえいるかのようで、ノエルは慌てて後方へと身を退いた。

 そんなノエルとすれ違うように、今度はアルマがイレイアの元へと自然体で歩み寄って行く。ロザリーもまたようやく我に返ったようで、シルヴィとノエルの元へと駆け寄ってきた。


 エルセラバルド帝国軍と、リッツバード王国軍が睨み合うはずの場所に、奇妙に出来上がった空間。

 アルマとイレイアは一切の気負いもなく佇み、つい先程まで両軍に驚愕を齎していたはずの『本物の勇者』であるシルヴィら三人は、先程までの余裕など消え去り、イレイアとアルマを睨めつけている。


 リッツバード王国軍とエルセラバルド帝国軍は、この状況に何が最善の策であるかを計算した結果――互いに今は成り行きを見守る事にしたようであった。


「アルマ。あの三人は私の獲物……――と言いたいところだけれど、一匹ぐらいならあなたにあげるわ」


「宜しいのですか?」


「えぇ。アルマだって少しは――暴れたい、でしょう?」


 イレイアの言葉に――大気が、震えた。

 楚々とした佇まいを貫いていたはずのアルマが、イレイアの言葉に薄っすらと笑みを浮かべる。途端、均整の取れた美しい肢体からはイレイアに勝るとも劣らない程の強烈な魔力の奔流が溢れ出し、文字通りに大気が震えたのだ。


 それは、吸血鬼の一族のさがである。

 そもそも、吸血鬼は総じて、魔族の中でもかなりの戦闘狂とでも言うべき種族なのだ。


 下級眷属ならば、何も考えずにただただ人を襲い、本能のままに血を貪る。

 中級眷属ならば、振舞いを落ち着かせる事も可能ではあるが、僅かな理性は衝動によってあっさりと崩れ、残虐性を垣間見せる。


 だが、上級眷属。

 それも筆頭侍従長という肩書きを持つアルマならば――今の今までは、涼やかな表情を浮かべたまま豊満な胸の内で噛み殺し続ける事もできた。


 何故なら主であるイレイア自身、アルマよりももっと、ずっとを好むのだから。


 主に仕える以上、己の欲望など二の次、三の次にする事など造作もない。

 しかし――主であるイレイアから、獲物を譲ってくれると言われてしまった今となっては。


 ――強者を屠るという悦びを。

 ――己の力に絶対の自信を持つ者の心を手折る、その瞬間を。


 種としての最大の楽しみを、我慢する必要はなくなった今――アルマの心の鎖が音を立てて崩れ落ちたかのように、欲望が解き放たれたのだ。


 アルマから放たれた暴力とも言える魔力は、『本物の勇者』であるシルヴィらにとっても、リッツバード王国軍やエルセラバルド帝国軍にとっても、悪夢以外の何物でもなかった。

 ただでさえ悪夢を体現しているかのような、圧倒的な闇そのものとでも呼ぶべき気配を放つイレイア。その傍に佇んでいたアルマが、イレイアとほぼ同等とさえ思える程の悪夢そのものと化してしまったのだから。


「ならば――私はイレイア様に刃を向けた愚か者を誅すると致しましょう」


「じゃあそっちの二人はもらっちゃうわね」


 ――まさか、こんな化け物とやり合う事になるなんて。

 シルヴィは自分達に標的を定めたイレイアを睨みつけながら、唇を噛んだ。


 ようやく自由を得られるかと言うところで、突如として現れたイレイア。

 それはシルヴィが想定していた魔王の幻影よりも余程強い。

 シルヴィは魔王という存在を、過去に魔王の名を僭称していた者らと同程度――詰まるところ、『勇者の末裔』でも屠れる程度の実力だろうとしか考えていなかったのだ。


 確かに、自分達は強い。それはシルヴィも理解している。

 先程まで、〈アルヴァ〉を相手にしても止まらなかったノエルやロザリーに比べても、シルヴィの実力が劣る事はない。

 それでも――勝てないとは、シルヴィも思わなかった。

 想定外に、あくまでもという意味で、シルヴィはこの状況に対して苛立ちを覚えていた。


 しかし、シルヴィは――笑みを浮かべた。


「――その程度の実力で、ずいぶんと余裕があるとでも言いたげに言ってくれますわね」


 シルヴィの身体から、眩い金色の光が溢れ出る。

 それは勇者の加護。先程、イレイアが視覚的にもお遊びのような感覚で真似てみせた光よりも白に近い、神の力の残滓。

 溢れ出る光にアルマはぴくりと柳眉をひそめ、イレイアは相変わらずといった様子で笑みを浮かべたまま佇んでいた。


「へぇ……。ねぇ、アルマ」


「はい。あの加護は紛れもなく、初代勇者らと近い力を有している証左でしょう」


「あら、説明する手間が省けたなら何よりですわ。――では、お分かりでしょう? 魔族がこの加護を前に、できる事など何もない、と」


 以前、アルマは確かにイレイアに告げている。

 ――「本物の加護は、近づくだけで身を焼かれてしまう程のものであった」、と。


 シルヴィだけではない。

 シルヴィの動きに呼応するかのように、ノエルからも、そしてロザリーからも同程度の金色の光が立ち上る。


 それは、魔族にとっては確かに絶望的な光景であったと言えるだろう。










 ――――相手が、『陽を跨ぐ者デイウォーカー』と呼ばれる、吸血鬼の真祖でさえなければ。










「――がどうしたっていうのかしら?」


 イレイアから膨れ上がったのは、かつてサリュがアゼルと初めて出会った際と同じような、赤黒い瘴気。

 かつて魔王ジヴォーグが纏い、勇者の加護がなければ命すら塗り潰すような凶悪な赤黒。それがイレイアの周囲に纏わりつき、足下の草でさえもみるみる間に茶色く変色し、かさりと崩れ落ちていく。


 ――神に与えられた加護とは対の力を持つ、歪みの力。

 イレイアはその力を、かつてのジヴォーグのそれと同等の力を、操ってみせていた。


「この力を手に入れるのに、随分と時間がかかってしまったもの。存分に使える日を、楽しみにしていたの」


 イレイアが動き出すまでの三百年。

 そして何故、イレイアが突如として動き出したのかと言えば、全てはこの力を自在に操れるようになったからに外ならない。


 同様に、その力は――イレイアには及ばずとも、アルマの身体からも発現されていた。


 瞠目するシルヴィら三人を前に、イレイアの唇は弧を描く。


「――さあ、始めましょう」








 果たして、アルマとノエル。

 そしてイレイアには、シルヴィとロザリーの二人が相対する形となって――激闘が始まる。

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