1-11 覚悟の違い

 肉を断つ一撃。

 加護の残滓が無力に漂うその向こう側、アレンは大きく目を見開いたまま大鎌の持ち主を見上げ、思わず言葉を失った。

 愉悦に顔を歪めているか、それとも達成感に笑みでも浮かべているかと思いながら見上げた先にあったのは、ただただ侮蔑的な、無感動な冷たい視線しかなかったのだ。


「――くだらない。勇者がどれ程のものかと思えば、この程度の一撃すら反応できないとはな。サリュの一撃では届かなかったようだが、せっかくの加護も俺にとってはただの光。過剰な演出も甚だしい」


 つまらないものを見るように、アゼルはアレンを見下ろしたまま小さく呟くと、無造作に放たれた強烈な蹴りでアレンを蹴り飛ばし、強引に大鎌を引き抜いて血を振り払うように大鎌を振るった。

 確かに『歪み』の影響が色濃く残るバロムや、存在を書き換えられて間もないサリュの一撃こそ防げたようだが、所詮はそれだけだ。アゼルはそもそも『歪み』ですらないため、勇者の加護など文字通りにただの演出程度にしか感じられなかった。


 ネフェリアらから聞かされていた勇者なる者の存在は、まさに脅威となりかねない存在だったはずだ。たった一撃で命を失いかけるような無様な姿を晒すような真似はすまい。それでこそ、「勇者を屠った」という事実に箔が付くと、アゼルはそう考えていた。


 目の前の光景に対してアゼルが口にしたのは、侮蔑するつもりも揶揄するつもりもない、紛れも無い本心でしかない。期待外れだ、とアゼルはそう思わずにはいられなかった。


「……がッ、ふ……」


 吹き飛ばされ、空を仰ぐアレンは明確な死を予感していた。

 胸元からは生温かい血がだくだくと流れ出し、温かさを感じながらも徐々に体温が失われるといった奇妙な感覚。先程までの死闘も、強まる加護と己に湧き出る全能感の全てが、何をされたのかも理解できないようなただ一瞬の一撃によって、その全てを悉く塗り潰されてしまったのだ。

 悔しさも怒りも通り越えて、ただただ悪い夢でも見ているかのような無力感に、壊れたように乾いた笑いを浮かべる事しかできなかった。


 そんな光景を前に、戦場に落ちる沈黙。

 命を削り合う場所には不釣り合いな静寂が、その場を支配する。


 突如現れた魔王。

 かの英雄譚にも登場する金毛の牛魔バロムと対等に戦いを繰り広げ、勇者に相応しい力を発揮していたはずのアレンが、ただの一呼吸の間に胸を貫かれ、ゴミ屑同然に蹴り飛ばされ、そのまま動きを止めている。

 それは絶望などと生易しいものではない。そもそも絶望とは、その状況に理解が追いついて初めて訪れる代物だ。多くの人族は、ただただ成り行きを見守り、唖然としながらばらばらに散った思考をかき集めるかのように、時間を要していた。


 だが、そんな時間をわざわざ待つ義理などないとでも言わんばかりに、魔王はその沈黙をあっさりと破った。


「サリュ。踊れ」


 アゼルの手に握られていた大鎌が、さながら砂の塊が崩れるかのように赤黒い瘴気の姿へと変わり、刃そのものとなって唖然とする人族達へと急襲した。瘴気と化したサリュが尾を引きながら横薙ぎするように人族の最前列にいた者達を一閃し、赤い花を大量に生み出した。


「あ――あああぁぁぁッ!」


「――て、撤退! 下がれ、殺され……!」


「や、やめろッ! 来るなぁッ!」


 全てが手遅れだった。

 勇者が破れたと思考が追いつく頃には、すでに瘴気と化したサリュが踊るように人族に襲いかかり、命を刈り取っていた。

 未だに理解が及ばない者達へと声をかけようにも、サリュの速さは無情にもそれを許さぬかのように動き回り、気が付けばアゼルが指した一団はすでに物言わぬ骸と化した。

 サリュが再びアゼルのもとで人の姿を象って赤髪の少女となって姿を現すなり、紅潮した頬を隠そうともせずに恍惚とした表情から一転、哄笑をあげた。


「くふっ、くふふふっ、あっはははははっ! 楽しいね、楽しいよ、アゼル! もっと、もっと刈り取らせて!」


 昂奮のままに妖しく光を宿した瞳を爛々と輝かせるサリュの頭を一撫ですると、アゼルはバロムへと振り返った。


「金毛の牛魔バロム――だったかな。ゾルディアから聞いているよ。勇者の加護を相手に善戦するとは、さすがだ」


「……その勇者をたった一撃、刹那の間に屠れるとは。さすがはゾルディアが真の魔王と認めた存在、という事か」


「大した問題じゃない。加護が通用するかしないか、それだけの違いだ。キミも勇者の加護さえなければ、苦戦なんてしないだろう?」


 恭順を示さない上に口調まで改めようとしない自分のような者に、この魔王はどう反応をしてみせるのか。尊大に認めて懐の深さでも見せるのか、もしくは激昂するかと想像していただけに、アゼルは一切気にした様子もなく口を開いた姿に、バロムは思わず目を僅かに丸くした。

 そんなバロムの姿からついと目を離して、アゼルはアレンへと目を向けた。


「……へぇ、立ち上がるか」


 胸元に淡く光を放つ手を当てながらよろよろと立ち上がるアレンの姿に、アゼルは素直に感心していた。治癒魔法の類による応急処置を施しているおかげで一命は取り留めたようだが、失った血までは戻らない。さぞ意識が朦朧とするであろうその状況でもなお立ち上がってみせるのは、やはり勇者の矜持が成せる業とでも云うべきだろう。


「……ま、おう……。ぼ、くは、魔王、を……斃さなくちゃ、いけない……」


「そこまで恨まれるような何かをした覚えはないな。それとも、勇者には魔王の称号を持つ者を殺さなければいけないという使命でもある、とでも?」


「勇者を、認めさせ、るんだ……ッ! こんな、ところで、死んでも死にきれない……!」


「……勇者を、認めさせる?」


「あぁ、そうだ……。地に堕ちてしまった、勇者の称号を……! 僕は、再び勇者として、相応しく……!」


 朦朧とした意識の中で、アレンはただ胸に秘めていた決意を語る。


 笑い者にされてしまっている、誇り高い勇者の称号。

 魔王を討ち、かつての誉れを取り戻そうとこの場所へとやってきたのだ。

 後ろ指を指されようとも剣技を磨き、勇者としての誇りを再び取り戻すと誓った、幼き頃の誓いを果たすために。


「僕は、勇者の名を……!」


 死に至る程の傷を負いながらも立ち上がるその姿は、突如として現れた魔王とサリュによる一方的な虐殺に絶望していた人族達に、確かに一縷の望みを与えるかのようにさえ見えただろう。


 だが――その言葉は、なかなか感情を見せようとはしないアゼルの琴線に触れた。


「――その程度の信念で、この俺を、魔王を討とうと言うつもりか……? だとしたら、これ以上滑稽な事はないな」


 サリュがアゼルの意思に応じるかのように大鎌の姿へと戻り、アゼルもまた大鎌を手にカツカツと立ち上がったアレンへと歩み寄り、朦朧としたままなんとか剣を支えに立つアレンの首を片手で締め上げ、そのまま持ち上げた。


「ぐ……ッ」


「貴様が勇者だと? 笑わせる。貴様は勇者などではない。せいぜい、勇者の称号に縋り、振り回されているだけの、ただ愚かで矮小な存在だ。その程度の覚悟で、その程度の信念で背負えるような代物ではない。いっそ勇者などという宿命、捨ててしまう方が余程貴様にはお似合いだろう」


「な、にを……ッ」


「絶対なる称号を、宿命を背負うのであれば修羅で在らなくてはならない。例えその道が血で染まろうと、多くの者を犠牲にして成り立った道であろうと、それでも尚歩き続ける者でなくてはならない。貴様にはその覚悟が足りていない、と言っている」


 首から手を放し、崩折れるアレンに止めすら刺そうとはせずに、アゼルは再び踵を返した。何をするのかと一同の視線が向けられる中、アゼルが右手に携えた大鎌に膨大な魔力が注がれ、赤黒い光が陽炎のように周囲の光景を歪ませていく。


 一体何が起こるというのか。

 それに気が付いたのは、アレンただ一人であった。


「や、やめ、ろ……! やめろおおおぉぉぉッ!」


「貴様のその独り善がりの信念では、そうして叫ぶ事しかできないだろう。せいぜい、己の無力さを噛み締めろ」


 ぐっと腰を落として、アゼルが大鎌を振りかぶり――勢い良く振るう。

 ヴェクターとの戦いで見せた、魔力を込めた一撃。

 暴力の権化とも呼べるような一撃が斜めに斬り上げられるように振るわれ、魔力斬が大地を抉りながら人族の集団へと向かって、なんの前触れもなく放たれた。巨大な波が迫るかのような一撃に、今更ながらに我に返った人族の叫ぶ声がこだまする。

 無情に、無慈悲に放たれた凶悪な一撃はそれら全てを呑み込むかのように襲いかかり、文字通りに死を撒き散らした。


「……あ、あぁぁ……」


 愕然としたまま、立ち上がった気力そのものすら失って、アレンが声を漏らしながら崩折れた。


 死屍累々の惨劇。

 生き残った者達は恐怖に顔を歪ませながら後退り、死にきれなかった者達は激痛に叫び声をあげる。目の前で、ただの一瞬で命を奪われた仲間を探すかのように周囲を見回す者。

 堰を切ったように、冒険者や騎士達は絶対的な強者の一撃に恐慌し、戦いの波は呆気無くも引き始めた。生き残った者達が、ただただ死から逃れようと自分達が乗り込んできた魔導船へと逃げ帰っていく。


 そんな中、ネフェリアの真横で魔法で生み出された影が人の姿を象って現れ、ネフェリアへと何かを告げた。


「――陛下、レナンから連絡が。予定通り魔導船は自動操縦によって動かせそうです」


「そうか。ならば行くぞ、ネフェリア」


 突如現れ、勇者を絶望の淵へと叩き落とした魔王アゼルと妖艶なる美女ネフェリアの二人が歩き出そうと足を進めたところで、ようやく我に返ったバロムが慌てたように声をあげた。


「待て! 奴らは戦意を失っている。これ以上は……」


 人族の戦いに対する心構えも力も脆弱であり、確かに戦士としては風上にも置けないような有様。

 確かに先程まではバロムも怒りに燃え、この魔大陸へと踏み入った者達を生きて帰すつもりはなかったが、今やアゼルの一撃によって人族は恐慌状態に陥っている。

 そんな、もはや戦意すら喪失した者達に追撃をかけるというのは、戦士たらんとするバロムの矜持が許せるはずがなかった。


 だが、アゼルは小さく笑って肩をすくめた。


「何か勘違いしていないか、バロム」


「では、何を……」


「その答えを知りたければ、ついてくるといい」


 短くそれだけを告げて、アゼルはちらりと未だに絶望したまま膝をついているアレンを一瞥した。


「ネフェリア、あれも運ぶように夢魔族に伝えてくれ」


「……陛下。お言葉ですが、勇者は我々にとっては大敵。ここで殺しておいた方がよろしいかと」


「確かに最初はそのつもりだった。殺しておいた方が、魔族にとっては後顧の憂いを断てるだろう、とな。だが、あの程度の勇者もどき、いつでも殺せる。利用価値があるのなら利用した方が良い」


「利用価値、ですか?」


「あれは生かしてこそ価値がある。いや、生かして人族の前に連れ出してこそ、だろう」


 短く告げられたアゼルの言葉に、ネフェリアは疑問を胸に抱きながらも短く承諾の意を口にして、影へと指示を与えた。









 ◆








 その日、レアルノ王国の王都でもあり、海の玄関口でもあるレキストリアの町は大いに沸いていた。魔大陸へと行った精強なる戦士達を送り出したあの日から、およそ二十日。数日前、魔導船から通信が入り帰還する旨が伝えられ、英雄達の凱旋にお祭り騒ぎとなっていたのだ。

 他国からの間諜の存在と、魔導具での通信は盗聴される恐れもあったため、未だ王国の上層部には魔大陸征伐はおろか、上陸して間もなく壊滅したという失敗の事実すら報告されていない。これは元々、レアルノ王国を出る際にそうするようにと命令されていた内容である。


 それでは何故、このようなお祭り騒ぎとなっているかと云えば、今回の作戦の成否に関わらずともこれを凱旋として王国上層部が民衆へと発表したためであった。


 そもそも港に入って来るであろう巨大な魔導船の姿を隠しきることなどできるはずもなく、下手に隠そうものなら他国から集まっている者達に隙を見せかねない。ならば、どちらにしても既成事実を作り、民衆には耳心地の良い言葉を発表すればいいだろう、と考えていたため、最初から仕組まれていたのである。




 ――――それが、この上ない程のお膳立てになってしまうなど、誰が想像できただろうか。




 凱旋に沸く民衆とは裏腹に、戦意を喪失し、心を砕かれたように戻ってきた冒険者達を覆うように、騎士団に所属する兵らが彼らの周りを固めながら、ぎこちない笑みを浮かべながらも民衆に向けて手を振り返す。

 出港に比べて人数が明らかに減っているのは、魔大陸侵攻拠点を築いている最中だと発表されている。これもまた、これからの戦いによって戦死したと発表さえしてしまえば、帳尻を合わせることはできるのだと判断した上層部によって、嘘に嘘を塗り重ねる形で発表されている内容だ。


 そうして最後の一隻が到着し、冒険者らが降りてくるであろうと誰もが魔導船へと目を向け――歓声が止んだ。


 そこから降りてきたのは、明らかに魔族。

 頭には赤黒い角を生やした黒衣を纏う男。左右には妖艶な美女と愛らしい少女サリュを侍らせ、その背後には英雄譚でも敵役として圧倒的な強さを描かれている、金毛の牛魔。


 冒険者や騎士達に拘束されているでもなく、堂々と降り立ってみせるその姿からは、決して襲撃しにやって来たなどとは思えるはずもなく、一体何がどうなっているのかと誰もがそれぞれに口を開く。


 そんな、困惑する民衆の異変に気が付いたのだろう。

 前を歩いていた冒険者の一人が驚愕に顔を歪めながら、震える指をアゼルらへと向け、仲間達もまた今更ながらに気が付いた。


「な、んで……アイツらが、ここに……!」


「嘘、だろ……」


「ま、ま……、魔王だああぁぁぁッッ!」


 冒険者の叫び声は、歓声が止んだその場所に響き渡る。

 状況を把握できていない民衆と、魔王を指す声に慌てて振り返る魔大陸へと赴いた戦士達の緊張という、どこかちぐはぐな光景を前に、魔王アゼルとネフェリア、そしてサリュとバロムはその場で足を止めた。


「――始めるぞ、ネフェリア」


「はっ!」

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