1-13 Ⅰ Epilogue

 今回のレアルノ王国への襲撃に関するの理由はネフェリアがバロムに語った通りだが、アゼルの狙いはもちろんそれだけではない。絶対的な脅威がいるのだと喧伝することで、各国が自分勝手に争いを繰り返す現状に待ったをかけるためだった。

 神々によって予定された混沌の主である魔王の役割として、今回の犠牲は神々の許容範囲内に収まる騒動である判断され、ルーファを通じて許可が降ったのだ。


 アゼルらがレアルノ王国にて起こした騒動から、三ヶ月。

 夢魔の協力もあって、レアルノ王国の悲劇はアゼルの目論見通り、世界の各地で波乱を呼んでいた。


 今のまま戦争を続けていれば人族側が勝手に疲弊するばかりで、そこを狙って王城をあっさりと破壊してみせるようなアゼルに攻め入れられては堪ったものではないと、一時休戦し、即座に魔王に対抗するべきだと考える国。

 一方、自分達の国に魔王が攻めてくるまでは気にする必要もないだろうと高を括りながらも、いっそこの機会に敵対国の戦力が落ちるのを虎視眈々と狙う国。

 もしもアゼルがあのままレアルノ王国の全ての民を虐殺しようものなら、危機感を全ての国々に植え付けたであろうが、アゼルは魔大陸に帰還してしまい、そのまま魔族が攻め入ってくる気配すらないのだ。そのため、まだまだ実感を伴わない国があるのも事実であった。


 アゼルが睨んだ通り、国家間の戦争や冷戦状態が続いている今、魔王が現れたからといって足並みを揃えられる程、国家間の溝は浅いものではなかった。


 更に大きな変化があったのは、『人族同盟』から漏れている者達である。 

 これまで『人族同盟』という名を盾に協力要請を伝えていた〈普人族ヒューマン〉主体の国家から再三に渡って交渉とは名ばかりの脅迫めいた勧誘が続けられていた〈巨人族タイタン〉や〈翼人族ハルピュイア〉らだ。


 名ばかりの『人族同盟』が、すでに協力者を奴隷に貶めるかのような悪辣な手口はすでに知られていた。そのため、これまではどうにか交渉を躱しながら人里から離れた地で生きていた者も多かったが、ここぞとばかりに魔王の存在が登場した事を利用し「魔王側についてもいいのだぞ」と脅してみせる者も現れ、普人族至上主義の国のみが持ち続けていた後ろ盾の優位性というものは白紙に戻されたと言っても過言ではない。


 この情報を耳にし機に乗じたのが、ネフェリアの妹であるレナン率いる諜報部隊――〈翼〉の者達であった。


 今回のアゼルの堂々たる宣戦布告と世界に及んだ効果を利用し、数では勝てない少数部族や、普人族至上主義の思想が根強い国で報われない日々を過ごしていた〈獣人族セリアン〉らも含めた多くの部族に、こう囁いた。


 ――「魔王アゼル様は、種や数で他者を見下さない。敵対しないのであれば受け入れてくださる寛容な心の持ち主である」、と。


 当然ながら、今度は魔族らに良いように使われるのではないかと危惧する者達も多かったが、夢魔らによる勧誘は一つの転換期であると考え、賛同を示す者達も少なくなかった。

 各国に散らばっていた夢魔族の〈翼〉の者達や、魔大陸の外で暮らしていた魔族らに渡りをつけつつ、レアルノ王国に向かって進み始めるその様をアゼルが見たならば、「まるで百鬼夜行だな」と苦笑を漏らしたことだろうが、ともあれ魔大陸には、新たな住人が集いつつあった。


 アゼルの投じた一石は波紋を呼び、大きなうねりとなって『人族同盟』へと襲いかかっていた。





 その頃、魔大陸は新たな魔王城の完成を迎えていた。


 新たに建てられた魔王城は、後方に護るように広がるリリイの庭園は以前よりも広く取られていた。

 最も異なる点は他にもある。魔王城とリリイの庭園だけを切り取ったかのように、周囲の崖が全て削ぎ落とされた点だ。これはアゼルとヴェクターとの戦いによって地形が歪み、その整地がてらにゾルディアが出した改案によるものだった。魔王城とリリイの庭園だけが崖の上にはあり、削られた崖は容易には登れない断崖絶壁と化している。

 向かい合うかのように隔てられた崖から魔王城へと伸びる石造りの橋を通らなければ、魔王城に侵入する事すら不可能だ。空を飛べるならばまだ侵入も可能かもしれないが、防衛力という意味では切り立った崖の上に立つ魔王城は、以前の城に比べるべくもない。


 そんな魔王城とリリイの庭園、そして向かい合う先にある崖を取り囲むように、魔王城の建設と平行して、王都ならぬ魔都の建設も並行して行われつつある。

 魔法とラン率いる獣人族もどき、ガダ率いる鬼、ベルファータ率いる蜘蛛を中心に行われる工事の様は、地球のそれに比べて圧倒的に早く工事を進めていた。




 ――――そして、今日。




 魔都では、多くの魔族が。魔王城では、ネフェリアによって招待されたそれぞれの魔族を率いる有力な者達が集まり、目の前に並べられた豪勢な食事に唾を飲み、獣人族もどきらが作っている酒が振る舞われていた。

 まだ食事にありつけないのかと食事を眺める多くの魔族のいる広場に、先日と同様に夢魔による幻影魔法が浮かび上がる。


 映し出されたのは、名立たる魔族の長。


 墓守として、巫女として魔王を支える〈夢魔族リリス〉の長、ネフェリア。

 魔王城の裏にある庭園に棲まう精霊、リリイ。

 悪魔公爵と呼ばれ、先代魔王ジヴォーグの右腕であった〈悪魔族デモン〉が誇る最凶、ゾルディア。

 ゾルディアと同様に名を馳せた勇猛なる〈牛魔族ミノタウロス〉の長、バロム。

 多くの魔族から忌み嫌われながらも、古参の魔族らからは絶対的な信頼を寄せられる〈道化〉、アラバド。

 妖艶なる上半身を持つ苛烈なる〈蜘蛛魔族アラクネ〉の長、ベルファータ。

 あまりの力を持ち、獣人族もどきと呼ばれ人族と敵対する道を辿った〈獣魔族〉の長、妖狐のラン。

 強固な肉体を持ち、ゴブリンやオーク、オーガら『鬼』の一族を率いる長、ガダ。

 自身の息子であるヴェクターの暴走によりアゼルの力を目の当たりにし、その力に敬意を示し、ゾルディアからの協力を受け入れた〈黒竜〉の長、エイヴァン。


 いずれも魔大陸に生きる者ならばその名を知らぬ者はいないとされる錚々たる猛者達が一堂に会するその目の前に、サリュを伴って姿を現すアゼルが映し出された。


 玉座の前で立ち止まるアゼルの前で、名立たる長達が跪いた。


「――面を上げてくれ」


 アゼルは儀礼的なものを好まない。それを知る長達はアゼルの一言に素直に顔をあげるが、それでも跪いたまま立ち上がろうとはしない。そんな姿に辟易としつつも、アゼルは「立ってくれ」と短く言い直し、ようやく一族の長である彼らも立ち上がった。


「皆の尽力のおかげで魔王城は完成し、今日この時を以って魔王国アンラ・マンユの建国を宣言する」


 魔都の名でもある「アンラ・マンユ」とは、創世神話に描かれ、自ら「悪」を選択して万物を創造したとされる創造神の名だ。

 実はこれはルーファの名を考えた際に上がった名の候補ではあったのだが、ルーファの立場や役割から相応しい名とは思えずに棄却したものだ。そんな背景を知ったルーファが、ならば魔都と魔王国に「悪」を選択した神の名を使ってはどうかと提案され、アゼルがそれを採用する形となったのである。


 魔都の広場では大地を揺るがす程の熱狂の声が上がり、アゼルの前では拍手を以って祝う魔族の長らを制するように、アゼルは片手を軽くあげてみせた。


「俺は何も、お前達のためだけに魔王となったわけではない。俺の歩む道を邪魔すると云うのであれば、敵対すると言うのなら、例えそれが魔族であろうとも俺は容赦するつもりはない」


 先程の熱狂とは打って変わって、静寂が訪れる。

 アゼルの言葉は脅そうという気などなく、ただそれが純然たる事実であると告げるような物言いだ。もしもこの場で文句の一つでも口にしようものなら、その横に佇むサリュが問答無用に命を刈り取るだろうことは容易に想像できた。

 沈黙の中で、アゼルはふっと小さく笑みを浮かべて、肩をすくめた。


「言い方が悪かったな。そう深く考えなくていい。こうして尽力してくれた以上、俺にとっては仲間だ。魔王を――王の名を背負う以上、俺の庇護下にある者は俺が護る。それはこの場で、皆に誓おう」


 張り詰めた空気が緩むのを感じながら、アゼルは続けた。


「これから先、俺は人族達と敵対する。俺の庇護下にあるのだから共に戦えと言うつもりはない。例えたった一人になったとしても、俺は奴らを殺し続けるつもりだからな。そんな俺に護られるだけでのうのうと暮らしていたいと言うのなら、それはそれで構わない。好きにしろ」


 あまりにも無関心に、無感情にアゼルは言い放ってみせた。

 そのあんまりな物言いに騒然とする中、アゼルは「だが――」と短く区切った。


「お前達の誇りは、はたしてそれを赦せるのか? 愚かな人族が我が物顔で世界を掌握しようとしている。この魔大陸にやってきた同胞を虐げ、己の欲を満たすだけに尊厳すら踏み躙ってきた者達を。この魔大陸という狭い籠の中に追いやっておきながら、さらにはこの安住の地すら奪おうという欲の化身とも言えるような人族共を赦せるのか?」


 再び、沈黙が流れた。


「思い出せ。お前達の本当の姿を、その力を。身の内に宿している、激しい感情を。人族はお前達の敵だ」


 アゼルの言葉を、アラバドは仮面の下で満面の笑みを浮かべながら聞いていた。


 ジヴォーグ亡き後、〈霧啼きの海〉に囲まれた魔大陸は、世界から隔離された籠の中であった。

 飼い主がいなくとも、互いに互いを虐げ、利用こそしようとも凄絶な殺し合いが起きたことはむしろ稀である。その姿はまるで、飼われた狼の牙が丸くなるかのように、覇気も、身を震わせる程の殺意すらも徐々に薄れ、緩やかに滅亡へと向かうかのような姿であった。

 そんな魔族の負の連鎖を打破すべく、アラバドは〈道化〉となったのだ。時に騙し、時に嘲り、時には自ら腐敗の原因をその手にかけてでも、魔族としての矜持を守り続けようとしてきたのだ。


 ――まったく、いやはやこれこそが正に、我らの王。

 アラバドは今、笑みを浮かべつつも心は咽び泣いていた。


 絶対的な力を以って魔族を支配し、ただただ問いかけるような物言いで語りかけただけで、周囲から発せられてきたかつての魔族らしい荒々しい感情によって生み出された魔力が溢れ出している。この三〇〇年、アラバドが願い、求め続けてきた魔族の姿が今、アゼルという新たな王の言葉によって蘇ろうとしているのだ。

 同じような想いを、ゾルディアもバロムも感じていたのだろう。昔に比べて随分と丸くなっていた二人の気配が、今では触れただけで消されてしまいそうな程に強大な、それこそかつての心を取り戻していると、アラバドは確信していた。

 それはその場にいる者達にも伝わり、まるで燻り続けている炎に燃料を投下するかのように伝播し、激しい炎が魔族を縛り続けていた見えない鎖を断ち切っていく。

 ヴェクターとの戦いの中で垣間見えた、アゼルの覇王とも云えるカリスマ性は見間違いなどではなかったのだと、歓喜に打ち震えるながら、アラバドはただただ笑みを深めていた。


 それを感じ取ったのは、アゼルも、そしてサリュもまた同じだ。


「――もはや多くを語る必要などなさそうだな。さぁ、祝おう。俺達の新たなる時代は、アンラ・マンユと共に今日ここから始まる」


 さながら戦場へと赴く戦士達を彷彿とさせるような、激しい歓声が魔大陸に響き渡る。感化されるかのように魔物達が騒ぎ出し、鳥達が空へと逃げるように羽ばたいた。


 ――――この日、魔王国アンラ・マンユは生まれた。

 魔王アゼルの下へと集った多くの魔族が、己が何者であるかを改めて認識し、空へと、天へと吼えた。








 ◆







 魔王の生誕、魔王国の建国。

 この二つに沸く魔大陸の祝宴は、夜の帳が下りてもなお続いていた。

 そんな中、アゼルは自分のベッドを占領して眠りこけているサリュに嘆息して、私室から望む空を眺めていた。


《――気分はどうだい、ボクのアゼル》


 突然聞こえてきた声に、アゼルは驚きに目を瞠るでもなく、ふっと微笑を浮かべた。


「ルーファか。……まだまだ始まりに過ぎないからな。特に晴れやかなものでもないな」


《フフフッ、魔王としては立派だね。さすがはボクが選んだキミだ。ボクとしても鼻が高いよ》


「鼻が高い、か。それにしては、どこか空元気にしか思えないような声色なんだがな」


 言葉とは裏腹に、アゼルが指摘した通りルーファの声はどこか寂しそうな、純粋に喜んでいるとは思えないような、そんな声であった。


《……まいったなぁ。気付いちゃうんだね。気付かないフリをしないのも優しさだと思うけど?》


「……あのな。魔王に優しさなんて求めないだろ、普通」


《あははっ、それもそうだね。うん、それだよ、それ。そういうキミが見たかったんだ》


「……? どういう意味だ?」


《……アゼル。今更ながらに訊いてもいいかな?》


「訊いてるのはこっちなんだけどな……。なんだ?」


《どうしてキミは、そこまで魔王として邁進できるんだい?》


 人間であった魂を魔王として作り変えたのは、他ならぬルーファだ。

 ルーファには、かつてはただの、どこか歪んでいる程度であったはずの青年が、魔王となってから今日に至るまでの行動を見ていると、どうしてもただの青年だったとは思えないような、そんな姿に見えてならなかった。

 確かに、召喚された当初はアゼルはまだ青年らしさというものを残していた。だが今はどうだろうか。今ではかつての面影が消え、何かに突き動かされているかのように、ただ魔王の道を邁進している。

 元々はただの青年。ましてや命のやり取りもしていなかった、平和な世界に生きていた青年であったはず。なのに、今のアゼルは、アレンに自らが口にした通りに、バロムが見た通りに、修羅の道を自ら歩み続けている。


 ネフェリアがアゼルの真意を掴めずに不安になっているように、同じくルーファもまた、アゼルが変わりつつある事に、一抹の不安を覚えていた。魔王という名が、その称号が、アゼルの心を呑み込んでしまっているのではないか、と。


 しかし、アゼルから返ってきた答えは、予想だにしていないものであった。


「……ある所に、一人の少女がいた」


《……な、なんの話だい?》


「その少女は、明るく振る舞いながらもどうしようもない孤独の中にいた。その境遇を理解して、その理由を呑んで時を過ごしている。だから少女は嘆かない。悲しまない。苦しまない」


 突如として、まるでお伽話でも話すかのように語るアゼルの言葉に、続きを待ってルーファは沈黙を貫いた。


「その少女は、孤独を呑み込みながらもそんな気配すら一切表に出そうとはせずに、「自分と一緒に踊ろう」と声をかけてきた。まるでパーティーにでも誘うかのように声をかけて差し伸べている手が、俺にはむしろ、助けを求めているように手を伸ばしているような、そんな風に思えた」


《……それって……》


「俺はその手を取ると決意した。例え何があっても、何を犠牲にしても、どれだけ苦しい、茨の道が広がっていようとも。だから俺は、魔王としての道を歩く。それだけが、俺がその少女の為にできる、唯一の方法だから、な」


《……ッ》


 ルーファからの声は返ってこなかった。

 ただ、なんとなく、アゼルは泣きじゃくる子供の姿を幻視したような気がして、小さく苦笑を浮かべた。


「――世界を敵に回し、剣と槍の切っ先を向けられながらも、共に踊ろうじゃないか。そう言ったのはお前だろ、ルーファ。だから俺は、魔王の称号を手に入れた。ただそれだけだ」




 特別な事なんて、なかった。

 ただ自分がそうしたいと思ったから、そう決めて歩くだけなのだから。

 たった一柱の亜神の少女の為だけに生きてみるのも悪くはない。

 そう思ったからこそ、アゼルはアゼルとなるあの日、差し伸べられた手を取った。魔王と神の密約など、そんなものはアゼルにとっては二の次でしかなかったのだ。






 これは、たった一人の少女の為だけに、魔王の称号を背負うと決めた男の物語。

 その先に広がる道に、例え自らに向けられる救いなどないと知りつつも、男は――アゼルは魔王の称号を背負って歩き続けていく。









第一部 FIN

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