1-10 勇者の加護

 魔大陸に攻め込んできた人族。

 ゾルディアに齎された情報を聞いたアゼルがすぐに対策を打つかに思えたが、アゼルは引き続き城の建設を続行するように命令を下し、何事もなかったかのように振る舞っていた。


「人族が攻め込んできているってのに、あたしらは魔王城の再建。悠長にこんな事をしていていいのかねぇ」


 何もかもを見通しているかのように振る舞い、超然とした存在であるはずの妖狐族の女、ラン。決して部下には零す事のない、彼女にしては実に珍しい小さな愚痴が、吹き抜ける風に浚われた。


 現在、ランが率いる〈獣人族セリアン〉もどきと称した獣魔族は、自分達を率いて守り続けてくれたランの意向に従い、魔王アゼルの配下として生きる道を決定している。もちろん異論が生まれなかった訳ではないが、そういった者達に決断を、強要を迫るような真似はしようとはしていない。


 かつての絶望を、ランは決して忘れようとはしない。

 同じ〈獣人族セリアン〉であったはずの自分達が魔族として扱われ、逃げるように魔大陸へと渡ってきた幼い日の光景を。

 両親が必死に戦い勝ち得た地位を守り、同じ境遇にある者達を救ってみせると心に決めた。多くの魔族が自分達を配下に加えようと攻めてきては、それを返り討ちにし、時には根絶やしにする程までに苛烈に攻め立てた血塗られた過去を。


 守り続け、育み続けてきた大事な部下であり、仲間である同胞達にアゼルの配下になれと強要するつもりなどなかった――と、建前を自ら並べてしまっている自分に、ランは小さく苦笑する。


 確かに過去を忘れるつもりなどない。それは事実だ。

 だが、アゼルに従おうと決めたのは、アゼルに対して――魔王に対して絶対的な庇護を求めたためではない。

 圧倒的な力を持ち、驕りから来る傲慢さすら捨て去り、ただただ目的遂行の為にのみ前を向いているような、どこか掴みきれないカリスマ性を持つ魔王アゼルに、他ならぬ自分自身が魅了されてやまないのだと、ランはすでに自覚している。

 これから何を以って何を成そうと言うのか。

 生まれたばかりのはずの魔王が、一体どこへ向かって邁進し、何を生み出すのか。その光景を築き上げた時、希わくは、己もその光景を隣か、あるいは一歩後ろでも構わないから見てみたいという想いがあるからこそ、ランはアゼルの配下として生きる道を選んだ。

 当然、そんな自分の本音を周囲に吐露するどころか、強要できるはずもなく、配下達にはいつも通りの超然とした立ち振舞いで魔王を見極める為に傍にいるつもりだと告げている。


 配下の数名には何やらニヤニヤと笑みを浮かべながら、随分と微笑ましいものを見るような目で了承を告げられた、という微妙な反応もあったが――それはさて置き。


「陛下は、攻め込んできた人族の対処より、魔王城の建築の方が優先度が高いと判断されたのであろう」


「おっと、聞こえちまったのかい?」


 振り返れば、蜘蛛魔族を率いるベルファータがいつの間にかランの近くに立っており、建設作業に慌ただしい魔王城を見上げながら呆れたように嘆息した。


「聞こえたも何も、聞こえるようにぼやいておったのはおぬしではないか。大方、夢魔の娘達相手では陛下を疑うかと睨まれるのが関の山。じゃからこそ、わらわにそのような愚痴を零したのであろ?」


「ふふっ、さすがだねぇ。その通りさ。『鬼』も『蜥蜴』も、小難しく考えるようにはできちゃいないからねぇ。一族を率いるあたしと、子を守るあんた。形は違えども、境遇は似ているだろう?」


「愚問じゃな。陛下に胸を焦がしたお主とわらわでは、境遇は似ておっても動機がまるで似ておらぬ」


「な……ッ! む、胸を焦がしたってのはどういう意味だいっ!」


「なんじゃ。おぬし、自分の気持ちにも気付いておらなんだか。そのような妖艶な格好をしておる割に――カカッ、存外ウブじゃのう、狐の娘よ」


 男ならば思わず目を奪われそうな、たおやかな膨らみを覗かせるような服装でありながら、白い陶磁のような肌を真っ赤にして自分を睨みつけるランに、ベルファータはくつくつと込み上がる笑いを噛み殺そうともせずに笑ってみせると、満足気に一つため息を吐いた。


「おぬしも見たであろう。黒竜すら一蹴してみせる、陛下の御力を。あの御方にとってみれば、攻め込んできた人族など大した問題ではないのであろう。勇者でもなければ、あの御方に傷一つつける事などできまいよ」


「……勇者、かい」


 圧倒的な力の持ち主であったジヴォーグすらをも屠った勇者。まるで魔族の力も魔王の力も霧散してしまうかのような、反則的な力を持った存在。

 先代魔王ジヴォーグとの戦いがいかなるものであったのかまではランも詳しくは知らないが、ジヴォーグと勇者が率いる者達との戦いは、まさに悪夢のような光景であったと言い伝えられている。


 どこか重くなった空気が流れる中、それを払拭したのはベルファータの笑いを堪えながら呟く「しかし――」という声であった。


「そんな陛下ですら、どうにも子供の癇癪には勝てぬようじゃな。くくくっ、先程の光景は陛下には失礼じゃが、思わず笑ってしまったわ」


「先程の光景? そういや、陛下は何処に行ったんだい?」


「恐らく、あの子の癇癪に付き合っておるのであろう。ネフェリアもついておるし、何かあれば夢魔族が動くじゃろう。それに――」


 ベルファータは再び何かを思い出し、くつくつと肩を揺らしながら続けた。


「――「一つ、見せしめに国を潰してくる」そうじゃ」


「……は?」


 ちょっと近くにお買い物、ぐらいの気軽さで言われた時は、ベルファータも目の前にいるランと同じように目を丸くしたものであったが、こうして他人が同じ反応を見せると、なんとなく笑えてしまうというのが本音であった。







「ふんふんふふーん、ふふふっ!」


 的外れな鼻歌から一転して、楽しげに笑うサリュ。漆黒のドレスを身に纏い、左右に結った長く艶やかな赤い髪を、揺らしながらくるくると回って頬を紅潮させて笑う様は、まさしく花畑でも似合いそうなものだとアゼルは思う。


 ――――だが。


「ねぇ、アゼル? 早く、早く! 向こうから血の匂いがするよ! 早く行って、早く私に刈り取らせて? その為に行くんだよね、ね? ふふふっ、楽しみだねっ」


 鮮やかな鮮血を思わせる髪に比べれば暗色の赤い瞳をきらきらと輝かせながら、満面の笑顔で告げる言葉としては、ある意味では似合い過ぎていて薄ら寒さすら覚えかねないような言葉と態度に、アゼルは苦笑を浮かべ、その斜め後ろをついて歩いていたネフェリアは表情を引き攣らせた。


「物騒な発言ですね……。あの容姿と行動だけならば、愛くるしい少女にしか見えないのですが……」


「あれはあれでサリュらしいじゃないか。サリュが少女然として振る舞っている方が、俺としては恐怖を覚えかねないな」


「それは……――そうですね」


 同行していたネフェリアも、軽く想像しただけで言い知れぬ悪寒を感じて思わず言葉を失った。もはやサリュだからこその発言というのも板についている、と言うべきだろう。

 ネフェリアとサリュの初対面は、「ねぇアゼル、その魔族――刈ってもいいよね?」から始まった。城の地下へと行っていたかと思えば、突然連れて帰ってきた少女からのまさかの発言である。

 だが、抗えない何かを感じ取ったのもまた事実。

 アゼルと似た、けれど異質とも云えるサリュの独特の気配に、ネフェリアは唐突に理解した。この少女は、陛下に近い存在なのだろう、と。そこは自分ではどうやっても踏み入れられない場所にあって、夢魔族の巫女として魔王を待ち続けてきたネフェリアにとっては、酷く複雑な想いを胸に刻まれた瞬間でもあった。


「ところで、ネフェリア。さっきの話だけど、可能かな?」


「はい。〈翼〉の仕事となるのでレナンに確認しましたが、不可能ではなさそうです。ですが、それを実行してしまうのはつまり、魔王軍の配下が町の中にまで入り込んでいると証明してしまうようなものですよ?」


「あぁ、構わないよ。今回のが済んだなら、各地に散らばった〈翼〉の者達も、一度この大陸に戻るように伝えておいてくれないかな」


「よろしいのですか? 永らく外に居続けている者達ですので、そう簡単に再び任務に戻れない可能性もあります。まして、陛下のが発動すれば、そう簡単に潜り込めるような機会は失われてしまいますが……」


 ネフェリアの妹であるレナンが指揮する、情報収集を担う夢魔族の部隊――〈翼〉の者達には、人族の男を夫として、一般的な家族のように振る舞いながら生活している者さえいる。

 そういった者達が姿を消すとなれば、そう簡単に再びその町に戻るといった行動は難しい。代わりに新たに部隊の者を送るのも無理ではないが、何分、外にいる者達と魔大陸で暮らす者達とでは、圧倒的に人族の暮らしに関する常識力という意味では差が生じてしまい、なかなかに困難である。

 ネフェリアの危惧するところを悟った上で、アゼルは「問題ない」とあっさりと答えた。


「ネフェリア、魔王とはなんだと思う?」


「我々魔族を統べる、唯一無二の王です」


「……そういう答えじゃなくて……――そうだな、質問を変えよう。今の人族にとって、魔王とはどんな存在だ?」


「人族にとって、ですか? ……申し上げにくいのですが、この三〇〇年の間に台頭した魔王を僭称した者共によって、かつてのような恐怖の象徴という存在から離れてしまっております」


「それだよ、ネフェリア」


 小首を傾げて立ち止まるネフェリアの視線の先で、アゼルもまた足を止めた。


「ただただ破壊の限りを尽くすつもりもないが、俺は魔王として生まれた。ならばまずやるべきは二つ。魔王の存在をこの世界に知らしめ、魔王が魔王たる所以というものを示す必要がある」


 ゾルディアとバロムが、この三〇〇年という時間の中で魔族が変わったと感じているように――否、元は人間であったからこそ、アゼルは尚更に確信している。今の時代を生きる人族にとって、魔王とはイコールして「勇者によって」として定着してしまっているだろう、と。

 ネフェリアが言う通り、ジヴォーグ程の災いを齎した魔王は過去を紐解いたところで存在していない。事実、魔王を僭称した魔族が勇者によって討たれるというセオリーが、今の世界には蔓延っていると言えた。

 ルーファによってこの世界に生み落とされたアゼルは、自らの存在を知らしめるためには苛烈な手段すら厭わないつもりであった。だが、それをやってしまっては、ルーファを生み出した神々の意志に反してしまうと釘を差されている。

 ならば、どうするべきか。

 そう考えていた矢先の、人族による魔大陸への侵攻。


 なるほど――ルーファの言う通り、神々はアゼルの登場を世界に知らしめようとしていると云うのも、あながち間違ってはいないのだろうとアゼルは感じていた。


「――サリュ」


「んぅ? なぁに?」


「悦べ。お前の欲望を十分過ぎるほどに、満たしてやろう」


「――……あはっ! それはすごく楽しみね、アゼル」








 ◆ ◆ ◆







 金毛の牛魔、バロム。

 巨躯を駆使した、たった一度の大斧による薙ぎ払いによってレアルノ王国の騎士達の身体を守る金属鎧はひしゃげ、吹き飛ばされ、前線は瞬く間に崩壊の兆しを見せつつある。

 その一方、期待されていないのだろうと出港の際に感じていた通り、前線部隊とは離れた位置。幸運にも、とでも云うべきか、バロムと対峙せずに済んだアレンは、勇者としての力を十全に発揮していた。

 魔物の身体を安物の剣であっさりと断ち切り、魔族の魔法すらも斬り、一瞬で肉薄したかと思えば交錯した次の瞬間には、魔族が崩折れる。それはまさに英雄譚で幾度となく描かれてきた勇者そのものの姿といったところであり、苛烈に攻められ、前線すら崩壊しつつある人族の希望そのものになりつつあった。


 当然、バロムはこの状況を見過ごすつもりはなかった。

 人の波を打ち砕くように振り下ろした大斧が文字通りに大地を砕き、人垣が割れた。


「やはり、いつの時代も相変わらず面倒な存在だ、勇者というものは」


「褒め言葉として受け取っておこう、バロム」


 互いに突出し過ぎた力の持ち主の対峙に、横槍を入れようとする者はいなかった。自我なきはずの魔物ですら、圧倒的な力を見せつける勇者には尻込みするかのように最初の勢いは弱まりつつあったためか、自ずと魔族側と人族側に分かれ、奇妙にぽっかりと空いた空間が生まれた。


 魔族にとっての化物勇者と、人族にとっての化物バロム

 二人の間で互いに互いを自らの敵と定めたかのように、視線がぶつかり合う。


「問おう、勇者よ」


 奇妙な緊張感に包まれるその中で、バロムの低く太い声が響き渡り、アレンも小さく頷いた。


「貴様らがこの地へとやってきたのは、我ら魔族を根絶やしにするためか?」


「……表向きは、新たな魔王の討伐だよ。もっとも、その裏で考えている事は僕らにも分からないけれど。でも、僕にとっての目的もまた、純粋に魔王を斃しに来たと考えてもらっていい」


 互いの間に流れる沈黙を、レアルノ王国の事実を知る騎士団の隊長は固唾を呑んで見守っていた。


 そもそも新たな魔王の登場など、レアルノ王国が作り上げた大義名分であり、本当に魔王が現れたという確たる証拠があるわけではない。

 もしもこの状況でバロムが「魔王など存在していない」とでも口にしようものならば、冒険者らの士気は下がりかねない。このまま運良く国に生還できたところで、魔王をダシに自分達を騙したのかと攻め立てられ、今回の作戦に参加して生還した者達の口から事実が漏れるだろう。


 そうなれば、諸外国からも魔王をダシにして世界に大嘘を吐いたと謗りを受けかねない。


 もしもバロムがその言葉を口にしたのなら、その時はバロムが嘘を吐いていると声をあげるつもりで息を呑んだところで――しかしバロムの口からは、隊長が予想だにしていなかった言葉が返ってきた。


「なるほど。こうも早く新たな魔王の存在を知ったとなれば、神の神託でも下りたか」


 魔王の存在が、バロムの口から直々に肯定された。

 バロムにとってみれば、ゾルディアが認めた程の魔王ともなれば、かつての主であるジヴォーグの再来とも云える存在だ。神々がジヴォーグの討滅のために勇者を生み出したという過去を知るバロムだからこそ、今回現れた新たな魔王アゼルに対しても神々が早々に動き出し、それ故に予想以上の早さでこの大陸へと攻めてきたのではないかと考えたのだ。

 互いの奇妙な勘違いから、レアルノ王国の吐いた大嘘であったはずの存在――虚像であったはずの魔王が実在していると宣言され、騎士団の隊長は顔を蒼くする中、バロムは続けた。


「ならば尚更、進ませるわけにはいかぬな。魔大陸は今、まさに三〇〇年ぶりの夜明けを迎えたところ。ジヴォーグ様亡き後、ようやく訪れた慶事に水を差すなど、野暮というものではないか?」


「三〇〇年ぶり? おかしな事を言う。今まで何度も魔王が現れては、僕ら勇者に屠られているのを忘れたのかい?」


「屠られている? ――勘違いしているようだな。今代の魔王様はともかく、我ら魔族の真なる魔王様は、初代魔王であらせられたジヴォーグ様のみ。それ以来はただ魔王の名を語った愚かな魔族でしかない」


 さすがにアレンも、その言葉には動揺させられた。

 今まで魔王を討伐してきた勇者の一族が倒してきたのは、魔王の名を僭称していた偽物に過ぎなかった。もしもそれが現実だとするならば、初代勇者以外、本物の魔王を倒した勇者は存在していなかった事になる。

 問い詰めたくもなるが、しかしここは戦場。混乱や気の迷いがあれば、命を落としかねない場所だ。

 頭を振って、アレンは意識を切り替えて剣を構えた。


「――魔族にとっての慶事は僕らにとっての凶事でしかない。悪いけれど、魔王が災厄を振り撒く前に討たせてもらうよ」


「抜かせ、小童。貴様さえ屠れば残るは烏合の衆ではないか。この程度の腕、どれだけ集まったところで俺の敵にはならん。――人族共よ、せいぜい俺と勇者の戦いに水を差さぬことだ。邪魔立てするというのなら、肉塊にして魔鳥の餌にでもしてくれるぞ」


 周りをひと睨みしたバロムが、腰を落としてアレンを睥睨する。

 ――大丈夫。勇者の力は、魔族にも魔物にも通じている。

 アレンもまた、自分の身の丈よりも余程大きく、圧倒的な威圧感を放つバロムを前に、不敵に言葉を口にしてみたものの、震えてしまいそうな程の恐怖を懸命に噛み殺しながら自分にそう言い聞かせ、自らを奮い立たせていた。


「――疾ッ!」


 先に動いたのは、睨み合いに痺れを切らしたアレンであった。勇者の加護は、魔の者と交戦する度に強化されている。この魔大陸へとやって来る前から天賦の才能の片鱗を見せていたアレンが、さらに加護によって身体能力が向上した勢いを乗せてバロムへと肉薄した。

 鋭く、斬り上げるような一撃がバロムの巨躯へと刻まれようとした、その時。バロムは筋骨隆々の重厚な身体を支える己の筋力を駆使して、予備動作の一つもなく大斧を振り抜いた。

 アレンの放つ、常人には視えない程の一撃を正確に捉える大斧の軌道に、正面からぶつかっては不利だと悟ったアレンが咄嗟に反応。大斧の勢いに乗せるかのように剣を引く。


 しかし、相手はバロム。

 歴戦を生き抜いた本物の戦士であり、かつての勇者と対峙した経験もある猛者は、アレンの剣が攻撃から防御に切り替わるその瞬間を見逃さなかった。


 強引に前へと身体を押し出し、バロムの巨躯ががら空きになったアレンの身体へとぶつかる。体当たり、と言えば大した威力ではなさそうに聞こえるが、バロムの巨躯と強靭な肉体は、鉄塊を勢い良くぶつけるような一撃だ。

 避けきれなかったアレンの身体が大地を舐めるように弾き飛ばされ、後方へと転がった。


 互いの一瞬の応酬は、バロムに軍配が上がった。

 だが、バロムは勝利を確信するどころか、忌々しげにアレンを睨みつけていた。


「勇者の加護、か。忌々しい障壁も相変わらずのようだな」


 肉を焼く酸でも浴びせられたかのように、アレンへとぶつけたバロムの身体からは煙が上がっていた。この戦が始まって以来、初めてバロムが手傷を負ったのだ。


 ――未熟。しかし、やはり勇者か。

 バロムはアレンの実力を、胸の内でそう評した。


 天賦の才能を持っていると人族の間で持て囃されていようとも、ジヴォーグ在りし日に戦った、戦の中で生きるために技術を培った剣士達に比べれば、アレンの使う剣技など児戯にも等しい。

 まるで殺し合いの技術とは遠くかけ離れ、形だけは美しく思えるような方向性へと昇華されたような剣技だ。命の応酬も、敵を屠ろうとするだけの渇望も見えない、形ばかりの代物にしか見えないというのがバロムの感想であった。


「――やはり、ここで殺しておかねばならぬな」


 だが、それでも勇者。

 身体を護る加護の障壁によって灼かれた、己の左肩から腕にかけての傷を一瞥して、バロムは決意を新たにする。


 一方で、勇者の身体を護るように生み出された加護の障壁。淡い金色の光に身体を包み込まれたアレンもまた、揺れる視界を振り払うように頭を振りながら立ち上がった。


「ぐ……っ、さすがに普通の魔物や魔族の一撃とは、桁が違う」


 身体を包み込む障壁は、先程までの乱戦の中でも何度もアレンを助けていた。ただの斬撃や魔法など、あっさりと弾いてしまう絶対的な防御とも云える代物だ。しかし、バロムの一撃はアレンが評した通り桁が違った。加護だけでは防ぎきれる代物ではなく、一瞬呼吸を忘れ、意識を失いかける程の衝撃を与えられた。


 明確に迫る命の危機。

 しかし、勇者として戦える悦びに、アレンは興奮していた。

 燻り続けてきた幾世代の勇者達と違い、自分は今、勇者として戦えているのだ、と。


「おおおおぉぉぉ――ッ!」


 魂を燃やすかのような裂帛の気合をあげ、アレンが再びバロムへと迫った。先程よりも疾く、それでいて洗練されるかのような剣閃と、時にはバロムに通用すると証明された加護を使い、わざと身体をぶつけ、加護によって傷に顔を顰めたバロムへと剣で追い打ちをかけるかのように小さく傷を刻んでいく。

 それはまさに、バロムが知る戦い方であった。

 決して華麗でもなく、ただただ泥臭くも命を奪おうとする苛烈な攻めは、往年の勇者や歴戦の戦士のそれに近い。


 もはやバロムも、己の身体に傷がつこうともそれに躊躇うつもりなどなく、果敢にアレンを攻め立てるが、戦いが長引く程に、アレンに形勢が傾きつつあった。


 それは一瞬の隙だった。


 アレンが自らの身体すらも武器にしてバロムへと攻撃を仕掛けようと、間合いをさらに一歩詰めてきたと判断して、バロムが再び自ら体当たりを敢行しようとした、その瞬間。アレンが、ぐるりと身体を回転させながらバロムの横へと回り込んだのだ。


 がら空きになったバロムの首へ、アレンの剣が迫る。





 ――――刹那、アレンの視界の隅に、赤黒い何かが横切った。





「――が……ッ!」


 強烈な何かによる一撃に、アレンの身体が地面を抉るかのように吹き飛ばされた。

 バロムとの戦いの中で、加護の力はさらに強まっていたはず。にも関わらず、先程受けたバロムの体当たり以上の強烈な衝撃を受けて、アレンは朦朧とする意識を必死に繋ぎ止めながら、なんとか顔をあげた。


「……え……?」


 アレンの目の前には、赤い髪を靡かせて、髪よりも暗い赤を湛えた丸い瞳を持った、戦いの場には相応しくない少女の姿があった。膝を折り曲げ、覗き込むように自分の顔を見つめていた少女は、小首を傾げていた。


「ねぇ、なんで生きてるの? 今の、確かに胸を貫いたよね?」


 少女の言葉の意味を理解するよりも先に、アレンは強烈な悪寒に身体を震えさせた。

 それは、目の前の少女――サリュの本質によって齎された脅威ではない。

 もっと異質な何かの気配を感じ取ったのだ。


 サリュから目を逸らしたアレンが、慌ててその気配の正体を見て――思わず言葉を失った。




「――くっくくくっ。なるほど、この気配……お前は勇者か。これはまた、神もずいぶんと大盤振る舞いしてくれているらしい」




 魔族が頭を垂れ、魔物ですら萎縮したかのように後退る。

 猛者であり、もはや魔王であると言われても信じてしまいかねない程の強者であるバロムまでもが、目を瞠ったまま動きを止め、その声の主を見つめていた。


 邪悪とも云える笑みを浮かべ、目の前の少女以上の禍々しい気配を放つ、一人の男。赤黒い角を携えた黒衣の男が放つ濃密な死の気配。


 ――あぁ、あれこそが……。

 何を言わずとも、誰もが理解した。

 同時に、この戦いを見守っていた人族の誰もが、どうしようもなく絶望した。




「初めまして、勇者。俺は魔王アゼルだ」




 麗しき美貌の持ち主であるネフェリアを伴い、目の前にいたはずの少女が何時の間にやらその足元で、自分を見て相も変わらず小首を傾げている。

 戦場にはまるで不似合いな華を両手に抱えている光景。


 しかし、そんな些事に誰かが感想を抱く間もなく――アゼルは一方的に告げる。


「唐突だが――俺の目的のために、死んでもらおう」


「え――?」


 たった一度の瞬きから、次に目を開けた瞬間。

 勇者の加護である金色の障壁を打ち砕いたかのように残滓を漂わせながら眼前を漂い――胸には凶悪な大鎌の刃が突き立てられていた。

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