1-9 長の役目

 魔大陸の赫空が割れた事を知ったレアルノ王国。

 魔大陸にもしも魔王が現れたのであれば、最も近い場所――と言っても海で隔たった先ではあるが――に位置する国であるため、当然ながらにこの異変は看過できる問題ではないとし、赫空が消え去ったという事実確認のため調査団を派遣していた。


 しかしながら、調査団を派遣こそしてみせたものの、魔大陸に上陸するつもりはなかった。何せ海には、それこそ魔の海域とでも言うべき〈霧啼きの海〉が広がり、船乗り達を深い霧の魔手が呑み込み、冥府へと誘うという危険な場所が存在しているのだ。

 国の上層部の思惑はともかく、調査団に組み込まれた誰もがまた〈霧啼きの海〉が邪魔してしまい、魔大陸に接近できるなどとは思ってもみなかった。


 それでも何故調査団を派遣したのかと言えば、レアルノ王国の上層部にとってみれば、例え調査団が辿り着けずとも一向に構わなかったのである。

 そもそも今回の調査団の派遣は「調査団を派遣した」という名目さえ成り立てば良かったのだ。「海を出て魔大陸を調査した」という記録さえ残れば、すでに結果としては成功していたのだから。


 しかし、国に持ち帰られた情報は、まさに青天の霹靂とでも言うような、誰しもが予想だにしていなかった事実――「〈霧啼きの海〉の霧は晴れ、穏やかな海が広がっている」という代物であった。


 これに、レアルノ王国の国王グレイは情報がエルバー商業国に伝わる前に逸早く決断を下した。

 宰相であるジャスパーと事前に打ち合わせていた通り、レアルノ王国国王グレイは、事前に密かに勧めていた計画をここぞというタイミングで発表してみせた。


「エルバー商業国が動く前に、各国に使者を出せ。――魔大陸に新たな魔王の兆しあり。これより我がレアルノ王国は、魔大陸の征伐に向けて動く、とな」


 かくして世界は、新たな魔王という存在を知る事となったのだが――世界は相変わらず、まだどこか平和なものであった。


 それもそうだ。

 この三〇〇年、次々と魔王が現れては勇者に討ち倒されてきたという過去が培ってきた栄光は、魔族と魔王といった存在に対する危機感がとうに薄れてしまっていたのだから。

 それでも、この機会に魔族と魔王の討伐によって名をあげてやろうという気概か、あるいは狭義心からか、レアルノ王国には多くの冒険者や傭兵が集まったのである。


 その中には――勇者の姿もあった。


「……魔王。まさか、僕の代で現れてくれるなんてね」


 勇者――神に選ばれし、魔を討ち滅ぼす為の加護が与えられた者。

 先代も、その前も、勇者として魔族や魔王と対峙する事はついぞなかった。自分もまたその一人だろうと思いつつも、勇者の末裔であるという矜持を持つ当代の勇者――アレン・エクソードは、己の努力と才能で剣術を学び、冒険者――魔物の討伐などの依頼をこなす者達――として世界中を旅し、密かに勇者として人助けをして過ごしてきたのだ。


 しかし今、アレンにとって最高の舞台とでも言うべき魔大陸侵攻が始まろうとしている。勇者としての力を発揮するという意味では、これ以上の場所はないだろう。




 ――――この一〇〇年程の間で、勇者に対する民衆の評価は地に堕ちている。

 その理由となったのが、とある国の戦争だ。


 それまで人族間での戦争には一切参加しようとはしなかった勇者を継ぐ者の一人が、敗色濃厚な国に加勢すると表明。当然ながら、その国は大いに沸いた。

 敵対する国もまた英雄の参戦に驚愕し、強大な力を持つ魔王を討ち滅ぼす力を有する勇者と直接対峙するような真似だけは御免被りたいところであった。

 はたして結果は、誰もが予想しない結末を迎えた。

 勇者は、ただの農民の少年の槍に貫かれて死んだのだ。例えばそこに美談があったのであれば、ある意味では勇者らしい末路と云えたであろうが、そんなものは存在していなかった。

 ただただ油断した勇者の胸を、粗末な槍が貫いたのである。

 勇者の登場によって勝利を確信していたはずの国も予想だにしていなかった、喜劇のような悲劇。敗戦を喫した国では勇者の末路が瞬く間に広がり、勝利を収めた国は勇者を嘲笑の的にして自らの精強ぶりを喧伝した。

 もっとも、神の加護を持つ勇者を殺したその国は、アルカード神聖国によって神への叛逆者としての烙印を押され、攻め滅ぼされるといった悲惨な結末を迎える事になったのだが、それはさて置き――以来、勇者という存在は嘲笑の対象としてすら扱われている。


 一般的には知られていない。

 勇者は確かに神の加護を与えられているが、その力は限定的なものなのだ。

 かつてジヴォーグという世界の『歪み』が生み出した魔王に対抗すべく、神々が力を与えたのは事実だが、あまりに強大な力を有していてはその者が次なる魔王に成り果てかねない。

 そのため、勇者に与えられた加護は、「魔の者にのみ特化した力」というあまりにも限定的な力であった。詰まるところ、勇者の加護は魔族との大きな戦でもなければ、その加護はまったくもって無意味な代物でしかなかったのだ。

 それを理解していてなお、自らに失望されようとも友の為に立ち上がったという勇者の想いを知る者は少ない。




 ――嘲笑わらわれる勇者も、ここまでだ。

 武者震いを噛み殺すようにぎゅっと拳を握りしめながら、アレンは強い決意を胸にしていた。


「――魔王を倒し、魔族を根絶やしにするのは、この僕だ」


 汚名を雪ぎ、名誉挽回のチャンスを得たアレンは、思わず口角をつり上げていた。


 魔大陸征伐の大義を翳した船は、巨大な魔導船が五隻。どれも海洋国家に相応しい頑強な作りをしており、ちょっとやそっとの荒波程度は物ともしないような、威容を誇る巨大な船。アレンが乗り込んだ船は、一番槍はまず難しいであろう最後尾につく船であった。

 船の構成はレアルノ王国軍を筆頭に、名のある冒険者パーティや氏族クランと呼ばれる集団の者達から順に埋められている。

 たった一人、仲間も連れずにやってきたアレンや他の者達は、やはり期待薄の存在なのだろうという事は船に乗り込んだ瞬間から悟らされるような、そんな差別を受けながらも、アレンはただ瞑目したままじっと魔大陸到着の報せを待つように、浅いまどろみに身を委ねる事にした。







 ◆ ◆ ◆







「――ゾルディア。いかにお主の言葉とは言え、新参の魔王に頭を下げる気は俺にはない」


 ジヴォーグ在りし頃、ゾルディアと共に肩を並べて戦っていた屈強なる男。アラバドやゾルディアと同様に魔王ジヴォーグに忠誠を誓い、アラバドとは異なり新参の魔王を見定めるつもりもなく、ただただ一蹴するばかりの牛魔族――バロム。

 筋骨隆々な肉体、衰えを知らない巨躯。巨躯を預ける巨大な椅子は、座る場所でさえアゼルの胸程までありそうな程の高さであり、アゼルよりも背が高いゾルディアをもってすら椅子としては使えそうにない程に大きく頑丈であり、必然的に正面を立つゾルディアを見下ろす形となる。

 バロムも、何もゾルディアを格下とは見ているわけではない。共にジヴォーグの下で勇名を馳せた間柄。この二人には上下の関係などはなく、互いに強き魔族として尊敬し合う、旧友のような間柄ではあった。


「バロム。まさかお前が、ジヴォーグ様以外を主に迎える気はないなどと言うつもりではあるまいな?」


 そのような狭量な見解を口にする程、バロムという男は小さな器ではなかったはずだ。言下にそんな想いを乗せたゾルディアの言葉に、バロムは深く息を吐き出した。


「新たな魔王の実力。確かにお主が認めていると言うのであれば、それはまことの魔王そのものなのであろう」


 ――だが、とバロムは続けた。


「ジヴォーグ様を討たれ、あの御方に仕えていた俺達には戦う目的がある。だが、俺は牛魔の長。俺が魔王と共に立ち上がると表明しようものなら、我が一族の者達もまた、例え明確な目的がなくとも「長が言うのであれば」と恭順を示すであろうよ。長としてこれ程嬉しい事はない。ないが――果たしてそれは、真の戦士足り得るのか?」


 戦士としての誇りを胸に生きていたバロムだからこそ、その言葉の意味に含まれる重みがゾルディアには理解できた。

 バロムら牛魔の一族は、勇猛果敢。押し寄せる人族の数千とも数万とも言える大群を前に、その三割にも満たない数であろうとも、一歩として引かずに攻め込むような男達だった。バロムはそんな牛魔の中でも、常に一番槍を担い、誰よりも最前線で戦い続け、それでも生き残った戦士である。

 故にこそ、バロムにとってみれば、今の魔族は「戦士として未熟」と言わざるを得なかった。


「――今の魔族を見ろ、ゾルディア。この三〇〇年という時間の中で、何度かジヴォーグ様の跡を継がんと強引に魔大陸の外に飛び出した者もいたが、長命の魔族や夢魔の一族はともかく、短命な魔族の間ではかつてのような人族に対する怒りも、憎しみも、すでに風化しつつある。赫空に空を塞がれ、深き霧によって海を覆われて以来、もはや外の大陸に憎き人族共が犇めいている現実すら知らぬ者もいる」


 魔族の寿命は、それこそ種族によって大きく異なる。〈普人族ヒューマン〉とほぼ同じ程だと言われる『鬼』や獣魔の一族と、〈森人族エルフ〉とほぼ同等の夢魔の一族。それ以下の者達もいれば、悠久とも云える時を生きる者さえいるとされている。

 だが、現在の魔大陸にいる多くの魔族は、先代魔王ジヴォーグと共に勇者らと戦った者達ではない、バロムやゾルディアから見れば若い者達ばかりだ。先日アゼルと戦ったヴェクターを擁する黒竜の一族も、ジヴォーグらと共に勇者と戦い、当時の精鋭達はほぼ命を落としてしまっているのだ。

 三〇〇年という時間は、魔族にとっては長過ぎたのだ。


 例えばアゼルが、ジヴォーグと同じく『歪み』から生まれた存在であったのならば、魔族は再び狂ったように憎悪に心を焦がし、人族を根絶やしにしてやろうと再び烈火の如く燃え上がっていたのかもしれないが、アゼルは『歪み』から生まれた魔王ではない。それ故に、ジヴォーグ程の影響力がない事も、魔族の賛同を得られない理由の一つとでも言うべきだろう。


「……お前の気持ちは分かった。一族の長として生きるというのなら、それを無下にするつもりはない。陛下にもまた、お前の意見はしっかりと奏上しておこう」


「すまぬな、ゾルディア」


「なに、気にするな。だが、油断するなよ、バロム。確かにお前が言う通り、魔族は変わったかもしれぬ。しかし人族は夢魔の〈翼〉から齎された情報に拠れば、特に変わりはなく、今では同じ人族同士で争っていると聞く。いずれこの大陸は、我々が例え望まずとも、戦火に巻き込まれるやもしれぬぞ」


 そうして、ゾルディアとの会談は打ち切られたのである。








 ――――崖の下に次々に降り立つ人族を睥睨しながら、バロムはそんな先日の会談の内容を思い返し、一人小さく鼻を鳴らした。


「……変わったのは俺達、魔族だけという事か」


 武装した人族らの姿は、明らかにかつて見てきた光景――侵略者のそれと酷似していた。先代ジヴォーグを討たれた、あの忌々しい記憶が、バロムの脳裏に昨日のように鮮明に蘇る。

 ただこの大陸に不時着したのかなど、いちいち確認する必要などない。すでに海に棲まう海魔のマーマンの死体を野晒しにし、さながら武勲を誇るかのように高らかな笑い声を上げている者もいる。


「……勇者もいるようだな」


 世界の『歪み』によって生み出された初代の魔族とでも云うべきバロムだからこそ、神の加護によって『歪み』を討滅するために生み出された勇者の気配には敏感なのだ。アレンの姿を見ただけで、バロムの本能が「あれは自分達にとっての脅威だ」と警鐘を鳴らしていた。


「ゾルディアよ。やはりお前は、いつの時代も正しい」


 ジヴォーグ存命の頃から、知恵を得たとは言え憎悪に身をやつしている魔族らは良くも悪くも力押しばかりであった。そんな中にあって、ゾルディアは魔王の右腕として、同時に戦略を用いる事で魔族を救い、人族を攻めていた。

 彼が言った通り、三〇〇年という時を経てもなお、どうやら人族らは自分達魔族を根絶やしにしたいのか、それともこの大陸までもをその手中に収めたがっているのか。いずれにせよ、このまま引き返すような気配もなく、いずれは魔大陸に人族らが次々に足を踏み入れてくるであろう事は明白。

 周囲を見やれば、外からやってきた人族を餌として判断したのか、多くの魔物達もまた森から徐々に集まり出し、それに便乗してやってきたのであろう魔族らが眼下の人族を睨めつけていた。その多くは、まだ年若い魔族が多い。


 いくら三〇〇年という時間が魔族に流れる憎悪の系譜を弱めようと、人族を目にした今、再びそれが改めて燃え広がっていくかのように、明確な殺意が辺りに漂ってさえいる。


 ――しかし、まだまだ未熟。

 バロムは溢れる周囲の殺気を吹き飛ばすかのように、鼻を鳴らした。


 自らゾルディアへと告げた通り、まだまだこの魔大陸には人族への憎しみが足りず、アゼルの力が知れ渡った今となっても二の足を踏み続ける者達は決して少なくはない。今回の人族による侵略が魔族再興の引き金となるか、それとも眼下に立つまだ若き勇者の血を引く者によって魔王が再び討たれ、泡沫の夢となって消え去ってしまうのか。

 この状況、一族を思うのであれば、このまま引き返すのも一つの答え。しかしそうして先延ばししてみたところで、いずれ魔大陸は蹂躙されるであろう。

 魔族よりも圧倒的に多い人族は、際限なく次々に兵を送り込んでくる。そうなれば、そもそも一族を巻き込む可能性を危惧している場合ではない。水際でこの事態を収拾できなければ、魔族は今度こそ根絶やしにされかねない。

 それこそ、一族など一切の関係もなく、魔族全てに災禍が襲いかかる事になるだろう。


 それに何より、バロムの魔族としての血が――ふつふつと煮え滾りつつあった。


「ゾルディアよ。お前が望む魔族統一の道は、あのままではどれだけ時間があっても足りぬであろうよ。我らとて一族を築き、守り、生き抜いてきたのだ。俺と同じく一族を巻き込む訳にはいかぬと思う者も決して少なくはない。新たな魔王を討ち倒し、己こそが真なる魔王であると証明したがる者もいるやもしれぬ。それでも、お前ならば時間をかけてでも説得して回るのであろうよ。お前は我ら魔族の中でも、最も賢い男だからな。俺はその流れを見ながら決断するつもりであった」


 虚空に向けて告げてみせると、バロムはしばし瞑目して――意を決したように大きく目を開いた。


「――だが、世界がそれすらも待たぬと云うのであれば、俺も燻り続ける訳にはいかぬ! 再び、あの頃のように誰よりも前へと出て、全てを巻き込む大火の火種となってやろう! 愚かなる人族共に、再び圧倒的強者の力というものを見せてやろう! 腑抜けた魔族に、魔族の在り方を魅せてやろう!」


 バロムが――咆哮をあげる。

 さながら蒸気船の汽笛を思わせるような、太く身体の芯まで揺るがす程のバロムの咆哮が周囲に響き渡った。


 人族は身を竦ませながら崖の上に佇む金毛の牛魔人に気が付き、周囲の魔族や魔物達はその咆哮に鼓舞されるかのように一斉に咆哮をあげ、崖を降り始めた。


「き、金色の牛の魔人……!? バ、バロム……! バロムがきたぞーッ!」


「ミノタウロスのバロム! まだ生きてやがったのか!?」


「突っ込まれるぞーッ! 陣を張れぇッ! 魔法で障壁を生み出すんだーッ! 死にたくなければ急げぇッ!」


 黒波となって押し寄せる魔物と魔族の群れ。その中に在って、金色の美しさすら思わせる巨躯を誇るバロムが、身の丈程もありそうな無骨な巨大な斧を両手に高く飛び上がり、最前線で陣を組もうとしていた数名の冒険者を巻き込むように巨大な斧を振り下ろし、大地もろとも文字通りに粉砕してみせた。


「ひ……ッ!?」


 すんでの所で尻もちをついた一人の冒険者を前に、バロムが舞い上がった砂塵を振り払うかのように斧をぐるぐると回し、石突を大地に叩きつけると、再び汽笛を思わせるような身が震える程の咆哮をあげてみせた。



 ――その程度の覚悟で、この地を穢しに来たのか。

 誰もが身を震わせる姿を見て、バロムの心は怒りに染まる。




「――貴様らが望んだ戦だ。よもや、間違いであったと後悔したところで許されると思うなよ」



 

 勇者の英雄譚にも名が挙がる、金の牛魔人――バロム。

 その威容に戸惑う暇さえなく襲いかかる、後続の魔族と魔物達。


 人族達は否応なく戦の中へと身を投じるのであった。




 

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