1-12 宣戦布告

 ――――それは、世界各地にある多くの国々で、一斉に姿を現した。


 各国の王都の上空に突如として浮かび上がる雲が渦を巻くように蠢き、民が、商人が、騎士が、冒険者がその光景に次々と気が付き、声をあげて空を見上げる。

 何かが起こっているのは確かだが、果たしてそれが一体何を示しているのかは定かではない。これから何が起こるというのか、誰もがその一部始終を見定めようと目を瞠る中、それは映し出された。


「なんだ、ありゃあ」


「あれは……レアルノ王国の王都、レキストリアだ」


「あん? レアルノ王国だ?」


「あぁ、間違いねぇ。港から王城が望める場所なんて他にはねぇからな」


「なんだってレアルノ王国なんかが……?」


 冒険者の声を皮切りに伝播していく、映し出された映像がレキストリアの光景であるという事実。多くの民衆が、冒険者らが映し出される中、さながら画面が切り替わるかのように、三人の魔族と一人の少女が映し出された。





 ――――その次の瞬間には、世界が赤で染められた。





 花が咲くような満面の笑みを浮かべた少女が、突如として赤と黒の瘴気に姿を変え、観衆を――人々を次々に襲っていく。


 虐殺の映像を一方的に送りつけられる形となった世界各地の王都は、あまりの光景に日頃の喧騒を置き去りにしたような、耳が痛くなるほどの沈黙が流れ、次の瞬間には悲鳴が鳴り響いた。阿鼻叫喚の地獄絵図が突然空へと映し出され、その光景に嘔吐する者もいれば、泣き出す子供もいるのだ、それも必然と言えた。

 それでも、映像は止まらない。

 空を見るなと秩序を守ろうとする者達が叫ぼうにも、あまりに悲惨な光景を前に、そのような声が届くはずもなかった。不幸中の幸いは、空に映し出されたその光景からは一切の音が届いてこない事だろう。


「――放てぇッ!」


 空に浮かび上がる凄惨な映像を破壊しようと、多くの魔法使いを率いた者達が空へと魔法を放ってみるが――その結果は当然とでも云うべきか、一切映像を乱す事も、かき消すような真似さえもできなかった。

 魔法使いの舞台を率いていた騎士が再び声を荒らげ、第二波、第三波と魔法を空へと向かって放つが、そんな姿をまるで嘲笑うかのように、ただただ空は惨殺の光景を映し出し続けていた。


「クソッ、幻術の類か……! 探せ! 空に魔法で映像を映し出している術者は、必ずどこかにいる! あの角は紛れも無く魔族の証! 炙り出せぇッ!」


 映像に映る若い黒髪の男――アゼルが率いている美女も、その隣にいる金毛の牛魔も、紛れも無く魔族。であるならば、この光景を空へと映し出している者もまた魔族に違いないと、各地で同じような指示が飛び交っていた。


 だが、そんな彼らの尽力を嘲笑うかのように、空に浮かんだ映像を掻き消す事などできず、虐殺は終わった。


 再び映し出されたのは、鮮血に染められた石畳の中を悠然と歩いてみせる、アゼルの姿であった。


《――初めまして、愚かな人族諸君。俺の名はアゼル。三〇〇年前の魔王ジヴォーグの跡を継ぐ、新たな魔王だ》


 魔王と名乗るアゼルの言葉が、風に拡散されるかのように町へと響き渡る。

 確かにこの三〇〇年の中でも魔王を名乗る者達は現れたが、このような大掛かりな何かを仕出かすような真似をした者はいなかった。せいぜいが、どこぞの国に魔王を名乗る者達が現れ、暴虐の限りを尽くそうとして勇者に討たれ、その騒ぎが収束するといった形ばかりだ。


 一体何故こんな真似をしたのか、魔王と名乗るアゼルの姿に、民衆はただただ続きの言葉を待つかのように騒然としながらも空を見上げていた。


《何故このような真似をしているのか、と諸君は考えているだろう。なに、そう難しく考える事もない》


 そう言いながら、アゼルが後方に侍っていた女達から一人の少年を片手で受け取り、無様に地面へと転がすように投げつけた。


《この少年――勇者と冒険者、それにこのレアルノ王国の者共に唆された者達が我が魔大陸へとやって来て、戦いを挑んできたのだ。結果は、この無様な姿を見れば想像するのも難しくはあるまい。諸君が見た光景が、魔大陸の再現、というわけだ》


 特に嘲笑うかのような感情もなく、ただただ真実を語ってみせるようなアゼルの物言いは、勇者の敗北を匂わせるには十分過ぎる効果があった。転がされたアレンが本当に勇者なのかどうかと声もあがるが、しかしあがる声がアゼルに聞こえるはずもない。


 アゼルが再び口を開く。


《我々魔族を斃し、この世界を意のままにしようという人族の気持ちは伝わった。故に、俺もそれに応えてやろう》


 サリュへと手をやり、サリュが大鎌の形となってアゼルの手に握られる。

 膨大な魔力による影響か、空に映し出された映像が乱れる中で映し出された、逃げ惑う冒険者と騎士、そしてレアルノ王国の人々。


 そこへ、アゼルが大鎌を振るい、赤黒い魔力の斬撃を放つ。


 虐殺の場面を見せてやろうと言うのかと思えば、斬撃は冒険者と騎士らを巻き込みながら一直線に正面に広がった大通りを突き抜け、そのまま遠くに望む王城へと向かった。

 しかしその光景を見ていた者達は、どこか安心したかのように見守っていた。


「ハッ、馬鹿だな。王城は守護結界に護られてるって事を知らねぇのか、自称魔王サマはよ」


 嘲笑すら浮かべるような民の声は、一般的に誰もが知っている事実であった。

 魔族や魔物に対抗すべく作られた魔法障壁。これまで多くの魔族を相手にしてもなお、王城を守りぬいてきた結界だ。当然ながら、その一撃は誰しもが予想した通り、アゼルの一撃を防ぐかに思われた。


「おいおい、こんな大々的に大恥かいたら魔大陸に引っ込んじまうんじゃねぇか? 恥ずかしすぎて出て来れねぇだろ」


「違ぇねぇな。魔族ってのは馬鹿しかいねぇのかよ。俺より頭悪いんじゃねぇか?」


 恥をかく様を見てやろうとでも言いたげに見守る観衆。


 だが――――絶対的な誰もの確信は、刹那に露と消えた。

 光の残滓が舞い散り、赤黒い魔力の斬撃はまるで障壁など存在していなかったかのように王城へと突き刺さり、斜めに斬り裂いたのだ。


 崩れる王城と、絶対的な守護の崩壊という現実。

 さらにアゼルが空へと手を翳し、巨大な赤黒い魔力弾を撃ち出し、追い打ちをかけるように王城へと一撃を放つと、着弾と同時に暴力的な衝撃が周囲を襲い、大地が揺れる様をありありと見せつけ、数秒も経つとレアルノ王国の王城があったその場所が映し出される。


 ――なんの悪夢だ、これは。

 誰もがそう思わずにはいられなかった。


 絶対的な守護はもちろん、一国が――国の象徴である王城が、たかだか二発の攻撃と塵と化した。大地が抉れ、砕かれた王城の白い石が散らばるだけの、惨状が。王都レキストリアと繋がる大通りの石畳を剥がし、剥き出しとなった大地がそこには映し出されていた。


「……嘘、だろ……?」


 昨今の人族同士の戦争でも王城を破壊する事はできず、降伏を促すような形しか取れない。それはこの数十年ではもはや当たり前となっており、王城は絶対的な聖域とも呼べる程に護られている――その筈だった。

 誰かが呟いた現実を疑うような声は、その映像を見つめていた誰もの心の声を代弁していた。


 そして再び、アゼルが映し出された。

 圧倒的な破壊を生み出しておきながら、涼やかな表情は一切変わらない。


 黒い髪に黒い瞳の、角さえなければただの青年にすら見える魔王が、逃げ惑う観衆らを前にしてもまるで遠い世界の出来事かのように静かに佇む姿に、誰もが息を呑んだ。


《――愚かなる人族諸君》


 大鎌を肩に担ぎながら、アゼルは続けた。


《貴様らが魔大陸に踏み込んできた以上、もはや賽は投げられた。貴様らに明るい未来はないと知れ。これは脅しではない》


 世界の、名立たる国々の王の称号を持つ、全ての者達へと、アゼルは堂々と言い放つ。


《この映像を観ている、愚かな人族の王よ――これは宣戦布告だ。貴様らがこの世界より死に絶えるか、それとも俺が死ぬか。その時まで決して終わることはない。死にたくなければ、止めたければ、俺を殺してみせろ。だが、覚悟することだ。そこに転がる貴様らの張りぼてにすら劣る勇者などという存在程度では、俺は止められないぞ?》


 冷笑を浮かべたアゼルの姿を最後に、何事もなかったかのように見慣れた空が、再び人族らの目には映った。


「……魔王、アゼル……」


 ――――誰もの心に、その名は刻まれた。


 世界各地で見られた、レアルノ王国の王都レキストリアで起こったと思われる、虐殺劇。そして魔王アゼルによる人族に対する、この宣戦布告という忌まわしき出来事は、やがて『赫黒の日』と呼ばれるようになる。


 この日、この時から、世界は激動の時代を迎える事になったのだ。







 ◆ ◆ ◆







 アゼルの宣言が世界各地に混乱を齎している頃、アゼルの姿は、再びネフェリアやバロム、そしてネフェリアの部下らと共に魔大陸へと向けて海上を進む魔導船の上にあった。

 たった一人海を見つめながら佇むアゼルの姿を遠目で見ていたバロムは、背後から近づいてきたネフェリアの足音に気が付き、小さくため息を吐いた。


「あの御方は、何を考えてあんな真似をしたのだ?」


 バロムから向けられた質問は、ネフェリアとて想定していた内容であったのだろう。ネフェリアは足を止めると、小さく口を開いた。


「言葉通り、宣戦布告をなさったのですよ」


 ネフェリアら夢魔の部下によって、世界各地の王都などを中心とした大都市に先程の映像は映し出されている。アゼルがネフェリアと話していた、夢魔族を一度魔大陸に戻るように話していた件は、そもそもこの騒動によって魔族に対する警戒度が跳ね上がる可能性を見越したものだった。


「……解せぬな。魔大陸とて、未だに統一されているとは到底言えぬ状況だ。そんな中で魔大陸に外敵を招くような真似をするなど……」


 確かに今、魔大陸には新たな魔王アゼルが現れ、新たな王を戴いた。だが、ゾルディアの尽力によって徐々に勢力を集結させつつはあるものの、まだまだ統一しているとはお世辞にも言えたものではない。

 残虐な行動をわざわざ喧伝するかのように世界各地へと見せつけ、魔王の存在を知らしめるような真似をすれば、当然ながらに魔大陸に対する危険視が強くなる。今後の攻撃は今回とは比にもならない程に大きく、強力な戦士を送り込んでくるであろう事は目に見えている。

 バロムから見た今回のアゼルの行動は、あまりにも突拍子もない行いに見えてならなかったのだ。


「陛下は、人族をよく理解していらっしゃいます。ご心配には及びません、バロム様。人族共は、そう簡単に動いたりはしないでしょう。いえ、動けない、と言った方が正しいかもしれませんね」


「……どういう事だ?」


 戦士としては優秀だが知略という点には明るくないバロムには、ネフェリアの言葉の意味がいまいち理解ができなかった。


「確かに、現在の魔大陸はバロム様が危惧する通り決して一つに纏まっているとは言い難いでしょう。ですが今、魔大陸の外を覆う〈霧啼きの海〉が消え去ってしまっています。このまま魔王の存在を隠していては次々と人族が押し寄せ、今回のような戦いが何度となく繰り返されていた可能性がありました」


「その時は迎え討てば良かろう?」


「バロム様ほどの実力者であれば、確かにそれは可能でしょう。ですが、人族とて馬鹿ではありません。何度も攻め込まれれば、有力な魔族を優先して狙い、最悪の場合は各個撃破を狙われた可能性があります。戦いに向かない者達から狩られる可能性も否定できません」


「……それもそうであろうな」


 バロムが立ち上がったのもまた、そういった者達を――自らの一族を守るためでもあるのだ。ネフェリアの答えは納得がいくものであった。


「圧倒的な力を持つ陛下の御力を見せつけ、絶対的な防御を誇る王城すらも落としてみせる程の力を有していると喧伝する事で、魔大陸に攻め込むための足並みを狂わせ、準備を遅らせる。勇者すら赤子の手を捻るかのように倒してみせた魔王が登場したとなれば、人族も陛下を――魔王の存在を無視してはいられません」


「そうなれば、先程も言った通り魔大陸に攻め込んでくるであろう」


「その通りです。ですが、今以上に時間を稼ぐ事には成功しています」


 堂々巡りになりかねない流れにバロムが僅かに苛立つように口にした言葉に、ネフェリアは微笑を以って返した。


「先程申し上げた通り、陛下は人族をいらっしゃいます。「魔王が登場したのだから手を組みましょう」などとそう簡単にいくほど、人族は一枚岩ではないのです」


 アゼルがこの世界に召喚されたのは、現在の世界が人族同士の戦いにより、徐々に崩壊しつつあるためだ。当然、その真実こそ知らずとも、今の人族国家同士での争いに関しては、ネフェリアの耳にも届いている。

 だからこそ、アゼルは自らの存在を知らしめるという方向を取る事によって、人族に楔を打ち込んだのだ。


「どこの国がどう動くか。もし自分達が動こうものなら、その隙に国を攻められるのではないか。そんな疑心暗鬼に駆られた人族が足並みを揃えるには、相応の時間が必要となります。互いに互いの国を牽制し合うような動きを取り始めるでしょう」


 ネフェリアの説明にようやく得心が行ったのか、バロムは口を噤んだ。

 人族に魔王である己の力を知らしめる事で魔大陸侵攻のリスクを知らせたのは、時間稼ぎのため。もしもバロムがあのまま人族を送り返すだけであったら、すぐにでも新たな部隊が投入されるだけだ。文字通りに楔を打ち込むという意味では、これ以上の効果はない。


 もちろん、アゼルの狙いはそれだけではない。

 疑心暗鬼になった者ほど、夢魔らを筆頭に魔族が得意とする精神支配の魔法は実に効果を発揮しやすくなる。国同士の争いすら利用し、さらに大国が下手に動けば、他の人族国家をけしかけ、戦力を低下させる事もできるだろう。

 更に言えば、現在世界各地に生き残る人族以外の者達に、魔王という存在を知らしめ、人族の力となる代わりに馬車馬の如く働かせられる者達に、魔王の庇護下に降るという選択肢をも与えるためでもある。


 そういった点から、魔王の存在を明確に示すメリットとデメリットを天秤にかければ、どちらに比重が偏るかはもはや語るべくもない。


「……なるほど。確かにあの御方は修羅なのだろう」


 勇者アレンとの会話の中で垣間見えた、怒りの感情。

 世界の全てから敵意を向けられてもなお歩み続ける覚悟がなければ。自らの歩む道にどれだけの血が流れようとも、どれだけの骸が転がろうとも決して歩みを止める覚悟がなければ、魔王や勇者の称号を背負うことなどできないだろう。


 バロムの呟きにはネフェリアもまた同意できる。

 しかし、同時に疑問が生まれてもいた。


 例えばこれが、魔族を救うために立ち上がっているのであれば、まだネフェリアもアゼルの心情を理解できただろう。しかしアゼルは「敵対するのなら潰すことになる」と魔族を相手にしても無条件に受け入れるような素振りは一切見せてはいない。

 いくら魔王として生まれたとは言え、ただただ憎悪と憤怒に駆られて世界を破壊しようとしている初代魔王ジヴォーグのような衝動を持ち合わせているようにも思えない。


 一体何がアゼルを駆り立てているのか。

 ネフェリアにはまだ、それが分からない。


「……本当の意味で、私が陛下の隣に立てる日は来るのでしょうか……」


 ネフェリアの小さな呟きは、潮風に浚われるようにかき消された。

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