2-6 人族間戦争

「――あの無謀で愚かな魔導帝国に鉄槌を下せ! さぁ、征け! リッツバードの戦士達よッ!」


 リッツバード王国とエルセラバルドの国境地帯。

 度重なる小競り合いによって大地の凹凸すら削られてきたこの地は、広大な草原が広がっている。

 その場所でリッツバード王国の将が兵士を鼓舞する様子を見せれば、地響きを伴うかのような呼応の声が響き渡った。


 兵数三万のリッツバード王国の戦士達の怒号が向けられる先――エルセラバルド帝国の兵はおおよそ一万程度しか見受けられなかった。


「いつもの小競り合いと思うなよ、魔導帝国」


 リッツバード王国の将であるカーマイン・グレイシオが吐き捨てるように呟いたのも無理はない。


 これまでエルセラバルド王国とこの国境地帯でぶつかり合う事はままあったが、いつもお互いに一万前後の兵をぶつけ合う程度だ。あくまでも小競り合いの範疇を抜け出さず、どこかで折り合いをつける――というのが前回までの暗黙のルールとでも言うかのように常態化していた。


 しかし此度、リッツバード王国はその程度で終わらせるつもりはない。

 国王ヘルゲンの指示により、此度の戦ではエルセラバルドに大きな痛手を与える事も視野に入れており、状況によっては帝国をそのまま蹂躙する事すら厭わないとさえ言われている。


 互いに憎しみばかりが募るような小競り合いを繰り返してきたのだ。

 今回ばかりは、今までの借りを全て返してやろうと、魔導帝国の大地を蹂躙してくれようとリッツバード王国の戦士達の士気は高まっていた。 


「――かかれッ!」


 カーマインの声に、大地が揺れた。

 叫びながら駆け出したリッツバード王国の戦士達は、やはり士気が高まっている事も相俟ってか鬼気迫る様子で高原を駆けていく。


 ――――例えば、この時。

 カーマインがに気付いてさえいたのなら、この戦争は間違いなくリッツバード王国優勢のまま事を運べたであろう。


 いつまでも動こうとしない、エルセラバルド帝国の兵達。

 圧倒的な戦力差に戸惑っているのか、しかしそれにしては慌てふためく様子も見受けられない。

 その裏に何かがあるのでは――とカーマインの脳裏を嫌な予感が掠めた時には、すでに戦況は動き出していた。


 ――――戦場に突如として飛び出してきた、たった三十の何か。


 それらは明らかに人よりも大きく、騎馬よりも背が高い。

 まるで〈巨人族タイタン〉を思わせるような巨躯を誇る者達が、一斉に高原へと飛び出してきた。


「――なんだ、あれは……ッ!」


 人を人とも思わないかのように掴み上げ、投げ飛ばし、蹴り上げ、轢き殺す。

 まさに蹂躙という表現が相応しい、圧倒的な力を見せたを前に、リッツバード王国の先鋒はあっさりと刈り取られ始めつつあった。


 驚愕に目を見開くカーマイン。

 そんなカーマインとは打って変わって、一方エルセラバルド帝国側の陣営。


 そこには、容貌はお世辞にも兵士とは言い難く、いっそ研究者であると言った方が余程しっくりと来るような、華奢で色白な痩せ細った男――イェルド・ランツという男が指揮官の横から感心したような声をあげていた。


 イェルドは戦場の光景に興味津々といった様子で手でひさしを作って眺めていた。


「――ふむ、ふむふむ。どうやら〈アルヴァ〉の戦闘力はこれまでの戦争を大きく覆してくれそうですねぇ」


「恐ろしいものだな。鉄の身体を持つ〈巨人族タイタン〉など、我々とてお世辞にも敵に回したい相手とは言えんぞ」


「くふふふ、何を仰りますやら。我ら〈普人族ヒューマン〉はどうしたって他種族よりも生物としてのポテンシャルは他の種に劣るのですよ? それを補う為に知恵を使ったのです。生身で勝てないと言うのなら、勝てる道具を作れば良いのですから」


 イェルドの言い分はもっともではあるものの、巨躯を鍛え上げた旧来の武将と呼ぶに相応しいブルーノ・ヘルマンの内心は複雑なものであった。

 時代の変化の到来と共に、自分達のような身一つで戦場を駆ける時代の終わりを実感せずにはいられなかったのだ。


 しかし、イェルドの言い分は確かに間違ってはいない。

 事実としてリッツバード王国の兵は蹂躙され、鉄の肉体を持つ有人操縦式巨大魔導兵器――通称〈アルヴァ〉によって蹂躙されているのだから。


「凄まじいものだな。たった三十だ。たった三十の〈アルヴァ〉によって、この日の為に鍛えてきた者達が次々に蹂躙されるというのだから」


「おっと、そうは言っても〈アルヴァ〉とて無尽蔵に動き回れる訳ではありませんからねぇ。ブルーノ将軍のような御方の指揮下にあってこそ、真価を発揮できるというものですとも」


「フン、世辞などいらぬぞ」


「いえ、世辞などではございませんとも。我々研究者は世辞よりも真実しか口にはしない性分ですから」


 ――良くも悪くも、ですが。

 そう付け加えて再び戦況を見つめるイェルドに呆れつつ、ブルーノは気持ちを切り替えるべく一つ嘆息した。


 ――この戦力を以ってしても、魔王は止まらぬであろうな。

 ブルーノの脳裏に、レアルノ王国陥落の瞬間の映像が鮮明に蘇る。


 いくら〈アルヴァ〉が歩兵数百を物ともせずに縦横無尽に暴れられるとは言え、魔王はたった一息で守護結界に守られた王城を容易く一刀両断してみせていたのだ。

 もしもその力を〈アルヴァ〉へと向けられようものなら、まさしく鎧袖一触で屠られかねないという懸念は拭えたものではない。


 ともあれ、ブルーノはこの戦を決する覚悟を決めた。


「――頃合いだな。〈アルヴァ〉を遊撃に回したまま、我らも出るぞ」


 ――――かくして、魔導帝国エルセラバルドとリッツバード王国の間で起こった戦争は、これまでの小競り合いを大きく逸脱したものであった。


 魔導帝国は有人操縦式巨大魔導兵器――通称〈アルヴァ〉と呼ばれる、人が乗り込んで操縦する、高さにして五メートル近くはあろうかという巨躯を誇る兵器を投入。

 たった三十という機体数にも関わらず、機動力と圧倒的な力によってリッツバード王国兵を蹂躙してみせた。


 圧倒的な質量、〈巨人族タイタン〉を思わせる膂力、強力な魔法障壁を持つエルセラバルド帝国の〈アルヴァ〉を先頭に、エルセラバルド帝国は勢いをそのままにリッツバード王国の領土を侵していく。


 しかし、リッツバード王国もまた大国。砦に備えつけられた魔導大砲マギカノンの威力は〈アルヴァ〉の装甲すら容易く貫き、止まらないかと思われたエルセラバルド帝国の進撃を食い止めてみせつつ、善戦してみせた。


 防衛に回ったリッツバード王国は手強く、エルセラバルド帝国も攻めあぐね、一時の膠着状態が生まれつつあった。








 ――――その頃。

 アールスハイド神聖国では、数名の壮齢の男女が大聖堂に設けられた会議場で顔を突き合わせていた。


「魔導帝国が動き出してしまったそうですね……」


 六名から成る『枢機卿団』に支えられる、アールスハイド神聖国のトップである教皇。五十代後半程の白髪の女性――マルレーナ・ストルキオの悲しげな声が、その場に集まっていた四名の枢機卿の耳朶を打つ。


「一刻も早く人族を一致団結させねば、魔王がいつ動くやもしれぬ状況であるぞ。まったく、『鮮血女帝』め。何を考えているのやら」


「愚痴を零している場合ではありませんよ、レオンツィオ猊下。ここは『聖女』の提案の可否を決する為の場です」


 枢機卿団の中でも最も若い、二十代後半の女性。

 淡い金色にも見える肩程まで伸びた髪が緩く波打った、穏やかな表情を浮かべたグロリア・アナスタシオが微笑を浮かべつつ釘を刺せば、巨狼を思わせるような鋭い目つきを湛えた男――レオンツィオ・カミロは唸るような小さな声をあげて押し黙った。


 ――さすがは元『聖女』にして、次代の教皇候補。

 その場にいた、他の枢機卿として名を連ねるビアージョ・スコッティとノルベルト・ランツェッタという壮齢の二人も、グロリアが鶴の一声によって場の空気を制してみせた事に、思わずそんな事を改めて思い知ったかのように感嘆の視線を送った。


 そんな視線を受けている事に気が付きつつも、決して得意気な表情を浮かべる事すらなく微笑を湛えたままのグロリア。彼女の碧眼が教皇マルレーナへと向けられた。


「マルレーナ教皇聖下。エーティアの提案にわたくしは賛成いたしますわ」


 現在リッツバード王国に逗留中の『聖女』エーティアからの提案。

 それはルミナを通して伝えられた、魔導帝国エルセラバルドによる新たな戦争の火種に対して、リッツバード王国側の助力に『本物の勇者』と呼ばれる者達を投入するという代物である。


 しかし、レオンツィオがそれに待ったをかけるように口を開いた。


「馬鹿げている。あの者達の力があれば確かに戦争は早期終結を迎え、エルセラバルドを黙らせる事ができるやもしれぬ。しかし今、あの者達が戦うべき相手は魔族だ。人族の戦いにあの者達をぶつけるのは無意味ではないかね?」


「確かに、そもそも『聖女』やオール猊下を向かわせたのは、此度の魔王が『本物の魔王』であるからに外ありません。だからこそ人族の力を集結し、三〇〇年前の悪夢を再現させる前に止める必要があるのです。沈黙を貫いている魔王を警戒したまま我々まで手をこまねいているぐらいならば、いっそ我々から動くべき。此度の戦争が無為な被害をこれ以上生む前に終わらせてしまうべきだとわたくしは思いますわ」


「ならば神聖騎士団を戦争に派遣した方が良いのではないかね?」


 レオンツィオの言い分はもっともである。

 アールスハイド神聖国の神聖騎士団と言えば、近隣諸国で知らぬ者はいないとされる程の強者が集うと有名だ。その力があるからこそ、近隣諸国もアールスハイド神聖国を侮るような真似をしないとさえ言われている。


 レオンツィオの提案は正鵠を射てこそいるものの、しかしグロリアは相も変わらない微笑を湛えて続けた。


「神聖騎士団は確かに強いです。が、神聖騎士団ではエルセラバルドを相手にすれば被害を受けかねません。その穴を埋める事を考えるぐらいであれば、いっそ『本物の勇者』である彼女達を派遣し、終わらせた方が良いとは思いませんか?」


 グロリアの言葉に含まれた『本物の勇者』に対する評価は、決して誇張している訳でもなければ信じ切っている訳でもなく、ただただ純粋な真実として告げられたものであった。

 かつての勇者の血脈を継ぐ者達とは違う、当代の勇者。『本物の勇者』と呼ばれる者達とは、詰まるところ隔世遺伝によって先祖返りでもしているかのように、ただただ血脈を継いでいる者達とは異なり、強力な加護と天賦の才能に恵まれた者達を指している。


 その実力はまさに一騎当千。

 たった一人、例え魔族以外が相手であろうと鎧袖一触に薙ぎ払い、打ち砕く者。それが――『本物の勇者』と呼ばれる者であった。


 本来なら数十年に一人現れるかどうかという数でしかないはずの、謂わばとも言える『本物の勇者』であったが、まるで魔王の顕現を予期したかのように現在では三名いる。


 エーティアらが「彼女達」と指している通り、三人が三人とも、まだ若い少女達であった。


 教皇マルレーナはしばし逡巡した様子で瞑目したまま沈黙を守っていたが、やがてグロリアの言葉を聞いて意を決した。


「――仕方ありません。魔王との戦いの為に、『本物の勇者』を出しましょう」


「教皇聖下ッ!?」


「グロリアの言う通り、此度の戦いで無為な被害を生むのは避けねばなりません。それに、我がアールスハイド神聖国の神聖騎士団が戦争に介入してしまえば、諸国を警戒させてしまう可能性もあります。であれば、神の代行者とでも呼ぶべき『本物の勇者』によって戦争が終結されれば、リッツバードとエルセラバルド以外の国々に対して対魔王戦に向けてより協力を得られ易いはずです。――違いますか、レオンツィオ?」


「……ッ、それはそうでしょうな……」


 レオンツィオ以外の面々がそれぞれに賛同を示す中、レオンツィオだけが頭を抱えたい気分であった。


 ――――レオンツィオ・カミロは若かりし頃より、最強の神聖騎士との呼び声高い存在であった。それ故に、今でも神聖騎士団員の多くはレオンツィオに憧憬や畏怖といったありとあらゆる感情を向けられている。

 初老を迎えようかという今においては力が衰え技術を磨いてさえいるため、現神聖騎士団長やそれを支える副団長らでさえ、若さ故の体力や膂力を用いてどうにか辛勝できるかどうか、という程度には実力もある。


 そんなレオンツィオの役目こそ、『本当の勇者』と呼ばれている三人の少女の技術を伸ばしつつ、育成する事にあった。


「――レオンツィオ。彼女達を頼みましたよ」


「……御意に。では、儂は早速あの者達に話を通してきましょう」


 だが――否。

 だからこそ、レオンツィオは思う。

 ――「がそう簡単に言う事を聞いてくれるはずがない」、と。


 マルレーナの命令とあれば、レオンツィオとてこれ以上言い募るのも無礼であると考えたのだろう。

 短く告げるなり、レオンツィオは会議室を後にした。




 石造りの堅牢な造りをしている大聖堂は、正面から見るだけでは判らないが、ここは上空から見れば「回」の字を思わせる造りをしている。

 廊下に敷き詰められた赤い絨毯を踏み締めながら、レオンツィオは大聖堂内でも隔離された空間――中央部に設けられている中庭へと向かってまっすぐ歩いていた。


 日頃より厳しい表情を浮かべている事が多いレオンツィオだが、今のそれは明らかに険しさを増している。行き交う者達も思わず慌てて道を譲る程であったが、当のレオンツィオには周囲に気を遣う余裕などなかった。


 ――――大聖堂内の中庭に設けられた、神聖騎士団の訓練場。

 神に仕える立場もあるため、表向きに民を前に軍事訓練や戦闘訓練といったものを行えない神聖騎士団は、この広い中庭でのみ鍛錬を積み重ねている。かつてはレオンツィオもまたこの場所で腕を鍛えたものだ。


 現在の神聖騎士団の実力は、決して弱くはない。

 レオンツィオ程の実力者はいないものの、それでも今の神聖騎士団が弱いという訳ではない。


 しかし今――レオンツィオの視線の先では、たった一人の少女が倒れ込んだ神聖騎士団のほぼ全ての団員を見下ろすかのように立っており、その後方では退屈そうに二人の少女が立っていた。


 ――またか。

 思わず深いため息を漏らしつつ、レオンツィオは立っている一人の少女へと歩み寄っていく。


「あ、レオ爺」


「……何をしておるのだ」


「何って、手合わせだよ? ――って言っても、じゃいくらいたとしても相手にならないけどね」


 満面の笑みを浮かべた、白髪の少女。長い髪を左右で結った、青く丸い瞳を細めている少女――ノエルに、悪気など一切ないのだろう。

 だからこそ、レオンツィオは頭を抱えたいところであった。


「シルヴィ、ロザリー。お前達の指示だな?」


「あら、何か問題でもあったかしら、レオンツィオ様? 神聖騎士団の方達と手合わせしただけ、ですわ?」


「シルヴィの言う通りだわ。別に文句言われる筋合いはないと思うのだけれど」


 青い髪を伸ばす、紺色の瞳を細めて問いかける、おしとやかな少女であるシルヴィ。シルヴィとは対照的な、赤い髪を肩口まで伸ばしている勝ち気な性格を思わせる少女――ロザリーが、レオンツィオを睨みつけて続く。

 良くも悪くも三者三様な性格をしているが、ノエルを含めたこの三人の実力はもはや、周囲に倒れている神聖騎士団員を見れば疑う余地などない。


 レオンツィオは呆れ混じりに嘆息した。


「……良かろう。三人とも、すぐに遠出の準備をするのだ」


「……ふーん? で、相手は今話題の魔王?」


「お前達の相手は確かに魔王だが、今回は違う。――、と思っておくといい」


 魔導帝国エルセラバルドを相手に、ずいぶんな物言いである。

 しかしその言葉は、決して驕りや侮りといったものではないのだと、レオンツィオは誰よりも理解していた。


「そうですか。では、ノエル、ロザリー。行きましょうか」


「……分かったわよ」


「にゅ? ねぇねぇ、シルシル、ローズ。どこいくのー?」


 二人を引き連れて去ろうとするシルヴィがすれ違う際、レオンツィオは短く口を開いた。


「……監視はつく。余計な事は考えぬ事だな」


 レオンツィオの一言に、シルヴィは見えないように口角をあげていたのであった。




 魔導帝国エルセラバルドの暴走とも思えるこの事態に、動き出すアールスハイド神聖国が擁する、『本物の勇者』と呼ばれる三人の娘。





 ――――これを逸早く察知したのは、エルセラバルド帝国の密偵ではなく、魔王アゼルの配下、夢魔族であった。




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