1-6 逢魔が刻 Ⅰ

 新たに姿を現した自分達の王――魔王アゼル。

 対するは魔族の中でも強さという点では上位に位置する〈黒竜〉の若き次代の長ことヴェクター。

 この二人が魔王城にて戦うという話は、〈道化〉と呼ばれるアラバドによって多くの魔族らに流布された。


 それについては特に問題こそないものの、魔王の側近を自他共に認めるネフェリアは、アラバドのやり方には眉を顰めるものであった。


 魔王という存在に対して恭順を示しそうな種族には「永き時を経て再び現れた、我らの偉大なる魔王陛下のお力が証明される」と語り、突如現れた魔王に反感を抱きそうな種族には「新たな未知の魔王を見極めるには良い余興かと思われます」と囁いてみせたのだ。

 そうした露骨なまでの言葉の違いを使い、新たな魔王に興味こそあれど魔王城まで向かうには決心が鈍っていた者達の興味を引く事にした点について、アラバドを信用していなかった夢魔族の監視は「即刻処分するべき」と過激な進言をアゼルへと向け、ネフェリアもまたそれに同意した。


 たが、当のアゼルはくつくつと笑いながら「やりたいようにやらせておくといい」と捨て置くように命令を下した。


 アラバドに対するアゼルの寛容さがどうにも気に喰わないネフェリアにとっては、この数日は悶々とする日々を送る形となったが、それはともかく。


 ついにその日はやってきた。




 魔王城の前。かつては町が存在していたものの、今ではその名残である僅かな瓦礫が残る程度となってしまった広場。

 この数日、魔王城の建て直し計画という突然持ち出された提案によって慌ただしい日々を過ごしていたネフェリアらアゼルの側近達は、集まった魔族の数に目を丸くしていた。


 これまで、多くの魔族はそれぞれの種族毎に暮らし、不干渉を貫いてきた。その不文律が今、数百年の時を経て破られ、魔王城の前に集まっているのだ。この光景にはさすがに驚かずにはいられなかった。


「久しいな、夢魔の巫女」


「――ッ! ご無沙汰しております、ゾルディア卿」


 響くような低い声の主を見るなり、慌てつつも豊満な胸に手を添えるように当てながらネフェリアが挨拶を交わした。

 ネフェリアへと声をかけてきたのは、壮年期を越えた程度には歳を重ねているであろう容姿をした偉丈夫。鈍い銀色の髪が似合う、側頭部から天へと伸びる「L」字型の鋭利な角。

 魔族の中でも〈黒竜〉とは異なり、最上位の力を持つ〈悪魔〉の一角。


 先代魔王の右腕。

 悪魔公爵としてその名を馳せたゾルディアであった。


「近い折、貴方様の下へと陛下と共にご挨拶に伺うつもりでしたが……まさかこの様な催しにいらしているとは」


「なに、気にするでない。わざわざ〈道化〉が訪ねてきおったのでな。彼奴とは永い付き合いになるが、わざわざああして顔を見せるような真似をしてきた事など、初めてであったよ」


「〈道化〉が……? あの方と面識があるのですか?」


「うむ。若き夢魔の巫女は知らぬであろうが、彼奴は先代魔王陛下がいらした頃からの古株でな。不可解な行動をしているようにこそ見えるであろうが、アレで誰よりも先代魔王陛下に忠誠を誓っておったのだよ」


「……俄には信じられない話ですね」


「ククク、そうであろうな。ともあれ、彼奴がわざわざ私にまで勧めてきたのだ、顔を出すには十分な理由であろうよ。時に、夢魔の巫女。今代の魔王陛下はお主から見てどう見える?」


「あの御方は本物です。ゾルディア卿も一目見ればご理解いただけるものかと」


「ほう……。それは楽しみであるな」


 まっすぐ澄んだ声で言い放つネフェリアの答えに、ゾルディアは興味深そうにネフェリアの目を見つめた。


 アゼルの目から見れば、ネフェリアら夢魔の者達は、魔王という存在に対して些か盲目的に従っているようにも見える。だが、ゾルディアらの視線から見ればそれは違う。

 夢魔族の魔王という存在に対する目は、ある意味どの種族よりも厳しい。まして、先代魔王ジヴォーグは自分達を生み出した、まさに神とも呼べる存在だ。その後釜につく形となる者を、無条件に認めるような愚を犯す者達ではない事をゾルディアは知っている。


「――来たようだな」


 周囲の変化より僅かに早く告げられたゾルディアの言葉。直後、その言葉を表すかのように空気が一変した。


 燃え滾る闘志が荒れ狂う魔力となって身体から放出されている、〈黒竜〉のヴェクターが登場した。

 チリチリと肌に焼き付けるように放たれる圧倒的な暴力の化身が、群衆の囲む広場の中心に佇み、正面の魔王城を睥睨して佇んでいる。


 ゾルディアもその立ち姿に感心した様子で顎に手を当てた。


「ふむ。まだ若い魔族だと聞いていたが、さすがは次代の長を担う者といったところか。〈黒竜〉らしい荒れ狂う魔力を十二分に支配しているではないか」


「〈翼〉の者達からもヴェクターの噂は何度か耳にした事があります。若き天才にして圧倒的な力の持ち主である、と」


「大抵の噂というものは実力よりも誇張されるものだがな。どうやらあの者に関しては間違ってはいないようだ。かつての精鋭達とまではいかぬが、それでも当時名を馳せた者達に近い力を持っておる」


「それ程の実力、という事ですか」


「さて、どうであろうな。それ程の実力と賞賛を送るべきか、それとも……――ッ!」


 ――その程度の実力、と真の魔王の力の前に屈服させられるのか。

 そう続けようとしたゾルディアは先程までの悠長な仕草からは一転し、勢い良く魔王城へと振り返った。


 それはゆっくりと、魔王城から歩いてやってきていた。


 黒い髪、赤黒い魔王の象徴とも言える角。羽織る蜘蛛魔族アラクネによって誂えられた黒衣もズボンも、その全てが黒一色といった風情の青年と、隣を付き従うように歩く、同じく黒いドレスに身を包んだ赤髪の少女。


 誰もがその二人の姿に気が付き、言葉を失っていた。

 一様に思う事は一つ。


 ――――「あれが魔王なのか?」という疑問だ。


 二人からはヴェクターのような圧倒的な魔族らしい強者の気配も感じられず、いっそ魔力そのものを放出している気配すら感じられない。いっそ、自分達が少し攻撃を仕掛けただけで消してしまえる程度の弱者が姿を見せているかのようにすら思えてならなかった。


 数名の魔族は、「また〈道化〉に担がれた」と憤りを露わにしてみせた。

 数名の魔族は、これから始まる〈黒竜〉による一方的な虐殺をショーとして受け止めようと気持ちを切り替える。

 数名の魔族は、本物の魔王の登場を期待していただけに落胆の色を隠せない。




 ――――そして残りの数名は、身を襲った寒気に懐かしさを覚えつつも戦慄し、身体を強張らせた。




 野次を飛ばす者達、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる者達の声を聞き流すように悠然と歩いて近寄ってくるアゼルと、そんな魔王に付き従う少女の姿から目を離す事もできずに、ゾルディアは目を見開いたままようやく口を開いた。


「……夢魔の巫女よ。一体、はなんだ……?」


「今代の魔王陛下、アゼル様です」


「確かにあの若い男は……いや、それはひとまず良い。私が言いたいのはあの少女の方だ! ……笑えぬぞ。あれは、まるで……――」


 震える声で紡がれたゾルディアの声は、ヴェクターとアゼルの間に突如として姿を見せたアラバドに対する野次と歓声によってかき消された。


 そんなゾルディアの動揺など露知らず、アゼルは己に向けてきている野次や下卑た視線に苛ついている相棒から伝わってくる念話に頭を抱えたい気分であった。


《ねぇ、アゼル。こいつら殺していい? いいよね? だってわたしの唯一の味方のアゼルを馬鹿にしてる。わたしはあなただけの味方。こいつらは味方じゃない。味方じゃないって事は敵でしょう? つまり、刈り取ってもいい存在だよね。ふふふふ、さぁ、アゼル。いいよって言って?》


《……落ち着け、。お前の悪い癖だ、そうやってなんでも刈り取ろうとしたがるのは》


《……むぅ。アゼルがそう言うなら我慢するけど》


 かつての魔剣、アゼルによってサリュと名付けられた少女はむすっと頬を膨らませた。

 彼女の名の由来はアゼルと似たようなものだ。

 天使をモチーフとした自らの名と同様、サリュにはその特性――『死』の精霊とも呼べる出自から、『死を司る大天使』でありながら、自らと同じく堕天使であると考えられているサリエルを少々変化させた名を与える事となった。


 名前の印象からどうしても男性のような印象を抱いてしまうアゼルによる改名だが、サリュ自身は自分に与えられた名前を気に入っているようである。

 それはもう、さして親しくない相手にその名を呼ばれて不愉快になる程に、だ。


 ともあれ、アゼルはこの数日、サリュのこのに頭を悩ませている。


 最初はリリイに始まり、ネフェリアに続き、夢魔族、ベルファータ。現在までアゼルと行動を共にしてきた者達全てを、毎回毎回「敵か味方か」どころか、「アゼルと以外は敵である」と断定して刈り取りの許可を提案してくるのだ。

 可愛らしい少女の声で陶酔した様子で語りかけてくるという、内容と声質のあまりの乖離ぶりに頭を悩ませるのも当然であると言えた。


 仰々しくも周囲に綺麗なお辞儀をしてみせたアラバドは、一頻り浴びせられる罵声を愉悦の声で塗り潰すと、ようやく口を開いた。


「――素晴らしいご狂乱、まことに有難うございます。ワタクシ、こういう声は大好物ですのでどうかもっと罵っていただきたく存じます、ハイ」


 変わり者の多い魔族であっても、さすがに堂々とそんな言葉を宣言してみせるアラバドには引いていた。一瞬で静けさを取り戻した周囲の様子に、アラバドは仮面の向こう側から覗く瞳を少し寂しげに細めてから「冗談ですよ、ハイ」と気持ちを切り替えた。


「さて、皆様のアツいご声援も賜りましたところで、改めてご挨拶を。本日はお忙しい……わけがありませんね。よくぞお集まりいただきました。この催しを企画したワタクシとしましても、多くの同胞が集まってくれたこと、悦ばしく思います」


 さらっと周囲を貶してみせたり、字面にして「悦ばしく」などという表現をしてみせるあたり、相変わらずの扇動ぶりを発揮してみせるアラバドに、アゼルが小さく笑った。


《アゼル? どうしたの?》


《相変わらず、周囲を巻き込むのが上手いなって感心しただけだ》


 居並ぶ魔族達を相手に「静かにしてくれ」と口にしたところで静まるはずもない。かと言って、力で押さえつけようとしても徒党を組めばなけなしの反抗心を剥き出しにしかねないような者達だ。

 そんな彼らを前にしつつも、アラバドはまさしく〈道化〉らしく、その場を一瞬にして支配してみせたのだ。その手腕に見事と舌を巻く思いを抱いたアゼルが、サリュの問いかけに答えつつもくつくつと笑みを浮かべたままアラバドを見つめると、アラバドもまた仰々しい仕草の中でちらりと視線を送ってきた。


 ――その姿、何かあるのですね?

 言葉なく問いかけられた視線の意味に気付いて頷いて答えてみせるアゼルを確認すると、アラバドは仮面の下の本性を愉悦に染め上げながら両手を開いた。


「さて、皆様。本来魔王とは我々魔に連なる者達を生み出し、率いてくださった御方。力に酔い痴れ、己の領分も弁えずに自らを魔王と名乗るという、ワタクシから見ても道化の名が相応しい者達もいらっしゃいましたねぇ――」


 アラバドの扇動に乗せられ、数名の魔族がアゼルもまたその道化という呼び名が相応しいと囃し立てる者達には目もくれず、アゼルはこの状況下でも冷静に自分という存在を見極めようとしてくる者達のみに注意を払うように、ちらりと群衆を見やる。


 ――なるほど、やはり当たりもいるらしい。

 多くの者達に紛れるように、或いは自らの器を誇示するかのように鷹揚に自分を見つめる者達。

 しかしその視線に驚愕と動揺の色を隠しきれてはいないようで、視線を向けられているアゼルの目にはしっかりと視認できていた。


 それだけの僅かな時間を得意の喋りで繋いでいたアラバドは、再びアゼルの視線が自分に向けられた事に気付き、多くの者達から見れば長々とした口上をついに締めくくる。


「――では、始めましょう。我々魔族に相応しき、祭典を」


 頭を下げながらすっと後退してみせたことで、ようやくアゼルとヴェクターの視線が交錯した。


 ヴェクターの荒々しい魔力の奔流を爆発させてみせる様は、まるで火山が噴火しながら荒ぶっているかのような猛々しさを思わせる。

 多くの魔族達がそれだけでヴェクターの実力を推し量り、さすがは〈黒竜〉の一族だと感嘆の声を漏らした。


 しかしヴェクターはあくまでも冷静に、これから戦う相手を見つめていた。


 ――おかしい。なんでアイツからは感じ取れないんだ。

 先日会った際に感じた、今のヴェクターよりも荒々しくも強大な魔力の気配が、今のアゼルからは一切感じられない。

 誰もがアゼルの実力を見くびり罵声を浴びせる中にいながら、ヴェクターにはその疑問が妙に頭から離れようとはせず、口を開けずに睥睨しているばかりであった。


 ヴェクターは、自分を育てた者達の強さの中に放り込まれて揉まれてきたが故に、戦いに於いてはかなりの経験を積んでいる。しかし、それはあくまでも戦いの経験だけであり、生来の気質が荒々しい〈黒竜〉の種族が醸し出す強者の気配こそ知るものの、今のアゼルはあまりにも正反対だ。

 そういう意味では、先日の姿――圧倒的な力を誇示する様の方が、ヴェクターにとっては明確な強者であった。


 宵闇の中で暗く、昏く全てを呑み込もうとする大海が静かに凪いでいるような、あまりにも奇妙過ぎる気配を前に、強者であるからこそ下手に動くなと本能が感じ取り、警鐘を鳴らしている事に、ヴェクターは気付きつつも否定する。


「おい、テメェ。さっきから何を悠長に構えもせずに突っ立ってやがる。だいたい、なんだ、そっちのガキは。ワリィが、ガキを差し出されたからって穏便に済ませるつもりはねぇぞ」


「……ねぇ、アゼル? そろそろ、いいよね?」


「……はぁ。ヴェクター」


「あん?」


「――死にたくなければ、避けろ」


 アゼルの一言がなければ、ヴェクターはには気付いていなかっただろう。咄嗟に引いた上半身。僅かに動く前まで首のあった位置を、漆黒が尾を引いて横切った。


「――ッ!」


「あー、もうっ! アゼル、だめだよ! ヒントあげるなんて! 今の絶対れたのに!」


 ぷりぷりと怒りながら、サリュの姿を見送りながら、ヴェクターはようやく自分が呼吸を忘れていたことに気付き、荒く呼吸を再開した。


 ――いつ、俺の首を狙える間合いにあのガキは来た?

 ――今の一撃は、

 ――今の一瞬で、何が起きた?


 この場にいる誰もが予想だにしていなかった、少女の一撃。

 気が付けば周囲の野次は消え去り、誰もが言葉を口にはしない奇妙な沈黙が舞い降りた。


「アゼル! 今のナシだよ!」


「いいや、約束しただろ? 一撃で仕留められなければ、あとは俺がやるって」


「ズルい! ズルいよ、アゼル! 約束破ったじゃない!」


「約束は破ってないだろ? 俺がアイツを庇ったりしない事と、お前の攻撃を見過ごすっていう約束だ。どっちも破ってない」


「もうっ! アゼルは、もうっ!」


 地団駄を踏むサリュの後ろ姿を呆然と見つめていたヴェクターへ、一頻り文句を言ってからサリュは振り返り――にたりと小さく笑って薄い桜色の唇を動かした。




 ――シ・ネ・バ・ヨ・カッ・タ・ノ・ニ。




 声なき声による、死の宣告。

 それを理解した途端、ぞわりと今更ながらにヴェクターの身体を強烈な悪寒が駆け抜けた。


 無邪気、という言葉の通りに一切の罪悪感もなく、ただただ純粋に向けられた殺意。感情がないのではなく、感情のままに相手の死を望み、一方的に命を刈り取るという選択に躊躇もない。

 それはまるで、路傍の花が咲くことを祈って「綺麗なお花が咲かないかな」と願いを込める町娘の「ちょっとした願いと幸せ」を期待するそれと、何ら変わりのない代物であった。


 ――――正直、ヴェクターはサリュに恐怖していた。


「悪いな、そう怒るな」


「ふん、だっ! アゼルの卑怯者! ちゃんともう一つの約束、忘れないでよね!」


「あぁ、分かってるって――」


 だから、彼女が背を向けて歩いて行く姿にほっと安堵の息を漏らした。

 アゼルに頭を撫でられ、自分から視線を逸らしたサリュを見て「助かった」と思ってしまった。






 故に――――








「――俺が俺の獲物を、逃がすわけないだろう?」






 ――――その一言と、アゼルの笑みを見逃していた。

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